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世界中の本好きのために

松井孝典

Profile

1946年、静岡県生まれ。東京大学理学部卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。NASA研究員、マサチューセツ工科大学招聘科学者、マックスプランク化学研究所客員教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授を経て同名誉教授。2009年4月より千葉工業大学惑星探査研究センター所長。 専門は、比較惑星学、アストロバイオロジー。 著書に『地球システムの崩壊』(新潮選書)、『宇宙人としての生き方』(岩波新書)、『我関わる、ゆえに我あり』(集英社新書)、『天体衝突』(講談社ブルーバックス)、『スリランカの赤い雨 生命は宇宙から飛来するか』(角川学芸出版)、『生命はどこから来たのか? アストロバイオロジー入門』(文春新書)など多数。

Book Information

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「これでいい」はない。
毎日に感動していれば、一生現役でいられる。



地球科学者、惑星科学者である松井孝典さんは、研究成果を社会に還元し、人々に紹介するため、「パノラマ太陽系」、「地球大紀行」(ともにNHK総合テレビ)などのテレビ番組出演のほか、『我関わる 故に我あり』、『生命はどこから来たのか』、『天体衝突』などの著作では、宇宙からの文明論や惑星科学、地球史、生命史と宇宙との関わりを紹介しています。また、研究者としては、地球、大気と海の起源を解き明かしており、1986年には英国の科学雑誌「ネイチャー」に「水惑星の理論」を発表され、注目を浴びました。また、2007年には著書『地球システムの崩壊』が毎日出版文化賞を受賞されました。今回はご自身の科学・哲学への考察や、電子書籍についてお話していただきました。

第一人者としての「ゼロ」からのスタート


――地球学や比較惑星学は、松井さんが研究を始めた当時、日本で初めての分野だったそうですね。


松井孝典氏: 比較惑星学とか惑星科学は、アポロが月の石を地球に持ち帰ってきてから初めて学問として成立するようになりました。研究生活を始めたのはその頃で、惑星科学の誕生とともに研究生活をスタートしてから、現在までずっとやり続けています。その頃は、今でいう地球科学という学問もまだありませんでした。学問として地球物理学も無く、その分野は地震学や気象学などに細分化されていました。地質学はありましたが、古生物学や岩石学、堆積学といった名称の学問の総称としてあったのです。そういう状況の中で「プレートテクトニクス」という考え方が1960年代に登場して、1970年代に初めて地球科学という1つの体系ができてくる、そういう時代でした。その頃に登場した惑星科学は、地球科学のように地球物理学や地質学のように150年近い歴史や学問が体系化されているようなものではなくて、これから試行錯誤しながら太陽系の起源や進化を解明していこうという段階でした。

今風に言えば、天体を構成する要素の全体の関係性の中で「地球という天体とは何なのか」ということが、初めて定義できるのではないか、というところからスタートしたのです。そうすると地球の諸学を全部統合しなければいけません。我々の存在だって地球の上で定義しなければいけない。そこで人間圏という概念を思いついたのです。このようなことを考えていた頃は、大気と海の起源を研究していたのですが、この問題を解明しようと思ったら、実は地球のコア(核)まで含めた元素の分配を理解しないと解けないことに気付いたのです。その時から地球システムという概念も使い出しました。この頃から学問の統合化という、今の視点に近い方向に少し変わってきましたね。

――その頃からサイエンスの手法と、そこで明確になった事象を哲学的に扱うようになっていったのですね。


松井孝典氏: そうですね。思想的には、統合化という今の視点に近い方向に変わってきましたね。一方でサイエンティストとしては相変わらず二元論と要素還元主義的にやっています。例えば今のテーマは、超高速の天体衝突という現象の物理と化学を解明することです。これは実験的にも理論的にも世界で最先端の研究をしています。それがどういう意味を持つのかという点に関しては、最近出した本で“斉一説か激変説か”というような非常に哲学的且つ歴史的な話として紹介しています。科学者としてやっていることは相変わらずですが、その学問的背景を説明するものとして、統合的な視点として、まさに我々の世界観とか歴史感と関連づけて紹介しています。しかし、その背景の説明は論文にはならないので、本に書いているということです。

