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野村克也

Profile

1935年生まれ、京都府出身。京都府立峰山高校卒業後、野球選手として1954年から1980年の27年間にわたり、南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレー。引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、社会人野球のシダックス、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。ヤクルトでは「ID野球」で黄金期を築き、楽天では球団初のクライマックスシリーズ出場を果たすなど輝かしい功績を残した。 著書に、『野球のコツ』(竹書房新書)、『野生の教育論―闘争心と教養をどう磨くか』(ダイヤモンド社)、『私の教え子ベストナイン』(光文社新書)、『野村克也の「菜根譚」』(宝島社)など、多数。

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努力の中身も大事


――『私の教え子ベストナイン』にもありますが、一流の人たちの共通点とはどのようなことだと思われますか?


野村克也氏: 継続は力なり。監督になっても選手には「努力に即効性はない」というのを言い続けたよ。個人差があるけど、努力の効果は、何年か経ってじわじわと出てくるものなんだ。毎晩合宿の庭で素振りすると、すぐ明日打てるようになる気がするけど、実際はすぐには結果はついてこないからイヤになってやめちゃうんだね。若くしてお金を持っているから、夜のネオン街に出て行って、そっちの方が楽しくなってしまう。今一流がなかなか出てこないでしょ?今は素質だけ、天性だけの時代で、イチローにしても松井にしても、もちろん努力はしているだろうけど、最初からすごい。努力で一流の地位を築いたという選手は、今はなかなか見あたらないね。でも、コツコツ続けているヤツが最後には出てくる。

――素質だけに任せていると、一流にはなれないのですね。


野村克也氏: 私の素振りは振幅音が重要なんだよ。当たる瞬間に全ての力を爆発させた素振りでの、短い振幅音が気持ちいいんだ。でも「よし、もう1回」と思うと振幅音が乱れてしまって、ブン!がブ~ンになる。そういうのを繰り返してやっているうちに、力の入れるところ、抜くところが身に付く。王は私より5年あとだけど、合気道を取り入れているというので、ある日許可をもらって見に行きました。合気道だから、紙をぶら下げて刀で「ピヤー!」とやっていました。そういう練習の内容や努力の実体を見て、「ああ、こいつに抜かれるな」という予感がしましたね。セ・リーグとパ・リーグで分かれていてなかなか顔を会わさないのですが、ある時銀座で一緒にワイワイしたことがありました。その時、王は「ノムさん、悪いけど先に失礼します。これから素振りです」と言って、早めに帰ってしまいました。予感が確信へと変わりましたね。バットを100本、200本振るとかいうのはやらないよりはマシだけど、効果がうすいというか、大事なのは努力の中身。

――努力と、それを後押しする一流の環境。


野村克也氏: 昔はラテンクォーターとかコパカバーナなどの一流クラブがあって、男としての憧れだったね。ラテンクォーターはサミー・デイビスJr.やフランク・シナトラなどの世界的なタレントなどを呼んでショーをやっていたので、私も見に行きました。でも地震かなにかで、店が水浸しになってやめたのかな。あそこのオーナーの山本さんにはかわいがってもらいましたよ。一流が一流を育てると私は思っているので、ああいう一流のものはなくさない方がいいよな。王・長嶋を育てたのは、かねやん(金田正一さん)を初め、平松や江夏などの多くのピッチャー。江夏も私のチームに来て一緒にやったけど、「プロでやってこられたのは、ONのおかげだ。彼らをおさえることが唯一の目標だった」とよく言っていました。私は稲尾に育ててもらったと思っていますよ。

――入団して3年目に1軍、4年目でホームラン王、とプロ野球選手として華々しい道を歩み始まれましたね。


野村克也氏: これでいけると思ったら、5、6年目で打率が下がるわ、ホームランは減るわで、最初の壁にぶつかりました。なんでこんなに急に打てなくなったのだろうと悩み、なかなか答えは出ませんでした。小さい頃は「金持ちになりたい」という思いが強かったけれど、プロ野球に入る頃の私の夢は、プロで3年間野球を勉強して、その経験と知識を田舎へ持って帰って、母校の監督をやって後輩を甲子園に導くことでした。それが3年目に1軍に昇格して方向が変わってしまった(笑)。京都で甲子園に出るチームというのは、当時は平安を筆頭に、伏見高校など、みんな京都市内から。郡部の選手、チームも1回ぐらいは甲子園に送ってやりたい、地域の活性化にもなるだろうということでそういった夢を持っていたんだ。

――努力した結果、どんどん夢が大きくなっていっていますよね。


野村克也氏: プロ野球で監督までやるなどということは、誰が想像したかね。でも、夢を持つことは悪いことではないよね。

――日本三大監督(三原・水原・鶴岡)のうちの1人である鶴岡監督の下でプレーをしていらっしゃいましたが、鶴岡監督はどのような方だったのでしょうか?


野村克也氏: 鶴岡監督は自分の選手は絶対褒めないけれど、相手の選手はめちゃくちゃ褒めます。「アレがプロじゃ、お前らよう見とけ。それに比べてお前等はじぇに(銭)にならん」と耳にたこができるぐらい聞かされたよ。鶴岡監督の下で20年いたのかな。自分の夢のために大事なことを書いておこうと、いつもノートとペンだけはバッグの中に入れていました。でも、これじゃだめだとしびれをきらして、自費でメジャーデビューの勉強、教育リーグも行ったし、「現役でやっている間に、レベルの高い野球は観ておいた方がいい」と思ってワールドシリーズも2回観に行ったよ。最初はヤンキースとカージナルス、2回目がピッツバーグパイレーツとボルチモアオリオールズだったよ。

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