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世界中の本好きのために

上山信一

Profile

1957年、大阪生まれ。京都大学法学部卒、米プリンストン大学国際公共政策経営大学院修了。旧・運輸省、マッキンゼー(共同経営者)等を経て、2007年より現職。専門は、企業・行政機関の経営改革および地域再生。2005年以降、 大阪市市政改革推進会議委員長などを歴任し、現在は大阪府・市特別顧問。愛知県政策顧問、新潟市都市政策研究所長も務める。著書に『大阪維新――橋下改革が日本を変える』(角川SSC新書)、『自治体改革の突破口』(日経BP社)、『行政の経営分析――大阪市の挑戦』(時事通信出版局)、『行政の解体と再生』(東洋経済新報社)など多数。

Book Information

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「王様は裸だ」と言い続ける



経営コンサルタントの上山信一さんは、運輸官僚出身で、マッキンゼーでの経験を活かし、企業はもちろん、学校や病院、地方自治体等などさまざまな組織の改革について助言されています。従来の組織の枠組み、世の中の常識にとらわれない改革論を展開し、全国からその見識と、手法への注目が集まる上山さんに、その独自の視点、コンサルティングや執筆活動の原動力について伺いました。

あらゆる組織にイノベーションの可能性


――全国各地の自治体で活躍されていますが、今日は新潟に行かれていたそうですね。


上山信一氏: 新潟市の都市計画研究所長を非常勤でやっていて、今日は市長と打ち合わせをしていました。今日のテーマは、「図書館改革」です。15市町村が合併して政令都市になり、小さいものを含めると図書館が全部で40以上あるのですが、未だその多くが旧市町村の時代の図書館のまま機能しているのです。昔ながらに真面目にやっているんですが、合併のメリットがまだ出せていない。時代の要請も変わってきていますし、よく考えるともっと色々なことができるはずです。

――図書館にはどのような課題があるのでしょうか?


上山信一氏: 蔵書の数は結構多いし、市民の満足度も高いのですが、登録者数はやや少なく、ヘビーユーザーが熱心に使っているという実態が分かってきました。それから、本がぐるぐる回らず、いつも同じ本が並んでいる。多くが区の複合施設の中に入っていて、図書館があることがあまり知られていないという問題もあります。本当は1階のカフェの横などにあったほうがいいと思うのですが、実際は5階の奥にあったりします。しかし図書館は地域づくりの拠点の役割を果たせます。地元の協議会で運営してもらうとか、図書館をきっかけに地域のあり方を考えることもできるはずです。人が集まって楽しく過ごす場所は商業施設ばかりではない。図書館が集会所になっていても構わないのです。そういう目で見ていくと色々なチャンスが出てきます。そこにある本を読ませる、貸し出すだけではない方向に変える作戦を市長と話していました。

――上山さんのコンサルティングの手法は、様々な組織に応用されていますね。


上山信一氏: 改革の対象は組織ですから業種は問いません。大企業やベンチャー、商社、病院、マスコミ。あとは役所や国営企業、外資系企業など色々つきあってきました。自治体や、NPO、シンクタンクの改革もやってきました。まだお寺と神社はやっていないんですが、いずれやりたいと思っています。例えば、薬師寺はイノベーションの大成功例なのです。かつては、お堂が焼け、ほとんど建物が残っていないお寺でした。それを、写経でお金をもらう仕組みで再建し、奈良時代の姿にもどしました。もうかなり昔のことですが、仏教業界の中では最もすごいイノベーションでしょう。まさにブルーオーシャン戦略です。

縦割りの時代からの方向転換


――上山さんにコンサルティングを依頼される方々は、どのような要望を持たれているのでしょうか?


