BOOKSCAN(ブックスキャン) 本・蔵書電子書籍化サービス - 大和印刷

世界中の本好きのために

中山マコト

Profile

これまで25年にわたって、マーケティング、広告制作、コピーライティング、商品のネーミング考案、販売促進、集客を手掛ける。「自分以外の人のコトバ・発想から、売れるための材料を手に入れ、それを企画・コピーに落とし込んでいく」ノウハウを“キキダス・マーケティング”と名付け、2001年、「キキダス・マーケティング」を設立し、同時にフリーランスとなる。現在は“プロフェッショナルフリーランス”として活動。コピーライティング手法や文章術と合わせ、「売らない営業術」「失敗しない独立起業術」「人脈論」など、独自視点で多くの成功企業、成功店、成功者を生み出すサポートを続けており、主宰する「フリーランスの学校」の生徒は500人を誇る。主な著書に『「バカ売れ」キャッチコピーが面白いほど書ける本』『フリーで働くあなたを成功に導く101のルール』(以上、中経出版)、『フリーで働く! と決めたら読む本』『フリーで働く前に! 読む本』(以上、日本経済新聞出版社)、『40歳からの「捨てる!」人脈術』(学習研究社)など。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

言葉のマエストロとして、大手と戦える武器を与えたい



マーケティングリサーチの世界から、販促・コピーライティングの世界に身を投じ、2001年にはキキダス・マーケティングを設立されました。「どうやるか?」というテクニックではなく、「何をやるか?」に徹底的にこだわるスタイルで、「狙って売れるコピー」の開発・実践をし、小売業、飲食業、サービス業などの売り上げ強化に手腕を発揮されています。ご自身を「売れる言葉のマエストロ」とおっしゃる中山マコトさん。「命運を握る言葉」を発見することを自らの使命と考え、指導に、実践にと飛び回る日々を送っていらっしゃいます。「売らない営業術」など、その独自視点で多くの方をサポートされている中山さんに、言葉力、本に関する思いをお聞きしました。

本をきっかけに、うまくいかない人を減らしたい


――お仕事内容のご紹介を絡めながら、近況をお聞かせ下さい。


中山マコト氏: 本に関しては、広義の意味での「フリーランス」という切り口の本が3冊続きました。最初の2冊はフリーランスで歩き出してる人たちへ向けての本で、去年出した『フリーで働く!と決めたら読む本』と一緒に読んでほしい本です。9月の頭に出たのは『フリーで働く前に!読む本』。どんな会社にいても、いつどうなるか分からない。だからやれる準備はしておいた方がいい、ということを伝えたいと思い書きました。僕の仲間にも見切り発車で会社を辞めてフリーになった人がいます。それがいいかどうかは別として、もう少し準備ができていたら、もっといい形でフリーの世界で戦っていけたんじゃないかと思うケースもたくさんあります。本をきっかけにして、うまくいかない人を減らしたいという思いが僕にはあるのです。

――ご自身の使命だと感じられているのでしょうか?


中山マコト氏: フリーの人たちに対して、「中小零細企業やフリーランス、個人事業をして頑張る人たちに大手と戦える武器を与えたい」というのが僕が会社を辞める時の志でした。大手は人海戦術を使えるし、巨額を投じてCMをやったり、POPやDMにも費用をかけられる。お金をかけずにそういう大手とどうやって戦っていくか。それにはもちろん武器がいるわけですが、僕が持っている武器は「言葉の力」ただ1つなんです。デビューしてからずっと、言葉を駆使して原稿を書き続けてきました。タイトルにコミットする著者さんは少ないのかもしれませんが、僕の場合は提案させてくれって言います。タイトルを提案しても使われないケースもあります。

――どういった形で提案するのですか?


