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世界中の本好きのために

池内ひろ美

Profile

1961年、岡山生まれ。一般社団法人日本女子力推進事業団代表理事。一般社団法人全国危機管理理事。女性活躍委員会委員。西日本短期大学非常勤講師。八洲学園大学客員教授。1996年より「東京家族ラボ」主宰。精神科医、弁護士、心理カウンセラー他専門家が参加しカウンセリング、ワーク・ショップ、講演会、研究会等を行なう。相談件数3万件以上。結婚と離婚、恋愛、親子関係などのコンサルティングを行ない、現代の男女・家族のコミュニケーションから、本人が幸せを感じて生き方にいたる問題を相談者とともに考える。 TBS『私の何がイケないの?』、テレビ朝日『TVタックル』『朝まで生テレビ』等出演ほか、ラジオ・新聞・雑誌でも。著書は『大好きな彼に選ばれるための25の法則』(スターツ出版)等全30作品。

Book Information

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自分の人生をかけて人のために伝え、人のために生きていく



評論家として、夫婦や家族間での問題などに取り組み、執筆活動を行っている池内さん。「女性の生き方」についてのトークショーや、「自分をみがく:セルフブランディング」などの講座、テレビ番組「TVタックル」「私の何がイケないの?」への出演など、幅広くご活躍されています。社会貢献として、2009年からは、NGO Room to Read(米国本部)東京チャプターの事業に参加。一般社団法人日本女子力推進事業団の代表理事として「女子力アップ」に貢献しています。東日本大震災では緊急支援活動も行い、2012年には『百年の時計』で映画デビューも果たされました。ご家族の「役割」について、また執筆に込められた「伝えたい」という思い、人との「出会い」、電子書籍と本について、お聞きしました。

友達親子では難しい。子育ては「社会貢献」


――娘さんがいらっしゃるとお聞きしましたが、とても仲が良いそうですね。


池内ひろ美氏: よく姉妹のようだと言われるのですが、うちは上下関係が厳しいので絶対に「親子」です(笑)。最近は、友達親子が流行りのようになっていますが、あまり良いとは思いません。親は役割として、子どもをしつけ、生活習慣を身に付けさせることを行わなければなりません。友達親子だとしつけもできなければ教育もできない。子育ては、親にとって都合のいい子どもを育てるのではなく、将来、社会の一員として受け入れていただくまで、家庭でお預かりしているだけです。社会で次の時代を作る、次の世代を担う人間なのです。ですから次の世代に迷惑をかけない、人様のお役に立つことのできる人間を育てるのが子育てです。

――娘さんはもう社会に出られているのですか?


池内ひろ美氏: 娘はイギリスで学び、25歳で帰国して就活、現在は総合商社に勤務しています。高校は私立のボーディングスクール(寄宿学校)、ロンドン大学へ通いました。勉強好きでお金に堅実、真面目な子ですが、別れた夫の性質をひきついだお陰です。

自由で、甘やかされた幼少期


――池内さんは、岡山のご出身ですが、ご家族はどのような方だったのでしょうか?


池内ひろ美氏: 私は北区の出身ですが、父はサラリーマンで、社会人野球の選手。スポーツマンですので、80歳を越えた今も月何度もゴルフを楽しんでいます。母はそろばん塾と学習塾を経営しており、家事も全て行っており大変忙しい人でした。母が先生という立場だったため、私は真面目でいなければならないというプレッシャーを受けていたと思います。母が忙しいときには、私はばあやに育てられました。ばあやさんはすごく甘い人でしたので緩衝剤的な意味あいもあり、かつ、倫理を教えてくれる、祖父母のような役割の人でした。血縁関係はなかったので、この人はどういった役割で私に関わっているのだろうと、小さい頃から「その人の役割」を考えていました。家族システムの中には、家族それぞれに「役割」があります。父親は外からの攻撃を守る人であり権威、また教育するという役割、母親は保護する役割と子どもに対するしつけの役割、そして祖父母は倫理観を教えたり、孫を包み受容する役割を持っています。私はそういった中で育ってきました。幼い頃とても体が弱かったものですから、両親は私がしたいことを全部させてくれました。「この子は長く生きられない」と思っていたようで、「したいことは全部したらいいし、食べたいものは食べればいいし、食べたくないものは食べなくてもいい」という感じですね。食も細かったので、食べたいものを少しだけでもいいからちょっとでも多く食べられるようにと、とにかく大事に大事に守られて甘やかされていました。だから、今でも我が儘です(笑)。自分の意志で行うことはものすごく頑張りますが、強制されることは苦手です。

――バイクが好きだと伺いましたが、小さい頃からそういったものに興味があったのでしょうか?


