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世界中の本好きのために

松谷明彦

Profile

1945年、疎開先の鳥取県で生まれる。東京大学経済学部経済学科、同学部経営学科卒業。大蔵省主計局調査課長、主計局主計官、大臣官房審議官等を歴任。1997年より現職。2004年東京大学より博士(工学)の学位取得。2010年国際都市研究学院を創設。専門はマクロ経済学、社会基盤学、財政学。著書に『人口減少社会の設計』(中央公論新社)、『「人口減少経済」の新しい公式』『2020年の日本人』『人口流動の地方再生学』(日本経済新聞出版社)、最新刊に『人口減少時代の大都市経済』(東洋経済新報社)がある。

Book Information

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経済は「人を豊かにする」ための手段である



松谷明彦さんは、マクロ経済学を専門とする経済学者です。大蔵省主計局という財政政策の中枢で活躍。辞職して政策研究大学院大学で教職の道へ進まれてからは、とくに人口減少社会についての研究に注目が集まり、新しい時代に適合した社会システムなどについて盛んに発言されています。松谷さんに、東大、官僚時代のエピソード、エコノミストとしての問題意識、そして本の執筆にかける思いなどについてお聞きしました。

「終戦の日」に出生


――大蔵省でご活躍後、研究の道に入られていますね。


松谷明彦氏: 13年半教授をして、2011年から名誉教授になりましたが、その前は大蔵省で主として主計局という予算編成を行う部局にいました。大学の先生には、役人を定年退職した後になる人が多いのですが、私の場合は、定年より10年ぐらい前に辞職し、政策研究大学院大学の教授になりました。大蔵省はまさに日本の経済社会のかじ取りをするわけですから、責任は大きいですが実に面白く、血湧き肉躍る仕事でした。しかし、一生に1つの仕事しかやらないのは嫌で、いわゆる官僚とは別の仕事をやろうと研究の世界に飛び込みました。

――政策研究大学院大学を選ばれたのはどうしてだったのでしょうか?


松谷明彦氏: 退官後に大学の先生になる場合、役所の方が大学と話をつけて、いわばあっ旋みたいなことをしてくれますが、私は自分で辞めましたから、大蔵省はそんなことはしてくれませんでした。自分で学校を探したのですが、私が辞めようと思った年にこの大学が設立され、門戸が広く開かれていました。それは運が良かったと思っています。

――ご出身は大阪ですね。


松谷明彦氏: 大阪で育ちましたが、生まれたのは鳥取です。鳥取は遠い親戚を頼って疎開していました。生まれたのが昭和20年の8月15日、終戦の日なんです。ちょうど陛下の玉音放送があったあたりから母親が産気づいて、午後4時くらいに生まれました。父も母も関西出身ですから、高校1年までは大阪で育ちました。

――学生時代はどのようなことをするのがお好きでしたか?


松谷明彦氏: 私はテニスが好きだったのですが、中学の時はクラブ活動がなく、自分で好き勝手にやっていました。高校ではテニス部に、大学では軟式庭球部に入り、ずっとテニスをやっていた感じで、遊んでばかりいました。

――とは言え、東大に入るため、努力もされたと思いますが。


松谷明彦氏: 昔は多少遊んでいても入れたんです。今は、塾や予備校に通わないと解けないとんち問題のようなものが大学の入試に出て、普通に高校で勉強しているだけでは入れない。学生が可哀想だなと思いますし、非常に大きな問題だと私は思っています。高校の時に普通に勉強ができたら点数を取れるような入試であるべきだと思います。受験技術みたいなものを身に付ける時間に、他のことをすれば、もっと楽しい学園生活を送ることができます。もちろんさらに勉強したい人は勉強すればいいし、遊びたい人は学校の授業を聞きつつ遊べばいい。私たちの頃は塾なんてありませんでしたし、予備校は浪人した場合は行きますが、在学中から予備校なんて絶対あり得ないといった幸せな時代でした。

研究者志望から国家公務員へ



松谷明彦氏: 大学では、最初は日本史をやりたいと思い、文科Ⅲ類に入ったんです。でも入ってみると、なんとなく自分が思い描いていたのとは違い、定説にしばられているようなところが見受けられ、今から新しい何かを見つけていくという感じではなかった。だから本郷に進学する時に経済学を選びました。

――国家公務員になろうと思われたのはいつ頃でしょうか?