中山マコト氏: 1冊の本につき200ぐらいのプランを出すんです。編集者が用意して会議にかけるのが10個。数の論理というのがあるのか、みんな僕の出した200の方に目がいくんです。僕の場合は言葉の世界にいるから、売れるかどうかは別として、自分で考えたタイトルが一番理に適っていることが多いです。編集者の発想にはなかったものが採用されることもある、という感じでしょうか。もう1つは論理性といったものかもしれません。こちらがきちんと理解をしてタイトルをつける。今流行っている言葉を使おうとか、そういった無理やり感は、お客さんにも伝わってしまうんです。それよりも、言いたいことをタイトルに込める方が、こちらが狙ったターゲットに近づけるし、お客さんのニーズと、作っている側の親和性が高くなると思います。タイトルで「あなたのために書かれた本なんだよ」というのを伝えたいので、タイトルに関しては「譲れない」と思うこともあります。

――「師匠」と呼ばれることも多いというのは、ちゃんと届くべき人に届いているということではないでしょうか。


中山マコト氏: 個人向けのプロジェクトを今やってるんですが、読者さんが僕に興味を持ってホームページから講座を受講してくれたりして、さらに親密になって師匠などと呼ばれるようになるケースは結構多いんです。僕は人の気持ちや、大げさに言うなら生き方を変えられない本は書いてもしょうがないと思っています。

映画の世界に興味を持ち、3つの大学へ通った


――幼少期の頃から遡って、13年前に独立して今に至るまでの歩みをお聞かせ下さい。どのようなお子さんでしたか?


中山マコト氏: 生意気な子どもだったんじゃないかと思います。僕は1500グラムの未熟児だったので、あまり体が丈夫ではなく、そのせいか外でみんなと一緒に運動をしたりするのが基本的に嫌でした。その頃から本は結構読んでいて、休み時間も教室で本を読んでいると、担任の先生から「どうしてみんなと一緒に外で遊ばないの?」と聞かれて、「そんなことをして何かいいことありますかね?」と口答えをして怒られた記憶があります。
父が精神科の医者なのですが、長いものに巻かれるのが嫌な人で、上司と喧嘩して別の病院に移ったりしていました。だから18歳までに九州の中だけで13回も引っ越しをしたんです。高校の3年間だけ、熊本市にいました。引っ越しが多かったので「友達を作っても逆に寂しくなる」といった気持ちが根本にあって、みんなとあまりベタベタしなかったのだと思います。

――高校の時には将来のことを考えられていましたか?


中山マコト氏: 父の方はずっと医者の家系だったので、「僕も医者になるんだろうな」とは漠然と思っていました。でもある時、父と大喧嘩をして、それをきっかけに嫌になって方向転換をはかりました。大学時代、男友達と2人で博多で遊んでいた時に、ドキュメンタリー映画を撮っている結構有名な先生と出会ったんです。その人はカネミ油症の問題や水俣病などをずっと追っているドキュメンタリーの作家さんで、電車の中で「地元の人ですか?もし良かったら、こういう取材をしているので案内してくれないか?宿泊代とかは全部僕が出すから」と声をかけられたんです。それで、2晩くらい取材に同行しました。

――いきなりの申し出をなぜお受けになったのでしょうか?


中山マコト氏: 最初は怪しそうだなと思いましたが、面白そうだったから申し出を受けることにしました。その人に同行しているうちに、映画の世界に関わりたいと思い始めました。その先生が京都の方なので、京都で弟子入りできないかと悩み続けていると「じゃあ京都の大学に入ればいいじゃん」という話になり、京都の大学を受け直して1年間彼の下で編集や脚本を学びました。そうすると、やっぱり商業映画が撮りたくなった。それで先生に相談したら「東京に行くしかない」と言われました。お金をどうするかと考えた末、結局、東京にある芸術系の大学に入ることにしました。

――その大学ではどのようなことをしていましたか?


