経済学というのは、景気やお金だけの話ではない
中島隆信さんは日本の経済学者であり、ご専門は応用経済学です。経済学とは縁遠く見える日常的な対象を、経済学の視点から一般向けに論じた著書で知られ、タイトルには『オバサンの経済学』『大相撲の経済学』『大相撲の経済学』などユニークなものが並びます。そんな中島さんに、今の日本の経済について、本について、電子書籍の与える影響についてもお伺いしました。
人間の行動の背後にあるもの、それが経済に結びついている
――早速ですが、近況を交えながら先生の最近のお取り組みをご紹介いただければと思います。

中島隆信氏: 経済学は色々な分野に手を出して、「なんとか経済学」という名前をよく付けますが、結局経済学というのは、実は「経済学的なものの見方や考え方をする」という学問なのです。
――対象に着目するというよりは、考え方が重要なのですね。
中島隆信氏: お金や株、金融、景気、それももちろん「経済」です。でも「経済学」というのは、人間の行動の背後にある合理性、あるいは効率性など、人間が本来もっている性質に着目して、それが人間の行動にどういう影響を与え、また社会にどういう影響を与えているかを見る学問です。要するに、社会現象に対する人間の行動の原因、動機付け、インセンティブ、そういう視点から見てその理由を考えるというのが経済学。だから医療でも心理学的なものであっても、人間が関わっているものであればなんでも、経済がそこに入っていけるわけなのです。
子供の頃から本が好きだった、でも本の虫ではなかった
――中島さんは、幼少期どのようなお子さんでしたか?
中島隆信氏: 子供の頃から経済学をやっていたわけではなく、普通だったと思います。幼い頃から読書の習慣はあって、本に関して抵抗はありませんでしたが、ずっと家にこもって本ばかり読んでいるというタイプでもなかったです。
――本は周りにたくさんあるような環境だったのですか?
中島隆信氏: 本を欲しいと言えば親が買ってくれるという感じでした。外で普通に運動もしていましたし、本を書くということ自体を小さい頃から考えていたわけではありません。今でも僕は物書きが本業だとは思っておらず、表現方法の1つだと考えています。しゃべるのも、数式を使って論文で示すのも表現の1つの方法だし、本のような形で活字を通じて多くの人に知ってもらうというのも表現の1つの方法なので、その中から相対的に自分が得意な手段を選ぶ、ということだと思います。本を財産のように飾ったりする方もいらっしゃいますが、僕はあまりそういう感じではなく、本を読む時も、本自体が財産というよりは、本の中身から得られる情報というものを大事にします。
深い影響を与えられた「古典落語」
――どのような本を読んでこられたのでしょうか?
中島隆信氏: 僕がすごく影響を受けた本は、古典落語です。僕が中学・高校の頃は古典落語の本が講談社からたくさんシリーズで出ていて、それを全部買ってほとんど読みましたが、今手元にある文庫本は、2冊だけになってしまいました。古典落語というのは実に表現方法として卓越しているなと思います。聞き手を笑わせるためのものだけれど、ただ単に面白いことを言っているわけではなくて、そこに人情や、色々な文化的背景のようなものがある。これは僕が何かを書く時、あるいは講義をする時の話術にも役に立っています。
「大相撲」の分析的な記事に刺激を受けた
――学術論文とは別に、一般向けに本を書くようになったきっかけというのは何だったのでしょう?
中島隆信氏: 僕は大相撲を学生時代から好きで見ていて、読売の月刊の『大相撲』の記事がかなり分析的だったので、すごく影響を受けました。僕が16歳の時の『大相撲』に載っていた「両国相撲村はどこへ行く」という記事に、地価が上がって両国からどんどん相撲部屋が出ていくだろうという話が書いてありました。『大相撲の経済学』を書いた当時、僕は43歳だったので、その記事を読んだ時からもう20年以上経っていたわけですが、その記事の内容を思い出して、今起こっていることが、そんな昔にすでに分析されていたのかと改めて驚きました。「経済学」という考え方を通して断片的に頭に入っていたものが、すべてつながったという感じを『大相撲の経済学』を書いた時に味わうことができたので「これはなかなかいいかもしれない」と思ったんです。
――それが経済学の面白さといった感じでしょうか?