池内ひろ美氏: 体が弱かったため極力体を鍛えなければならないと、スイミングスクールに通ったりしていましたし、強いものに対する憧れがありました。ですから、サーフィンやウィンドサーフィンをしましたが、海に出て自分の力でボードを漕ぎ、自分の足で立つことをしたかったですし、スキーでは雪山のギャップを楽しみ、高校生から父親にゴルフを教わり、四輪免許を取得した後、オートバイの中型免許を取得して250ccのストロークエンジンを自分で回してみたいと思いました。鈴鹿サーキットを走ったこともあります。乗馬、ゴルフと、若い頃は本当によく遊び体も鍛えられ、体も丈夫になっていました。

――結婚について、考えることはありましたか?


池内ひろ美氏: 私は、ずっと「かわいいお嫁さんになりたい」と思っていました。両親からそのように育てられました。もちろんお料理などはできますが、「体が弱いため人並みに仕事はできない子だろう」と両親は思っていたため、「可愛いお嫁さんになって男の人に守ってもらいなさい」と言われていました。
私は1961年生まれですが、私の世代では田舎の女の子の4年制大学への進学は多くない時代で、短大を卒業し花嫁修業をして結婚するというのが当時のスタンダードでした。女の子はクリスマスケーキにたとえられ、クリスマス(25歳)を過ぎると「売れ残り」と呼ばれる風潮でした。私が結婚したのは24歳の時で、それから8年間は専業主婦でした。彼がケーキ好きだったのですが、買うと高いので、週に1回ホールケーキを焼いていました。また、カーテンはきちんとシーズン毎に外して手で洗い、糊付けもしていましたし、季節毎にカーテンをかけ変えていました。当時はベッドではなかったので、夜お布団を敷く前に畳を雑巾で乾拭きもしていました。「可愛いお嫁さんになりたい」という夢は、そのとき叶っていたんじゃないでしょうか、今ではほとんど家事を行いませんが(笑)。

ある出会いがきっかけで、本を出版するまでに。


――執筆をすることになった理由は、どういったものだったのでしょうか?


池内ひろ美氏: 最初の夫との離婚直後に阪神大震災が起こって、関西では仕事が全くありませんでした。実家のある岡山へ帰ろうと思ったのですが、「離婚した娘は帰ってくるな」と両親から言われました。短大卒で無資格。今の時代は母子家庭の方もある程度仕事がありますが、当時は母子家庭には仕事を与えられませんでした。それで、「日本人だから日本語を書くことはできるでしょう」と自分に言い聞かせて文章を書いたのが最初です。

――どういった思いを持って、執筆をされていますか?


池内ひろ美氏: 「伝えたい」という気持ちがあります。テレビでは短い時間しかお話はできませんし、FacebookやTwitterでは情報として十分に伝えることができません。離婚に対するネガティブなイメージを変えていきたいという思いがあって書きはじめました。私にとっては、伝えることが大切な役割です。お金をいただかなくても、伝えることができるのであれば、例えば小さなサロンセミナーやPTAの小さな集まりにも自前でもお伺いします。伝えることができるかどうかが仕事の基準です。

――最初の本、『リストラ離婚』は、どのようにして生まれたのでしょうか?


