「職業としての作家」を意識した大学時代
――大学は、中央大学の文学部史学科の方に進まれますが、歴史への興味が強かったのでしょうか?
桑原水菜氏: そうですね。中学時代に、お寺や仏像に興味を持ったんです。日光で輪王寺の大きな仏像を見て「なんと世の中には雄大なものがあるんだ」と感動しまして。その後、修学旅行が奈良、京都でしたので、もう「仏像祭り」に(笑)。「こんな仏像だらけの素晴らしい土地が日本にあったのか」と興奮しました。それとやはり本。司馬遼太郎病にかかりました。女子の仲のいいグループの子たちと新撰組を名乗って大はしゃぎしてました(笑)。山越えたところに史料館があったので自転車で行ったりして、そんなことをしてるうちにだんだん素地ができあがっていったんだと。
――大学ではどのような勉強をされましたか?
桑原水菜氏: 日本史に興味があったので、勉強できればうれしいなとは思っていたんですが、ゼミの先生から「創作物が好きで歴史学の世界に来た人たちは、その考えを捨てろ」、「(小説に描かれた)龍馬が好きで歴史を研究するということはあり得ない。物語と学問は区別しなさい」とばっさり。私は歴史にこめられたドラマが好きで来たのに、それを否定されてしまったので、ショックでした。おそらくその先生は、そういう柔らかい学生たちが多すぎて嫌気がさしていたんでしょうね。学問は文献をコツコツ調べて、実証して、事実関係について分析するところから始まるんです。私は真面目な学生では全然ありませんでしたが、歴史を研究するためのアプローチは勉強できたかなと思います。
――創作も続けられていましたか?
桑原水菜氏: バイトをする以外は書いていたという感じです。大学時代に作家を目標にし始めて、腕試しでコバルトに投稿し始めました。書きたいまま書き流すのではなくて「話を作る力」「人に読ませる力」を身につけたいと。
――本格的に作家を志したのはどうしてだったのでしょうか?
桑原水菜氏: 単純に自分の執筆物をたくさんの人に読んでほしいという顕示欲でした。それと、私はあまり人付き合いが得意な方ではなかったので、できれば家の中で自分の世界に没頭しながら食べていけたら、と。前向きと後ろ向き、両方の動機で、職業としての作家を意識し始めました。
思春期とプロフェッショナリズムのはざまで
――デビューのきっかけはどういったことでしたか?

桑原水菜氏: 応募して2回目ぐらいに「読者大賞」という読者審査員による賞が新設されまして。その栄えある第一回受賞者に。運もよかったと思います。本当の苦労はコバルトに作家としてデビューしてからでした。力が及んでないうちにデビューしてしまったという気持ちがずっとあって、文章力もないし、構成も行き当たりばったりで、とにかくプロとしての力をつけなければいけないと必死でした。あと、たまたまデビュー作でちょっと人気が出てしまって、その作品で二次創作をする方々がたくさん出てきて、同人誌を送ってくださったり同人作家さんに友達ができたり、と間近に触れ合う機会があったのですが、皆さんすごくレベルが高かったのです。この世界を作った原作者として負けてられないなとイヤでも奮起しました。
人気が出てくるとやはりいろんなことを言われますから、パワーで負けてはいけないというのもあり、追い立てられるように書いていった気がします。今は割と「自分は自分、読者は読者」と区切りをつけられるんですが、デビューしたてのころは境目もあまりないですし、読者の熱いパワーをぶつけられて、自分だけじゃ受け止められないという感覚がありました。まだ20歳そこそこだったので、読者の思い入れの強さと向き合うのが結構きついところでした。
――プロの作家として開眼するきっかけはあったのでしょうか?
桑原水菜氏: なかなか自信はつかなかったです。自分はプロ作家だと言い切れるようになったのは『炎の蜃気楼』が完結したあたりからで、それまでは本当に、読者の厳しくも熱い目線と切磋琢磨してました。
――葛藤の中で書き続けてこられた原動力はどこにあったのでしょうか?
桑原水菜氏: エネルギー源は、自分の小説に対する半端ではない執着です。書いているうちに掘り出されてくる自分の内面、ずっと抱えていた劣等感、コンプレックスのような10代20代では消化できなかったものを、小説に入れ込んでいくことで乗り越えてきた面もあります。思春期の延長でありながらプロでもあるという、ある種抜き差しならないところが、不思議なパワーになっていたのかなと思います。書く動機もひとつではありませんでした。コンプレックスを乗り越えるための手段だったころもあるし、純粋に自分以外の対象を描ききることでもあったでしょうし。歴史にしても、うわべの流れからは見えてこない人の気持ちや真相などが、書くことで見えてきたりするので、それを覗き込むために書いているんじゃないかと思うこともあって、一口では言えないですが、小説が表現しうる可能性自体が、自分を駆り立てていたのではと思います。
著書一覧『 桑原水菜 』