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世界中の本好きのために

中野雅至

Profile

1964年 奈良県生まれ。同志社大学文学部卒業後、大和郡山市役所に入庁。在職中に国家公務員Ⅰ種試験行政職を受験し、90年に旧労働省に入省。人事院長期在外研究員制度でミシガン大学公共政策大学院修了、新潟大学大学院現代社会文化研究科修了。経済学博士。旧厚生省生活衛生局指導課課長補佐、新潟県総合政策部情報政策課長、厚生労働省大臣官房国際課課長補佐などを経て公募により兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科・助教授。 近著に『ビジネスマンが大学教授、客員教授になる方法』(ディスカバー)『公務員バッシングの研究』(明石書店)など。今年3月上旬「食える学歴」(扶桑社)を出版予定。

Book Information

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運命とは半分が努力、半分はたまたま



労働官僚、行政学者としてご活躍されている中野さんは、1988年同志社大学英文科卒業後、1990年に労働省に入省し、中央官庁に14年勤務されました。その間、人事院長期在外研究員制度でミシガン大学公共政策大学院に留学。また、新潟県庁総合政策部情報政策課長として3年間、県のIT政策の担当責任者を務められました。2011年には兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科教授に。中央省庁での経験を生かし、行政学を専門としており、特に労働省で労働行政など社会保障政策に携わってきたことから、社会政策や公務員制度に関する研究をされています。中野さんに、今の道に至った経緯、執筆、電子書籍などについて、お伺いしました。

「読書のための読書をしない」ことが、創造へ繋がる


――研究者として活動されてちょうど10年目ということですが、今はメディアにも出演されていますね。


中野雅至氏: そうですね。読売テレビの土曜日の朝の番組と、それから毎日放送でのコメンテーターの仕事2つがあります。

――仕事をする中で、本を読まれることは多いのでしょうか?


中野雅至氏: 僕らの仕事は、バランスが非常に難しくて、考えたり発想したりする時間と、それから資料をどう集めればいいのかという、その集めるポイントを考える時間と、それから実際に読む時間と書く時間とっていう風に分類するので、そんなに本を読む時間はとれません。あまりに読書ばかりしている人がいると、いつ書くのかなと不思議に思います。僕は研究者なので、論文や資料をより多く読みます。文芸ものなどの本はそれらに比べると読むのは楽ですが、あまり参考としては使いませんね。

――中野さんの読書は、アウトプットが前提にあるのでしょうか?


中野雅至氏: そうですね。だから読み方としては、アウトプットが前提です。京都大学の教授でもう亡くなられた、梅棹忠夫という有名な人が、「読書のための読書をしない」ということを新聞記事だったかでおっしゃっていたのを覚えています。つまり、自分が書こうとするものとか、自分が立てた仮説を補強するための読書をするんだと。それがすごく参考になっています。読書のための読書をしてしまうと、他人のものばかりが良いという話になり、あまり創造することには繋がりません。

――バランスが難しいとおっしゃいましたが、普段のお仕事はどのようにされていますか?


中野雅至氏: 仮説を生み出すまでの時間や、発想を生み出すまでの時間が辛いというのは、皆同じだと思います。僕だと、朝5時くらいに起きて12時くらいまでが勝負です。それ以降は殆ど仕事になってないです。資料は読んでいますが、頭が冴える時間に何をするかというのが全てです。ですから、その時間は受け身の勉強はまずやりません。メールを見たり、新聞を読んだり、本を読んだりということはまずはやらず、ひたすら考えることに時間を使います。次はどういうテーマで、そのテーマはどういう切り口でいけばいいのかということについてひたすら考える時間を、どれだけとれるかが重要です。
考える、それから、集める、読む、書くというこの4つの配分が、研究者としては非常に難しい。読むのが一番楽でしょうね。そこの割り振りが日によって、あるいは年によって変動もするし、テーマがなかなか見えない時もあるし、アイディアが全然固まらないということもあります。その固まるまでの時間が非常にしんどいですね。



――研究をする中で、難しいなと思うことはありますか?