中山マコト氏: 周りが全部セミプロみたいなやつばかりでした。その大学では、きちんと申請すればすごい機材を使えるし、アジアで1番のスタジオと言われているぐらいの装置が揃っていました。演劇科にはテレビで見たことある人もいましたし、有名なカメラマンの助手や演出の勉強をしている人、ドキュメンタリーの自主制作映画の作家などもいたので、みんなでバイトをして、ロケ代や出演してくれる人へのちょっとしたギャラや、フィルム代を出し合って撮ろうということになりました。僕はプロダクションに籍を置きながら撮影に参加して、そうしているうちにシナリオのお師匠さんに出会いました。色々と教わったのですが、最後にはお師匠さんと大喧嘩をしてしまって(笑)、途方に暮れてしまいました。僕はとてもじゃないけどサービス業などはできないと思っていたので、日当2000円でお芝居の音響の手伝いなどをよくやっていました。そこで出会ったある小劇団の役者兼演出家の人が、「お芝居がない時はマーケティングの会社でバイトをしてる」と言っていて、そのバイトに誘われてマーケティングリサーチの専門会社に行ってみることにしました。

きっかけは誘われて行ったアルバイト


――その会社ではどのようなことをされていましたか?


中山マコト氏: 最初は、腕だめしに「アンケートをやってこい」と言われました。すごい量の質問がありましたが、終わらせると1個につき800円ぐらいもらえました。当時は時間がありましたので、うまくいけば15とか20件をクリアする日もありました。15件ならば1万以上稼げますので、当時としてはすごいいいバイトだったと思います。面白かったので続けていると、内勤を経て嘱託契約するという話になり、残業代も全部付いたので、月間20万ぐらいもらっていたと思います。仕事も好きになり、毎日11時ぐらいまで仕事をやっていました。そういった流れで社員になったんです。最初は企画のセクションに入ってデータの解析などをすることになったので、統計などをもう1回勉強し直しました。でも、元々僕は理系男子で好きな分野でもあったので「面白い。データ分析とか自分に向いてるいかもしれない」と思いながら、リサーチの企画書なども作ったりもしていました。リサーチの中には、グループインタビューっていうのが必ずあって、市場の様子を座談会のような形でお客様から聞いていました。仕切り、司会、進行は現場がやっていたのですが、ある時、僕が書いた企画書で結構大きい仕事が通ったんです。上司から「準備しておけ。おまえが書いた企画書なんだから、司会とかも今度からおまえがやるんだよ」と急に言われて驚きました。でも実際にやってみたら結構面白かった。

――そこが1つのきっかけだったんですね。


中山マコト氏: 「意外と人と話すのは楽しい」というスイッチが入りました。お客さんの言った言葉をクローズアップしてクライアントに渡してみたら、なかなか好評でした。それで、コピーを書いたり、商品の名前を付けたりという仕事もしていたら、「それはリサーチ会社の仕事じゃない」と言われて当時の社長と大喧嘩して、その日に辞表を出しました。仲間のたまり場のような居酒屋が会社のそばにあったので「今、会社を辞めてきたんだけど、コピーを書いたりキャンペーンをやったり、データの分析をして統計のシミュレーションモデルを作ったり、なんでもやる会社を僕はやりたいんだけど誰かやんない?」と言ったら3人手を上げてくれたんです。先輩1人と、同期1人と後輩1人。それから2カ月後にその4人で会社を作りました。その会社を8年間くらいやったんですが、そこでも社長と考え方が合わなくなって、それで自分でやろうかなと考え始めました。

「compact but dynamic」


――経営に関してはどのような思いがありますか?


中山マコト氏: 会社を興したら大きくして上場する。そのために資金集めするといった常識論は僕にはよく分からなくて、「上場をせずとも知る人ぞ知る会社」がいい。本気でやるのならば、1年間でものすごい数の仕事を担当できるはずがない。規模を追求しようと思うと絶対に仕事が粗くなっていくのは分かりきっているし、大きな仕事を受けると資金繰りが大変になる。だからコンパクトに利益重視。いい仕事をちゃんとしようと思ったら規模ではないのです。僕がその頃にいた会社で使っていたスローガンは「compact but dynamic」。それは今もあまり変わっていません。

――独立といった次のステージへと中山さんを動かす原動力はなんだったのでしょうか?


