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世界中の本好きのために

米光一成

Profile

1964年生まれ、広島県出身。広島修道大学人文学部英語英文学科卒業。1987年、コンパイルに入社。同社初の専門企画職として、「魔導物語」や「ぷよぷよ」などを生み出す。1992年退社、スティングに移籍。2001年に退社するまで看板クリエイターとして「バロック」などを手がける。最新作は「想像と言葉」。 『ベストセラー本ゲーム化会議』(共著。原書房)、『自分だけにしか思いつかないアイデアを見つける方法』(日本経済新聞出版社)、『仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本』(ベストセラーズ)など、著書多数。電子書籍を電書と呼び「電書フリマ」等を主宰。関連著書に『電子書籍宣言』(山城パブリッシング)など。

Book Information

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開くたびに中身の変わる、魔法の本があったら面白い



ゲームクリエイターの米光一成さんは、1987年コンパイルに入社し、同社初の専門企画職として、『魔導物語』や『ぷよぷよ』などのタイトルを生み出されました。その後同社スタッフが設立したスティングに移籍。看板クリエイターとして『バロック』などを手がけられました。退社後、2002年には、麻野一哉・飯田和敏とともに「ベストセラー本ゲーム化会議」を執筆。現在はフリーのクリエイターとしてオンラインゲーム・モバイルコンテンツを中心に手がけながら、作家・研究活動も行っていて、2007年に立命館大学映像学部教授に就任されてからは、後進育成にも努めています。また電子書籍を電書と呼び、「宣伝会議 編集・ライター養成講座 上級コース プロフェッショナル・ライティングクラス」の受講生を中心に、2010年に電書部を設立されました。米光さんに電子書籍のこれからや編集者の役割などについてお聞きしました。

アイディア・情報は外に出す


――立命館大学では、どのようなことを授業でされていますか?


米光一成氏: 映像学部では、インタラクティブコンテンツの制作や集団創作の方法などを教えています。座学ではなくワークショップ形式で、実践しながら学んでいきます。その延長線上で、池袋のコミュニティーカレッジでは毎シーズンテーマを変えてやっていて、今はタロットカードを思考ツールとして使う講座をやっているところです。

――毎回テーマを変えるというのは大変ではないですか?


米光一成氏: 同じことをやりたくないというのもあります。僕が飽きてしまうんです(笑)。受講生も半分ぐらいは前回も参加してくれている人なので、毎回違う方が面白いだろうと思って。
タロットを使った講座の前はインタビューの講座でした。受講生が2人1組でお互いにインタビューしあうのです。でも、インタビューって難しい。ですから、「次はどうしたら簡単にインタビューできるか」ということで、タロットカードで相談にのればいいんじゃないか、と。
例えば、「部屋が散らかっていて片づけられない」という相談があるとします。インタビューする側は、「タロットを引いてこういうカードが出ましたが、何か思い当たりませんか」と聞きます。それに答えていくうちに自然とインタビューになるのです。タロットがあるからやりやすく、「何を聞けばいいかな」といった変な間が消える。インタビュー講座の次がタロット講座なので全く違うと思われがちですが、根っこの部分は同じなんです。
講座をやりながら僕も教わっている所があって、「この辺が難しい」というのが分かると次は改善ができるので、そこはインタラクションというか。こちらが伝えるものもあるし受講生から伝わってくるものもあります。

――本を書いたり何かを作る時にも、作る過程で発見がありますか?


米光一成氏: 本を書く作業って、ぼんやり考えていたことを文字化する、クリアにしていく作業。書いてみて初めて分かることはたくさんあるので、書くことが考えを深めるきっかけになりますね。
発想した時は興奮しているので「すごい!」と思っていても、並べてみると当たり前のことだったとか、書くと冷静に客観視できます。そこが大切です。思いついたまま勢いで突進すると、気づけばとんでもないところで迷っているってなりかねないので、書くことは大事だと思います。



