過渡期の読書スタイル。「間」を埋めるアプリを作った。
iPadやiPhone等のハードで、電子書籍のページを紙のようにめくりながら読めるiOSアプリ「i文庫」シリーズは、操作性に関するユーザーからの支持のみならず、「グッドデザイン賞」を受賞するなどデザインとしても評価されました。開発者である、株式会社渚技研代表取締役 浅田康之さんに、iOSアプリ製作を始めたきっかけや、i文庫開発のエピソードなどを伺いました。
初めはiOSアプリを商売にするつもりはなかった。
――浅田さんのお仕事の近況をお聞かせいただけますか?
浅田康之氏: iPhone、iPadのアプリを作成しています。本業のFA(ファクトリー・オートメーション)向けソフト開発もやっていますが、割合としてはかなりアプリに傾いています。
――iOSアプリの製作業務を始めたきっかけはどういったことでしたか?
浅田康之氏: 当初は、個人的にちょこっと作ってみようとか、楽しもうと思ってやっていたんですけど、「何だ、この世界は」と興味を持ってしまって、始末に負えなくなりました。だから、商売しようという気はなかったので、「あれっ?」という感じですね。
――i文庫シリーズの開発はどのように思い立ったのでしょうか?
浅田康之氏: きっかけは薄いんですよね。当時はアプリも少なかった時代で、ようやくストアが開いたといっても、そこで商売しようということを考えている人はほとんどいなかったと思うんですよ。「自分たちが作ったものを公開できて、お金も取れるらしいよ、でも払う人はいないよ」っていう世界でした。ゲームみたいなものを作っているときに、うちの会社のスタッフに「それ、縦書は出来ないの?」と聞かれて、「出るで」とか言いながら作った感じです。縦書きで、明朝体というセットのアプリが当時なかったのでプログラムを書いてみました。だから本当にそのときのプログラムは短かったんですよね。すぐに書けるくらいの量しかなかったんですけども、お金になるわけでもないですし「まあこのへんで止めておこう、こんなバカな話は」っていう感じでした。
――ストアでリリースすることになった経緯はどのようなことですか?
浅田康之氏: その前にアプリを1個か2個出していたので、まあ出しておこう、みたいな軽いノリです。そうしたら、出した後にランキングで1位まで上げてもらって。「ヤバい、作り直すか」ってなってからが大変でしたね。最初のアプリは、「ごめんなさい」というくらい出来がひどかったので、一生懸命作り直しました。
――リリースしてからどのくらいでランキング1位になったのですか?
浅田康之氏: 2008年の12月に出して、年末ギリギリで1位になって、Appleのランキングが正月休みに入って、1月3日まで載っていたんです。
要らないけど「あえて」付けたページめくり。
――i文庫HDで紙の本を読んでいるような操作感が話題になりましたが、開発の際にこだわった点はありますか?
浅田康之氏: 結局は、どう見せるかなんですよ。元のデータはテキストベースで書かれているだけで、何があるわけでもない。いかに雰囲気を持たせるかというアプローチをしてみたんです。
――見た目の部分では、グッドデザイン賞を受賞されるなど評価されました。やはりページをめくる機能などは成功だったと考えていますか?
浅田康之氏: 本当は、機能を付けるときに迷ったんですよ。もともとiPhoneのアプリを作っていたので、iPadにするときに、「めくり」が要るか要らないかの話になって、結論としては「こんなものは要らない」。落ちは着いたんですけど、「何かギミックがないとつまんないよね」ということになってあえて残しました。設定でも、ユーザーは選べるようにはしていますが、最初の設定値は「めくりなし」にしていたものを、最後の最後に「出しとくか」って。i文庫は、紙で読んでいたユーザーに、電子で読むという体験がどういうものかを演出するアプリだったと思うんです。
結局電子デバイスで見るなら、ブラウザーなどでぱっと見る方が早いんですよね。ページングの概念でやっていること自体バカバカしい。要らないのはわかっているけど、過渡期としてあってもいいんじゃないかっていうことになりました。しばらくすると電子デバイスでドキュメントを読む世代に全部変わりますから、そうなったら「あんなことバカバカしい」ってなるかも知れません。だから、これがゴールではなくて、多分その先にもっときれいな見せ方があって、そっちが正解だと思うんですね。「間」だと思います。紙から電子へ移行するにあたって、間を置かなきゃしょうがないと考えました。
――浅田さんご自身は、電子書籍の利用はされていますか?
