BOOKSCAN(ブックスキャン) 本・蔵書電子書籍化サービス - 大和印刷

世界中の本好きのために

柴山政行

Profile

1965年神奈川県生まれ。埼玉大学経済学部卒業。センチュリー監査法人(現・新日本監査法人)を経て、合資会社柴山会計ソリューション、柴山ソリューションズ株式会社、柴山政行公認会計士・税理士事務所を経営。同時に、執筆・講演・中小企業向けの会計コンサルティング等も行う。無料メールマガジン「時事問題で楽しくマスター!使える会計知識」は、読者5万5000人を超え、メールマガジンを解説したCDセミナー「経済・会計・時事ニュース通信」は200名以上の会員を持つ。近著に『ストーリーで頭に入る日商簿記3級合格一直線』(エクスナレッジ)、『速習! 日商簿記3級[トレーニング編]』(中央経済社)など。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コンテンツの発掘、育成が日本の生きる道



柴山政行さんは、企業コンサルティングや講演のほか、ネットを使った簿記指導で注目を集める公認会計士。文筆家としては、簿記の基本書のほか、『Google経済学』等、会計の視点から社会事象を読み解く著作が人気です。柴山さんに、ご自身のキャリア、会計教育にかける想い、また、仕事の転機となった電子コンテンツ制作の経験を交え、電子書籍の未来についても伺いました。

ネット知識ゼロから始めたWEBサイト


――さまざまにご活躍ですが、現在は主にどのような活動をされていますか?


柴山政行氏: インターネットを中心に会計事務所や会社へ会計教材を販売しています。リアルでもやっているのですが、インターネットは皆さんが慣れていますし、スマートフォンなども1人1台の時代になりましたので、ネットがほぼメインです。

――インターネットでの指導を始めたきっかけはどのようなことですか?


柴山政行氏: 独立した時に、会計事務所を経営しながら、セミナーや専門学校で簿記を教えていたんです。人気が出て、専門学校の講師だけで売り上げの半分ぐらいになりました。しかし私がいた専門学校は会計だけではなくて法律も教えていたので、2000年代の最初、司法試験制度の改革によって売り上げが落ちました。景気にも不安感があったので、コスト削減の動きが起こった。そうなると、私のように講師料が高い人間がコスト削減の対象になる。はっきり「下げます」とは言わないけれど、分析してみると下がっている。一番いい時で、年間で1千万円ぐらいの講師売り上げがあったのですが、翌年600万ぐらいにまで落ちて、明らかに下がっていると分かるわけです。そこで、会計教育を自前でやろうと思いました。集客の方法を考えたのですが、従来の専門学校だと、資格試験の当日に人海戦術でパンフレットを配って、「来年よろしくお願いします」みたいに営業をやりますが、そのような手段は取れない。インターネットであればタダで営業できると考えました。

――インターネットにはもともと興味があったのでしょうか?


柴山政行氏: 実は10年ほど前までまったく知らなかったです。ナイツの漫才に「ヤホーで調べました」というのがありますが、私はYahoo!を本当に「ヤッホー」だと思っていて(笑)。ネットで集客しようと思っていたけれど、私が「ヤッホー」な状態ですから、もしやってみてダメなら、本当にこだまが聴こえるような田舎に引っ込もうと思っていました。当時は業者にホームページの作成を頼むと5年契約で500万ぐらい取られると言われていましたが、いろいろ探してみると、どうやらホームページビルダーというソフトがあるらしいと。それで、何とかかんとか自前で全部作りました。

メルマガ発行で「いける!」と確信


――ウェブサイト開設当初、反応はいかがでしたか?


柴山政行氏: しばらくは、1日20くらいアクセスがあっても、そのうち18アクセスが自分という状態でした。1年ぐらいたって、アクセスがそこそこ出るようになったのですが、転機になったのははじめて1カ月後ぐらいに『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の山田真哉さんからコンタクトがあったことです。

――どういった経緯で連絡があったのでしょうか?