中野雅至氏: 役所にいる時は、色々な刺激を受けていたのでアイディアが生まれていたのですが、今は孤独業です。誰とも喋らない日もありますし、この大学院は理科系中心で研究室毎に独立しているので、たった1人で研究している感じなんです。ですから、アイディアがなかなか出てこない。役所を辞めて数年経つくらいまでは、役所にいた頃の経験とか感情で書けていたのですが、その後の5年目以降は自分で見つけていく努力とか、もっと違った視点からどう考えるのかというようなことをやっていかないと、なかなかアイディアが出て来ない。その作業は結構つらいと感じますね。

自分のオピニオンを喋りたい、という強い思い


――労働官僚、行政学者という現在に至るまでの歩みをお聞かせ下さい。


中野雅至氏: そうです。大学は同志社の文学部英文学科を卒業して、朝日新聞に入りたかったのですが、入社試験に通らず、1年留年しようと決めたんです。ですが、わざと留年するために放棄したテストが、何かのトラブルで通っていて、なんの職も無いまま、今で言うとニートみたいな状態で卒業してしまったんです。当時はバブルの真っ只中なので、新卒しか就職口は無く、1年間ぼーっと過ごしました。その年も新聞社を受けたのですが通らず。でも一般教養の勉強だけはしていたので、地元の市役所を受けることにしました。そうして市役所に入ってみたものの、バイクで5分ぐらいの通勤路を走っている時に、「このまま60歳までこの道を行くのかな」と考え込んだりしました。このままではまずいんじゃないかと思って、市役所に入った後も、ずっと勉強していました。従順な振りをしながら上司に隠れて勉強して国家公務員Ⅰ種試験を受けたところ、たまたま労働省がとってくれました。

――どのような勉強をされていたのでしょうか?


中野雅至氏: 戦略を作りました。過去問を全部調べてきて、どの科目をどれぐらい勉強しなきゃいけないのかを全部考えた上で勉強をしました。

――働きながらも戦略的に勉強し続けた、その原動力はなんだったのでしょうか?


中野雅至氏: 「どうしてもこことは違うことがしたいんだ」という想いがありました。ジャーナリストになりたいとか、朝日新聞に行きたいという思いがまだあって、そういう世界や社会といった、もう少し大きいものと関わりたい、どうしても行きたいということで労働省に入りました。

――その後、労働省を辞められたのはなぜだったのでしょうか?


中野雅至氏: 今からちょうど20年くらい前、バブルが弾けたあたりに、「長期不況で民間の経済が悪くなって、民間側の労働条件が下がってきた」というようなことから、官民の労働条件の乖離が目立つようになり、役所への批判が起こってきた時期があったんです。それと同時に、「役所がなぜこんなに優遇されているんだ」という官僚バッシングができてきました。当時は財務省のノーパンしゃぶしゃぶ事件や、厚労省の岡光事件など、そういう汚職まみれの事件があった中にいて、役所にも閉塞感が出てきていて、「役人をやっていても何も良いことないじゃないか」とみんなが考え始めたんです。もはや官尊民卑というよりも寧ろ市場経済の時代で、役所はなるべく邪魔をするなというような形になってきたので、色々な人が矛盾を持つようになり、辞める人間が出てきました。そういう渦中にいて影響を受けていたとは思います。その一方で一つ明確にあったのは、自分のオピニオンを喋りたいということ。ただ公務員である限りは色々な服務規程があって、自分の個人的な意見を喋れないんです。自分の意見を言うためにはどうすればいいんだろうなと考えたら、辞めるしかなかったんです。

――安定した公務員という職を自ら手放したわけですが、その後どうされたのでしょうか?


中野雅至氏: ジャーナリズムの世界においてフリーでやっていくというのは相当の自信、つまり「飯が食える」という大きな自信が無いとできない。そうなると、もう少し幅広く捉えるとなんだろう?と考え、アカデミックなポジションに行くしかないと思いました。それから、転換するための準備を始めました。

失敗しても恐れず、成功までやり続ける


――幼少期はどのようなお子さんだったのでしょうか?


中野雅至氏: 普通の子供でした。僕は下町育ちで、周りにはやんちゃな子もいましたし、色々な子たちに囲まれて暮らしてきました。また中学では野球部、高校ではラグビーと、ずっと体育会系でした。その環境にいたせいか、失敗や挫折、叩かれることに関しては、わりと平気なんです。

――幼少期から培われてきた経験というものが、現在のご活躍に繋がっているのでしょうか?