浅田康之氏: 新しい本に関しては全部紙ですね。
――蔵書はたくさんあるのですか?
浅田康之氏: 昔はありましたけど全部捨てましたね。自分の部屋の本棚がパンクするんですよ。買ったら結構きっちり並べるので、もう無理っていう状態になっちゃったんです。そうすると今後は逆現象が起きて、新しいものを買いたくなくなるんです。必要な蔵書は、データで入れています。
――電子書籍が、出版や読書の形を大きく変える可能性はあるでしょうか?
浅田康之氏: どうなんでしょうね。こっちは努力しているんですけど、正直必要とされているのかわかりません。ただ、蔵書を電子データでアーカイブするのは、結構多いと思います。捨てるに忍びなく、残しておきたいっていう場合の妥協点かなと思うんですね。1回読んだ本で本棚がいっぱいになったらどうしようもない。でも明日のゴミに全部出すのは嫌だというときに、とりあえずデータだけにしておいて、ここにアクセスすれば何とかなるかっていう、アーカイブ的な用途に使われることはあるでしょうね。
iPad3で動かない?アプリ開発はドキドキの連続。
――i文庫のバージョンアップや改善の取り組みはどのようなことをされていますか?
浅田康之氏: もう地味なことばっかりですね。新しいバージョンのOSの話とか、どこかのサービスとの接続とか細かいことが多くて。UIもできるだけ改善していこうとしています。iPad3のときは危なかったんです。iPad3がRetinaになるだろうと予想してRetinaの対応は書いていたんですけど、iOSシミュレーターでやったら画面が「バタバタバタッ」と落ちた。シミュレーターがリリースされて、1週間後に発売というスケジュールで、審査には1週間程度かかるので、「うわ、これどうするの。あと10時間くらいで回避策探せ!」とか言って。Apple自体のバグだったんですけども、バグを徹底的に見て、どこで、どういう値でそうなるのか、それに対する回避策を何通りか考えてシミュレーターでチェックして、何か起きたらiPad3が出たときに対応するということになって、実機で実際にやってみたら回避できて、問題はなかった。どのアプリもそうですけども、新しいハードが出た瞬間に動かなくなることがあるので、タイミング勝負ですね。残された時間がほぼゼロなので何が起こるかわからなくて、ドキドキします。
――アプリを作って良かったと思われるのはどういうときですか?
浅田康之氏: ユーザーさんに喜んで使っていただけているというのが1番ありがたいですね。「良かった」という声は非常にありがたい。まあ、痛いのも多いですけど(笑)。
――「痛い」というのは苦情などですか?
浅田康之氏: バグ的なものとか、きつい話が多いですからね。最初のバージョンを出して、なぜか売れてしまった後くらいから、「これはやっとかないと、しょうがないかな」と思っているんですが、本当は逃げたいんです。基本的に作るのは好きな方ですから、機能とかを考えて付け足す方は楽しいんですけども、レビューなどが厳しいです。気持ち的にネガティブになるくらい。とにかくげんなり来ますね。
――ユーザーからの要望によって追加した機能はありますか?

浅田康之氏: こっちで要るか要らないかは判断しますが、結果的に要望に合致することはあります。アイデアとしては受け取りますけども、結局どうするかというのはこちらの判断。あとはハード的な制約とか、OS的な制約とか、速度的な制約とか。やりたいけども出来なかったこともかなり多いですね。ただiPad3のあの解像度はね、あの貧弱なハードスペックで動いてるのは奇跡ですよ。速度的なところとか、細かい動きとか。奇抜なことは出来ますけども、普通に動かすように見せる方が大変です。結局奇抜なものは、一瞬注目を浴びますけど、それが使えるのか使えないのか、必要なものか必要じゃないものかっていうのは違うので。何の問題もなく普通に動いたなっていうのが、いいなと思っています。
――iOSのアプリを開発する以前にも、ハードウエアの制約を前提としたものづくりはされていましたか?