柴山政行氏: たまたま山田さんがアクセス100番目で、「キリ番ゲットしました」というメッセージが来ました。100のうち80は自分のアクセスですが(笑)。私は専門学校で簿記の講師を長年やっていて、「柴山」という名前は私が思った以上に有名らしかった。山田さんとは、それから1回お会いしました。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』が出る前の年だったと思います。山田さんからいろいろ話を聞いて、刺激を受けて、ネットの活動を真剣にやろうと決めて、それから1000時間ぐらい研究しました。



――具体的にはどのような試みをされたのでしょうか?


柴山政行氏: 私の転機はメールマガジンです。まぐまぐ!とメルマ!で、2つのメールマガジンを発行したのが今の事業の始まりになりました。1つは時事問題、もう1つは簿記の初心者のための無料メルマガ。だいたい半年後で読者が5000人ぐらい、1年後に1万人になった。いけるという兆候が出てきたので、お金を3年で1000万ぐらいつぎ込みました。まぐまぐ!の読者は、一時期5万8千人までいって、そこから収益が上がるようになったのですが、何年かたつと、「メールマガジンはもうダメだ」と言われ出した。でも私は、これで中途半端にメールマガジンをやっている人が去ってくれるなと思っていました。読者が5万いれば、1つの世界があります。質のいいものが残れば、ビジネスとして安定すると思って、メールマガジンの軸は変えませんでした。インターネットの業者の人が「もうメルマガじゃないですよ」って言ってきましたが、聞き流しました。そのころは、もしかしたら、年商を10倍にして4、5億、利益率が高いので上場さえ可能ではないか、と思っていました。

直感に従い、「痕跡」を残す


――柴山さんの今までの歩みをお聞きします。小さい頃はどんなお子さんでしたか?


柴山政行氏: あまりいい子どもではなかったようです。親から「言うな」と言われている話ですが、小学校2、3年の頃、テストで0点を取って母親が学校に呼び出された。普通、0点を取っただけでは呼ばれないんですけれど、私の答案に、何も答えが書いていなくて、ただ、マンガのキャラクターの絵が描いてあったそうです。

――え!?


柴山政行氏: 先生は「0点だけなら許せる。なぜよりによってマンガが答案用紙に書いてあった?」と(笑)。反抗しているのか、あるいは家で虐待されてるんじゃないか、と深読みをしたらしいですね。親も思い当たる節がなくて、なぜ描いたのか私に聞くと、私は「きのう巨人が負けたから悔しくて書いた」と言ったそうです。私は巨人が好きで、後楽園が三田線で1本で行けたのでよく行っていて、柴田勲とか、高田繁が好きでした。それと、その頃『がきデカ』を読んでいて、あの漫画には、こまわり君のおちんちんがよく描いてあった。で、「私はきのう巨人が負けて精神的にショックを受けているから、テストにこまわりのマンガを描いてもいいだろう」と直感的に思ったわけです(笑)。親はもう怒る気もうせたそうです。要するに、私は学校で決められたことをしない子どもでした。しかも、何かしら痕跡を残そうとする。それは今もそうで、何かをする時には、必ず何かしら痕跡を残さなければ気が済まないところがあります。

――テストの話は驚きましたが、自分の直感や想いを何らかの形にするというのは起業家的ですね。


柴山政行氏: 大学の時、親から「お前は人の下では働けない。頭を押さえつけられて指示されても、絶対うまくいかないから、自分が上になりなさい」と言われたのが印象に残っています。大手企業に入って出世競争を勝ち抜いてトップになるには、厳しい競争がある。私は当時、企業でトップになるのは、ある意味うそをつける人間だと思っていました。私はうそをつけないから駆け引きなしでトップになるには、勉強で競争するのが一番楽だと。しかも士業の資格を取れば、取った瞬間に経営者になれると思って、弁護士か税理士になろうと思っていました。