松谷明彦氏: 大学卒業時点では、大学院に行って、今やっているような学者の世界も良いかなと思っていたんですが、ちょうど私が卒業する昭和44年頃にいわゆる大学紛争があって、東大の入学試験がなくなり、大学院の入試もなくなったんです。就職活動をしてなかったし、むろん公務員試験も既に終わっている。当時は、同一学部の中なら他の学科を1年で卒業できる制度がありましたので、経営学科に学士入学し、その間に公務員試験を受けました。よく「学生運動があって自分の進路が大きく変わった」と言う人がいますが、それは通常自分の考え方が変わったということなのですが、私は、行くところがなくなったことで進路が変わりました(笑)。

――なぜ公務員、また大蔵省をお選びになったのでしょうか?


松谷明彦氏: ゼミの小宮隆太郎先生が、「経済学を勉強するのもいいけども、役所に行って学んだ経済学を実践するのも良い」と教えてくださって、しかも「行くんだったら大蔵省か通産省を目指しなさい」と言われました。霞が関の中で司令塔的なところに行かないと、政策立案のだいご味は味わえない。他の役所に行くと、結局、大蔵省とか通産省との調整に時間がかかって、自分でなかなか制度を打ち出せない。大蔵省と通産省ならば、思ったことが結構できるというアドバイスもあり、試験を受けることにしました。

偶然から、ライフワークを研究テーマに


――松谷さんといえば、人口減少問題についての研究で著名ですが、学問的な興味が湧いたきっかけはどういったことでしたか?


松谷明彦氏: 教授になって最初の2、3年は、経済学そのものにおける研究だったんですが、2000年前後から人口減少下の経済社会についての研究をするようになりました。ある日、電光掲示板か何かで「人口減少」という言葉を目にしたんです。まだ一般的な情報にはなっていない頃ですから、「え、人口って減るの?」と驚いて、人口が減ったら自分の専門の経済はどうなるのかなと考えるうち朝になり、その日は眠れませんでした。そこから人口減少問題に取り組み始めました。人口問題をもう15年近く研究していますが、最初は人口の減少と高齢化によって日本の経済社会はどうなるかという、いわばマクロ的な研究が中心でした。ですが、農水省の審議会の委員などをやる中で、地方がかなり疲弊していることが分かり、地方再生が重要な課題だと思うようになりました。そのうちに今度は、地方だけの問題ではないことが分かりました。地方はすでに高齢化が進んでしまった状態で、これ以上は極端に進行しない。けれど大都会は、今後急速に高齢化や人口減少が進み、今まで地方が歩んできたのと同じことを味わうことになります。問題は、地方よりもむしろ大都市にあるんじゃないかと思っています。都市の研究には都市経済や都市工学など色々な学問分野がありますが、私の場合にはあくまで人口減少、高齢化という視点からの都市の経済や社会の研究です。

――現在は、社会人に向けた都市開発についての教育に携わられていますね。


松谷明彦氏: これからは経済、社会の仕組みを大幅に変えていかなければいけません。変えていくためには人材を育成することが重要です。国立大学の中に、社会人学校としての国際都市研究学院というものを作り、これからの大都市の経済、社会の構造転換を担っていく人材を育成しています。毎週水曜日と、月1、2回土曜日に講義をしますので、働きながら学べる学校です。生徒は、日本を代表する都市開発に関連したゼネコンやデベロッパー、鉄道会社、商社、銀行、公的機関などから30名ぐらいが来ていただいてます。私としては、すでに都市開発を前線で担ってる方にこそ来てもらいたいのです。これからの都市開発に必要となる学識、見識について26科目作り、いずれも日本の第一人者の学者、実務家の方々に講義をお願いしています。もちろんビジネスマン相手ですから、絵空事ばかり言ってもしょうがない。ビジネスの色々なルールがある中で、国際都市研究学院で学んだことを少しでも理解して、活かしてもらえればと思っています。

学者にもクリエイティビティが求められる


――教育、とご自身の研究、執筆と、ご多忙と思いますが、どのように時間を割り振られていますか?


