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世界中の本好きのために

池内ひろ美

Profile

1961年、岡山生まれ。一般社団法人日本女子力推進事業団代表理事。一般社団法人全国危機管理理事。女性活躍委員会委員。西日本短期大学非常勤講師。八洲学園大学客員教授。1996年より「東京家族ラボ」主宰。精神科医、弁護士、心理カウンセラー他専門家が参加しカウンセリング、ワーク・ショップ、講演会、研究会等を行なう。相談件数3万件以上。結婚と離婚、恋愛、親子関係などのコンサルティングを行ない、現代の男女・家族のコミュニケーションから、本人が幸せを感じて生き方にいたる問題を相談者とともに考える。 TBS『私の何がイケないの?』、テレビ朝日『TVタックル』『朝まで生テレビ』等出演ほか、ラジオ・新聞・雑誌でも。著書は『大好きな彼に選ばれるための25の法則』(スターツ出版)等全30作品。

Book Information

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ある出会いがきっかけで、本を出版するまでに。


――執筆をすることになった理由は、どういったものだったのでしょうか?


池内ひろ美氏: 最初の夫との離婚直後に阪神大震災が起こって、関西では仕事が全くありませんでした。実家のある岡山へ帰ろうと思ったのですが、「離婚した娘は帰ってくるな」と両親から言われました。短大卒で無資格。今の時代は母子家庭の方もある程度仕事がありますが、当時は母子家庭には仕事を与えられませんでした。それで、「日本人だから日本語を書くことはできるでしょう」と自分に言い聞かせて文章を書いたのが最初です。

――どういった思いを持って、執筆をされていますか?


池内ひろ美氏: 「伝えたい」という気持ちがあります。テレビでは短い時間しかお話はできませんし、FacebookやTwitterでは情報として十分に伝えることができません。離婚に対するネガティブなイメージを変えていきたいという思いがあって書きはじめました。私にとっては、伝えることが大切な役割です。お金をいただかなくても、伝えることができるのであれば、例えば小さなサロンセミナーやPTAの小さな集まりにも自前でもお伺いします。伝えることができるかどうかが仕事の基準です。

――最初の本、『リストラ離婚』は、どのようにして生まれたのでしょうか?


池内ひろ美氏: 大阪の夕刊フジで、企画の仕事を始めました。その企画の1つがリストラ離婚だったのです。しかし、編集部が全員男性だったことがあり、リストラ離婚についてなかなか理解されず、「夫をリストラするなんておかしい」とも言われました。「あなたがした離婚っていうのがきっとリストラ離婚なのでしょうから、あなたが書いたらどうですか?」と言われ、30本書いて納めたのですが、その直後に阪神淡路大震災が起こり、紙面が全部飛んでしまいました。大阪に置いていても掲載できないからと、東京に送られることになりました。すると、東京の編集局長が作品を気に入り、「60本書いたらどうか」とご提案いただきました。でも、応えることができません。「うちは母子家庭で明日食べるものはあっても、来月の家賃を払えるのかしらと心配な状況です。ありがたいお話ですが、新しく原稿書き直すこともできませんし、現在の30本の原稿料もいただけないため次の仕事を探さないといけません。だから新たに60本の原稿を書くことはできません」とお断りしたところ、事情を理解していただき、掲載前に30本分の原稿料を出していただけることになりました。掲載前に原稿料を渡すという英断を大作家でもない新人に対して下してくださった編集長には今でも感謝しています。その原稿料で当時私と娘は生きることができました。



今の私を作ったのは、親から教わった道徳心


――才能を認められたわけですね。良い出会いだったのではないですか?


