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苫野一徳

Profile

1980年生まれ、兵庫県出身。早稲田大学教育学部卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専攻は哲学・教育学で、多様で異質な人たちが、どうすれば相互に承認し了解し合えるかを生涯探究テーマとしている。 著書に『教育の力』(講談社現代新書)『勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方』(日本評論社)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)など。テレビやラジオにも出演。自身のブログでは350冊以上の哲学書を紹介している。

Book Information

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教育は、承認や信頼の場であってほしい



教育学者、哲学者である苫野さんは、ご自身の母校である早稲田大学で教鞭を執られています。現在は特別研究員として、日本学術振興会にも所属していらっしゃいます。竹田青嗣氏に師事し、「多様で異質な人たちがどうすればお互いに了解、承認し合えるか」をテーマに、『どのような教育が「よい」教育か 』、『勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方』、『教育の力』、『哲学書で読む 最強の哲学入門』などの著書も執筆されています。そんな苫野さんに、今の道に至った経緯、哲学や教育に対する思い、執筆、本や電子書籍などについて、お聞きしました。

哲学的なことばかり考えていた幼少期


――現在に至るまでの歩みをお聞かせください。幼少時代は、どのようなお子さんでしたか?


苫野一徳氏: 元々は友達があまりいなかったんです。ちょっと変わった子どもで、ずっと哲学的なことばかり考えていました。 7歳ごろから、「なんで生きているんだろう」とか、「なんで生まれてきたんだろう」とか、「なんで生きなきゃいけないんだろう」というようなことをずっと考えていました。そんなことばっかり考えていたので、主観的にですけど、友達もあまりいませんでした(笑)。
それから小学校2、3年の頃に、手塚治虫の『ブッダ』と『火の鳥』にはまりました。それでますます友達と話が合わなくなって。中学2年の時には、俗に言う「便所飯」をしていて、おそらく僕は便所飯のパイオニアですね(笑)。そんな調子で子どもの頃は一人勝手に孤独を感じていて、「なんで学校に行かなきゃいけないんだろう」ということを考えていました。小学校や中学校などでは、特に日本の場合だと同調圧力も強いですから、“同じことを考えなきゃいけない”“同じ感覚を持たなきゃいけない”“同じ話をしなきゃいけない”という暗黙のルールのようなものに対して、「なんでそんなことをしなきゃいけないんだろう」という思いが強くありました。それで、将来は教育について考えたいと思うようになったんです。「なんのために学校があるんだろう」といったことを考えていきたいというのが、教育学者になるきっかけでした。その時、哲学に出会って「自分は哲学的な人間なんだ」ということが分かりました。それと同時に、哲学的に考えたら教育の原理が解けると気付いたんです。でも、哲学に本気で目覚めたのは、遅かったですね。

――本格的に哲学を学び始めたのはいつ頃だったのでしょうか?


苫野一徳氏: 大学院に通っていた、24、5歳の頃でした。元々、教育学というのを通して人間について考えたいなという思いがありました。それで、実践的なことがやりたくて、大学時代はサークルというか、NPOを作って大学生と留学生とで子どもたちに異文化間交流や、異文化間教育の機会を作る活動をしていました。ゆくゆくはそういう異文化と異世代が集まって相互に作用できるような、文化や世代を超えて了解し合える教育環境を作りたいというのが始まりで、それを実践するために、大学院でちょっと勉強しようという程度だったんです。

自分の存在を承認されて、新たな教育への思いが生まれた


――集団行動が苦手だった幼少時代からは考えられないほど積極的な印象を受けますが、NPOを作って活動したり、異文化間交流を実践しようというほどまで変化できたのは、なぜでしょうか?