池内ひろ美氏: 大阪の夕刊フジで、企画の仕事を始めました。その企画の1つがリストラ離婚だったのです。しかし、編集部が全員男性だったことがあり、リストラ離婚についてなかなか理解されず、「夫をリストラするなんておかしい」とも言われました。「あなたがした離婚っていうのがきっとリストラ離婚なのでしょうから、あなたが書いたらどうですか?」と言われ、30本書いて納めたのですが、その直後に阪神淡路大震災が起こり、紙面が全部飛んでしまいました。大阪に置いていても掲載できないからと、東京に送られることになりました。すると、東京の編集局長が作品を気に入り、「60本書いたらどうか」とご提案いただきました。でも、応えることができません。「うちは母子家庭で明日食べるものはあっても、来月の家賃を払えるのかしらと心配な状況です。ありがたいお話ですが、新しく原稿書き直すこともできませんし、現在の30本の原稿料もいただけないため次の仕事を探さないといけません。だから新たに60本の原稿を書くことはできません」とお断りしたところ、事情を理解していただき、掲載前に30本分の原稿料を出していただけることになりました。掲載前に原稿料を渡すという英断を大作家でもない新人に対して下してくださった編集長には今でも感謝しています。その原稿料で当時私と娘は生きることができました。



今の私を作ったのは、親から教わった道徳心


――才能を認められたわけですね。良い出会いだったのではないですか?


池内ひろ美氏: とても親切な編集長だったと思います。本当に出会う方が良い方ばかりです。皆様に心から感謝していますし、足を向けて寝られない。ただ、あまりにも恩人が多いため、立ったまま眠らなきゃいけないねと娘と笑いあったことがあるほどです。
東京での掲載が決まった当時、時間があったので原稿を直接持って行き、悪い部分がないかご意見をいただいていたのですが、その度ごとに担当編集さんは「お嬢さんは元気ですか」と尋ねてくださり、編集局長に至っては、「娘にひもじい思いをさせていないか、ちゃんと食べさせているか」と言ってくださり、毎回皆さんが心配してくださいました。心から嬉しかったと同時に、私は、「娘を気遣ってくださる言葉を早く言われないように努めなければならない」と、皆さんに心配を掛けずに済むようになることを目標にしてきました。心配してくださることに対して申し訳ないという気持ちがあったのです。当時はそれが原動力の1つになっていました。

――出会ってきた方々を大切にされていたのですね。


池内ひろ美氏: 最初のうちは、お目にかかった方にきちんとお礼のお葉書を書いていたのですが、今はとてもできません。年賀状も出さず、クリスマスカードも送らず、メールのみです。不義理ばかりで申し訳ない気持ちです。時々ホームパーティーは開いていました。食事会や飲み会といった接待がスタンダードだった時代に、子育て中のためお付き合いできませんでしたので、これでは申し訳ないと思い、ホームパーティーを始めました。北海道UHBというテレビ局に、当時月1回出演していましたので、北海道の市場で蟹を注文して月1回、蟹パーティーを開いていました。10人、多い時は15人のホームパーティーを開き、いつもお世話になっている弁護士さんや雑誌の記者さん、テレビ局の方、テレビで出会った評論家の方などに集まっていただきました。本来であれば、こちらから「お世話になります」とご挨拶に伺うべきところなのですが、子どもが小中学生の間は、母親が夜家を空けるのはいけないという考えでしたので、「お客様に来ていただいたらいい」という発想(笑)。ホームパーティーに来てくださった方同士のご紹介もできますし、気が合えば友人や仲間になれます。親切な方たちですから、仲良くなっていただきたいと思いました。こういったホームパーティーの延長線上にあるのが、現在行っている一般社団法人日本女子力推進事業団でもあります。

――一般社団法人日本女子力推進事業団では、どういったことをされているのでしょうか?


池内ひろ美氏: 「女子力を上げて世界を救う」をテーマに、途上国の女子支援と東北復興支援を行っています。たとえばチャリティーパーティーを行うことで新しい出会いがあり、繋がりやお仕事も生まれます。先日はインド大使館の元公邸料理人のラジャ氏が、チャリティーカレーパーティーを開きます。ラジャの作るカレーは、今まで私たちが食べていたカレーの概念を変えるものです。通常彼は、インドから首相などが来る時などの特別な場合以外は料理をしません。ラジャは私の娘をとても気に入ってくださっていて、就職祝いに料理を作ってくださることになりました。私たち家族だけでいただくのはもったいないので、チャリティーカレーパーティーを開きました。30人くらいと言っていたのですが、45人になってしまったので会場は目一杯。チャリティーパーティーですので会費は10000円ですが、ラジャのカレーはお金を払っても食べることができないものですから、皆様喜ばれていらっしゃいました。
また、定期的にゲスト講師をお招きして「サロンセミナー」を開いています。歌舞伎清元の次期家元のお話を身近に聴くことができる、日本の伝統や風習をあらためて学び直すために和服の女性講師もお招きします。私たち一人一人が日本の良さを再発見し、世界に出たときロールモデルとなることのできる女性が一人でも増えるためのセミナーでもあります。

――八方ふさがりの状況から抜け出せた理由は、どこにあると思いますか?