中野雅至氏: どうでしょうか(笑)。よく役所で部下にも言ったんですが、自分の運命なんて、半分は努力でなんとかなっても、もう半分は、どうにもならないんです。それはもう「たまたま」としか言いようが無くて。例えば本の業界でもそうですが、「なんでこの人の本は売れるんだ」と言われても、たまたまとしか言いようの無いものっていっぱいありますよね。その「たまたま」が何故なんだと原因を追求しても分からないことがほとんどです。たまたまなんです。今風の言葉で言うと「持ってる」ということなんでしょうね。
やってもやってもなかなか上手くいかない人もいますが、上手くいかなければ続けるしかない。継続して、日々、淡々と下を向いてやれとしか学生にも言いません。上を見て前を見て、でないと分からない、頑張れないとは思うのですが、そればかりだとしんどい。苦しい時は下を見て黙々とやった方が早いんじゃないかとよく言います。何度失敗しても成功までやり続ければいいだけ、というのが僕の持論です。僕の場合は、たまたま自分のやるべきことだけを見てずっとやれるような性格がどこかで培われただけの話です。たまたまというのは全てにおいてそうで、出演の機会や出版の機会も、全部たまたま。今回のインタビューもたまたま誰かがチャンスをくれただけだと思っています。

まずやってみないと、適性かどうかは分からない


――最初に本を出版した経緯は、どのような事がきっかけだったのでしょうか?


中野雅至氏: 僕は、役所を辞めた時に自分のオピニオンを出したいと考え、『はめられた公務員』という、公務員バッシングに対する反論のようなものを書きました。出版界は非常に閉鎖的で、まず売り込みは認めないんです。偉い先生の紹介とかっていうのが無いとダメな世界で、僕にはそういう人脈が全くありませんでした。それで、全部自分で売り込みました。でもやっぱり売り込みだけではだめだったんです。それで色々工夫して、例えば、いつもの時間帯に電話をかけていつものように売り込んで、電話に出たアルバイトのお姉さんから「じゃあ原稿を送ってください」と言われて送っても、半年経ってもなんの音沙汰も無い。おそらく机の上で死んだ原稿になっているのではないか、というのはなんとなく分かってきたので、昼休みだったらアルバイトの人がいないから編集者が出るんじゃないかとか、戦略を考えました。僕は、頭を打たないと何も上手く行かないタイプなんですよ。トライをして失敗をしないと分からないんです。何度もトライして、何度も頭を打って、初めて光文社にたどりつき、「出せるかもしれない」と言ってもらえたんです。

――執筆に対する思いをお聞かせ下さい。


中野雅至氏: 適性がある仕事なので楽です。書くのが好きなので、本を発表する時のワクワク感や高揚感のようなものは何事にも変え難いです。自分にたまたま向いていたというのは、やってから分かりました。仕事に苦痛が無いんです。良い悪いじゃなくて、自分に合っているんだと思います。自分はそれほど組織が嫌いではなくて、人間関係であまり悩むこともなく、調整仕事も好きだったのですが、自分1人で発表し、何かインパクトを与えて1人で喜んでいるという執筆の方が、ずっと仕事として続いていくんです。朝起きて毎日同じことを365日繰り返すのですが、鬱になることがないというのは、多分、向いているということなんだと思います。向いているか、向いていないかということはやってみないと分かりません。ですからゼミ生や卒業生にも「とにかくやってみたらどうだ」と言います。どこに適性があるのかは分からない。ですが、苦もなく続くかどうかというのがかなり重要なポイントです。苦もなく続くようなものが1個でもあれば、人は幸せだと思います。問題はそれを発見できるかどうかなんでしょうね。

――執筆の際に注意していることはありますか?


中野雅至氏: 効率的に進めようすると、中身がどうしても薄っぺらになることがあります。汗をかいた仕事っていうのは、試行錯誤の跡が見えるんです。何度か文章を書いていると、この本にどれくらいの時間を掛けたかというのが見えてくるんです。時間を掛けて書かないと、生まれないものがたくさんあるんです。合理性だけではなく、汗をかくというのが大切です。だから、僕らの業界では、仮説を潰す作業をやらないとどうしようもないんです。あるものを思い付いたんだけども、調べてみると全く違ったので潰し、また違った仮説を作る。でも何か読んでみたら、また違うなと思って潰してという作業を何度かやらないと、重いものは作れません。

電子書籍は、今、過渡期を迎えている


――電子書籍について、何か可能性は感じますか?