苫野一徳氏: ある意味、反動ですね。人間は、挫折したり辛い思いをしたり、人間関係で色々つまずくと、2つのタイプに分かれると思うんです。1つは「人なんかどうでもいい」といったニヒリストになる人。ルサンチマンを溜めて、人間なんかどうでもいい、この世界なんて滅びてしまえばいいというような気持ちになる。もう一方はロマン主義になるんです。ニヒリストとロマンチストって、実は表裏一体なんです。僕は「こんな世界は間違っている!」と世界を否定するよりは、どちらかと言えば、「もっとよい世界がある筈だ」と希望を探し求めるロマンチストになったんです。そういう世界を実現したいと思い、大学に入りました。若気の恥ずかしい話なのですが、「人が互いに愛し合える世界を作りたい」みたいなことを思っていました(笑)。そもそもは子どもの時に外国人との付き合いが多かったことがきっかけで、日本の学校文化にちょっと馴染まなかったというのもあります。日本の場合だと、特に学校などでは、同じであることを前提とする。違うことが前提だったら、「まぁ、そうだよね」という感じで、分かり合うことができるはずなのに、と思っていました。

――単純な物珍しさからくる異人間的な形ではなく、前提として考えるのですね。


苫野一徳氏: 異質性というのが前提なので、より了解し合える可能性も高まるだろうと思うんです。なので学校も、もっと人間関係が開かれて、多様に広がればいいなという思いがあって、それを実現させたかったんです。

――ご自身でニヒリズム、ニヒリストの方に行かなかったのはなぜだと思いますか?


苫野一徳氏: 本当に紙一重のところだと思います。「自分は誰からも受け入れられてない」と、ずっと思っていたんですが、どこかで親や一部の先生などが自分の存在を承認してくれていると感じていました。やっぱりそこが土台になっていたと思うんです。そこでもしも誰からも承認されなければ、間違いなくニヒリストになっていたと思います。

――絆みたいなものを感じていたんですね。


苫野一徳氏: だから教育は、特にそういう承認とか信頼の場であってほしいというのが、自分自身が教育学をやっていて常々思うことです。虐待を受けたり、人間関係で悩んだりする子どもがたくさんいるので、ちゃんと存在が承認されている、そういう教育にしたいなと思っています。


竹田青嗣氏の本から、哲学の道へ


――『ブッダ』とか『火の鳥』の話も出ましたが、本というのは近しい存在でしたか?


苫野一徳氏: そうですね。子どもの頃から読書少年でした。当時は、本を読むと、「やっぱりこうじゃない世界があるんだ」って思うんですよね。するとロマンを抱くようになり、「こんな世界に行きたいな」という思いが大きくなりました。僕にとって本は“ここじゃない世界”を見せてくれる存在だったんです。
で、教育をやっていく上でも、元々は筋金入りのロマン主義者だったので、「愛に溢れた教育にしなければいけないんだ」みたいなことを考えていました(笑)。
ところがその時に竹田青嗣の『人間的自由の条件』という本を読んだんです。そこには、そういう脆いロマン主義を否定するようなことが書かれていました。“ルサンチマンとか、自分の内的な理由によって描き出したロマンやフィクションを信じることで心の安らぎを得る。それを哲学と呼ぶことはできない”というようなことが書いてありました。当時は「許せん!」と思いましたが、それと同時に、「自分は甘かった、やられた」とも思ったんです。もちろん、ロマン主義が活動の原動力になることもあると思うのですが、哲学的には、そういったものをナイーブに出すのは甘いんだということが分かったんです。自分が「信じたい」ロマンをただナイーブに掲げるのじゃなく、誰もが納得せざるを得ないような、徹底的に現実的な思考の道筋を示すこと、それが哲学だと気付きました。「こうなったら哲学を徹底的に勉強してやる」と思いました。

――そこが大きな節目だったんですね。


苫野一徳氏: 人生が180度変わりました。哲学をやるなんて全く思っていなかったですし、学問の世界に行くなんて全く思っていなかった。最初は、今までの自分がその20何年間で築き上げてきたものが全部壊れたので「おのれ!」と思いましたね(笑)。

編集者の「見る力」が単著を執筆するきっかけに


――実際にそうやって研究、教育者の道に進んでいくわけですが、本を書くことになったきっかけについてもお聞きしたいと思います。最初に書いたのは共著の本でしたね。


苫野一徳氏: そうですね。単著は『どのような教育が「よい」教育か』というのが初めです。これは編集者さんが見出してくださったというか、もう本当に拾う神ありという感じでした。そもそも、リジェクトされた論文があったんですが、その編集者の方に、「ちょっとそれを読ませてくれない?」と言われて読んでもらったら、「これ、面白いじゃないか」と言ってもらえたんです。僕の研究分野では、過去の哲学者について、半ば実証的に細かく研究するのが一般的です。でも僕は、そうした研究を踏まえつつも、教育を自ら「哲学する」ことが必要だと思っていました。ただそういういわゆる理論論文って、特に若手の場合、一笑に付されることが多いんですね。でもその編集者の方は、教育の根本原理を解明するなどという僕の論文を、大胆不敵だがなかなか原理的だということで、最初講談社の『RATIO』という思想誌の方に載せよう、と言ってくださいました。その後しばらくして、「そろそろ本にしませんか」という話がきたのが、きっかけだったんです。編集者の見る力は凄いと思いました。