はじまりは、「人生を考えたこと」


――専門的な分野を、身近な話題として本で伝えられているのですね。反響も大きいですね。


松井孝典氏: 読んでくださった方から「目から鱗」という言葉はよく聞きますね。例えば、一般的に考えられている環境問題と僕が紹介する環境問題は全く違うとか、「人間とは何か」というテーマについて、ありとあらゆる主張が、「今まで世の中で言われていることとは違う」という、そういう評価はありましたね。

――今までつながらなかったことをつなげる、先生の視点の持ち方が気になります。


松井孝典氏: それは「もともと」です(笑)。「もともと」という言い方はおかしいかもしれませんが・・。
高3の時にまず最初に考えたのは「人生」についてです。だってそうしなきゃどの大学のどの学部に行くか選べないじゃない?「大学で何を勉強するのか」という時に、自分がどういう人生を送りたいのかが決まっていないのに、文科も理科も選べないですよね。それが現在のような人生に至る最初のきっかけです。

でももっとさかのぼると何でしょう。原体験は小学生の頃でしょうか。話していてだんだんと思い出してきました。

幼少期から根付いている「レンタルの思想」



松井孝典氏: 生まれたのは静岡県の遠州森町ですが、幼稚園も小学校も東京でした。幼稚園、小学校の頃から夏はほとんど田舎である遠州森町で過ごしていたので、僕の「ふるさと」のイメージはそこになるでしょう。

小学校の頃というのは読書が好きでしたので、貸自転車屋さんで借りた自転車に乗って、貸本屋さんに行って本を借りて読んでいました。僕たちの頃は読書といったって本なんか買えなくて。1冊10円くらいだったでしょうか?本を借りてきて、1週間ぐらい借りて、読んで返してまた借りてくるというのが読書でした。すべて借り物だった。これが『レンタルの思想』に結び付く原点ですね。

――貸本屋さんでは、どんな本を読んでいましたか?


松井孝典氏: 歴史物がほとんどです。いわゆる「英雄豪傑」の類について書かれている本です。貸本屋ですから、そういった本が多く、そのジャンルのものばかり読んでいました。だから小学校の頃は、「宮本武蔵や真田幸村のような英雄豪傑になりたい」という夢がありました。それで武術を極めたいということで、剣道をやりたいと思ったのです。小学校の時には両親の反対があって習う事はできなかったのですが、学芸大附属の小金井中学に進学して念願の剣道部に入りました。やりたくてしょうがなかったので、入部したての1年生の時から憑かれたように稽古に励みました。学芸大学の付属でキャンパス内に校舎があったので、中学生の頃から大学生とも稽古ができましたし、朝5時起きで寒稽古というのも、全く苦痛に感じませんでした。まさに、山中鹿之助ですよ。月に向かって「天よ、我に艱難辛苦を与えたまえ」と祈るという(笑)。「剣の道を究めたい」という思いで中学校の時は必死に部活に励んでいましたね。「道を究める」というのがその頃からの僕の考え方です。

――やはりその頃読んだ本が、先生の思考に大きく影響を及ぼしているんですね。


松井孝典氏: やはり読書が大きく影響していると思います。しかも先ほどお話したような英雄豪傑のもの、例えば猿飛佐助とか、霧隠才蔵とか。ありとあらゆる人物の物語を読みました。そういった本を読んでいたせいか、小学校の頃は「忍者になろう」と思って必死にがんばっていました(笑)。忍者の本に『高く飛ぶ』修行の話が出ていると、そのとおりに、苗木のちっちゃいのが、だんだん伸びていくのを毎日飛んで、そうしていると、2メートルでも飛べるかと思ってやっていました。どんなことでも、やると決めたらとことんやるということが、究めるということにつながっています。忍者になろうと思っていたから、「バランス感覚もよくしなきゃ」と、昔住んでいた家から武蔵境の駅まで続いている廃線になった線路のレールの上を歩いて通っていました。「まず1本のレールの上を、目をつぶってても落ちずに歩けるようにならなくては」と、毎日「修行」していました。そういったことでバランス感覚や跳躍力を養い、近くに雑木林があるので、そこで棒きれを振って、剣道の真似事をやっていましたね。