――そういう意味ではTwitterは有効なツールですよね。


米光一成氏: Twitterは、リアクションの有無がはっきり分かるので、便利ですよね。今、宣伝会議という所で編集・ライター講座をやっていますが、今シーズンは、特にTwitterをやることを受講者に進めています。Twitterでどの位リアクションがあるか、何を書いたらフォロワーが増えるのかを知ると、どうしたら伝わるのかが分かり、ライターとして表現する力が鍛えられるんです。

――ご自著の中でも、「アイディアを思い付いたらまず書いて、外に出してみる」と書かれていましたね。


米光一成氏: アイディアや情報を外に出して、「この人はこういうアイディアや情報が好きだ」ということが伝わると、「ここに、こんな情報があるよ」という風に、別の情報となって戻ってくるのです。ですから、情報はどんどん書いて出していくことが大切だと思っています。

ゲーム業界の勃興期を体感


――ご出身は広島ですよね。


米光一成氏: そうです。廿日市に長く住んでいました。本やゲームにのめり込んでいました。当時はゲーセンというより、プレハブ小屋でおばちゃんがやっているような時代で、そこに行ってよくゲームをしていました。

――本はよく読んでいたのでしょうか?


米光一成氏: 小中高校生までは筒井康孝や星新一、江戸川乱歩などを読んでいました。
最近気が付いたんですけど、本を読むのも好きですが本を探す方が好きです。近所の図書館では貸出期間は2週間で1度に15冊まで借りられるので、15冊借りてきます。でも、目的はどの本を借りようかと探すことなので、読むのは大体1、2冊。あとは読まずにパラパラめくっただけで返すことが多いです。本屋でも同じで、それこそジュンク堂に行くと、朝に行ったのに、気づいたら閉店だったりすることもあります。ひたすら本を探しています(笑)。
もちろん読むのも面白いのですが、探している時は、ある種の宝探しをしているような感覚なのです。面白そうな本も開けてみると意外とつまらなかったり、逆にシンプルなタイトルでつまらなそうだけど、実はすごく面白かったり。
本屋ほど、新しいものが随時入ってくる場所って他にないと思います。例えば喫茶店なら、メニューが何千種類もあることはまずないでしょ?

――大学は英文科を卒業されていますね。


米光一成氏: 僕の時代にはゲームの専門学校みたいなものはありませんでしたから。ゲーム業界がまだなく、しっかりとした企業としてやってるところも少なかった。ですから、「ゲームを作ろう」という発想が大学に入る時にはなく、英文学科を選んだ事にも、それほど深い思いはありませんでした。ただシンプルに「英語と日本語の違いが面白いな」と高校3年生の時に思っていました。岩谷宏さんの『にっぽん再鎖国論』という本に、英語と日本語を比べて、いかに日本語が素晴らしい言語かが書かれていました。それが面白くて日本語と英語の考え方の違いや、物事の捉え方の違いに興味を持って、英語を勉強しようと思ったのです。

――ゲームの世界との出会いは?


米光一成氏: 大学時代に、ガソリンスタンドの顧客名簿のデータベースを作るアルバイトがあって、採用の条件が、「コンピューターでプログラムができる人」でした。僕はプログラムはつくれなかったのですが、時給がすごく良かったので一か八か行ってみようと思って。それで、面接で「プログラムができるか」と聞かれて、「できる」と言ってしまいました(笑)。
面接に受かった後で同時に受かった他の2人に、「本当はプログラムできないんだよね」と打ち明けたら「アホか」と言われて(笑)。「バイトが始まるまで1週間あるから、MSXを買って勉強しておけ」とアドバイスされて、29,800円ぐらいのホームコンピュータを買うんです。
でも、勉強しようと思った1週間は、パソコンと一緒に買ったゲームで遊んでしまって(笑)。結局、プログラムはできないままバイトが始まって、使いっぱしりのような仕事をして過ごしました。
買ったゲームは、「ロードランナー」という名作です。ムチャクチャ面白かったんです(笑)。初めて徹夜しました。一週間やり続けました。ゲームが好きになったきっかけで、その後はどんどんゲームを買って遊びましたね。当時はまだ仕組みが簡単なので、何となく自分でもゲームを作れる感じがしました。データベースを作るバイトに行っていたおかげで、作り方を見ていればどのくらい時間を掛けるとどんなものができるのかは知っていたので、「じゃあ真似してみよう」と。

――ソフトウエア開発のコンパイルを選ばれた理由は?


