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世界中の本好きのために

松井孝典

Profile

1946年、静岡県生まれ。東京大学理学部卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。NASA研究員、マサチューセツ工科大学招聘科学者、マックスプランク化学研究所客員教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授を経て同名誉教授。2009年4月より千葉工業大学惑星探査研究センター所長。 専門は、比較惑星学、アストロバイオロジー。 著書に『地球システムの崩壊』(新潮選書)、『宇宙人としての生き方』(岩波新書)、『我関わる、ゆえに我あり』(集英社新書)、『天体衝突』(講談社ブルーバックス)、『スリランカの赤い雨 生命は宇宙から飛来するか』(角川学芸出版)、『生命はどこから来たのか? アストロバイオロジー入門』(文春新書)など多数。

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思考の投影、書くことの意味


――そういった社会とのつながりの中で、一般書も出されます。


松井孝典氏: 当時、NHKで放送した「パノラマ太陽系」という、僕が制作に携わり、出演した番組を、講談社のブルーバックスの編集者が「本にしませんか?」と、依頼に来たのです。僕は、「いい機会だから惑星科学という新しい学問を日本に紹介しよう」と、番組を作った経緯と同じ思いで『パノラマ太陽系』という本を書きました。これが最初の本でしたね。今でも覚えていますが、その頃は本を書くというのに抵抗がありましたね。なんだか頭の中をさらけだしているような気がして、「こんなにも恥ずかしいことなのか」という感じでした(笑)。だんだん慣れてきて、今はもうそういう感覚はなくなりましたが。

――執筆によって、頭の中身が映し出されているんですね。


松井孝典氏: そうですね。僕の場合は、頭の中にあるイメージを文章に落とし込む感じです。今は「死ぬまでに頭の中にあるものを全部書いて遺しておこう」と思っています。それと、世界で僕しか持っていない視点というのがあるから、「書いておかないとちょっともったいないな」という思いもあって、それで書いています。自分の功績云々とかではなく、“自分しか考えられないことを書き残しておきたい”という、ただそれだけですね。

――どのようにして書かれていますか?


松井孝典氏: そうですね、私は手書きの段階が長くて、その後PCを使ってという変遷をたどっています。手書きの時は、頭の中に文章が次々と浮かんでくるのに、書くスピードが追い付かないという感じでした。PCになると、今度は文章にするスピードは頭に追いつけますが、ずっと画面を見ていると頭がやられてボーっとしてきます。毎日作業時間には限界がありますね。でも、最初の頃はパソコン入力の文章は自分の文章じゃないような気がしてしまい、パソコンで原稿を書くのが嫌でした。ところが、手書きよりも簡単に、文章を書くという行為に入りやすい。はじめの一文が決まっていなくても、なんでもいいから30分くらいパソコンに向かっていると、だんだんのめり込んでくる。今まで打ったことを全部消してでも、新しく、一から始めればいいやということで、最初の執筆にかかる際のバリアを簡単に越えられるんです。手書きの時は文章が浮かばない限りスタートできない。だから手書きの時は原稿用紙を前に2時間も3時間も「うーん」と唸っていましたが、パソコンならすぐに始められます。だけど最初は自分の納得する文章ではない。そういう意味で納得できる文章は1、2時間かかりますが、今はパソコンの方が書きやすいですね。

こういった紙と電子の特性の違いによる差異は、読むときにも表れます。内容にあまり違いはないと思うのですが、要するにこれも「慣れ」ですよね。僕は読書の際、何度か前のページに戻って確認しながら読んでいくということが多いのですが、実際にはその作業自体が楽しいと感じている部分があります。こうやって、紙を繰って戻る、という行為に対して、電子端末は画面が1つだから戻っている感じがしない。この物理的な違いは大きいですね。

僕自身は電子書籍ではあまり読みません。「本」で読んでいます。あともう一つの違いは「目がどのぐらい疲れるか」ですね。目が疲れないようなディスプレイができあがってくるとか、そういう負担が解消されることで電子書籍の可能性は広がってくると思います。僕は旅先で本を読むのが好きなのですが、そういう時にはいいですよね。

朝、起きた時に人生が始まり、寝る時に人生が終わる。「毎日が感動」


――どんな本を読んでいますか。


松井孝典氏: 最近は小説を読むことが多いです。文章を書くというか、表現するということがどういうことなのか、ということに関心がかなり出てきているせいで、純粋に物語を楽しんでいる、というよりは、「この小説家はどういうふうに物語をつくり、それをどう表現しているか」という種類の興味があります。例えば、司馬遼太郎が書くのと浅田次郎が書くのとでは同じ歴史でも違います。すると文章も含めて、その物語をどのように構想し、それをどう表現していくかということに興味があります。そういう意味では、僕の文章はまだ全然分かりやすくはありません。もうちょっとこなれた表現をしてもいいんじゃないかという意識があって、それを勉強したいという気持ちがあるので、最近は小説をよく読みますね。

――具体的にはどういった表現に違いを感じますか?


松井孝典氏: 「この風景」とか「こういう場面」をどう表現するか、これは「自然」という対象をどう表現するかということだから、自然科学も同じです。その時に小説のように表現できれば読者にとっては読みやすいだろうと思うのです。僕の場合はよく梅原猛先生から、「君の文章は全部ストレートだよね」、「全ての文章に無駄がないよね」と言われますが、これが自然科学者の特徴でもあるんです。冗長に書けない。だけど世の中には、それがかえって難しいと感じる人もいます。そういった文科系の人にも読んでもらえるようにするためには、その辺の書き方を改めないとだめかなという気はあります。「これでいい」と思うことは無いんです。いつでもね。

――現状に甘んじることなく、明日に進んでいくんですね。


松井孝典氏: 毎日勉強しているという意識はないですが、「毎日が絶えず新しい」ということですね。この気持ちがなくなったら、それは死ぬ時じゃないかなと思っています。毎日何かに感動しているからこそ「これでいい」なんていう瞬間は無いのです。それでいいと思った瞬間に、それは老人になるということ。要するに、いつでも最先端にいて、現役であるというのが、この年齢になっても健康な状態を維持できる源であって、引退したらダメだと思っています。僕は自分が東大を辞めた時に分かったけれど、東大を辞める前の方が老人でした。「ああ、あともう2年だな」「あと1年だな」と、退官を意識していたわけです。今はまだ前途洋々としてやることがいっぱいあるので、それこそ20代、30代の頃と変わらない。要は、現役を続けるということが重要です。いつでも情報を吸収し発信するということが知的な活動だとすると、それが維持されている限り実年齢を考える必要はないと思います。これは「生きている」というまさに実感として感じています。僕は毎日がひとつの人生だと思っているので、朝、起きた時に人生が始まり、寝る時に人生が終わる。だから毎日考えたこと、やったこと全てが感動です。これは1番重要なことだと思います。1度、胃がんの手術を受けたのですが、その後医者に行ったのは2、3回だけです。天命のままに生きるだけだと思っているから、一切なんのチェックもしていません。あらかじめそういう心配を憂いてチェックを受けるという発想はありません。医者に行かないので、みんなによく怒られますが(笑)。

著書一覧『 松井孝典

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