――「勉強で競争するのが楽」と言っても、弁護士や税理士は難関資格ですね。


柴山政行氏: 社会に出てからの競争の方がきついだろうと思っていました。どっちみち競争はするけれど、どこの段階で競争しようかと考えた。私にとっては「トップとして働きたい」というゴールがあって、後は全部変数です。「会社員の出世はいろいろな要因があるのでたぶん難しい。でもペーパーテストの競争なら不確実な要素が少ない」と漠然と考えていました。

失敗の記録は、成長の道しるべ



柴山政行氏: その頃、訪問販売の営業のアルバイトをやったのも大きかった。フロム・エーに「問題用紙の配布・回収」というタイトルで募集があって、大学3年の冬に行ったら営業の仕事でした。名簿を持って外を出歩いて、30万の教材を売る仕事。普通、だまされたと分かったら辞めますが、またそこで何か足跡を残してやろうと思って、とりあえず何日かはやってやろうと思いました。その時、集団面接でなぜか私にばかり質問が集まって、いじめられているのかと思ったのですが、後で「何で私に質問をしたんですか?」って聞いたら、「君だけ目が違った」と言われました。たぶん肉食の目をしていたんです(笑)。

――営業成績はいかがでしたか?


柴山政行氏: 最初2週間はまったくゼロ。でもそのうち売れるようになって、1カ月半で300万円になりました。その時の経験は大きくて、今のビジネスもすべての選択の基準は訪問販売の営業のノウハウです。私は易経が好きなのですが、易には「陰」と「陽」のパワーという概念があります。水面下で我慢していれば、その間に栄養をためて、秋には収穫できる。でも多くの人は正しい努力をしていても、途中で我慢できなくて辞めてしまう。運のいいやつは最初から少し売れるんですが、中途半端に売れると自己研さんしないので行き詰まる。でも私は売れなかったのがラッキーでした。

――売れるようになったきっかけがあったのでしょうか?


柴山政行氏: 私はノートに、今日は何軒回ったとか、どういうトークをしたけどダメだったとか、営業の記録を取っていました。なかなか売れなくて、辞めるかどうかの決断の時に、社長に相談しに行って、そのノートを見せて「こういう動きをしたけど売れないんです。才能がないのでしょうか?」と聞いたら、社長は「いや、柴ちゃんは大丈夫。もうすぐ売れるから見てな」と言ってくれた。記録を付けているということは、自己反省をしているということで、今は結果が表に出ないけど、いずれ出ると思ったらしいんですね。そうしたら、次の日にいきなり2本売れた。その後の4週間で10本売れて300万、10%のマージンだったので30万手にしました。

「上位5%」に入るための選択と集中


――営業体験で得た最も大きなものは何でしょうか?


柴山政行氏: そこで学んだのは「上位5%までなら入れる」ということです。100人以上の中で、営業成績の1位はイケメンの慶應ボーイ、私はナンバー2になったのですが、特別な才能がなくても世の中のあらゆることで、上位5%までは自分でコントロールしていけると確信しました。例えば、100人中上位4人に入ることを考えるとします。いきなり4%は確かにきつい。だから、まず上位20%にいくのがステップ1。ステップ1をクリアしたら、次に今度は残り16人をけ落として4人に入るステップ2がある。20人に入っていれば、4人に入るのは5分の1。つまり5分の1に2回入ればいい。そしてもう1回5分の1に入ると1位になる。当時、司法試験は合格率が2%でした。公認会計士が6%か7%。目標を弁護士ではなく会計士にしたのもそれがきっかけです。弁護士の場合は、3ステップを使えばいけますが、時間がかかるし、できれば20代で成功したかった。