上山信一氏: まずは「改革をしたい」という方の話をよく聞きます。投資しなければいけない場合でも「お金がない」ということがあったりします。改革したくてもできないことが多いのです。相談に来られるうちの半分以上はタイミングが悪い。人の命ならどんなことがあっても救済しなければいけませんが、会社や組織は倒産寸前になると、もう無理なことも多い。さっさと会社をたたんで、他のビジネスをされたほうがいいという場合も多々あります。あとは経営者の能力。タイミングがよくて能力もあって、改革して再生できそうなものだけ手伝うのです。

――企業にしろ、行政にしろ、ビジネスドクターのような役割ですね。


上山信一氏: 明らかに病気の場合もありますが、先ほどの新潟市の図書館みたいに、病気ではないけれども、「宝の持ち腐れ」のような話もある。大企業や行政の場合は、むしろそっちの方が多いです。あとは転用や売却も。自治体でも公立病院などはもういらない、といった話が出てきます。しかし都心では公立病院でなくてもいいが、端の方に行くと民間の大きな病院がないから、公立が必要だったり、細かい議論になっていきます。これはシチュエーション・スペシフィックな解が必要なケース。一般論で語れないケースが増えていると感じます。
ほかにも美術館、店舗、ホテルとかいろいろな分野で全国一律、大量生産、画一管理がいい分野とそうじゃない分野の切り分けや、構造とか機能の見直し、大きな方針転換といった話が多くなっています。あと、私の仕事は「王様は裸だ」と言うことだったりもします。みんな薄々気がついている。しかし誰も言えない。そこでオーナーに直言したりすることもあります。それで言ってしまったら終わっちゃった、みたいな話もあります。真実を誰かが言うことが課題だったりするのです。

大阪と京都を「足して2で割る」文化


――王様に物申すのは、なかなか難しいことだと思うのですが。


上山信一氏: もともとあまのじゃくなのかもしれませんね。これは出身地の地域特性もあると思います。私が育った大阪では「目立ってなんぼ」です。授業で発表する時も、正しい答えを言うだけではなくて笑いをとらないとやっていけない。それは非常にハードルが高い(笑)。「他人と同じであるというのは恥ずかしい」という文化です。大げさに言うと、子ども時代をいかにユニークであるかが問われる文化環境の中で過ごしたわけです。あと大阪人は他人とのコミュニケーションでも、敷居が非常に低い。友人としゃべっているのに隣の他人が、「ちょっとすいません、一言言っていいですか?」とか入ってきたり、バス停なんかでも知らない隣の人としゃべる。そういう感覚、コミュニケーションの中で、知らない人やえらい人に臆せず、よくずばっと言っちゃう傾向があります。

――小さい頃は、よく読書をされていましたか?


上山信一氏: 親が本を買ったり借りてきたりして、幼児の頃は読み聞かせをしてくれました。家に童話などが結構ありましたので、子どもの頃からよく本を読んでいました。『孫悟空』などの冒険ものや、『水つき学校』という改革系の童話が好きでした。特に『水つき学校』は、洪水で困っている村で、みんなで頑張って堤防を直すといった話で、私の愛読書でした。
中学時代はそれほど本を読まず、鉄道マニアで、キャンプや旅行が好きでした。小中学校はボーイスカウト、高校はワンダーフォーゲル部で、もともとフィールドワークが好きでした。
1970年代、高校生の頃は、京都学派の全盛期です。梅棹忠夫、桑原武夫、西堀栄三郎、会田雄次、高坂正堯などの本が高校の図書館にたくさんあって、輝いていた。しかも当時はそういう先生たちが連日テレビに出たり、新聞で語っていたり。フィールドワークの京都学派には、心底憧れていました。そして、関西では、もともと「東大よりも京大の方が偉い」という文化があった。