中山マコト氏: 自分が困っている時に色々と助けてもらったり、辞める前も応援してくれた人はたくさんいた。恩返しというのはちょっと大げさですが、そういう辛い思いをしてる人がいるのなら、サポートをしたいという思いが僕にはあります。常識といったものを鵜呑みにしているからだめになるということもあるので「それは違うよ」ということを教えたい。僕の周りにも保険の代理店をやっている人がたくさんいるんですが、なぜアポイントばかりを取ろうとするのでしょうか。「保険をやってます」という人がアポイントを取った瞬間に、相手は保険を売りにくると普通は思うはずです。

――警戒されるかもしれませんね。


中山マコト氏: それならば、保険の会社だと言わなくて会うためにはどうしたらいいかということを考えるしかない。最初からいい形で会えることでき興味を持ってもらえたら、その時は保険の話をして、別れ際に名刺を置いてくる。そうして、困ったことがあった時に自分のことを思い出してもらえればいいのです。そういう意味で、「売り込むよりも関係作りが先」ということを教えたいと思っています。

――どの業界においてもそれは一緒ですよね。


中山マコト氏: 時代がこういう風に変化していく中では、どのような人にも当てはまると思います。フリーランスや小さな会社の人は、自分を分かってもらうための効率といったものを追及するしかない。だから「相手の人がこちらに寄ってきてくれる仕組み」をお金と人手を使わずに作る以外に道はない。それを数年前に出した『うまくいく人が必ず持っている黄金の仕組み』という本でも書きました。時間は24時間、体が1個と限られた中でも、仕組みを作れば自動的に動いてくれる。その仕組みのエンジンが僕にとっては「言葉」なんです。個人の場合はキャッチフレーズ、企業ならば社名が、ある意味稼ぐシステムとなることもありますが、今は業種すら分からない会社名も多いです。新宿を歩いていても、どういう魅力のある店なのか分からない店が多い。「寿司屋です」と言うだけではなく、例えば、回転寿司屋で安いんだけど、三崎や塩竈みたいなマグロの専門の漁港とタイアップしていて安いブロックがたくさん手に入るから、「マグロはすごくいいものを安く出せる店です」と言われればマグロ好きが行くはず。そういったように、社名に自分が求めている言葉が書いてあると、すごく分かりやすいから、やはり「言葉」が重要だと僕は思うのです。


自分のキャッチフレーズを求めて失踪


――本を執筆するようになったきっかけは、どのようなことだったのでしょうか?


中山マコト氏: 本は独立した後に書き始めました。当時は、クライアントから依頼を受けた時に、「まずは、何をやっている会社なのか分かるようにするために、自分の会社のことを一言で伝えるキャッチフレーズが不可欠。納得のいくキャッチが出てくるまでに、3カ月ぐらいください」と言っていました。キャッチフレーズを決めると、やるべきこととやっちゃいけないことが決まるのです。もし、ビジネス書の方専門のインタビュアーと名乗るとすると、ビジネス書以外の人にはインタビューをしない。そして、専門を決めてインタビューを続けていると、おさえなきゃいけないツボなど、専門性が高まるのです。

独立してから、忙しすぎたり、変な仕事をたくさん頼まれたりする状態にしんどくなった時に「この状態から抜け出すにはどうしたらいいか」と考え始めました。それで、自分のキャッチフレーズを決めれば、社会的に表明できるわけだから、みんなも従ってくれるだろうと思い、3カ月の間外界との交流を絶ったのです。妻を呼んで「僕はこれから3カ月間いなくなります」と切り出しました。

――「失踪中」はどちらにいらっしゃったんでしょうか?