中島隆信氏: 経済学の魅力というか利点だと思います。表面だけを見ていると到底結びつけて考えないようなものを「経済学」というものの見方、そういう眼鏡を通して見ると、同じものに見える。例えば『大相撲の経済学』の「力士も会社人間だった」というフレーズは重要なキーワードなのですが、多くの人はそんなことを思ってないわけです。力士というのは我々と全く関係ない人たち、違う世界の人たちだと思っていますが、経済学を通して見ると、実は会社人間とほとんど一緒だということになるわけで、そういった理由からこういう本の価値が出てくるのではないかと僕は思います。
数学が好きだったが、理数系に進まず経済学部へ
――経済学を研究していこうと思われたというのは、きっかけはあったのでしょうか。
中島隆信氏: 理科系に進むということを考えていませんでしたが、僕は中学・高校時代から数学が好きだったので、文系の中でも一番数学的なものを使うのは経済学だということで経済学に行きました。研究者になるつもりはあまりなく、大学のゼミに入ってコンピューターを使って計算をやっていたんですが、それが面白かったので大学院に行き研究を続けることにしました。
一般的な本を書き始めた偶然
――学術論文とは違った一般向けの本を書くようになったきっかけは何だったのでしょうか?
中島隆信氏: 全く偶然としか言いようがないです。『大相撲の経済学』を書く前に東洋経済新報社から『テキストブック経済統計』などの教科書をいくつか出していて、編集の方と付き合う機会があって、たまたまその時に「大相撲で経済学の本を書けそうだな」とひらめいたんです。それで担当者にメールを送ったら、相手の方も「すぐに話を聞かせてくれ」ということで話が進みました。だから『大相撲の経済学』は僕がもち込んだ企画なのです。どうせ書くならあまり専門的なものではなく、一般の人に分かってもらえるように易しく書こうと思ったのです。
――タイトルや、「力士も会社人間だった」という文なども、編集者の方とのやり取りから生まれたのでしょうか?
中島隆信氏: まさにそうでした。相撲界というのは、例えば彼らは一升瓶を1日で空けてしまう、食べる量がすごいなど、いかに特殊で変わった人たちがいるのかということが、一般的には面白がられるので、相撲を特殊化したがる。そうすると、彼らが変な連中であるかのように刷り込まれますし、そういうことを伝えることが、大相撲を伝えるメディアの役割のようになっています。でも、僕はあの特殊な世界の人たちが、いかに普通なのかということを示したかったわけで、そこがほかの本と決定的に違うところだと思っています。
書く時のモチベーションが一番大切
――経済学というものを根幹にして語られていますが、先生の中では執筆に対するどのような思いがございますか?
中島隆信氏: 書く時のモチベーションのもっていき方というのが大事だと思っています。頼まれて書かなければいけない原稿に関しては自分でやる気も起きるけれど、書き下ろしの原稿などは、普段の仕事と直接関係がないので、はっきり言えば書いても書かなくてもいいかもしれない。そういうものを書く時にやる気を高めていくには「よく分からないものをこじ開けたい」「こういう見方で見るとこんなに面白いんだ」というようなものを自分なりに見つけることが大事なのです。
――書いている先生ご自身も書きながら楽しむという感じでしょうか?
中島隆信氏: 楽しむというよりはテンションが上がって、書いている時はまさに興奮状態です。またそういう状態で書かないと、文章が生き生きとしないのです。僕の場合は執筆が始まるとすごく集中するので短い時間で書きます。
執筆テーマは、すべてが1つにつながっている
――先生が本のテーマに選ぶ基準は何でしょうか?