池内ひろ美氏: とても親切な編集長だったと思います。本当に出会う方が良い方ばかりです。皆様に心から感謝していますし、足を向けて寝られない。ただ、あまりにも恩人が多いため、立ったまま眠らなきゃいけないねと娘と笑いあったことがあるほどです。
東京での掲載が決まった当時、時間があったので原稿を直接持って行き、悪い部分がないかご意見をいただいていたのですが、その度ごとに担当編集さんは「お嬢さんは元気ですか」と尋ねてくださり、編集局長に至っては、「娘にひもじい思いをさせていないか、ちゃんと食べさせているか」と言ってくださり、毎回皆さんが心配してくださいました。心から嬉しかったと同時に、私は、「娘を気遣ってくださる言葉を早く言われないように努めなければならない」と、皆さんに心配を掛けずに済むようになることを目標にしてきました。心配してくださることに対して申し訳ないという気持ちがあったのです。当時はそれが原動力の1つになっていました。

――出会ってきた方々を大切にされていたのですね。


池内ひろ美氏: 最初のうちは、お目にかかった方にきちんとお礼のお葉書を書いていたのですが、今はとてもできません。年賀状も出さず、クリスマスカードも送らず、メールのみです。不義理ばかりで申し訳ない気持ちです。時々ホームパーティーは開いていました。食事会や飲み会といった接待がスタンダードだった時代に、子育て中のためお付き合いできませんでしたので、これでは申し訳ないと思い、ホームパーティーを始めました。北海道UHBというテレビ局に、当時月1回出演していましたので、北海道の市場で蟹を注文して月1回、蟹パーティーを開いていました。10人、多い時は15人のホームパーティーを開き、いつもお世話になっている弁護士さんや雑誌の記者さん、テレビ局の方、テレビで出会った評論家の方などに集まっていただきました。本来であれば、こちらから「お世話になります」とご挨拶に伺うべきところなのですが、子どもが小中学生の間は、母親が夜家を空けるのはいけないという考えでしたので、「お客様に来ていただいたらいい」という発想(笑)。ホームパーティーに来てくださった方同士のご紹介もできますし、気が合えば友人や仲間になれます。親切な方たちですから、仲良くなっていただきたいと思いました。こういったホームパーティーの延長線上にあるのが、現在行っている一般社団法人日本女子力推進事業団でもあります。

――一般社団法人日本女子力推進事業団では、どういったことをされているのでしょうか?


池内ひろ美氏: 「女子力を上げて世界を救う」をテーマに、途上国の女子支援と東北復興支援を行っています。たとえばチャリティーパーティーを行うことで新しい出会いがあり、繋がりやお仕事も生まれます。先日はインド大使館の元公邸料理人のラジャ氏が、チャリティーカレーパーティーを開きます。ラジャの作るカレーは、今まで私たちが食べていたカレーの概念を変えるものです。通常彼は、インドから首相などが来る時などの特別な場合以外は料理をしません。ラジャは私の娘をとても気に入ってくださっていて、就職祝いに料理を作ってくださることになりました。私たち家族だけでいただくのはもったいないので、チャリティーカレーパーティーを開きました。30人くらいと言っていたのですが、45人になってしまったので会場は目一杯。チャリティーパーティーですので会費は10000円ですが、ラジャのカレーはお金を払っても食べることができないものですから、皆様喜ばれていらっしゃいました。
また、定期的にゲスト講師をお招きして「サロンセミナー」を開いています。歌舞伎清元の次期家元のお話を身近に聴くことができる、日本の伝統や風習をあらためて学び直すために和服の女性講師もお招きします。私たち一人一人が日本の良さを再発見し、世界に出たときロールモデルとなることのできる女性が一人でも増えるためのセミナーでもあります。

――八方ふさがりの状況から抜け出せた理由は、どこにあると思いますか?


池内ひろ美氏: 離婚前後は大変でしたが、生きていくために一生懸命でした。娘を育てることにも懸命でした。私の性格は我が儘ですので、人から命令され使われることは苦手です。でも、根っこには日本の道徳があります。「ありがたい」「おかげさま」の気持ちを持っているから今があるのではないかと思います。ばあやに道徳心を教えていただいたのは本当にありがたいと思っています。道徳心を持って離婚の専門家となったというのは、つっこみどころかもしれませんが(笑)。

著書一覧『 池内ひろ美

この著者のタグ: 『考え方』 『紙』 『こだわり』 『教育』 『子ども』 『人生』 『編集長』

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