池内ひろ美氏: 離婚前後は大変でしたが、生きていくために一生懸命でした。娘を育てることにも懸命でした。私の性格は我が儘ですので、人から命令され使われることは苦手です。でも、根っこには日本の道徳があります。「ありがたい」「おかげさま」の気持ちを持っているから今があるのではないかと思います。ばあやに道徳心を教えていただいたのは本当にありがたいと思っています。道徳心を持って離婚の専門家となったというのは、つっこみどころかもしれませんが(笑)。

過信は、気力を無くす要因に 


――先生のもとには、悩みを抱えた方が多く、ご相談に来られていますよね。


池内ひろ美氏: 夫婦は社会の最小単位ですので、その中に社会で起こる問題が全て入っています。離婚は、「結婚に失敗した自分を受け入れた」人が、結婚を継続するために努力し、相手のせいにするのではなく、再度「結婚に失敗した自分を受け入れる覚悟」を決めて選択する生き方のひとつではないでしょうか。
忍耐も包容力も結婚を継続する努力のなかに含まれます。
それら努力を、3日続けるか3年続けるか30年続けるかは、各自の価値観に依るものですし、続けた努力を誇らしく感じるか無駄な時間を過ごしたと感じるか…さまざまです。ご相談を通じて私は色々なことを教えていただいたので、教えていただいたことはその方の個人情報とは関係なく普遍的なこととして伝えていかなければなりません。
また、私自身も依存的なところがある人間ですので、「自立してください」などと言ったことは一度もありませんし、男女平等を唱えたこともありません。男性も女性も幸せを感じて生きることのできる世の中になればいいと願っています。

――今は、女優としても活動されていますね。


池内ひろ美氏: 自分の言葉で講演をさせていただき、本も書かせていただきました。テレビにも出ておりますが、今度は「セリフ」をいただいて語りたくなりました(笑)。
また、夫婦関係を良くするためにはどうすれば良いのかというご相談の時に、「ご主人に綺麗な言葉で話をしてください。笑顔で話し、笑顔で聞いてあげてください。それだけで男の人は気持ちよく仕事ができるのですよ」とお伝えすると、「そんなことできません」とおっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。そういう方に、「女は生まれながらに女優だからできる」と、この20年近く言い切ってきました。だからこそ私が女優をやっていないというのは、まずいのではと思いました。また、私は体が弱かったので半世紀を生きられるとは思っていなかったのですが、50歳を超えたので、もうここからは好きなことをしてもいいのではないかと考えたのです。女優として活動することは、「女は生まれながらに女優だ」とお伝えしている言葉を体現する方法です。著作やテレビ出演も体現した結果です。人様の人生で実験するわけにいきませんから、自分の人生をかけて実証しています。ですから、結婚3回説を伝えるために、私はもう1回結婚するかもしれません(笑)。人生は1度きりだから、色々なことがあった方が楽しいですよね。

――あくまで社会のため、人のために生きているのですね。


池内ひろ美氏: もちろんです。自分のために行う仕事は何ひとつありません。仕事は全て人様のため、社会のためにあると思います。

――失敗したり、上手くいかない時は、どのようにして乗り越えてらっしゃいますか?


池内ひろ美氏: 失敗した時に凹むのは、自分が有能、優秀だと思っているからです(笑)。自分自身を過信していると極端に凹んでしまいます。私は田舎者ですし、決してエスタブリッシュメント(社会的に確立した組織)された世界で生きてきているわけではないので、自分が有能ではないということを自覚しています。しかし、何らかの役割はいただいていて、そこに向けて進んでいかなければなりません。そこでの失敗は、失敗ではありません。分からなかったら分かる方に教えてもらえばいいですし、本を読んで勉強するなどして分かるように努力するべきなのです。自分が少しでも分かったと思うことがあるのなら、それを伝えていかなければいけないと思います。

電子書籍に紙の本。両方に存在価値がある


――出版の際は、編集者の方とやり取りをよくされていると思うのですが、池内さんにとって編集者とは、どのような存在でしょうか?


