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世界中の本好きのために

岩村充

Profile

1950年、東京生まれ。東京大学経済学部卒業。日本銀行入行後は営業局・総務局・ニューヨーク駐在員などを経て、日本公社債研究所開発室長、日本銀行金融研究所研究第2課長、日本銀行企画局兼信用機構局参事を務める。1998年より早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。2007年、研究科統合により早稲田大学大学院商学研究科(ビジネススクール)教授、現在に至る。主な著書に『入門 企業金融論』(日本経済新聞社)『電子マネー入門』(日経文庫)『サイバーエコノミー』『企業金融講義』(共に東洋経済新報社)『貨幣の経済学』(集英社)『貨幣進化論』(新潮選書)などがある。

Book Information

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電子書籍で日本の「知の基盤」を強固に



経済学者の岩村充さんは、日本銀行から教育と研究の世界に進まれ、主にファイナンス理論を研究、早稲田大学大学院商学研究科(ビジネススクール)で後進の指導にあたられています。ファイナンス教育の意義、教育者となったきっかけ、またファイナンスのみならず多彩なテーマで執筆されるご著書の内容についてお聞きしながら、書籍と知の世界の関係、電子書籍が本と出版にどのような影響を及ぼしうるのかなどについて伺いました。

研究者ではなく、経営者を育てる


――大学におけるファイナンス教育の意義についてお聞かせください。


岩村充氏: ファイナンスというと、数式がたくさん出てきて、何だか難しいことを教わる分野だと誤解されている部分があります。そういうこともあって、ビジネススクールの科目の中ではあまり人気がなく、経営者になった気分を味わえる経営戦略などの科目の方に人気が集まります。ただ、ファイナンスがわかっていないと、経営陣の一員として全社的な責任を負えません。学生にファイナンスをちゃんと教え込まないままビジネススクールの卒業生として世に出してしまっては、本人および所属する組織に迷惑をかけてしまうと思っています。

――経営者にファイナンスの知識が欠けていると思われることもありますか?


岩村充氏: 理論の本質を正確に理解しないまま、表面的な計算技術だけを知って「ファイナンスのプロ」になったという錯覚を起こして失敗してしまった人は、少なからずいると思います。やや厳しすぎる言い方かもしれませんが、ライブドアの堀江さんは、ファイナンス的な方法論で会社はいくらでも発展できると思っていたわりには、その本質が理解できていなかった節があるように思います。ファイナンスは、公式や理論を丸暗記したり、計算をしたりすればいいというものではありません。計算は専門の業者さんにやってもらってもよいのですが、出てきた計算結果の理論的前提を理解して「それならこうしよう」と判断できる人になってほしいものです。

――ビジネススクールでの教育には、どういった特徴があると思われますか?


岩村充氏: 例えば高校の先生は、良い高校の先生を育てることを最大の目標として教壇に立っているわけではないですよね。ところが大学の先生に、「あなたのゼミの1番立派な卒業生は誰ですか」と聞くと、「ウチの研究室にいて、アメリカの大学に行って、今や世界的学者と言われている誰々だ」などと言うわけです。しかしビジネススクールは、世の中の経営資源を上手に使って、世の中の発展のために役立てるような一流の経営者を作らなければならない。ですから、ファイナンスの教育に、一流のファイナンスの研究者を育てることと、経営者としてファイナンスを間違えないで理解している人を育てることという2つの目的があり得るとすると、私がここで目指しているのは後者です。私自身は本とか論文を書く人間なのですが、私のゼミで学ぶ人たちにファイナンスで本や論文を書くのを専門とする人になってほしいとは思っていません。
そういう観点からいうと、ビジネススクールの先生は、他のアカデミック系の大学院の先生とは使命が違うのだと思っています。

ファイナンスは「支援兵科」である


――世の中で出版されているファイナンスの本にはどのような特徴がありますか?