――段階を踏んで絞り込んでいく考え方は応用できそうですね。


柴山政行氏: 簿記の勉強でも、練習問題を2、3回転でできるようになるというのは間違っている。100問の問題を2回やるよりも、重要な問題を20問に絞って10回やった方が力はつくという発想をします。ただし、その絞り込みのノウハウは精密化しなければなりません。選択したものに10回単位の回転数を集中的に与えれば、成功する。訪問販売だと、私は「20分の1」っていう定義づけをした。多くの人は一人ひとりにアプローチして売り上げを挙げようと考えますが、「この人だけ」と思っちゃうとオール・オア・ナッシングになる。20人良さそうな人を集めてアプローチすれば2、3人は合う人がいて、1人は買ってくれる。私の営業は、捨てる営業です。脈のありそうな20人にまず当たる。20人に会って、今の実力じゃ買ってくれないと16人くらいを早い段階で捨てる。結果的に1人当たればいいと考えて売り上げを挙げていました。私は何の仕事でもスタートする時はまず20~30のアイデアを出します。それを絞り込んでくると4~5個ぐらいはそこそこ使える。さらにこれを精密化していくと1つになって、そのアイデアを磨いたら玉になります。

いつも「不足感」と「飢餓感」があった



柴山政行氏: 私の人生のテーマは「凡人が一流になるには?」ということです。例えば私は、ここ3年くらいボイストレーニングをやっています。セミナー業のための腹式呼吸だと言っているのですが、実はカラオケなどが好きなので、歌ってみたい(笑)。「凡人がトレーニングすれば、人を感動させる歌が歌えるか」ということを、プロジェクトとして自分に課しています。
高校生の頃、友達と一緒に歌を作ってギターを弾いていました。でも、「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に送ろうと思って作った歌を、友達の前で歌ったら、「お前、音程は外さないね」というありきたりなほめ方をされたことで「歌は向いてないな」と思って歌わなくなりました。でも潜在的に歌いたいという気持ちがずっとありました。そのうち曲を作ってYouTubeにアップするかもしれません。
要するに、才能がなくても分野を選んで努力を正しくすれば必ず上位5%以内に入れて、成功する市場はある。ニッチ戦略とかオンリーワンとかよく言われますが、日本人はオンリーワンの見つけ方が分からない。どう見つけたらいいかというところを理論化したんです。

――柴山さんが、独自の発想でチャレンジする原動力はどこにあるのでしょうか?


柴山政行氏: 私の仕事の根底を探ると「不足感」や「飢餓感」があります。個人的な事情になるのですが、私の弟は障がい者で、3つ下なんですけど、言葉が遅れていて、今でも3歳児の言葉しか話すことができない。弟が1人で生活できないので、親からずっと、「いずれ自分が倒れたら頼むよ」と言われていました。言葉は悪いですが、私は子どもの時から、弟という重荷を背負っていると思っていたから、悪い条件で人に勝つ方法を考えなければいけないというのが潜在意識にあったのでしょう。条件の悪さを補うには、経済力やパワーが必要だと思っていたのは、弟の存在が大きいかもしれない。人並みにやっていくために、1人分は余計に稼がないといけないと。家1軒余計に買うとか、ビル1軒を余計に買うぐらいの能力が求められているという感覚がありました。常に痕跡を残すとか、歯を磨くように当たり前に人と違うことをやるのも、やらないと人と同じになれないという気持ちがあるからです。

読書こそが右脳を鍛える


――電子メディアを通じた活動をされている柴山さんには、電子書籍の存在はどう映っていますか?


柴山政行氏: 大きい存在です。ただ、私はいつも紙の本を持ち歩いていて、電子書籍よりやっぱり紙の本が好きです。手触りがあって、書き込める。電子書籍も書き込めると思いますが、全ページを短時間で見られない。でも、先に電子書籍から入ればそれが当たり前ですね。私の場合は単行本が故郷のようなものですが、平成生まれ以降になると電子媒体が故郷になるでしょうし、それでもいいと思います。母国語と外国語のようなもので、私にとって母国語は紙で、死ぬまでたぶん電子書籍は外国語です。

――紙の本がなくなってしまうということはないと思われますか?