そんな風に何かを極めたいと思っているうちに、「そのためにはどうしたらいいのか」ということを考える思考が形成され、高校生の時も進学先を考えるにあたり、まずは「どんな仕事に就こうか」という、より大きな「人生」の意味から考えたんです。人間の一生という限られた自分の時間を、どうやって満足して使うかというのが1番重要なことでしょう?だから、自分の好きなことをやって給料をもらって生きられれば、こんな最高なことは無いですよね。「じゃあ学問を自分の道にしよう」と人生としては決めました。次はどういう学問かですが、経済学、工学、医学や農学といった、その成果が社会に対してダイレクトに還元されて人々を豊かにする学問もありますが、僕はどちらかというと、「人間とは何か」、「自然とは何か」といった、根源的なものを探求する方に興味をそそられました。

――「文、理」の枠組みからの出発では、人生の目的を考える上で不都合ですね。


松井孝典氏: そうなんです。そうすると、文学部と理学部か、どちらかになりますが、どちらかを選ぶのは難しいですよね。僕は、本を読むのがすごく好きでしたが、どちらかに決めなければいけないと考えたとき、「一生本を読み続けるのはちょっときついかな」と思ったのです(笑)。哲学や歴史のように、既に存在する、過去の仕事を楽しんだりするのも好きでしたが、「やっぱり自分の頭で、全く原理的なところから出て考えていく方がいいな」となんとなく思ったのです。それで、ようやく考えがまとまり理学部に決めました。

研究の成果と、思考が重なった時


――大学やその後の研究は、先生の中でどのように統合されていったのでしょう。


松井孝典氏: 1970年代では、月や小惑星の起源の論文を書き、1980年代は、“地球という惑星だけがどうして地球になったのか”、というようなテーマの仕事をやって、地球に関しては『Nature』誌 に論文を2つ書きました。「これで、地球がどうして地球になったのかという謎解きはある程度形にできたな」と思いました。それで、いよいよ「次は生命だ」と、そういう方向にシフトしていく時に、ちょうど環境問題が世間の関心を集めていて、マスコミなどから「環境問題について話して下さい」という依頼が多くなってきたのです。“環境問題とは何か”というと、やっぱりそれは文明の問題ですよね、“じゃあ文明をどう考えるのか”というふうに考えると、「やっぱり歴史・哲学だよね」と、高校の頃の関心に戻ってきたのです。

そういうことを考え始めていた頃、たまたま「地球システム」というアイデアにたどり着いたのです。“システム論的に人間と文明をどう位置付けるか”、という問題です。そこで思いついたのが、現在の地球システムには、“「人間圏」という構成要素”が分化しているのではないかというアイデアです。人間圏を作って生きる生き方、それがまさに「文明」なのだという発想が芋づる式に出てきたのが1980年代後半のことです。90年代からは、自然と人間を統合し、あるいは社会を統合していく「統合化」という試みが始まって、執筆活動では、その頃からずっと「統合化」の方向を追求しています。研究としては、相変わらず二元論と要素還元主義的にやっているんですけどね。一度は、二元論と要素還元主義的の世界で最先端までに進んでいってから、もう一度初心に返ってようやく総合的に自分で考えられるようになったということですね。

――研究の成果が集まって、初めて統合的に捉え考えることができると。


松井孝典氏: 最初の頃、駒場にいた頃は哲学の本をよく読んだのですが、全く分かりませんでした(笑)。当時の哲学書や雑誌の『思想』を読んでもほとんど理解できなかったのです。しかし、1980年代になって自分の頭で学問を考えるようになった時に、大学時代に読んできた哲学書や『思想』に書かれていたことも、「そんなに難しいことは無いんだな」と分かったのです。「自分がやっていることもまさに宇宙の思想であり、歴史であり、哲学なんだ」ということで、「統合化」ということができるようになったのです。

PRとは社会に還元するための発信である


――自ら考えるようになって初めて分かるようになったということですね?