中野雅至氏: 凄くありがたいです。出版社、編集者っていうのは、僕ら著者にとって、正負2つの意味を持っています。1つは機会をくれるありがたい人という意味です。ただ片方では、「なんでこれが却下なんだ」と不満をもったりすることもあります。さらに言えば、出版社も商売ですから、売れる見込みがないとダメというシビアな面もあります。編集者というよりも、営業を含めた出版社全体がOKしてくれないと、どれだけ企画が良くても出版できません。電子書籍というのはそういった面では非常にありがたいです。特にKindleでは、自分の本を登録するだけで、値段を付けて出版できるということで、非常にありがたいですね。天下りの小説を書いたのですが、どこの出版社も受け付けてくれないんです。この前、Kindleではすぐ出版できるというのを朝日新聞か何かで掲載されていたので、それで出してやろうと思って今、原稿を練り直しているところなんです。

――紙が、電子書籍になることがありますが、違うパターンとして、電子で認められて、後で紙になるというパターンもありえるでしょうか?


中野雅至氏: あると思います。どこまで普及するかにもよるんですが、読みやすい機器が出てきて、普通に電子機器で読めるようになれば、電子出版から紙という逆のパターンというのはあると思います。少なくとも出す側にとっては非常に、選択肢が増えるんでありがたいです。

――編集者の存在意義についてどうお考えですか?


中野雅至氏: 「ここがこうまずいんじゃないか」とか、「こういう書き方は良くないんじゃないか」とか、やっぱり僕らには分からない視点で見てくれるので、編集者は優秀だと思います。自分が書いたものをそのまま出すっていうのは、非常に怖い部分がありますので、編集者や校閲者の存在はとても大きいです。電子出版の中での専門の編集者という方がいてくれたら楽だと思います。電子書籍があまり普及しないのは、電子書籍の世界に編集者や校閲者がいないからというのも理由としてあるかもしれないですね。あとは世代でしょうね。僕らの子供だと、高校生と中学生なんですが、彼らはネットで色々なものを読むっていうのが普通になっている世代なので、この世代が大人になったら、電子書籍もより普及すると思います。

――今は過渡期ということなんでしょうか。


中野雅至氏: 過渡期だと思います。文章形態も、改行のやり方も、多分電子書籍用に変わっていくと思います。書き手にとっては、読んでもらえる機会が広がるので、電子書籍は非常に有利だと思います。

――研究者として電子書籍というものが身近に感じられていると思われるのですが、教育の分野でも電子書籍に可能性は感じられますか?


中野雅至氏: 特定のキーワードで引っ張ってくることができますので、論文などは絶対に電子書籍が有利でしょう。検索する時も便利ですね。もう圧倒的に電子書籍の方が、何かを作るという意味に於いては便利です。例えば、最近『公務員バッシングの研究』という600ページくらいの本を出したのですが、これを書こうと思うと、段ボール3つ、4つ分くらいの、本や冊子などの紙の資料が必要だったんです。これが全部PDFファイルなら、それはもうすごく楽だろうなと思います。

人生の目標は、後世に残るような本を書くこと


――今後どのようなことをやっていきたいと思われていますか?


中野雅至氏: そうですね。執筆を中心にやっていかざるを得ないというか、それが全てです。僕の目標はどちらかと言うと、残る本を書ければそれでいいという感じです。かなわない夢かもしれないし、生意気かもしれませんが、何年かずっと読み伝えられるような普遍性のある本をとにかく1冊でも多く書いてみたい。それと、個人的な目標は、政官財学情、要するに、政治家、官僚、財界だからビジネス、学は学者、情はマスコミ、この5つをとにかく経験して、一生を終えた上で残るような本を1冊書くというのが人生の目標です。政治家とビジネスがまだ残っているので、どこかで機会を見つけて、今後の人生の中で経験したいと思います。
例えば選挙に出るでもいいし、会社を作ることでもいいと思っています。今現在は、日本の右傾化みたいなものを、本格的に書けるんだったら取り上げてみようかなと思っていて、今資料を集めているところです。

――これから先も、益々勉強されつづけるのでしょうか。


中野雅至氏: そうですね。勉強が好きなので。出版社から発表できる機会、今後は電子書籍もそうですが、をとにかく貰うことが重要ですね。ワクワクして、読んでもらえて、反響してもらえて、こんなに良い仕事はありません。「読んで良かった」とか「面白かった」と言われると、やっぱりうれしい。無視されるんじゃなくて、反響があるようなものを書ければいいなと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 中野雅至

この著者のタグ: 『大学教授』 『出版業界』 『研究』 『アウトプット』 『メディア』 『ジャーナリズム』

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