試用期間なし、副業OK、そのねらいとは
――労働条件についても、残業や休暇制度などの工夫をされているそうですが、詳しくお聞かせください。
大石裕一氏: 例えば、結婚記念日と家族の誕生日は必ず休むということを制度として定めています。有給休暇も通常は入社して半年間とか、1年間使えないとかあるんですけれども、入社翌日から取れます。試用期間がないんです。
――試用期間なしという制度にはどのような意図があるのでしょうか?
大石裕一氏: 試用期間とは、結局リスクヘッジで、その人と共にやっていくんだという決意が甘いので設けているんです。人の人生を動かすのが雇用ということなので、覚悟を持って採用しなさいよという自分への戒めも込めて、試用期間は設けていません。
――社員を募集、採用する時には、どのような方法を取っていますか?
大石裕一氏: 求人は出していないんですよ。人づてに、働きたいっていう人たちが集まっているような感じです。これが一番大事なところかもしれないですね。エンジニアの中に、個人のプレーヤーとしても有名な人間がおりまして、そういった人が、会社と違ったところで個人としての発信もしますので、「何々さんが行っている会社オモロそうやな」みたいな感じで受け取られるんですよね。
――会社の中で行われたことは、外部にかん口令を敷くという企業が多いと思いますが、個人の発言を自由にしているのはなぜでしょうか?

大石裕一氏: 信頼しているからこそ、というのはあるんですけれど、個人の発信が会社のブランディングにもつながります。もちろん最低限秘密保持はしてもらいますが、それ以外は会社と個人を分け隔てることにあまり意味はないかなということで、そのようにさせてもらっています。また、副業もやってもらってOKです。自分で会社をやって、代表取締役もやっている人間もおります。個人事業主として、App Storeの売り上げ次第ではうちから出している給料よりも多い額になる月もあるという人間もおります。社内でアイデア会議をやっているんですが、「こんなアプリが欲しいね」といったアイデアを出した人間には、アマゾンギフト券500円が進呈されるんですが、「これだったら個人でやったら」みたいなことも普通に言うんですよ。ただ、個人事業主ではやっぱり上場会社を相手にするのはなかなか難しいですし、業務用システム開発みたいな面白いこともなかなかできないだろうということで、会社でないとできないことは会社でやろうといった感じです。
――エンジニアの皆さんもまさに個性派集団といった感じでしょうか?
大石裕一氏: ちょっと変わっていると思いますね。その分経営者はしんどいですけど。とがった人間たちの集合体なので、扱いには困ることもままあります。
ブラック企業への反発、「自分で会社を作るしかない」
――職場環境や制度についてお伺いしましたが、そのような会社作りをしようと思ったきっかけがあったのでしょうか?
大石裕一氏: 私はジョブホッパーと呼ばれるような、転職族なんです。自分の会社が7社目で、社会人7年目にして創業しているので、年1回ペースで転職をしていたんですね。エンジニアにとって本当に働きやすい環境というのをずっと考えて、経営者とけんか別れしてきたこともあって、じゃあ自分で作るしかないんじゃないかというのがきっかけです。自分の考えるエンジニアのための会社が成り立つのかっていう社会実験という面もありました。最近はエンジニアにとってという考えだけではなく、対象を広めに取っているんですけど、いまのご時世における理想的な就労環境っていうのはどういうものかっていう、ライフワークバランスの理想郷を追求するという観点で、自分の会社をとらえているところはありますね。自分が昔疑問に思っていたことを、無くすようにやっている感じです。
――エンジニアにとって最も働きにくいのは、どのような会社でしょうか?
大石裕一氏: 単純に「ブラック」であるのは良くないですよね。私もいたことがありますけど、労働力を搾取される環境っていうのはやっぱり良くないと思っています。例えば、裁量労働制という名目でありながら、始業時間は9時って決まっていたりというおかしなことが平気でまかり通っています。そもそも裁量労働制なので時間が決まっていること自体がおかしいんですけど、6時以降の労働については一切残業代が出ない。それで「なぜですか」と聞くと、「裁量労働制なので」と言う。弊社では、そもそも残業させるのも良くなかろうということで、残業禁止、定時はきちんと守りましょうという制度にしています。雇用契約は、あくまで彼らのプライベートな時間を使って、会社がやろうとしている価値提供に力を貸してくれっていう契約なので、それ以外の時間で口出しする権利は経営者としてはないはずという考え方なんですよね。そういう考え方でない就労環境は全部良くないと思いますね。
大学を首席卒業。大学院推薦を辞退した理由
――大石さんの、エンジニアに至るまでの経緯について伺います。プログラミングとの出会いは、いつごろだったんですか?
大石裕一氏: 多分10歳になるくらいの時だったと思いますが、当時MSXというのがありまして、それをいじくり始めたのが最初だったと思います。うちの父親が買ってきたというそれだけの理由なのですが、プログラミングの本もあったので、入力して遊ぶというところから始まりました。深入りはしていなかったですけど、こういう世界があるんだっていうのには小学校の時から触れたという感じですね。
――そこから、プロとしてプログラミングを行うまでには、どのような経緯があったのでしょうか?
大石裕一氏: プログラムをちょっと知っています、という程度で、小学校、中学校、高校、大学と来て、形になったのはサラリーマンになって、製品の開発に携わった時からですね。いまの優秀な人たちはフリーウェアを作ってネットで公開するとか、いまでしたらiPhoneのアプリを作って公開するとかそういうことをされると思うんですけれども、そういうことはやっていなかったです。
――学生時代はどのような勉強をされていたのですか?
大石裕一氏: 大学は数学と物理を専門にする学部がありまして、そこで数学、特に統計学を専攻していたんですけれども、あんまり優秀ではなかったですね。とりあえず成績は取るようにテスト対策というのをやっていたくらいで。あんまり何も残していないですね、そういう意味では。
――かなりご謙遜されていますが、大学は首席で卒業されて、大学院の推薦枠を獲得されているんですよね。
大石裕一氏: 学年で5人推薦枠をもらえて、面接だけで大学院に行けるっていう状態だったんですけれども、「もういいです」という感じでお断りしたんです。ほかの人間も、5人中2人ぐらいは辞退していたと思いますね。
――大学院の推薦を辞退したというのは、どういうお考えからだったのでしょうか?
大石裕一氏: 大学院に行って勉強をするぐらいだったら、社会人経験を積んで生き残るための能力やスキルや経験を蓄積した方がいいのではないか、ということを漠然と思っていたんだと思います。多分統計学がそんなに面白くなかったんだと思いますね、そもそも。
著書一覧『 大石裕一 』