松井孝典氏: そうです。自分が完全に理解していないと、相手に伝わるように易しく書けません。僕が大学院の頃、学会に行ってどの発表を聞いても、数式ばかりで何をやった研究なのかよく分からなかった。ところがDr.を取って外国に拠点を移して研究者の発表を聞くと、発表がすごく分かりやすい。そのためか質問もいっぱい出る。質問が多ければ多いほど良い講演という評価になるのです。外国では、質問が出ない講演ってダメなんですが、日本は全く逆で、なんにも質問が出ないのが良いとされていました。自分が何をやっているか、ということを聴衆に分かりやすく発表するのが良い講演なのです。それが、僕が外国に移って1番最初に気が付いたことですね。

――日本とシステムが違う訳ですが、それは大学そのものの役割にも当てはまりますか。


松井孝典氏: 税金を使って行っている研究である以上、その成果を国民に分かりやすく還元しなきゃいけない、というのが私が在籍したNASAにおけるパブリック・リレーションズ(PR)の意味でした。もちろんそれは「宣伝」と違う。国立大学での研究は税金を使ってやっているという認識を持たなくてはいけない、と思いました。その後、東大に戻ってきてから、当然真の意味でのパブリック・リレーションをしなければいけないということですよね。そこでマスコミの要請があれば、テレビでも新聞でも周りの目を気にせずに出るようになりました。当時の日本では、学者などアカデミックな人々がマスコミに出ることは、よくないという風潮でした。しかし、たまたま僕のいた研究室が竹内均先生(地球物理学者、科学雑誌Newton初代編集長)の研究室で、当時の他の教授たちとは違い、全くそういうことに抵抗が無い方だったので、僕自身もその路線で突っ走ることができたのです。

その頃、NHK総合で科学の番組を制作する話がありました。教育テレビではなく総合テレビのほうでです。そこで、1980年頃から「パノラマ太陽系」や「地球大紀行」などの番組に次々と関わりました。というのも、1つは「統合的」という方向に関係しています。さっきのパブリック・リレーションズという考え、国民に分かりやすく還元するためには、やっぱり「物語」として知識を分かりやすく見せなきゃいけない。「統合的」というのは「物語」として語るということでもあるのです。また、知識を伝えるというよりは、考え方や物の見方を伝えるのが重要だというふうに思っていました。そういうところが、執筆をはじめ、僕のいろいろな活動において「ちょっと他の人とは違う」という感じが持たれたのでしょうね。

ただ「私は社会貢献だけのためにやっています」ということではありません。それは義務であり責務だから果たすということです。基本的には自分の人生だから100%自分が満足して生きるということが出発点なんです。人や社会に貢献したりするために自分は生きていると考えた事はありません。僕は、人生について考え始めたその時から、非常に利己的なのです(笑)。

思考の投影、書くことの意味


――そういった社会とのつながりの中で、一般書も出されます。


松井孝典氏: 当時、NHKで放送した「パノラマ太陽系」という、僕が制作に携わり、出演した番組を、講談社のブルーバックスの編集者が「本にしませんか?」と、依頼に来たのです。僕は、「いい機会だから惑星科学という新しい学問を日本に紹介しよう」と、番組を作った経緯と同じ思いで『パノラマ太陽系』という本を書きました。これが最初の本でしたね。今でも覚えていますが、その頃は本を書くというのに抵抗がありましたね。なんだか頭の中をさらけだしているような気がして、「こんなにも恥ずかしいことなのか」という感じでした(笑)。だんだん慣れてきて、今はもうそういう感覚はなくなりましたが。

――執筆によって、頭の中身が映し出されているんですね。


松井孝典氏: そうですね。僕の場合は、頭の中にあるイメージを文章に落とし込む感じです。今は「死ぬまでに頭の中にあるものを全部書いて遺しておこう」と思っています。それと、世界で僕しか持っていない視点というのがあるから、「書いておかないとちょっともったいないな」という思いもあって、それで書いています。自分の功績云々とかではなく、“自分しか考えられないことを書き残しておきたい”という、ただそれだけですね。

――どのようにして書かれていますか?