中山マコト氏: 外界との交流を絶っているだけなので、家にいたり、散歩したりしながら自分のキャッチフレーズや、今後の展開などについて毎日考えていました。そうして2カ月と10日経った時に、キャッチフレーズが浮かび、「これで行こう」と思えたのです。その翌日からそのキャッチフレーズを入れた名刺を持ち、不義理をした人たちのところへとお詫び行脚を始めたんです。怒られることもありましたが、逆に「おまえもひどいやつだな。でも自分のためにその時間を作ったんならいいんじゃない?」と言ってくれる人もいて、いい方向へ向かい始めました。ホームページも持たずに仕事を始めたので、その頃の僕には「自分はこういうことが得意です」と表明する道具がなかった。でも、書くべきことが決まると「ホームページを作らなければ」と考えるようになり、見よう見まねで作りました。でもまだその時は「本を書く」という考えにはいたりませんでした。

書くことは全て頭の中に入っている


――執筆へと本格的に動きだしたのは、いつ頃だったのでしょうか?


中山マコト氏: 仕事をやっていく上で、もう1つ問題がありました。例えば「3年間に亘ってダウントレンドのイタリアンレストランをやっています。どうしたらいいでしょうか?」といった漠然とした内容の問い合わせがくるんですが、それに一生懸命答えていると1日が潰れるんです。それで「これを読んだら自分でやれるよ」というものを書くことを思いつき、原稿を書き始めたんです。すると結構なボリュームになったので、きちんと製本してみようかなと考え始めました。結局160ページくらいの大作になったんですが、僕の大親友でもある印刷屋と、今は印刷会社で営業部長をやっている印刷屋の後輩の2人から「これは絶対に本になる!」と絶賛されたんです。

――試験版ではなく、きちんとした本にした方がいいよと背中を押されたのですね。


中山マコト氏: それで冊子をバッグに入れて持ち歩いて、会う人ごとにあげていたんです。そうやって読んでくれた人の中に、某・世界一大きい広告代理店のマーケティングの責任者という僕の友人がいたんです。その2年ぐらい前にその友達が共著で本を1冊書いていて、「これ、面白いよ。あさって、その時の本の編集長と会うんだけど、渡してみようか?」と言ってくれたんです。すると新宿で飲んでた時に、「編集長さんに見せたら面白いって言ってるんだ」と電話がかかってきて、すでに酔っ払っていたんですが、タクシーを飛ばして行きました。翌日、正式に契約を交わすことになったのですが、発行日は3か月後だと言われました。原稿を色々直したり、最初の章に面白い話を追加したりするから時間がかかる、ということだったんです。でも僕の場合は、書くことは自分の頭に全て入っているから、指摘されたところを全部直して、翌日提出できました。すると、どんどん進んでいって、約1カ月後には書店に並んでいました。日本能率協会史上最短記録だそうです。

――それが『キキダス・マーケティング』ですね。


中山マコト氏: 本の売り上げはあまり伸びなかったんですが、業界では結構話題の本だったので、その後出版社から、2つ、3つと依頼もきました。でも、僕は全部断ったんです。

――なぜ断ったんですか?


中山マコト氏: 要するに、「『キキダス・マーケティング』のようなものを出したい」ということだったんです。僕は「同じようなものを」ということなら書かないと断ったんです。そうしていると、ある女性編集者からメールがきました。それも同じような話だったので、最初は断ったのですが、「1回話をしましょう」と言われて会うことになったんです。僕が「どういうものなら書いて欲しいですか?」と聞きと、「『キキダス・マーケティング』を読んだ時に、本当のノウハウだ、と思った章がある」という答えが返ってきました。それは、お客さんから話を聞き出して企画したり、それをヒントにコピーを書いたりするという章でした。それで、その部分を膨らませて1冊にしたのが『「バカ売れ」キャッチコピーが面白いほど書ける本』です。これは僕の中では出世作となり、今に至ります。コピーライティングの本という分野では、2万部売れると大ヒットって言われていますが、文庫本を入れると5万部ぐらいになっているんじゃないでしょうか。

アナロジックなことが好き


――電子書籍でも『バカバカ売れる!キャッチコピーの技45』を出されていますが、ご自著を電子書籍などで読まれることに対して、何か特別な思いはありますか?