柴山政行氏: ないと思いますし、なくならない方がいいと思います。私は電子書籍がいまだに怖いと思っているのは、機械ですから、電気が消えたり故障したら、何も取り出せなくなる。ビルのセキュリティーシステムでも、暗証番号を忘れたり、中の配線が狂ったりしたら出られなくならないか、心配になる。後車のパワーウィンドウも、車が海に沈んで、手回しだったら開けられるけど、パワーウィンドウは怖い。要するに自分の力で何とかならないものが怖いです。それは私が思い込んでいるだけかもしれません。でもそれは感覚でいいと思います。
読書というのは感覚の部分が大きいし、感性を育てるものですから。言語能力をつかさどるのは左脳と言われていますが、私は右脳を鍛えるのが読書だと思っています。著書を書いていると「図を増やしてくれ」と言われたりしますが、例えば「雨が降った」と書いてあって、雨が降った情景を想起することで、右脳を刺激している。人によって、ぽつぽつの雨なのかザーザー降りなのかも異なるでしょう。テレビを見ると頭が良くならないと思うのは、受動的だからです。
脳って受動するだけではなくて、自分から発信しないと発達しない。想起することで1回受けたものを違うところに受け渡します。このような思考を伴うことによって、いろんな部分が刺激されて頭が良くなる。今、娘が小学4年生ですが、恋愛小説を手に取っています。恋愛小説って結構きわどい。「一夜を共にした」とか。「4年生には早いだろう」とも思いますが、小説を読んで自分の感情が呼び起こされて、どんどんイメージ化していくということ自体は、情緒にも良いことですので、大いにすすめています。

「珠玉の絶版集」を作ってみたい


――電子書籍の強みや可能性はどういったところにあるでしょうか?


柴山政行氏: もちろん携帯性が便利だということがあります。それと、私が重要だと思っているのは廃刊された本を復刻しやすいことです。電子書籍でやりたいことが1つあります。私にとって、後にも先にもベストだと思う財務会計の本は、井原隆一さんの『財務を制するものは企業を制す』です。でもこの本が、PHP文庫で廃刊になってしまった。この本はすべての会計人に読んでほしい。でも再出版はコストを考えるとできない。そこでこれを電子書籍にできないかなと思っています。
日本の知財は無数に埋もれていて、出版社の販売方針でお蔵入りになっているいい本がいっぱいあると思う。その発掘をするところに電子書籍の価値があると思っています。ある程度の年齢で成功されている方から「絶版している読みたい本はありますか?」というのを聞きまわって、100冊ぐらいを集めて「今の人に伝えたい珠玉の絶版集」みたいにしたら、売れる。というか、私は買いたい。電子書籍はコストが安いので、セカンドチャンスが作れるのではないかと思っています。

――初版当時とは違った読み方で再評価されることもありそうですね。


柴山政行氏: 最近売れた『100円のコーラを1000円で売る方法』は、前に秀和システムから出た本をベースに書きなおした、という話を聞いたことがあります。前に出した本に手を加えて違う版元で出したら売れた。そういうチャンスはいっぱいあると思います。私も本を20冊ぐらい出していますが、編集者の力量で売り上げが変わる事があってもおかしくないですね。「月に何冊出す」とかノルマを果たしている感じだと、気合が入らなくなりますね。私は日本の生きる道はコンテンツしかないと思っています。昔から資源がないと言われて、小さい国で人がひしめいていて、雇用の確保が必要です。そういう時に、穀物とか、アメリカやオーストラリアみたいに広い国土がある国と同じものを作っていても勝てない。アニメとか漫画とか、日本が強い分野で、人材が埋もれている。やっぱり日本人の発想って独特ですから。
私は100年後は日本式の文化が世界を席巻する可能性があると思っています。だから短期的に結果が出なくても見捨てないで育成する。「ひよわな花」とよく言われますけれど、弱いながらもほそぼそと丁寧に知識を伝承して、コンテンツを育てることです。育てるという概念が今の日本にはなくなってきて、欧米流の刈り取り、短期志向になっています。日本はそういうやり方は合っていない。