米光一成氏: 求人が出ていたので応募したのですが、当時コンパイルはまだ本当に小さくて、マンションの2部屋をオフィスにしていました。インターフォンを押したら、社長がスーツにスリッパで出てきて。面接している間にデザイナーとプログラマーが、冷凍カツオでチャンバラごっこをしていたのを覚えています(笑)。「この会社、マズイわ」と思う反面、「でもここなら僕でも勤められるかも」という気持ちもあって。勤められるかもという気持ちが勝っちゃいました。
僕自身は就職をそれほどシリアスに考えていなかったので、「ひとまず行けそうな所に行こう」という感じでした。セガなんかは当時も大企業でしたが、広島の会社説明会に行った時に、社長の言葉がビデオで流れている途中、退屈で寝てしまいました。「これはまずい、会社に行っても寝ちゃう可能性がある」と思ってやめておこうと。その程度の基準でしか会社を選んでいませんでした。セガは大きいから一生勤めるのに値する会社だとか、コンパイルは小さいからもしかしたら潰れるかもとか、そういうことは考えず「近所だし、楽そうだな」と思って決めました。

――実際にお仕事をされて、いかがでしたか?


米光一成氏: ゲーム業界の勃興期だったので、コンパイルも僕が入った時には20人ぐらいだったのが年々増えて、ゲームもどんどん売れていきました。ですが、親戚からは「ゲーム会社に入るなんて」と言われていました。テレビゲームなんて、すぐ廃れるというイメージだったようですが、僕はゲーム好きだったので「そんなことはない」と確信していました。ですから、それほど不安もなく、しかも業界自体がどんどん大きくなっていったので、面白かったですね。

――当時のゲーム業界についてお聞かせ下さい。


米光一成氏: ファミコンがスーパーファミコンになるなど、技術革新そのものがどんどん進んでいく時代でした。新しい技術が出れば新しい発想も生まれる。「こんなこともできる?」という提案も、出してみるとプログラマーが「やってみよう」と答えてくれる。成熟していないだけに、常に新しいチャレンジができる場でしたね。

真逆の発想で


――「ぷよぷよ」は反響がすごかったですが、そうした反響のあった時はどんなお気持ちでしたか?


米光一成氏: 「ぷよぷよ」は、世に出る前のテストプレイヤーの反応が良くて、それがすごくうれしかった。新人が、仕事を終えた後にプレーしてくれてたのですが、終電の時間が来て、「そろそろ帰ったら」と声を掛けても、「面白いから、まだまだやりたい」と言ってくれて。「これは本当に面白いんだ」と、その時に実感しましたね。
ただ、その時点で売れるかどうかまでは、あまり考えていませんでした。というのは、最初に出たのがファミコンのディスク版とMSXなんです。ハードが衰退気味で売れなくなっている時期でしたから、「出しても売れないかもしれない」という予感もあって。実際に、最初に出したソフトは売れませんでした。他のハードに移植した後に売れましたが、テストプレーであの反応を見て「面白い」という確証がなかったら、「他の機種に移植しましょう」ってことにならなかったかもしれません。

――「ぷよぷよ」はどのようにしてできたのでしょうか?


米光一成氏: テトリスのように落ちて、溜めて、消すという、いわゆる「落ちゲー」を、他の人が作っていたんです。でもちっとも面白くならない。「どうにかしなければ」ということで会議があり、「上の人たちは忙しいから」と、半ば押し付けられるような形で、下っ端だった僕がやることになりました。
それで、はじめに“テトリスがなぜ面白いのか”を、思いつくかぎり紙に書き出したんです。テトリスは硬いブロックが落ちてきて、一列埋まったら消える、一言でいうとソリッドなイメージです。数学パズル的なイメージで、キャラもいないし、柔らかいイメージが全くない。テトリスの魅力は、ソリッドさだ、と。だから二番煎じにならないように、その最大の魅力を反転させて、柔らかいものにしよう、ぷよぷよしたものにしようと考えたのです。
僕がやっていた1つ前のプロジェクトは、「魔導物語」というコミカルRPGでした。その雑魚キャラにスライムのような「ぷよぷよ」という名前のキャラがいて、こいつがやわらかくてかわいいので、使うことにしたんです。