中島隆信氏: すべてつながっているような感じがあります。例えば大相撲からお寺のテーマに移る時は、必然的なつながりはなく、『大相撲の経済学』を書き終えた後に編集の人と「次は何にしましょうか」とそういう感じで話していました。当時、僕は財務省の研究所で非営利組織の研究をやろうとしていたので、「宗教法人がいいかな」ということで、身近なお寺をテーマにやってみようと取材を始めたのがきっかけです。ただ、1冊の本にするには面白いことを色々と並べるだけではだめで、そこに核になるものが必要です。『お寺の経済学』の場合は核になったのが沖縄のお寺でした。ゼミの学生で沖縄出身の子がいたので、沖縄のお寺についてと聞いてみたら「沖縄のお寺はいわゆる檀家がいない。どのお寺もみんな小さい」という話だったので沖縄に取材に行きましたが、あまりにも本土のお寺と違うので驚きましたし、沖縄のお寺の姿に本土のお寺の将来像を見たような気がして「これは本になる」と直感的にひらめきました。檀家制度がないとこうなるよということのすべてが、沖縄のお寺に集約されていたわけです。
――「偶然」と「たまたま」という言葉がキーワードで出ましたが、何か必然を感じるような出会いもありましたか?
中島隆信氏: そういう出会いもあります。障害者をテーマにした経済学を書いたのは、自分の子供が障害者だったからなのですが、それを経済学的視点から見ることはあまりしていませんでした。でも、ある程度子供が大きくなって、親として子供の障害を客観的に見る立場に立たされるようになって初めて『障害者の経済学』というのができるのではないかと思うようになりました。もう少し前だと子供に対する思い入れが強すぎて、暑苦しい本になっていたような気がしますので、障害者の本を書くのには、その頃がタイミングとしてもちょうど良かったと思っています。当事者たちが読めば納得できるのかもしれませんが、その問題を当事者だけでシェアしているだけではだめで、一般の人、関係のない人に理解してもらう、読んでもらうということが大事だと僕は思っていますから、自分自身が一歩引いたところから見ていなければ世間一般の人には理解してもらえないと感じています。
書評委員が本を手に取る基準
――研究室に雑誌をたくさん集められていますが、書店には頻繁に通われていますか?
中島隆信氏: 最近はもっぱらインターネットの書店を利用しています。今、僕は読売新聞の書評をやっているので、送ってくるのもありますし、読書委員会に出ると本が置いてあったりするので、仕事で強制的に読まされる部分はあります。だから自分で書店に行って読みたいものを探す機会はあまりないかもしれませんが、書評をする機会を与えていただいて、ずいぶんいい本にもめぐり合いました。
――本を手に取る基準はございますか?
中島隆信氏: 書評の仕事では、読書委員会のメンバーの中に経済学者は僕しかいないので、僕の責任かなと思って手に取ります(笑)。それ以外ではタイトルがまず重要です。「どういう視点でこの本は書かれているのか」「どのぐらい著者が深く考えたのか」ということ探りながら、新しい視点や考え方を提供しているかということを見ます。ただ、読書委員会では中を深く読み込むわけではないので、全部もち帰った後にしっかりと読みます。もちろんタイトルだけで売ろうとしている本もありますが、中身を少し見ればすぐ分かると思います。本を選ぶ時には、メッセージ性があるかないかという点は非常に重要だと思います。
活字のもつ力を大切にしたい
――電子書籍が普及し始めたという状況の中で、今後の編集者・出版社の役割をどのように考えられていますか?