会計教育で、事業を創出する人を育てる


――柴山さんは子どもたちに会計を教える活動もされていますね。


柴山政行氏: よく「投資教育が必要だ」などと言いますが、私は子どもに投資教育をすることは優先順位からして後だと思っています。馬券を買うように、どのベンチャーの事業がもうかりそうかと読んで投資する教育ではなくて、優秀な馬をいっぱい作るのが日本人だと思っています。
なぜアメリカで投資が発達するかというと、いろんな人種がいて渦がいっぱいあって、ビル・ゲイツとかザッカーバーグとか、Googleの創業者のセルゲイ・ブリンとかラリー・ペイジとかが出てくる。そしてその馬に投資する人もいる。日本人って単一民族で、アメリカほど懐が深くないから、馬と投資家どちらかにいく方が合理的ではないかと。そして私は、基本は馬だと思います。アニメのザッカーバーグを作ればいい。まずは競走馬を育てることに徹して、たくさん出てきたら、後に日本にも投資家が発展するのだと思います。

子どもに教えるべきは帳簿付けだと思います。まず小遣い帳を付けさせる。他人に投資するためではなく、自分のビジネスを育てて、自分自身の事業に投資するためです。日本人は自分でやったことの記録を付けるのは得意です。今、「キッズ簿記」という講座をやって、小学生が簿記2級に受かったりしていますが、子どもの段階でお金の動きについて記録するという習慣を付ければ、数字の感覚が変わる。小学生が「減価償却はいくらか」とか、「当期純利益と違うじゃん!」とか、「固定資産の計上が漏れているよ」と言って、お母さんがびっくりしています。
日本人はきめ細かいですからニーズを見つけるのはうまいはずです。自分がやっていることがどういう結果を生んでいるかという記録を付けて、ビジネスチャンスをつかむ人を多く育てたいと思っています。その記録を見て投資するのは欧米人でもいい。現場で自分なりの強みを生かして、上位4%の中に入って、その市場で確実に収益を確保する若い人が1万人も出てくれば、GDPが一挙に上がりますし、消費税率アップなんていらなくなります。

――新たな事業が育たなければ、経済・財政も結局危機に陥ってしまいますね。


柴山政行氏: 個人的な意見で言うと、日本の財政は破たんする確率が高い。家計簿で言えば、40~50万の収入で60万、70万、下手すると90万の生活をして、差額は借金している。金利が上がれば当然負担は増える。消費税率をアップしたぐらいではどうにもならない。消費税率は、ゼロから3%が1989年、3から5%が1997年、どっちもアップした2~3年後から税収は激減している。世間ではたまたまバブルが崩壊したからとか、アジア通貨危機が重なったからとか言うけれど、それだけではないと思っています。ちなみに1989年の時の税収は60兆あったのですが、今は40兆。バブルであったとはいえ、信じられない数字です。政府も、消費税率がアップすれば景気が下がることは分かっているはず。では何で上げるかというところに裏がある。税率をアップさせたいのはお役所の事情ではないか。軽減税率の問題も大きくて、いろいろな業界が軽減税率の恩恵を受けたいと考えるとか、天下りが増える余地が高まるとか…。数字が分かってくると、増税の裏も見えるし、「アベノミクス」も付け焼き刃の可能性が高いと分かる。子どもに簿記をもっと教えたいというのはそういう意味もありますね

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 柴山政行

この著者のタグ: 『アイディア』 『漫画』 『考え方』 『インターネット』 『紙』 『ノウハウ』 『原動力』 『教育』 『営業』 『会計士』 『税理士』 『メルマガ』 『簿記』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
ページトップに戻る