――それで京大の法学部に進まれたのですね。


上山信一氏: 京大以外は眼中になかった。問題はどの学部かです。親戚がみんなビジネスをやっていたりする土壌もあって、文学部に行くわけでもないなと思っていました。今は経営コンサルタントで数字をたくさん使いますが、その当時は数学が嫌いで理系学部もいやだった。それで法学部に行きましたが正直言って法律は面白くなかった。クラブは探検部に入ろうとしましたが、いきなり「パレスチナに行け」とか言われたりで、ちょっとこれは違うと考えました。私は頭の中が大阪人なんで「実践的じゃなきゃいけない」とか「アカデミックなものはあまり役に立たない」などとなんとなく思っていました。ポリティカルなのも、アカデミックなのも好きじゃない。あの頃はまだ教養主義なところがあって、マックス・ヴェーバーやマルクスとか、難しい本はたくさん読まされましたが、アカデミックなものは面倒くさかった。それらはバックボーンとして大事だと思ったものの、とにかくフィールドワークというのが自分にとってはしっくりする言葉でした。それで現場で役に立つことをしたいと思っていました。この辺は大阪の実学志向と京都のアカデミズムを足して2で割ったような感じかもしれません。

「脚本は自分で書くもの」


――卒業後は運輸省に入省されますが、なぜだったのでしょう。


上山信一氏: あの頃の就活は凄くいい加減で、まず企業は大変そうだから公務員にしようと思った(笑)。それに鉄道マニアだから運輸省に行きました。入ってみたらそういう連中が運輸省に結構いたのです。鉄道だけじゃなくて、飛行機の時刻表とかも大好きです。基本的に重たいものが無理して激しいスピードで動くのを見るのが大好きで、一番好きなのはアメリカのディーゼル機関車。超大編成の貨車を引いていく機関車を踏切で目の前でかぶりつきで見るのが好きです。日本の倍ぐらいの巨大な機関車が、超大編成でかつ高速で目の前を走るのは迫力があります。ばい煙も凄く美味しい(笑)。

――運輸省時代には、プリンストン大学に留学されていますね。


上山信一氏: 大学時代、政治学をやったので権力の中枢がどうなっているか見たかった。それで居心地のよい大阪や京都を出て東京に行って霞ヶ関に就職しました。さらに米国のエスタブリッジメントの世界を知っておかないといけないという気持ちがあって、プリンストン大学に留学しました。その頃アメリカでは航空規制緩和をやっていて、それを目の前で見た。そして日本に戻ったのですが、日本では規則とかルールとか、法学部的世界をまだやっている。もともと法学部で面白くないと思っていた法解釈の部分を凝縮したようなのが仕事です。しかもこの仕事が社会的にどれぐらい価値があるのか疑問を持ってしまう。もう経済原則に任せた方がいいのではないかと思い始めました。今の法律とかルールの中では誰かがやらなければいけない仕事かもしれない。だけど、付加価値がないというか、別にその仕事がなくなっても世の中は回っているのではないかと思ったのです。
それと、少しいただけですが、霞ヶ関とか永田町とかのことがなんとなく分かった気がした。大臣といっても普通のおじさんなどがその役割の中でしゃべっているだけで、その人じゃなくても、他の人でも同じことをしゃべれる。議会にしろ役所にしろ、シナリオは既に書かれていて、壮大な劇場であるということに気が付きました。それなら自分で脚本を書く方が楽しいと思って、運輸省を辞めて、第二新卒のようなつもりで、マッキンゼーに行きました。

――国家公務員を辞められることに、周りの反応はいかがでしたか?


上山信一氏: 当時はあまりキャリアアップみたいな概念もないし、決して華麗なる転身ではなかった。そもそも転職自体が異常事態だったので、「よほどのことをしたに違いない」と色々な人に怪しがられました(笑)。でも、親戚の中には、「仕事は1人でする」とか「自分で会社をやっている人が偉くて、雇われているのはカッコ悪い」という大阪人の文化があったので、「役所を辞めた」と言ったら、「よかった」と言われました。でも「次はどういう会社をやるの?」と聞かれ、「外資系に行きます」と言うと、「まだ根性がなっとらん、早く会社作れ」と。

フィールドワークしたものしか書けない


――コンサルタントとしてどのようにキャリアアップされようと考えられていたのでしょうか?