――編集者とはどういったやり取りをされたのでしょうか。


苫野一徳氏: その時の編集者さんは「若気の至りというか、若さの勢いでいけ。チマチマしたことに煩わされず、今の自分の想いと情熱を前面に出して論じきれ」という感じで言ってくださいました。だからその時はもう、手直しもそれほど多くは無く、その勢いのままのものを出したという感じです。

――思いの丈を書いたという感じでしょうか。


苫野一徳氏: そうですね。その次に出したのは中高生でも読めるような本でした。哲学って、色々難しいところはあるのですが、本質はシンプルなんです。良い考えというのは、やっぱりシンプルなんですよね。だからどこまでシンプルに分かりやすく書けるかっていうのを、その時は徹底的に考えました。

――『勉強するのは何のため?』ですね。分かりやすくするっていうのは、つまり伝えるためじゃないですか。伝えないといけないという強い思いがあったのでしょうか?


苫野一徳氏: そうですね。やっぱり伝わらないと意味が無い。その本、実は確か4回くらい、丸々書き直したんです。4回書き直して、「どう伝わるか」を考えました。この編集者さんも本当に優れた方で、何度も何度も読み返してくださいました。で、やり取りをしていると、「もっとこの人は要求してるぞ」みたいなものを感じて(笑)「やっぱり、もっと書き直そう」と思ったんです。スタイルも、最初は「である」調だったのですが、「です、ます」調に変えるとか、構成も何もかも変えました。それで、書く度にどんどん良くなるとも言ってくださったんです。

――一つ一つ思いを込めて書き上げたものを、バッサリ捨てるということに抵抗は無かったのですか。


苫野一徳氏: いや、そういうことは思わなくなりました。4回も書き直す経験をすると、「いくらでも書き直しますから」といった感じになりました(笑)。それからは、「どうしても伝えたいことを伝えるためには、どうやって表現しよう」と、考えるようになりました。

能力を引き出し、成長させる


――苫野さんにとっての編集者というのはどのような存在ですか?


苫野一徳氏: 客観的に見る機会を作ってくださるのがとてもありがたいです。あと、「この人ならこれができるだろう」というような、洞察力がありますよね。「お前ならこれができる」と、ある意味、自分の能力を引き出してくれるようなところがありがたいです。自分でも「こんなこともできるんだ」って思わせてもらえました。これまでお世話になった編集者の方、皆さん、本当に優秀な方たちで、たくさん力を引き出していただいたなと思っています。

――能力の引き出し方とは?


苫野一徳氏: やり取りをしている中で、“自ずと気付かせる”ということだと思います。例えば、処女作は講談社選書メチエから出させていただいたのですが、「この若いのに書かせてやろう」という、その冒険心というか(笑)、無名の若造にいきなり書かせてくださって、それによって自分自身を成長させることができました。その後、中高生向けの本でも「こいつは分かりやすく書ける筈だ」、「中高生にも届く言葉を書ける筈だ」と、その方が僕の能力を見つけてくれました。今、自由論の哲学というのを書いているのですが、これも毎月ミーティングして、細かく原稿チェックしてくださっています。

――まさに今の世代、そして次世代の文化を作る担い手であり、その土台を作るという意気込みなのかもしれませんね。


苫野一徳氏: そうですね。それを本当に二人三脚でやっているという感じです。

――最近、電子書籍が登場して、出版すること自体の垣根は低くなっていると言われますが、今後も依然として編集者の役割は、大きいと思われますか?