浅田康之氏: ゲーム機のソフトとか、きついスペックで動かすっていうのをやっていました。PlayStation®が出る前あたりですよね。ファミコンは過ぎたけど、ゲームボーイからスーパーファミコンあたり。アセンブラでやってた時代ですね。
――われわれがやっていたゲームの中にも浅田さんがかかわっている部分があるかもしれませんね。
浅田康之氏: 大昔ならあるかもしれません。
ないアプリは自分で作る。アプリは自分で使うために開発する。
――コンピュータや、プログラミングとの出会いもお伺いできればと思います。最初に買ったPCは何ですか?
浅田康之氏: 最初はシャープのMZ-2200です。80シリーズが有名なところですけれども、ディスプレイ一体化になって、MZ-80Bの次にMZ-2000が出たんです。それのディスプレイが分割されてMZ-2200になって。29年か30年くらい前ですね。NECはPC-8801とかだったんですけど、シャープとNECのどっちを買うかということになって、さすがに子どもなのでお金がないので安かったMZの方を選んだのですが、ゲームがないんですよね。NECの88はゲームがいっぱいあったんですけど。だからプログラムするしかなかったんです(笑)。
――ないなら作るしかない、ということですね。それがおいくつくらいのときだったんですか?
浅田康之氏: 中学生くらいのときですね。あのときはゲームやプログラミングばかりしてロクに勉強していませんでした(笑)。
――最初のプログラムでは、どのようなものを作ったのでしょうか?
浅田康之氏: いやあ、あの当時ですからね、画面でピコピコって動くだけで満足っていうガラクタばっかりです。電波新聞社さんから「BASICマガジン」とかが出されていたと思うんですけども、それ見ながらいじくったりとかして、ただ動いて楽しいっていうレベルの時代でしたね。
――パソコンの発展、インターネットなど、コンピュータの環境の変化はどのように感じていますか?
浅田康之氏: すごく変わりましたよね。パソコンを触った当初は、インターネットってものさえ存在しない時代で。それから数年して、NECの98とか、シャープのX68000とか、あれくらいでようやく皆モデムを買ってきてBBS(電子掲示板)で、「ピー、ガガガ」とやって、Windows95でやっとインターネットっていう世界ですからね。あの当時では想像もつかない世界になっていますね。昔は、パソコンを触っていたら親に、「そんなガラクタばっかり触って」って怒られていましたけど、いまは「パソコン教えて」って言われますから(笑)。
――今後、新しいアプリの開発や、新規事業などの構想はありますか?

浅田康之氏: 私はアイデアマンとか、何かを立ち上げる起業家的なタイプではないので、そこは難しいところですね。i文庫も、iPhoneとかiPadが出たタイミングで、「これなら出来るんじゃないか」と思ってやったことですし。iPadはジョブズのKeynoteを見て翻弄されたクチですからね。自分自身もiPadの可能性にあこがれていただけで、フタを開けたら「こんなんやったんかい」って落ちだったんですけど。
――最後に、アプリの製作で、大切にしていきたいことを教えてください。
浅田康之氏: より良くしたいというのはあります。自分で使いたいからアプリを作っているようなものですから、自分で使ってみて不便なところは何とかしたいですね。だからある意味自分が最悪のクレーマーですよ。開発が別の人間だったら、病むと思うんですけど、自分で作って自分でつっこんでいるから何とかなっている。思いついたらそのまま作り始めることも多いんですよ。とりあえずプログラムを書いて、失敗したら戻せばいいので、とりあえず書いちゃう。その自由度が、ある程度収益によって与えられてる部分はありますよね。全く収益がないのに、時間だけ掛けたら怒られますからね。そこを正当化する理由にはなっています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 浅田康之 』