中山マコト氏: 僕はめくったり、折ったり、線を引いたり、そういうアナログチックなことが結構好きなので、紙の本が好きです。だから電子書籍は嫌いで、スマートフォンのタップとかも嫌いです。だけどそれは限りなく世代論に近くて、今の電子系の媒体に慣れている人たちにとっては、ストレスでもなんでもないかもしれません。逆にめくることにストレスを感じている人もいると思いますし、僕の大好きな小説家の森博嗣さんなども、全部電子書籍になればいい、と言っています。これからは、紙の本は無くなりはしないけれど、限りなく電子書籍社会になるだろうなとは思っています。僕の本は、年代や職種を問わずに読んでもらえる本だと思うので、ビジネスとして考えると、裾野が広がるという意味ではウェルカムです。
マーケッターの仕事で広告を作るときに、自分がビールを好きか、嫌いかというのは関係ありません。飲みたい人が飲みたくなるように作らなきゃいけない。疑似恋愛と同じように、商品のことを食べたことがなくても、行ったことがなくても好きになってみて、「こういういい面もあるよ」と言わないと仕事にならない。そういう見方をすると、この電子書籍という流れに関しても、僕自身がいくかどうかはまた別の話として、シフトしていってるなと感じます。

――ホームページに行くとご自著のチャートやシートをダウンロードできますね。電子書籍と親和性が高い部分があると思いました。


中山マコト氏: 電子書籍に限らず、画像を使って人とコミュニケーションをするみたいなこととか、例えばYouTubeを使って僕のメッセージが表示されるといったことを、今ちょっと始めたりしています。もうインターネットという水路を無視しては生きていけない。
宮城県に寿司を食べに行った時に、お酒メーカーの工場見学に行ったんです。今や機械化されているイメージだったんですが、まだ95%ぐらいは人がやっていました。それと同じように機械ができない部分を担っている部分が本の世界にもあって、電子書籍、紙の本においては、お互いがどう補完していくかということが大事なのではないでしょうか。同じ本でも、新幹線の中で読むのならば電子書籍、家で読むならパッとめくれる紙の本といったように、そういう共存共栄で、住み分けしながらこれからやっていくのではないでしょうか。



納得してくれるファンがいることが、僕の誇り


――今後の展望をお聞かせください。


中山マコト氏: 書くのは好きなので、これからもいいテーマがあったら本は書き続けていくと思います。本の中に色々なノウハウやドゥハウを盛り込むことで、大手と戦う人たちを支援することができるというのは間違いないんですが、もっとそれを広めていくにはどうしたらいいのか、というのが今後の課題だと思っています。10万部売れても誰にも影響を与えない本よりも、3000部しか売れなくても、そのうちの1000人の人生を変えられる本を僕は書きたい。本業のマーケティングも、コピーを書いたり講演やセミナーにおいても、成功へのお手伝いをできるといいなと思っています。僕自信もインターネットを通じての教材を作ってやっていますが、ここのところ何年も続いてる「1週間で億万長者」といったものにはニセモノが多いです。僕は自分のやったこと、体験してきたことをそのまま教材にしています。僕は「自分でやったこと、知ってることしか書けない」と思っているので、僕は自分を「作家」ではなく「著者」だと思っています。詐欺になるから、見てきてないものについては言わない。だからこそ、皆さんの期待を裏切ることはあまりないと思っています。「これだけのことをやってくれるなら、5万円でも10万円のものでも大丈夫」と言ってくださるファンの方もたくさんいます。それが僕のほこりでもあるのです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 中山マコト

この著者のタグ: 『映画』 『考え方』 『働き方』 『出版業界』 『言葉』 『アルバイト』 『独立』 『フリーランス』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
ページトップに戻る