苫野一徳氏: 僕は編集者とやりとりを重ねていって、本当に良い本ができたと思っています。第三者の視点が無いと、結局は独りよがりのものにならざるを得ない部分があるんじゃないかと思います。ですから編集者の力は、電子書籍が普及していく上でも必要だと思います。

――執筆に対する思いをお聞かせ下さい。


苫野一徳氏: 色々な人が抱えている問題を解くきっかけを少しでも作れたらという思いがあります。
あと、教育に関して言うと、立場によってそれぞれの思い込みや思い入れが渦巻く世界で、自分の経験を一般化してしまうので、議論がいつも迷走してしまうんです。なので、哲学的に「こう考えるのが一番原理的で、教育ってこういうもので、だからこうあればいいんじゃないか」という、皆が納得できる考えをちゃんと示した上で、そこを土台にして建設的な議論をしていかないと、本当に教育の議論ってどこにも行きつかないと思うんです。政策にしても、学校の実践にしても、「ここが土台ですよ」というのを示すのが、ひとまず教育における自分の仕事かなと思っています。

考え抜いて、解くこと


――取り組みや活動におけるご自身の理念やミッションは、改めて何だとお考えですか?


苫野一徳氏: なかなか難しい質問ですが、哲学者というのは、自分にとってどうしても解かなきゃいけない問題を徹底的に考えて解くのが、ある種、仕事だと思うんです。僕にとっては、「多様で異質な人がどうすれば承認し合えるか」というのが最大のテーマで、それがたまたま他の人にも大きな普遍的な問題だった。そのため、このテーマをとにかく考え抜いて解きたいという思いがあります。それをやるのが哲学者。自分にとっての問題を徹底的に解くということが、社会、そして世界にとっての問題を解くことにも繋がり得るような仕事をしたいなと思っています。

――読書や本というのはどのような存在ですか?


苫野一徳氏: 空気みたいな存在。本が無いということは考えられません。哲学書は何百、何千年もの歴史を持っていて、それを読むことは、その過去の偉人、哲人たちとの会話です。「皆同じことを考えていたんだな、同じことで悩んでいたんだな」とか、「この問題をこう解いたのか」ということを知ることができます。実は、竹田青嗣先生のもとでは、「世界の名著」というシリーズを全部読んで、レジュメを作って竹田先生と議論するという修行の時期があるんです。結局、今の哲学とか思想とか、どれだけ思いつきでものを言っても、過去の人がもっと優れた解を出しているんです。それを踏まえた上で、もっと先の、というのをやらないとダメだということは、竹田先生から学んだ大きなことの一つだと思っています。とにかく、本から過去のものを徹底的に吸収してやろうという気持ちは凄く強いです。

――電子書籍について、感じてらっしゃることをお聞かせ下さい。


苫野一徳氏: 研究者として本当にありがたいです。とにかく最高の環境が整っている。もう家に本が入らないので、それこそBookscanじゃないですけど、僕は徹底的にiPadに入れてます。自分で裁断もしています。
僕は基本的に、読んだ哲学書は全部レジュメを作って、ものによっては、それをかなり短くしてブログにアップするんです。そうすると、本を読んでレジュメにして、更にブログにあげるので、計3回くらい読むことになるんです。その作業を経ると自ずと頭に入る。そういう効果があるんです。そのレジュメ作りの時に、自分の言葉で纏めるのと同時に抜き書きもたくさんするんですが、その抜き書きを、電子書籍、或いはデータ化すると、簡単にコピペで出来ちゃうんです。研究効率を3倍にしてくれますね。あれを手打ちで作業していた時とは、もう格段に違いますね。

――今後の展望をお聞かせ下さい。


苫野一徳氏: 生涯テーマは、多様で異質な人たちがどうすればお互いに了解、承認し合えるかということ。とりあえずこのテーマを原理的に哲学する本の仕事を、40代ぐらいまでにはやりたいなと思います。もう原理は大体分かっているのですが、「このためにはこういう考え方」というのを原理群として、もっと具体的に展開するんです。まずその原理群を作り、例えば「社会はこうあると良い」とか、それこそ、「教育はこうあるべき」など、今やっていることを体系化していく感じでしょうか。「国際的にはこうあるのが良い」とか、「経済はこうあればいいんじゃないの」とか、そういうことをある程度体系化するような仕事を、これからはしていきたいなと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 苫野一徳

この著者のタグ: 『哲学』 『考え方』 『原動力』 『教育』

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