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小倉広

Profile

大学卒業後、株式会社リクルート入社。事業企画室、編集部、組織人事コンサルティング室課長、ソースネクスト株式会社常務取締役などを経て現職。リーダーシップ開発の専門家として多くの企業組織づくりや人事育成を支援しており、「リーダーシップは生き様そのものである」との考えの元、「人間塾」主宰し、塾長として東洋哲学全般の啓蒙活動を行なっている。著書に『任せる技術』『やりきる技術』(共に日本経済新聞出版社)、『自分でやったほうが早い病』(星海社新書)、『僕はこうして、苦しい働き方から抜けだした。』(WAVE出版)などがある。また、『33歳のルール』(明日香出版)などを通じて、悩める30代を救うメンターとしても知られている。

Book Information

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アルバイト初日に、VIP担当に任命


――大学は青学の経済学部に進まれますが、大学時代はどのような学生でしたか?


小倉広氏: 大学へはあまり行っておらず、ほぼ毎日アルバイトをしていました。帝国ホテル系列の丸の内東京會舘で、土日の結婚式と平日のフランス料理の会食のサービスをしていました。超一流の式場ですから、お客さんが一流銀行の頭取や、イギリスの外務大臣など。当時の宇野首相のサービスを担当したこともあります。いわゆるVIP担当をやっていました。一流の世界に触れることができ、厳しくもあり、楽しくもありました。

――アルバイトの学生が、VIPの担当になることはあるのですか?


小倉広氏: アルバイトに行った初日にVIPの担当になってしまったんです。アルバイトは5、60人いて、配膳会というところに登録し、派遣されてホテルへ行くわけです。メインの仕事はワインを注いだり食事をサービスすることなのですが、そのサービスの前後に、テーブルセッティングという力仕事があるんです。みんなはそれを、チンタラさぼってやっていた。しかし、僕は初日ですし、学生アルバイトで下っ端ですから、テーブルをみんなが1脚だけ持つところを、3脚ぐらい両手に持って、ダッシュして運んでいました。その姿を総支配人が見ていたんです。仕事終わりに突然呼ばれて、「小倉君、君はお金を稼ぎたいんだろう。この仕事は、割り当てで順番に入ってもらっているけど、君は学校に支障をきたさなければ来たい時に、いつでも毎日でも来なさい」と言われました。事務所の人から「こんなことは始まって以来だ」と言われました。今から25年ぐらい前にもかかわらず、毎月30万ぐらい給料をもらうお金持ちの大学生でした。学校の先生、アルバイト先の支配人といったように、人に認められるのがうれしくてがんばってきたような気がします。そういう人が、応援してくれたり、認めてくれたり、導いてくれたり、時には叱ってくれたり。今から思い返せば、ありがたいというか、そういった人に僕は恵まれていたと思います。

リクルートの営業部で、苦悩の日々


――大学卒業後はリクルートに入社されますが、どのような理由からですか?


小倉広氏: どうしても入りたくて、入ったわけではなかったのかもしれません。でも、あまり興味がなかったリクルートに、途中から興味津々になっていきました。僕の同期は1100人いるんですが、当時、リクルートは採用に膨大なお金をかけていて、1人頭の採用コストが500万円ぐらいでした。本人が応募に来る前に、そこそこの偏差値の大学の学生をアルバイト名目で呼び出すんです。「就職調査」で、グループ討議をして、2時間話して8000円ぐらいもらえました。討論をすると、誰がリーダーシップがあるか、論理的に話すのかが分かる。その後「第2回目の調査をしたい」と言われて行ってみると、10人ぐらいの中で、1回目に一番しゃべっていた僕と、そのほか2、3人だけ呼び出されていましたので、「これは二次面接だ」と分かりました。グループ討議を3、4回繰り返した後「ウチに来る気があるならば、役員と面接してみない?」という話になりましたが、僕はその時は「人気企業だし、内定をもらっておこう」というぐらいの気持ちでした。

――リクルートへの興味が増していったのはどのような理由だったのでしょうか?


小倉広氏: 社員1人ひとりが、すごくカッコいいんです。よく「企業選び」などといわれますが、僕は「学生に業界分析なんて無理。自分にはそんな能力はないから、直感しかないな」と思っていました。業界分析などといっても、当時の花形は、バブルだったので証券業界や不動産、建設でしたが、今は、悲惨なことになっていますよね。リクルートで次々に魅力的な人に会って、「この会社はもしかしたらすごい会社なんじゃないか」と思うようになりました。

――リクルートでは、最初営業に配属されたそうですね。


小倉広氏: 自分で営業を希望したんです。社内で新入社員向けの情報誌が配られまして、そこに各事業部からの、「事業部に来たれ!」といったような、求人広告が載っているんです。そこから選んで希望を書くわけですが、もちろん希望通りになるとは限りません。一番人気は、宣伝部や雑誌の編集部などの派手なところ。だけど僕は、一番泥臭くて地味で、人が行きたがらない営業を希望しました。それこそが、社会の仕組みや会社を知る一番の方法だと思ったからです。人気がなかったらしく、すぐに営業としての配属が決まりました。

――営業の仕事はいかがでしたか?


小倉広氏: 辛かったので、真剣に辞めようと思ったことが何回もありました。エリアを決めて1日1〜200件もの飛び込み営業をする毎日でした。「ビル倒し」といって、ビルの最上階までエレベーターで上って、階段で下りながら片っ端から、「リクルートの小倉といいます。人事部長さん、社長さんいらっしゃいますか?」と訪問するのです。すると「なんだお前、帰れ!」「アポとって出直せ!」とか、「リクルートは1週間で10人ぐらい来てるぞ、また来たのか、うるさいな」などと言われました(笑)。当時は、バブルの絶頂期ですから、リクルート以外の銀行やメーカーに入った同期の仲間は毎日上げ膳据え膳で、研修ばかり。仕事を1つもせずに毎晩合コンをしているといった話を聞いて、「入った会社を間違えた」と激しく後悔しました。

著書一覧『 小倉広

この著者のタグ: 『コンサルタント』 『コンサルティング』 『心理学』 『生き方』 『働き方』 『営業』 『カウンセラー』

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