教育者として、薬剤師と臨床の架け橋となる
――薬剤師に対する教育にも力を入れているということですが、どのような活動をされているのですか?
青木眞氏: ジェネリック医薬品のサンドとファイザーのエスタブリッシュメント部門というジェネリックを扱う部門の人たちとタイアップして、ファイザーとは年4、5回のセミナー、サンドも年4、5回のウェブを使ってのティーチングをやっていて、薬剤師の人には、ものすごく支持されていると思います。というのは、まさに薬剤師の人たちにとってはそこが聞きたかったわけです。いま、「臨床薬剤師」っていう言葉だけが先走りして、薬剤師を病棟に入れよう、薬局のクーラーの効いた部屋ばっかりはやめよう、みたいになっています。でも薬剤師が病棟に行っても、お医者さんやナースが理解できる教育を受けていないのです。。だから僕は薬剤師と臨床の橋をかける作業を行っているんです。医者は本来はその役目ができるはずなんですけれども、やれていない状態なので、その橋渡しを誰かがやらないといけないと思っています。
――現場を知りたいという薬剤師のニーズに気づくきっかけがあったのでしょうか?
青木眞氏: 僕はハンセン氏病の療養所に3年間いましたが、暇なんですよ。ハンセン氏病の専門医はほかにいて、僕が外来に降りて行くと「先生、今日も患者さんがいませんから帰ってください」みたいな感じなんです。それで僕はそのまま薬局に寄って、コーヒーを飲みながら薬剤師の人に「ワシントンマニュアル」っていうアメリカで一番有名な研修医の1年目で読むマニュアルを使って1時間講義していたんです。病態生理といって、例えば腎臓が悪い人の体の中ではこんな風に起きているので、こんな風に臨床的には表現されますとか。心臓の悪い人はこんな風になっていて、お薬はこれを使うけどお薬が効くと患者さんの体の中ではこんな風なことが起きてベッドサイドでこんな症状になります、みたいなのが書いてあるんです。この講義が薬剤師の方に非常に喜ばれました。
日本の薬剤師の方はこのような臨床的な教育に飢えているのです。
――そういった知識は、薬剤師になるための勉強、調剤の実務だけでは学べないものなのでしょうか?
青木眞氏: 日本の薬剤師の教育では、例えば心臓の薬にはジギタリスというのがあって、こういった分子構造をしていて1日何グラム使えます、みたいなことが書いてあります。ところがそれだけだと現場では役に立たないんですよ。というのは、患者さんが「息が苦しい」といった時に、心臓が悪くて息が苦しいのか肺炎で息が苦しいのか、何かのアレルギーなのかはわからないんです。なので、お医者さんが何を見てこの人は心臓が悪くて息が苦しいと判断するのか、ジギタリスが必要な患者さんはベッドサイドではどんな顔をしていて苦しむのか、そしてジギタリスを使ってどうなったら効いたと判断するのかという教育を受けていないんですよ。もう一つ例を挙げると、腎不全っていったら薬局の人はせいぜいおしっこが出なくなるのかな、みたいに思うわけですよね。ところが外科の病気で腎不全になった時にはおしっこが出なくなるんですけれども、内科系の病気で腎不全になった時にはおしっこの量は普通なんです。腎臓は働いていないんですけれどもおしっこは出せるので、おしっこの量だけ見ていてわからないんですよ。そういったことを知らないと腎不全に薬が効いているかどうかっていうのを判断できない。僕はハンセン氏病の療養所でそういったことを教えながら、「日本の薬剤師にはこれが一番欠けているな」と思ったんです。
群れることができないのは、生まれつきかもしれない
――青木さんはアメリカ留学や、日本で未成熟であったジャンルへの挑戦、そして現在は新しい業態、専門家のモデルを見せてくれています。現在までの医学・医療の道はどのようなものでしたか?
青木眞氏: 学校を卒業して34年なんですけれども、いまの職場が13か所目で、転々としているんですね。いまはサクラ精機の学術顧問生活を安定させながら、3分の1ぐらいは研修医とか学生の教育で、3分の1はエイズ外来、3分の1は講演みたいな感じで生きています。これはある意味、僕の弱点だと思うんですけれども、やっぱり1つの病院でずっと勤め続けるためには、苦手な相手とも適当に折り合いをつけて生きていくのですが、僕の場合、折り合いのつけ方が非常に未熟なんだと思います。誰かに指示されたり規制されたりするというのが耐え難いんですね。母からわがままな性格だって小さい時から言われましたけれども。なので、いまフリーの立場で自分の話を聞いてくれる人のところには行って話すし、無視するような人のところはもう二度と行かないということになったのは、一種の成り行きだったのかと思うんですよね。だから苦労をたくさんしてここに来たというよりも自分が一番生きやすい道を選んでいたらここに来ちゃったみたいなところはありますよね。自分のキャラみたいなものが災いしたか福となったかわからないですけれども。
――「一匹おおかみ」という言葉もありましたが、例えば医局に属さなかったことなど、独立した生き方をすることに不安や、もっと露骨な不利益もあったのではないでしょうか?
青木眞氏: あんまり群れるということができないというのは、もしかして生まれつきなのかもしれないですけどね。不利益はもしかしたら知らないところでかぶっているのかもしれないですけれども、卒業したその日から、医局に属したことがありませんでしょう。医局ワールドそのものを知らないし接点もないから、医局に入ったらこういういいことがあったはずだとか、というのさえないんです。あとは、医局に属すというのは、どんな風にして生活していこうかとか、野心的な人ならどうやって偉くなっていこうかなというような設計の中に入ってくる話だと思うんですけれども、自分の場合はその前にこれをやりたいというのがあったんですよね。日本キリスト教海外医療協力会に岩村昇という先生がいらして、お一人でネパールで結核対策とかをなさっていて、そこに学生時代にボランティアで行く機会がありまして、1か月ぐらいネパールで井戸掘りをしたり水道工事をしたりして、そういうところの医者が一番いいなと思っていたんですよね。それなら医局とか関係ありませんでしょう。
あと、実は僕キリスト教の信者なんですね。両親がクリスチャンだったので小さい時から教会に連れて行かれていて、それによる価値観みたいなものはあるかもしれないですね。キリスト教的な価値観とか視点みたいなものの影響はとても強いと思います。だからといって誤解しないでほしいです。僕はまじめで品行方正なクリスチャンでは全然ないんですよ。
――今日のお話の中にも偉大な医師の先輩のお名前が出ましたが、人との出会いでいまの青木さんが形成された部分も大きいのでしょうか?
青木眞氏: 自分の考え方に色々影響を与えてくれる先輩が多かったのかもしれないですね。もうおひと方を挙げると、「病院消防署論」を書かれた佐藤智先生は、病院は消防署と一緒なんだというようなことをおっしゃっていました。いつどこに誰に火事が起きるのかわからないのと同じように人間もいつ病気をするかわからないから、採算が取れるから病院を作るとかもうかるから作るとかというのではなくて、どこででも人が安心して住めるような装置として消防署があるように病院もないといけないと。僕の先輩には、病院は基本的な社会を安定化させるためのインフラストラクチャーみたいなものとして存在すべきだというようなことをおっしゃる方のほうが、いわゆるいかに病院経営を上手にしようかっていうようなことをおっしゃる方よりも多かったのかもしれないですね。ただ、医療を提供する側の現場の若手と話していると、日本は誰でもかかれる、しかも本当に水道みたいに安心して使える医療というのがあることを乱用するケースもものすごく目立つ国なんですよね。何でもないのに救急車を使うとか。
著書一覧『 青木眞 』