松谷明彦氏: 今は仕事の半分くらいは国際都市研究学院の方にかかりっきりです。あとの半分くらいで研究を続けて、大学で講義をし、全国に講演に行ったり寄稿をしたりしています。なかなか本を書く時間を取れず、2010年から本を書いていません。また書きたいと思っていますが、かなりまとまった自由な時間が必要なので、いつになるか。

――本を書かれる時のこだわりはありますか?


松谷明彦氏: 私は世の中にある色々な考え方をまとめ、それに自分の考え方を足して1冊の本にするというのは嫌いで、本を出す以上は、1から100まで全部自分のオリジナルのものにしたいんです。ですから、私が本の中に展開しているデータの分析や予測は、全部私のオリジナルで、人のものを一切使っていません。もちろん人が書いたものをベースに、自分の論理を組み立てていくというのも1つの執筆のスタイルで、人それぞれで構わないと思うんですが、私は研究対象を自分自身の目で見て、全てゼロから出発したいんです。もちろん人口や経済といったものは自分の目では見られませんから、統計データがベースになりますが、人が加工したデータは、その人の考え方が入りますので、加工されていない原データを使います。そうした第一次資料から自分が感じたこと、認識したことをだけ出発点にして、そこから自分だけの論理を組み上げていくような、クリエイティブな研究が私のこだわりです。そうした気持ちが強いので、私の本では引用文献がないんです。出版社から「先生、引用文献を教えてください」と言われるのですが、「ないです」となる(笑)。ある1つの仮説を作り、経済学、その他の学問的な手段を使って傍証していくのは楽しいですし、そうした自分のスタイルで生み出した研究成果や著作が人に評価されるのはうれしいことです。

――クリエイティブな研究だからこそ、新しい提言につながっているのですね。


松谷明彦氏: 発想の違いもあると思います。また多くの研究者は問題解決を急ぎすぎると思います。私は、今起こっている問題は、人口減少社会そのものの問題なのか、それとも今の経済や社会の仕組みが人口減少社会に合ってないから問題が生じているのか、という発想をします。例えば、今、年金制度に関しては収支が悪化しているので若い人の負担を上げて、高齢者の社会保障を縮小していかなければならないから、それをいかに摩擦なく進めていくかという視点で研究される方が多いです。しかし私は、今の社会福祉は、人口増加社会を前提に作られた制度で、現在の人口減少社会に合わなくなってきたことが問題だと考えます。問題は人口減少、高齢化自体にあるんじゃなくて、以前の制度を無理矢理当てはめようとしてるところにあるので、今の制度をいくらいじったってしょうがない。社会に合ったモデルを新しく作るべきだと考えるわけです。

市場経済は、「ベター」であるが「ベスト」ではない



松谷明彦氏: 今の経済はいわゆる市場メカニズムで動いています。その根っこには貨幣経済があって、貨幣を媒介としてものが作られ、流通していく。貨幣を媒介としているということは、貨幣を持ってない人は経済に参加できず、経済に対する発言権がないので、「本当の意味で人間の幸せにつながるシステムなのか」という問題があります。仮にアフリカで10万人が亡くなる疫病があっても、その10万人はお金を持っていないため、治す薬は開発されない。でもアメリカで100人の人が亡くなった病気があれば、たちまち薬は開発される。お金のある人が相手でないと商売にならないから、お金のない人の意志は経済に反映されない。しかし民主主義の政治では、人間として生まれた以上、1人1票としての意見を言えるのです。経済ではお金が100あったら、1の人よりも100倍発言権があるという仕組みです。
しかし、例えば権力によって資源が好きなように配分される経済は貨幣経済よりもひどいでしょう。専制君主であったり貴族であったり、ごく一部の人々の意志によって資源が配分されるよりは、貨幣経済の方がはるかに多くの人が市場に参画できる。共産主義的な計画経済も、計画を作っている人の意志であって、多数の意志は反映されていません。中国だって、結局市場経済になってきました。



――市場経済の欠点を解決するためにはどのような視点が必要でしょうか?