中島隆信氏: いい書き手を見抜く力をもっていただきたいです。今はあまりにも情報量が多すぎて、本を読む側、情報を受ける側にとって、取捨選択にかかるコストがものすごく高くなっています。だから簡単に書けて、売れるものにどうしても行ってしまいがちですが、恐らく本は、字を通して頭の中に入ってくるという意味では、テレビの映像や漫画とは全然違うと僕は思います。楽しみという点で言えば漫画は大事ですが、自分の血となり肉となるような知識を身に付けるという点では活字は外せないと思います。
――能動的に読むということが重要だということですね。
中島隆信氏: 僕はそう思っているので、活字のもっているその力を、もっと編集者の人も大切にしてほしいです。僕自身は、今まで非常にいい編集者の方に恵まれてきましたが、世の中にどんどん本が出ていく中で、「1つ1つの字、文章をどこまでじっくり考えて活字にしたのかな」ということをちゃんと評価できるような人が、編集者になっていただけるといいと思います。
――電子書籍はご利用されていますか?
中島隆信氏: 僕は、本を読みながら付せんを付けますが、後で「どこに書いてあったかな」とそれを探すのに苦労するのが、書評の仕事では一番困ります。だから検索機能のある電子書籍だとありがたいなと思います。あとは、本がどんどんたまっていってしまうので、電子書籍にはその点に関してはメリットがあると思います。僕はハードウエアというよりは、むしろ中身がしっかりと伝わればいいと思っているので、それが本という形であろうと電子媒体であろうと、あまり抵抗がありません。だから今まで「電子化してもいいですか?」と言われた時は全部オーケーしています。
――研究論文に関しては、ほぼ電子化されているのでしょうか?
中島隆信氏: 1990年代ぐらいから全部電子で、論文をコピーするということはなかった。書籍はあまりもってなくて、ほとんどが論文ですが、論文も要は中身だから、それが紙だろうと画面上であろうと、あまり関係ありません。もちろん本を書く立場からすると、本という形として残るというのはなかなかいいものだなとは思うんです。だけど、読む側からすれば、特にこだわりはあまりないのかもしれません。
図書館での予約待ちより、安く電子書籍を買ってもらうシステムを
――電子書籍だからこそできるものもありますね。例えばBOOKSCANでは、音声読み上げ機能などを実装しておりまして、大変ご好評いただいています。
中島隆信氏: 弱者に対して優しい商品を作ると、結果的にそれが新しいマーケットを作るということがあると、僕も何かの本で読んだことがありますので、そういう視点から考えていくというのは大事なことだと思います。目が見えない、耳が聞こえないなど、そういう方が最初からあきらめているようなことを、技術によりクリアすることによって、実はほかにも潜在的にそういうサービスを必要としていた人がいたということですね。我々も、目の使えない状態におかれることもあるわけだから、そういう場面でも使うことができます。
――そのほかに電子書籍に望まれることはありますか?
中島隆信氏: 図書館がベストセラー的な本をたくさん入れてしまうので、本来ならば書店さんを通じて買われていくはずの本が、図書館の順番待ちのような感じになってしまう。それは僕も非常に気になっています。1500円と高いからいう理由で、1冊の本を3人が図書館で借りるのならば、それよりも、その3人が電子書籍で500円の本を買ってくれる方がよっぽどいいと思います。図書館は研究書などなかなか買えないような高い本や貴重な本などを置くのはいいと思いますが、ベストセラーや新書を置かないでほしいと僕は個人的に思います。
あと、電子書籍に僕が望むのは、絶版やこれ以上刷らないという本が電子書籍で手に入るようにするということです。特に我々の分野だと、学術書など学生に読ませたい本があっても「もう手に入らない」ということもあります。もちろん大勢の読者がいないわけですから1000冊、2000冊増刷するというのは恐らく無理だとは思いますが、電子書籍ならば増刷の必要がないわけなので、そういうものは電子書籍として版権を安く買い取って電子化していただきたいなと思っています。
経済の面白さを理解してもらう活動を行っていく
――今後はどのような展望を描かれていますか?
中島隆信氏: 僕は経済学者としては2本足でやっていこうと思っていて、1本の方はいわゆる経済学研究で、もう1本は一般の人にちゃんと経済学の面白さ、大切さを分かってもらうようなものを本で執筆するといった活動を行っていこうと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 中島隆信 』