松井孝典氏: そうですね、私は手書きの段階が長くて、その後PCを使ってという変遷をたどっています。手書きの時は、頭の中に文章が次々と浮かんでくるのに、書くスピードが追い付かないという感じでした。PCになると、今度は文章にするスピードは頭に追いつけますが、ずっと画面を見ていると頭がやられてボーっとしてきます。毎日作業時間には限界がありますね。でも、最初の頃はパソコン入力の文章は自分の文章じゃないような気がしてしまい、パソコンで原稿を書くのが嫌でした。ところが、手書きよりも簡単に、文章を書くという行為に入りやすい。はじめの一文が決まっていなくても、なんでもいいから30分くらいパソコンに向かっていると、だんだんのめり込んでくる。今まで打ったことを全部消してでも、新しく、一から始めればいいやということで、最初の執筆にかかる際のバリアを簡単に越えられるんです。手書きの時は文章が浮かばない限りスタートできない。だから手書きの時は原稿用紙を前に2時間も3時間も「うーん」と唸っていましたが、パソコンならすぐに始められます。だけど最初は自分の納得する文章ではない。そういう意味で納得できる文章は1、2時間かかりますが、今はパソコンの方が書きやすいですね。

こういった紙と電子の特性の違いによる差異は、読むときにも表れます。内容にあまり違いはないと思うのですが、要するにこれも「慣れ」ですよね。僕は読書の際、何度か前のページに戻って確認しながら読んでいくということが多いのですが、実際にはその作業自体が楽しいと感じている部分があります。こうやって、紙を繰って戻る、という行為に対して、電子端末は画面が1つだから戻っている感じがしない。この物理的な違いは大きいですね。

僕自身は電子書籍ではあまり読みません。「本」で読んでいます。あともう一つの違いは「目がどのぐらい疲れるか」ですね。目が疲れないようなディスプレイができあがってくるとか、そういう負担が解消されることで電子書籍の可能性は広がってくると思います。僕は旅先で本を読むのが好きなのですが、そういう時にはいいですよね。

朝、起きた時に人生が始まり、寝る時に人生が終わる。「毎日が感動」


――どんな本を読んでいますか。


松井孝典氏: 最近は小説を読むことが多いです。文章を書くというか、表現するということがどういうことなのか、ということに関心がかなり出てきているせいで、純粋に物語を楽しんでいる、というよりは、「この小説家はどういうふうに物語をつくり、それをどう表現しているか」という種類の興味があります。例えば、司馬遼太郎が書くのと浅田次郎が書くのとでは同じ歴史でも違います。すると文章も含めて、その物語をどのように構想し、それをどう表現していくかということに興味があります。そういう意味では、僕の文章はまだ全然分かりやすくはありません。もうちょっとこなれた表現をしてもいいんじゃないかという意識があって、それを勉強したいという気持ちがあるので、最近は小説をよく読みますね。

――具体的にはどういった表現に違いを感じますか?