池内ひろ美氏: 本を出してくださる方ですから、私にとって恩人です。編集者によって、本の方向性が変わることもあります。それだけ重要な位置を占めていると私は思っています。また、編集者には、良いところを引き出してくれる部分もあります。『妻の浮気』(新潮新書)を書いた時の担当編集者である後藤さんは、私が持っている良さを最大限引き出してくださいました。

――編集者に必要なこととは?


池内ひろ美氏: 私が最初に出した、読み上げもされている『リストラ離婚』(講談社文庫)の編集を担当された杉山さんは、定年退職後にインドへ行き、子どもたちにボランティアで語学を教えています。つまり、共通しているのは社会貢献活動という点です。書籍を通じて文化を作っているのですから、社会貢献マインドを持っているということが、編集者には必要だと思います。

――電子書籍はよくご利用になりますか?


池内ひろ美氏: 私自身『離婚の学校』はじめ数冊の電子書籍出版を行っていますし、iPadで電子書籍を読み、Kindleも持っています。出張の際に、今までは3冊の本を持っていっていたのですが、今はそれがiPadに全部入っているので便利です。また、古いコミックも電子書籍で持っています。実は私、小学校の頃は漫画家になりたかったんです。絵はあまり上手ではありませんでしたが、『別冊マーガレット』も『りぼん』も『サンデー』も『マガジン』も全部読んでいて、『週刊新潮』も『週刊ポスト』まで読んでいました。母の塾の待合室に雑誌がたくさん置いてあったので、漫画と週刊誌を読んで育ちました。当時から『週刊新潮』に掲載されていた『黒い報告書』が大好きで、両親の目を盗んで隠れて読んでいました(笑)。漫画や雑誌は持っていると嵩むためほとんど処分してしまいましたが、手塚治虫作品だけは全て揃えて持っています。

――先生にとって、本とは?


池内ひろ美氏: ページを捲るもので、インクの香りがするものです。

――電子書籍が増え続け、紙の本はなくなるのではという考えもありますが、先生はどのように思われますか?


池内ひろ美氏: なくなることはありません。油絵の肖像画から写真になった時に、写真が悪く言われましたが、それと似ていると感じます。写真が登場しても絵画は今もなくなってはいません。時代はいつも過渡期なのですから、その時その時に細かいことを言わなくていいと思います。過渡期である時代の中の一部分で、皆、何らかの役割を持っているだけなのです。電子書籍を考えるとき、自ずと紙の本の良さも改めて考えます。ですから、両方あるべきだと思います。電子書籍では、厳密な表記を心がけるよりは、トラフィックを軽くし、読みやすさ、扱いやすさということに重きを置くべきだと思います。また、出版社は電子書籍に対し、もっと積極的になっていただきたいです。そうすることで、出版や著者の権利を守ることもできると思います。
電子書籍のおかげで、出版の垣根は低くなっていますが、だからこそ、気をつけなければいけないと思います。編集、校閲がなされている出版コードのついた書籍と、ネットに個人が書いた不確かな情報、どちらも読む側にとっては同じ活字です。読者が正しい情報を選ばなければならないことへのハードルの高さは感じています。

――今後していきたいことは?


池内ひろ美氏: 日本の女性の女子力を上げていきます。女として生まれたことをありがたいと受け止めて、幸せに生きることが女子力が高いということだと思います。女性が生きやすい社会は男性にとっても生きやすくなります。日本人は、他者と自らを比べて妬み嫉みの感情を持ちやすい背景がありますので、幸せを感じるのがちょっと下手かもしれません。男性も女性も子供たちみんなが幸せを感じて生きていくことができるよう、お手伝いをしたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 池内ひろ美

この著者のタグ: 『考え方』 『紙』 『こだわり』 『教育』 『子ども』 『人生』 『編集長』

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