突然の両親の離婚。就職難民に
――マナーの世界を志すようになったのは。
西出ひろ子氏: 大学の4年間は、ということはつまり4年間だけで、卒業後は戻ってこいという事でした。ですので、正直に申し上げますと「戻ったら親の縁故で就職をして、誰かと普通に結婚して、普通の奥さんになるのかな」と、そんな世界を漠然と考えていました。
ところが大学4年生になった時、親から「その話はもうなくなったから。お父さんとお母さんは離婚するから、帰ってきても住む家がないし、就職はそっちで見つけて」と突然言われたのです。実家の方で決まっていた縁故採用の話も白紙になり、突然放り出された事で何をしていいか本当にわからなくなりました。
――思い描いていた世界から急展開を余儀なくされたんですね。
西出ひろ子氏: とにかく学生課に行き、どうすればいいかと聞いたんです。そうしたら、大学が主催する面接指導という特別講座があることがわかり、まずはそこに行ってみることにしました。
そしてそこに来た女性の先生に、「一目惚れ」をしたのです。その先生は本当に美しかった。容姿端麗で姿勢も良く、優しい。話を伺うと、53歳とおっしゃっていました。当時の私からすれば、50代というと、おばさんというイメージだったのですが、その先生はそうではありませんでした。「私もこの仕事に就けば、こんなに素敵な50代になれるんだ」と思ったんです。先生が女神のように見えました(笑)。
――ようやく目指す道が決まり一安心ですね。
西出ひろ子氏: それが全然(笑)。マナー講師の多くは客室乗務員としてつとめられていた方がほとんどで、先生も、元JALでした。それで航空会社を受けたのですが、全部落ちました。私は就職難民になり、みんなが卒業旅行に行っている時に、とらばーゆと履歴書を片手に持って、毎日歩き回って活動しました。当時はバブル絶頂期だったので、周囲は大手企業などの良い所にどんどん就職が決まっているのに、私だけが決まっていませんでした。そんな中、ありがたいことに私を拾ってくれる企業もあったのですが、「普通の企業に行っても、マナーの先生になれるかわからない」と、生意気にも思っていました。スチュワーデス学校にも通っていて、その時の校長先生が「あなたは国会議員の秘書として生きていきなさい」と言って、仕事を紹介してくださったのです。
――国会議員秘書という仕事はいかがでしたか。
西出ひろ子氏: 仕事はとてもありがたかったです。秘書と言っても、私は一番下っ端で、先生のお付きのかばん持ちなので、とにかく先生に付きっきりで行動していました。国会議員は休みが1日もないので、私も当然、休みはありませんでした。
その先生は東京の選挙区だったので、選挙の時は都内をずっと回りましたし、日曜日などはお昼からという時もありました。ある夏の日曜日に、友達から海へ誘われたのですが、その日も仕事だったので断りました。その時に初めて、「世間は日曜日で、みんな休日なんだ」と思いました。それが私の社会に出た1年目の思い出です。休みなんてないけれど、お給料はもらえる。それが社会なんだというのが、私の中に植え付けられました。何事も最初が肝心というのも、今、ビジネスマナーを伝える時にも、とても影響していると思います。
父の不幸。好きな人にもフラれて
――その後、独立されます。
西出ひろ子氏: はい、学生時代の急展開から、秘書をはじめ、マナー講師として独立したのは、27歳でした。「独立」といっても、すぐに仕事はなかったので、派遣社員として伊藤忠商事の本社で働いていました。簿記の資格を生かせる場所でしたし、自分がマナー講師として企業に行く時のために、大企業という場所がどんな場所で、どんな仕事の仕方をしているのかを見る必要があると考えたのです。
講師は無理でも、派遣だったら受け入れてもらえるかなと、大企業に行けるような派遣会社を選びました。振り返ると、いつも行動力だけで進んでいたのかもしれません(笑)。本にもいつも書いていますが、マイナスなことが起きたら、それを必ずプラスに変えようと常に考えています。
――派遣の仕事は、どのくらい続けられたのでしょうか。
西出ひろ子氏: 派遣の時代は2年間ありまして、29歳の時に完全に独立を果たしました。そうしたら29歳の時に、父が自ら命を絶ちました。悲しむまもなく、29、30歳で父の持つ会社の後始末など、色々なことを経験しました。そして、追い打ちをかけるように、31歳の2月14日に好意を抱いていた人にフラれて、「もう日本にいるのはいやだ!」と、イギリスへ行くことを決めました。その行動力は、自分でも驚きました(笑)。帰ってくる家もなく、全てをなくして、1ヶ月半後の3月30日にはイギリスに発ちました。
――マイナスの連続を、プラスに変えるために……(涙)。イギリスを選んだ理由は。
西出ひろ子氏: アメリカのボストンとイギリスのオックスフォードがふと頭に浮かんだんです。落ち着いていて浮ついていない、煌びやかではないという感じが、当時の私の心理が求めていたのかもしれませんね。どっちに行こうかと選択する時、マナーといえばイギリスだと思ったので(笑)、オックスフォードに決めました。私の英語力は中学生レベルだったのですが、先のことは何も考えず、とにかくもう押し出されるかのように、とりあえず行こうと。
著書一覧『 西出ひろ子 』