上山信一氏: 私はもともと、欲があまりないんです。政治家とか見てると、やっぱりいい意味で欲のある人が多いです。ちょっとでもいいチャンスを見つけて大きな仕事がしたいとか、偉くなりたいとか、どの職業でもそういう人がたくさんいる。けれど、私はわりと淡白なんです。全く欲がないといえばうそですし、自分で仕事はできないけれど、「何がなんでもこれをやらなければいけない」というこだわりはありません。

――だからこそ、色々な分野の方々に請われて活躍されているのですね。


上山信一氏: でも無理はせずに、自信がないものは断ります。留学にしても寒いところの有名校は最初から受けなかった(笑)。臆病なのかもしれない。でも好奇心だけは結構強くて、とにかく色々なことをやりたい。立派な会社に入って社長になるには最低でも10年ぐらいは必要でしょうが、きっと私は10年間ずっと1つの事業をやりつづけるのは嫌なんだと思います。コンサルティングは専門分野がハッキリしないからフィールドが自由にとれて、テーマ、対象物がどんどん変えられるっていうのがいいです。

――執筆分野も幅広いですね。


上山信一氏: 日経ビジネスオンラインの連載では、空港、アイスクリーム、僧侶、美術館、米など。色々なことをやっているように思うかもしれませんが、当事者でも、研究者でもないから書ける。ジャーナリストに近いかもしれないが、ジャーナリストよりももっと組織の中に入っていく感じです。作家の中だと猪瀬直樹さんが近いんだと思います。
ちなみに私は作家のようにフィクションは全然書けません。詩や小説は絶対に無理ですし、自分でやったこと、調べたことしか書かないから評論も書けません。研究者の論文の多くは、色々な人が書いたものを集大成させた上で論文にするのですが、あれも面白くない。私は自分で関わった話か、フィールドワークでインタビューして聞いた話を書く。書く作業は、書きたいからじゃなくて、やった作業を蓄積して深め、体系化していく儀式みたいなものです。自分が色々なアイデア出して上手くいったことを蓄積していきたい。それを紹介したい。マッキンゼーの時は、守秘義務があるからどんなことをしたかは言えない。それがフラストレーションでした。それでも若い頃は、偉い人たちの前でプレゼンするとそのフラストレーションは解消される。自分がシニアになってくると、それも面白くなくなってきます。プレゼンや講演に興味がなくなり、むしろ若い人たちに、自分がやった経験を書いて幅広く知らせる方が面白くなってくる。それでテレビも、誘われて一時はいろいろ出てみたりもしましたが、言いたいことの1割も言えず、窮屈でした。それで、ずっと本を書いてきたのです。

再編集能力が発展するネット時代


――書き手として出版業界の変化について感じられていることはありますか?


上山信一氏: 私はこれまで時事通信社の『地方行政』という専門雑誌で、専門家向けの記事をたくさん書いてきました。それを束ねて再構成して本にしたり、講演などで話してきた。そうこうしているうちにネット時代になって、本の書き方が変わった。最近はメルマガとかブログを基にして、本でも見開きで一つの話が完結するスタイルになってきています。また、本のスタイルがデジタル化しているのです。10年ぐらい前に私が書いた本は、いわばドイツ風で、章立てが非常にシャキッと構造化されていて、1章から読まないと分からない。最近の本はどこを開いてもそこのセクションだけ読んでくださいみたいな、そういった作りに変わってきた。体験談も、プロジェクトの仕方、経過を時系列に書くよりも、ここは肝だと思った話を切り取ってスナップショット的に出す。今、日経ビジネスオンラインでやっているのもその実験。まさにスナップショット的な提言で、面倒くさい話はいちいちレクチャーしない。それでいて世間にある薄っぺらい改革論に横ヤリを入れる趣旨なんです。だからイライラする読者も多いみたいです。「正統派の改革派じゃない」とか。すぐに「アメリカでは」と言うような連中からすると、おかしいということになる。最近の米の話なんかは、「どう見ても守旧派じゃないか」とも言われます。おもしろいのは業界通の改革派と守旧派の両方から突っつかれること。でも、気にせず一般の人が素朴に思っているところにストレートにはまるということを目指しています。だから私がやっていることは、ずっと「裸の王様シリーズ」なんです。