松谷明彦氏: 市場経済は人類が発明した中で、多分一番ベターな制度でしょうが、ベストではありません。ベストな制度は何かということを、常に追求しなければいけないわけです。追求を忘れて、「貨幣経済以上の制度はないんです」と言ってるような経済学者は、経済が何のためにあるのかを忘れています。ベストな制度を考えるのが私の経済学に対する視点の1つです。もう1つは企業について考えることです。企業があるから、より効率的により良いものが生み出される。いいことです。しかし良かったのは、日本で言うと昭和40年代くらいまで。その頃までは確かに企業が豊かになると従業員も一緒に豊かになって、企業の発展と国民の豊かさがパラレルに実現されていました。でも今では、企業は豊かになっても、個人は豊かにならなくなってきています。

余暇時間が、人の豊かさを表す



松谷明彦氏: 大学の時に読んだ新開陽一さんの『マクロ経済学』という教養課程で使う教科書に、「企業は個人の欲求をよりよく満たす限りにおいて、その社会的存在を許される」という、とても興味深いことが書かれており、私はそれを非常に重要な視点だと思っています。企業は人々がより豊かな生活を送るための道具に過ぎない。ところが最近はその道具の方が強くなってしまった。今、日本では家計貯蓄よりも企業貯蓄の方が多いという異常な事態に陥っています。通常、企業は貯蓄せずに借り入れをして、家計が貯蓄する。そして家計が貯蓄したお金が、金融市場を通じて企業に貸し出され、企業はその資金で設備投資をして、ものを作る、すなわち富を生み出していくのです。どこの国でも、企業貯蓄はマイナスか僅かなプラスです。ところが日本だけは、生産活動によって生じた利益を、労働者に回していないから、企業貯蓄の方が家計より大きい。ものとマネーの循環が、ものを買う方に向かわず、循環から抜け落ちているのです。すると需要不足が起きます。デフレの正体は、企業が自分のお金貯め込んでいるからです。それが経済の低迷、及び、国民生活の貧しさにつながっています。



――経済学は異説が真っ向から激しくぶつかる分野でもありますね。


松谷明彦氏: イデオロギー的な議論は不毛なところが多くて、もっと実態に即した議論をした方がいいと思います。私は、イデオロギーではなく「どうすれば人々の生活が豊かになるのか」ということを根源から考えたいと思います。経済は、分業によって、より少ない労力で、自分が生活していくために必要な物資を手に入れられるようになったことから始まります。その結果、余暇時間が生じることで人々が豊かになりました。経済にとって一番大事なのは余暇時間だと思います。より多くの余暇時間を生み出す経済、ビジネスモデルがより良いのですが、今はビジネスモデルに対する評価基準がちょっと違ってきています。政府が「どういう経済政策を打ち出すか」という時に真っ先に考えるべきは、「より多くの人々をより豊かにする」ということだと思います。残念ながら今の自民党がやっていることは、既に時代に合わなくなっている既存の制度や社会の枠組みをなんとか維持したいということです。それが彼らの政治資金の源泉だからでしょう。でも、より多くの人が安心して豊かに暮らすためには、制度が機能しなくなったらもう変えるしかないのです。

――余暇時間を多く生み出すために日本が進む道はどういったことでしょう。


松谷明彦氏: 65歳以上で働いている人が、男性では30%と、今の日本は就業率が高過ぎます。フランスは1%、ドイツも2%程度です。働きたいという人が働けるのは、決して悪い社会ではありません。しかし、歳を取ったのに働かなければ食っていけない社会というのは確実に悪い社会です。65歳以上の人たちの就業率を下げることが経済政策の目的であるべきなのに、年金の収支が悪いから、定年を延長していつまでも働けと言っている。それではなんのための経済、社会システムなのか、と私は言いたいです。私にとって経済は、より多くの人をより豊かにする手段であって、その観点から経済を常に見直す姿勢を忘れてはならないと思います。

本は体系的で長期的に影響力がある唯一のメディア


――社会的な提言をするための手段として、本とはどのような存在ですか?


