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苫野一徳

Profile

1980年生まれ、兵庫県出身。早稲田大学教育学部卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専攻は哲学・教育学で、多様で異質な人たちが、どうすれば相互に承認し了解し合えるかを生涯探究テーマとしている。 著書に『教育の力』(講談社現代新書)『勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方』(日本評論社)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)など。テレビやラジオにも出演。自身のブログでは350冊以上の哲学書を紹介している。

Book Information

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竹田青嗣氏の本から、哲学の道へ


――『ブッダ』とか『火の鳥』の話も出ましたが、本というのは近しい存在でしたか?


苫野一徳氏: そうですね。子どもの頃から読書少年でした。当時は、本を読むと、「やっぱりこうじゃない世界があるんだ」って思うんですよね。するとロマンを抱くようになり、「こんな世界に行きたいな」という思いが大きくなりました。僕にとって本は“ここじゃない世界”を見せてくれる存在だったんです。
で、教育をやっていく上でも、元々は筋金入りのロマン主義者だったので、「愛に溢れた教育にしなければいけないんだ」みたいなことを考えていました(笑)。
ところがその時に竹田青嗣の『人間的自由の条件』という本を読んだんです。そこには、そういう脆いロマン主義を否定するようなことが書かれていました。“ルサンチマンとか、自分の内的な理由によって描き出したロマンやフィクションを信じることで心の安らぎを得る。それを哲学と呼ぶことはできない”というようなことが書いてありました。当時は「許せん!」と思いましたが、それと同時に、「自分は甘かった、やられた」とも思ったんです。もちろん、ロマン主義が活動の原動力になることもあると思うのですが、哲学的には、そういったものをナイーブに出すのは甘いんだということが分かったんです。自分が「信じたい」ロマンをただナイーブに掲げるのじゃなく、誰もが納得せざるを得ないような、徹底的に現実的な思考の道筋を示すこと、それが哲学だと気付きました。「こうなったら哲学を徹底的に勉強してやる」と思いました。

――そこが大きな節目だったんですね。


苫野一徳氏: 人生が180度変わりました。哲学をやるなんて全く思っていなかったですし、学問の世界に行くなんて全く思っていなかった。最初は、今までの自分がその20何年間で築き上げてきたものが全部壊れたので「おのれ!」と思いましたね(笑)。

編集者の「見る力」が単著を執筆するきっかけに


――実際にそうやって研究、教育者の道に進んでいくわけですが、本を書くことになったきっかけについてもお聞きしたいと思います。最初に書いたのは共著の本でしたね。


苫野一徳氏: そうですね。単著は『どのような教育が「よい」教育か』というのが初めです。これは編集者さんが見出してくださったというか、もう本当に拾う神ありという感じでした。そもそも、リジェクトされた論文があったんですが、その編集者の方に、「ちょっとそれを読ませてくれない?」と言われて読んでもらったら、「これ、面白いじゃないか」と言ってもらえたんです。僕の研究分野では、過去の哲学者について、半ば実証的に細かく研究するのが一般的です。でも僕は、そうした研究を踏まえつつも、教育を自ら「哲学する」ことが必要だと思っていました。ただそういういわゆる理論論文って、特に若手の場合、一笑に付されることが多いんですね。でもその編集者の方は、教育の根本原理を解明するなどという僕の論文を、大胆不敵だがなかなか原理的だということで、最初講談社の『RATIO』という思想誌の方に載せよう、と言ってくださいました。その後しばらくして、「そろそろ本にしませんか」という話がきたのが、きっかけだったんです。編集者の見る力は凄いと思いました。

――編集者とはどういったやり取りをされたのでしょうか。


苫野一徳氏: その時の編集者さんは「若気の至りというか、若さの勢いでいけ。チマチマしたことに煩わされず、今の自分の想いと情熱を前面に出して論じきれ」という感じで言ってくださいました。だからその時はもう、手直しもそれほど多くは無く、その勢いのままのものを出したという感じです。

――思いの丈を書いたという感じでしょうか。


苫野一徳氏: そうですね。その次に出したのは中高生でも読めるような本でした。哲学って、色々難しいところはあるのですが、本質はシンプルなんです。良い考えというのは、やっぱりシンプルなんですよね。だからどこまでシンプルに分かりやすく書けるかっていうのを、その時は徹底的に考えました。

――『勉強するのは何のため?』ですね。分かりやすくするっていうのは、つまり伝えるためじゃないですか。伝えないといけないという強い思いがあったのでしょうか?


苫野一徳氏: そうですね。やっぱり伝わらないと意味が無い。その本、実は確か4回くらい、丸々書き直したんです。4回書き直して、「どう伝わるか」を考えました。この編集者さんも本当に優れた方で、何度も何度も読み返してくださいました。で、やり取りをしていると、「もっとこの人は要求してるぞ」みたいなものを感じて(笑)「やっぱり、もっと書き直そう」と思ったんです。スタイルも、最初は「である」調だったのですが、「です、ます」調に変えるとか、構成も何もかも変えました。それで、書く度にどんどん良くなるとも言ってくださったんです。

――一つ一つ思いを込めて書き上げたものを、バッサリ捨てるということに抵抗は無かったのですか。


苫野一徳氏: いや、そういうことは思わなくなりました。4回も書き直す経験をすると、「いくらでも書き直しますから」といった感じになりました(笑)。それからは、「どうしても伝えたいことを伝えるためには、どうやって表現しよう」と、考えるようになりました。

著書一覧『 苫野一徳

この著者のタグ: 『哲学』 『考え方』 『原動力』 『教育』

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