――電子書籍などが発展していますが、メディアの変化で読み方も変わってきますね。


上山信一氏: 検索機能の存在が凄く大きいのだと思います。例えばヤギと休耕田の話を書いたことがありますが、ヤギに関する本を検索すると、ほとんどが畜産の本です。しかし1割は米作りに関するものだったり、検索すると新しい発見が出てくる。ほかにも世の中の人のマインドシェアがどこにあるのかが分かる。インターネットだとインタラクティブなコメントが返って来たり、知的活動の相手が広がることは良いことだと思います。
あと、今までは持ち運びやすさから新書や文庫がよかったけれど、電子ブックになると1冊2冊という単位の意味がなくなる。電子ブックは、巻物みたいなものになるかもしれません。雑誌の連載シリーズみたいに、エンドレスに流れていく。だからこうなるともう書籍か何かよく分からない。それから、日経BPオンラインの実験では、私が専門誌や本で書いた文章のエッセンスを抜き出して、再度一般向けに出していく。過去の文章の組み替えなんですが、今の文化とデータにあてはめて出していく。あるいは行政改革とか農業政策というので書いていた論文を、アグリビジネスという横軸でもう一回再編集して見直す。そこに発見があったりするのでインターネットの活用で編集という概念も、変わりつつあると思います。

――ブログやTwitterも開設されていますね。


上山信一氏: あれは実は守旧派に攻撃されないのと、頭の固い新聞記者たちに誤解されないようにするためです。まちがった記事に対してはきちんとあそこで反論しておく。マスメディアから身を守るためのツールといった感じです。ですがTwitterとブログには、あまり反応は期待していません。それにTwitterは質がいまいちで、あそこに適当にコメントする人は、何を考えているのかよく分からないところもあります。

様々な専門家とコンサルチームを作りたい



上山信一氏: これからは著者の方がある意味、早く進化すると思います。書き方としては、ITを使った書き方に変わっているわけです。最近の経験の話であっても、トレンディーじゃないといけないし、ネットでわかる程度のことは超えていないといけない。だから必死になって再編集や取材をする。または自分の頭の中でクローリングをやるとひらめきが出てくる。これからはチームワークでやらないと書けないことが増えるでしょう。私の連載記事でも、編集者とライターの人がいる。ライターは一般人の素朴な疑問を投げかけてくれる。それにそって話の組み立てをやる。私はビジネスモデルという切り口で米だのアイスクリームだのについて、編集者としゃべっていく。編集者は売れるかどうかを考える。この3人の組み合わせはもの凄くパワフルです。3人で話していると一見関係のないものがつながってきて過去のプロジェクトの倉庫の棚卸しをやっている感じです。こうして新しいテーマで記事を書くと知らない人から反応が来たりで、それでまた新しいテーマになって、その人と一緒に仕事をする。



――これから、ますます新たな活躍の場が開けてくるのではないかと思いますが、今後の展望などはありますか?


上山信一氏: ものごとには自然な流れというものがありますから、展望やビジョンを立てるのはあまり好きじゃないんです。むしろ、それなりの蓄積があるので、その蓄積を使う意味のあるプロジェクトをしたいと思っています。組織を相手に改革をやっていくということ自体は変わらないでしょう。ただ、チームワークのメンバーはちょっと広げたいと思っています。私がこれまでチームを組んでやってきたのは元マッキンゼーの人や弁護士、会計士や銀行員がほとんどです。でも今後は医者や建築家、料理人、デザイナーなど、色々な職種の人とコンサルティング的なチームを組みたい。面白いと思います。今までと全然違う人たちとチームを組んで、建物を造るとか、お店の設計をするとか。あとは逆に大きな国家戦略の見直しとかもぜひやってみたいです。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『大学教授』 『コンサルティング』 『出版業界』 『イノベーション』 『原動力』 『留学』

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