――就職してから5年ほどで、転職されていますね。


米光一成氏: 「ぷよぷよ」を作った後、コンパイルを辞めました。辞めたメンバーが東京で「スティング」という会社を作っていて、「来ないか」と誘われていました。広島に支社を作るというので、「それなら」と転職しました。

今後広がるであろう「編集者の仕事」


――ゲームという媒体から本を書くことになるわけですが、そのきっかけは?


米光一成氏: これは、「ゲームデザイナーを3人集めて喋らせると面白いんじゃないか」という、編集担当の方の策略です。本をゲーム化すると面白いのではないかという発想で、僕たちはそれに乗っかって普段通りやっているだけで。
その本を出す前後にマガジンハウスの『鳩よ!』という雑誌に映画評を書かせてもらうようになりました。僕が映画好きなのを編集者が知って、「書かないか」とお話がありました。そのあたりから書く仕事が広がっていきましたね。

――編集者の存在、役割をどんな風に感じられますか?


米光一成氏: 読んで字のごとく、集めて編むことだと思います。『ベストセラー本ゲーム化会議』も、「3人を集めてこういうことをやろう」という、編集者の発想と行動で作られました。
もちろん他にやることは沢山あると思いますが、やはり編集は集めて編むところが主軸なのだろうなというのが僕の実感です。
今、出版不況と言われていますが、編集は不況ではないと思います。集めて編むのは本だけではなく、イベントなども同じ。人を集めてテーマを提供するオーガナイザーが必要、それも編集だと思います。そういうことはこれからもどんどん必要とされると思うので、編集の仕事は今後、爆発的に広がると僕は思っています。それで2009年から、宣伝会議の「編集・ライティング講座プロフェッショナル・ライティングクラス」をやりつづけているんです。

――電子書籍化が進むと編集者が要らなくなるという見方もあるそうですが、どう思われますか?


米光一成氏: むしろ必要とされる場が増えてくると思います。電子書籍では、自分だけで書くことももちろんあると思いますが、「この人にこれを書いてもらおう」とか、「座談を企画して纏めて出そう」ということがやりやすくなるはずです。電子書籍は紙のように一定のボリュームや雑誌の売れ行きに影響されないですから。人を集めてテーマを企画する、それを仕掛けるのは編集の仕事ですよね。だから、やることは幾らでもある。僕は今後、編集者は増えると思っています。ゲームデザイナーという職種は1983年以降、莫大に増えました。それまではプログラマーがゲームを作ったりしていましたが、ファミコン以降、ゲームをデザインする人、ディレクションする人などというように新しい職種が出てきて、その役割が大きくなっていきました。編集者は今、ゲームデザイナーでいう“1983年”なのではないかと思います。今まで、出版業界の中で、紙の中でだけ編集者の役割があったのが、イベントや電子書籍、ウェブの中で広く編集が行われるようになる、ならざるを得ないと思っています。もしかしたら編集とは呼ばれないのかもしれません。それこそキュレーターとかオーガナイザーとか色々な言葉で表現されるのかもしれないですが、「やっていることの本質は編集だ」という職業が今後、増えていくと思います。



――役割はどんどん新しくなっていくのですね。


米光一成氏: 学生にもよく言いますが、僕がいま学生ならゲーム業界は目指しません。すごい倍率ですし、成熟してしまっていて、勃興期の面白さを感じることはできない。新しくて、まだ誰にも職業だと思われていないものが、大きくなって業界になっていく現場のほうが僕にとっては面白い。例えば、ニコニコ動画から生まれてきてるような新しいものをやってみる方がいいような気がします。もちろん大きなゲーム業界に行くのもいいですが、そういう新しい所も視野に入れて考えてみるといいと思います。