松谷明彦氏: 学者ですから、学会で発表する、学会誌に論文を出すというのが、社会的な提言をするためのオーソドックスな手法です。ただし、この場合には学者しか見ないので発信力としてはかなり弱い。『エコノミスト』や『東洋経済』などの経済誌への寄稿は、発行部数が多いのでインパクトはありますが、その時の人々の関心事であるなど題材が限られる上に、持続的ではないんです。例えば私のところに、講演や、執筆の依頼がきますが、その際「あの本を読みましたので」と言われる人は、本を出して何年経ってもいます。ところが、「雑誌のあの記事を読みましたので」という人はほとんどいません。新聞も、日経の経済教室なんかで書いた後1、2ヶ月くらいの間は、その関係の執筆や講演の依頼がきますが、それっきりです。雑誌や新聞はスペースが限られていますから、言いたいことの何分の1も書けないし、雑誌は1週間経ったら買えません。より正確に私の考え方をまとまった形で知っていただきたいと思えば、必然的に本に精力を集中して書くということになります。

――雑誌や新聞などでの発言には、どのような利点がありますか?


松谷明彦氏: 雑誌、新聞というのは即効性があります。今日伝えたいんだ、ということは本では無理です。新聞は毎日ですし、雑誌だって1週間ですから、今起こってることに対してすぐに警鐘を鳴らしたいということならば、本は雑誌、新聞に敵わないところもあります。しかし、もう少し中長期的な問題で、人口減少問題のように必ずしも正確な認識が行われていなくて、どちらかというと誤解されている部分が多いことに関しては、まずは正確な認識をしていただかないと議論すら展開できない、そのためには、まとまった量の情報や考え方をじっくり提供する必要があり、必然的に本にならざるを得ないという感じがします。雑誌もテレビも、それぞれにとって一番適切な形での情報の提供がありますが、やはり本にしかできないこともあります。体系的なまとまった考え方を長期に亘って示し続けることは、絶対本にしかできないことです。人間がどう変わろうと、絶対本はなくならないと思います。

付加価値があれば、電子書籍は確実に紙を超える


――電子書籍についてはどのようにお考えですか?


松谷明彦氏: 電子書籍も、本と同じようにいつまでもずっとあるものですし、印刷の手間がないので、早期にまとまった形で伝えることができるという利点もあります。ただ、電子書籍で200ページ以上あるものを読むのは苦しいのではないでしょうか。インターネット上の情報は割と短めのものが多いですから。でも、今の人は電子書籍だから長いのが不向きっていうことは、もうないのかもしれません。書き込みをしたり、付せんを貼ったりすることも可能かもしれませんし、時代も変わっているのだと思います。私たちは本の時代に育ってから電子が出てきましたが、元々電子がある状態の場合では全然違うと思います。電子書籍がどういう形で発展していくのかはまだ模索の段階ですが、電子書籍で育った人がどんどん増えてくると、紙の方が特殊な分野になっていく可能性があります。

――研究者の世界では、電子書籍にはどのような可能性がありますか?


松谷明彦氏: 今の段階では、専門的な知識や、専門分野となると、電子書籍はほとんどありません。これからの課題だと思います。学者はコンピュータを使うのに慣れており、学会誌ではすべて、電子媒体で原稿をもらって、WordやExcelも入ってるわけですから、PDFに変換して、引用、転写を楽な形にしようと思えばできるはずです。
ただ、画像として取り込むだけだと電子媒体の良さがでてきません。専門書の場合、例えばグラフをクリックすると元データや計算式が出て来ると便利ですし、引用文献をクリックするとリンクされているというのも、研究者としてありがたいですね。著作権の問題があってなかなか大変なのでしょうが、付加価値がないと紙の本を超えられない気がします。書いた本人がデータをどのように加工したか見られたくないということがあるかもしれませんが、別の人が元データを使っても、同じ結果が出てくるということでないと分析の客観性が疑われます。学者も考え方を転換すれば、確実に紙を超えるし、逆に電子媒体でなければ認められないとなってくるかもしれません。厚い本を持ち歩かなくていいとか、本屋に行かなくても買えるというのも便利でしょうが、付加価値というところまでいくためには、まだ乗り越えなければならないものがありそうです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 松谷明彦

この著者のタグ: 『大学教授』 『経済』 『考え方』 『研究』 『教育』 『クリエイティブ』 『メディア』

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