松井孝典氏: 「この風景」とか「こういう場面」をどう表現するか、これは「自然」という対象をどう表現するかということだから、自然科学も同じです。その時に小説のように表現できれば読者にとっては読みやすいだろうと思うのです。僕の場合はよく梅原猛先生から、「君の文章は全部ストレートだよね」、「全ての文章に無駄がないよね」と言われますが、これが自然科学者の特徴でもあるんです。冗長に書けない。だけど世の中には、それがかえって難しいと感じる人もいます。そういった文科系の人にも読んでもらえるようにするためには、その辺の書き方を改めないとだめかなという気はあります。「これでいい」と思うことは無いんです。いつでもね。

――現状に甘んじることなく、明日に進んでいくんですね。


松井孝典氏: 毎日勉強しているという意識はないですが、「毎日が絶えず新しい」ということですね。この気持ちがなくなったら、それは死ぬ時じゃないかなと思っています。毎日何かに感動しているからこそ「これでいい」なんていう瞬間は無いのです。それでいいと思った瞬間に、それは老人になるということ。要するに、いつでも最先端にいて、現役であるというのが、この年齢になっても健康な状態を維持できる源であって、引退したらダメだと思っています。僕は自分が東大を辞めた時に分かったけれど、東大を辞める前の方が老人でした。「ああ、あともう2年だな」「あと1年だな」と、退官を意識していたわけです。今はまだ前途洋々としてやることがいっぱいあるので、それこそ20代、30代の頃と変わらない。要は、現役を続けるということが重要です。いつでも情報を吸収し発信するということが知的な活動だとすると、それが維持されている限り実年齢を考える必要はないと思います。これは「生きている」というまさに実感として感じています。僕は毎日がひとつの人生だと思っているので、朝、起きた時に人生が始まり、寝る時に人生が終わる。だから毎日考えたこと、やったこと全てが感動です。これは1番重要なことだと思います。1度、胃がんの手術を受けたのですが、その後医者に行ったのは2、3回だけです。天命のままに生きるだけだと思っているから、一切なんのチェックもしていません。あらかじめそういう心配を憂いてチェックを受けるという発想はありません。医者に行かないので、みんなによく怒られますが(笑)。


関心事はとどまるところを知らず、新たな執筆の材料に


――毎日の感動の結果が、次の本への材料になるんですね。


松井孝典氏: そうです、次に書きたいと思っているのは、“人間圏の思想について”です。そのためにはギリシャ以来の思想の系譜を追って、似た考えをもつ人がいたら、その考えについて書かなければいけないので、哲学・思想書を読んでいます。その中で唯一全く同じ言葉を使っているという人に出会いました。ハーバード・スペンサー(イギリスの哲学者、社会学者)です。僕が人間圏を考えだした時に、地球や宇宙の歴史で、「分化というのが1番重要な概念」、「進化論じゃなくて実は分化論」ということを書いているのですが、ハーバード・スペンサーも同様の発言をしていました。ですから、ハーバード・スペンサーと僕の違いを書いておかないといけないなと思って。時代が違いますから、宇宙についても地球についても生命に着いても、科学の手法に関しても僕の方がより包括的だし、総合的だし、分化ということに関して深い科学的意味を考えていると思っています。彼の頃には地球システムなどの概念もないし、宇宙の発展の歴史も、地球の発展の歴史や生命の起源などについて本質的な理解はまだ全然及んでいませんから。



最後は、最近関心のあることとしてもう1つ、「龍」の伝説にまつわるお話です。龍というのは世界中で伝説がありますが、僕は彗星や流星雨、隕石にまつわる話が「龍」という伝説になっているんじゃないかと思っているのです。龍と過去の彗星活動を調べ尽くして、それを本にまとめようと思っています。科学者として証拠のない話はできないので、まずこの仮説を裏付ける証拠を見つける調査をはじめなければいけない。そのために、今から10万年前までの湖底の堆積層を調べて、宇宙からの痕跡の変動を追いかけ、神話が生まれた時代との対応性をチェックしています。その部分は科学の話になります。

まだありました。「赤い雨」粒子という細胞です。『天体衝突』の前に『スリランカの赤い雨』という本を出しているんですが、その赤い雨細胞というのがなんなのか、ということを今突き止めようとしています。世界の誰もがまだ知らないことだし、これはひょっとすると「生命の起源は宇宙」という生命誕生の仮説の1つであるパンスペルミアに関係しているかもしれない。これらが今関心のあることです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 松井孝典

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