――米光さんは電子書籍を電書と呼ばれていますよね。どういった意味合いがあるのでしょうか。


米光一成氏: 書籍という言葉のイメージが重いからです。書籍と言った瞬間に200ページは要るし、縦書きであるべきだし、しっかりと装丁してあって、きちんと読むものというイメージができ上がってしまう。僕自身もそのイメージに引きずられてしまいます。でもデジタルだから、3ページでもいいし、今日作ったものを明日出してもいい、落書きみたいなものだっていい。それで5冊しか売れなくても印刷費はゼロなので損はないです。
最初から5冊しか売れないものを作ったっていいと思って作るなら、書籍のイメージを消さないと難しい。でも、全く違う名前にすると今度は読むものだということが分からなくなる。ですから、「電書」という、省略した軽い感じの言葉にしてイメージを変えると行動しやすいと思ったんです。

――書籍の概念を取っ払った方がいいのかもしれないですね。


米光一成氏: その方が発想することが増えると思います。書籍と言ってしまうと、どうしても紙の書籍をデジタル化するイメージになりますが、紙の書籍にすることを全く想定しなくてもいいわけです。

――「電書」は今後、どう発展していくと思われますか?


米光一成氏: 大きいのは自由度が高いこと。速くて印刷費もかからないので、流通的な問題も負担にならない。以前、イベントで話したことをその場で打ってまとめて、イベントが終わった瞬間に来場者へ送信するという、電子書籍を使ったフィードバックをやりました。いま見たイベントの様子を帰りの電車の中で読めて、さらに質疑応答で自分の質問した内容が電書になって読めることが新鮮な体験だったようで、反響が大きかったです。
時間の自由度も部数の自由度も高いので、小さなコミュニティーの会報にも最適だと思います。
イベントでやって、映像化して、電書化して、紙の本にしてというように、ワンソースでマルチユーズすればいいのであって、電子書籍対紙の本というような対立軸ではないと僕は考えています。
今後は、書籍っぽくない電子書籍がたくさん出てくると思います。例えば目次のない電子書籍。今の電子書籍は最初に目次があってタップするとそのページへ行くような造りが多いのですが、そうじゃないものがたくさん出てきています。歴史年表のようにスライドしたり、ページそのものが縮小してネットワーク状に移動して読めたり、立ち上げた時間帯で読める内容が変わったり、そういったこれまでの概念に捕らわれない電書が、実際にもうたくさん出てきています。これから、もっと面白くなると思いますよ。

変わっていく面白さを追求する


――今、興味を持たれていることは?


米光一成氏: 今、電書カプセルという電子書籍の配信アプリを運営しています。今日アップしたのは友人のツイートを纏めたもの。昨日のものを今日出せる。ツイートもまとめることで違った感じで読める。
電書カプセルでは、書いて間違いを見つけたらすぐ直せるし追加もできる。連載もできる。変わっていく面白さを追求しています。本を開くたびに本の中身が変わる魔法の本があったら面白いなと思ったのです。

――そういった新しいコンテンツが生まれていくと共に、編集業界における「1983年」が来ていますが、その中で米光さんの今後の展望を教えてください。


米光一成氏: ある種、編集のような、編んで集めることと、本も電子書籍もネットも含めて言葉を使って何かやるというようなことを、これからやっていくのだろうなと思います。
やっぱり、言葉は面白い。映像も面白いですが、言葉の持つポテンシャルは大きいと思っています。それが映像やレイアウトを併せ持つともっと面白くなっていくと思います。
言葉って、本だと多くはツラツラと、きちんと並んでいます。改行はあっても、基本的に一本の線として並んでいる。その並びではなく、日常のあらぬ所に言葉があったり、映像の中に放りこまれたり、とんでもないところに言葉が侵入して、急にこの机に文字が表示されたりね、そんなふうな未来がくると楽しい。
今、「想像と言葉」というゲームを作っています。カードに言葉だけが書いてあって、そのカードを使って人が想像して楽しむゲームです。これ、めちゃくちゃ盛り上がるんですよ。人と人の間で、言葉が乱舞するイメージのゲームです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 米光一成

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