岩村充氏: 1つは研究者のための教科書で、これは学者になりたい人に厳密な理論とその応用を教えるためのものです。一方で、いわゆるハウツー本がありますが、そこに経営者が知らなければいけない知識のすべてが書かれているわけではありません。その中間にあるのがビジネススクールの教科書ということになります。
ファイナンスは、ビジネススクールで教えている科目の中では、企業の発展にあまり直接的に役立つものではありません。つまりものをもっと売るため、もっと良いものを作るために直接の役には立たないのです。ただ、世の中で自分の会社が何をしているのか、会社の中で各々の事業部門がどんな状況にあるのかを分析するためには役に立つのです。

――ファイナンスは表に出ないところで活躍する知識なのですね。


岩村充氏: 例えば、誰でも知っているナポレオン・ボナパルト、彼は砲兵出身です。この頃の砲兵は大砲をゴロゴロ引いて、硝煙で顔が真っ黒になり、汚くて、かっこ悪い。青年貴族に似合う騎兵のような華やかさはありません。さらに砲兵だけで戦争に勝つということはできません。陸戦の主力は何時の時代でも歩兵です。でも、ナポレオンがヨーロッパ大陸を席巻できたのは砲兵出身だったからです。つまり砲兵は支援兵科で、他のものを支えるためのものですから、全体を見る目が養われるわけです。歩兵がどこにいるか、騎兵は動ける状態にあるのか、それに天気のことや地面の様子まで考えながら、大砲をどこにどう置くかを決めなければいけません。でも、そうして大きな環境や他の兵科のことをいつも考えるという習慣が、ナポレオンという戦略の達人を作ったんだと思います。
企業経営におけるファイナンスの役割は、ナポレオン時代の砲兵のようなものだと思っています。企業経営の主力は、戦略を考えたり、あるいはビジネスモデルを発見することで、会計とかファイナンスとかは、要するに主力を支援するのが役割です。しかし、軍隊だったら、幹部将校はみな砲兵の使い方を知らないといけないというのと同じ意味で、ビジネススクールに来る学生はファイナンスを理解しなくてはならないと思っています。

――そういった意識で教えられている方は少ないのでしょうか?


岩村充氏: あまり多くないかもしれません。でも私は、ビジネススクールでのファイナンス教育は先端的な話に突き進んじゃいけない、平凡でつまらないことでも、大事なことはちゃんと教えなければいけないと思っています。もっとも、それは悩みでもあります。いくら大事だと言っても、眠ってしまう学生さん相手に授業をしても意味ありませんから。ですから、これは学生は眠くなるだろうなと思うテーマでも冗談を交えて、少しでも笑いを取るように努力しています。もっとも、年のせいか効果のほどは定かではありませんが。

日銀時代に知った情報技術の可能性


――日本銀行に務められていたそうですね。


岩村充氏: 日本銀行には23年9ヶ月在籍していましたが、日銀時代に、今教えているような話に関与していた仕事をした期間はあまり長くありませんでした。日銀の業務の適法性・合法性を管理する仕事をしたり、銀行との調整、お役所との調整、それから研究部門に回ったり、さらにはシステムの開発を4年間やったりしていたんです。結果として「なんでも屋」の人間ができ上がってきたということです。

――早稲田大学で教壇に立つことになった経緯をお聞かせください。


岩村充氏: 日本銀行のシステム部門や研究部門にいた当時、電子マネーに関連して暗号理論とかセキュリティ技術に関与していました。そうすると、自分の名前で論文を書くことがあったんです。かつての日銀は、比較的そういうことには寛容で、自分でやっている業務そのものは書いてはいけないのですが、自分が直接関与していないものについて個人の思索を文字にすることは、一定の許可を得ればOKでした。結果的に、日本銀行には珍しい分野に妙な専門性のあるスタッフがいるように、世間からは見えたのだと思います。早稲田大学でビジネススクール設立の動きを最初にしたのが1998年、アジア太平洋研究科にビジネススクール部門を作った時ですが、ちょうどITバブルが頂点に上り詰めようとする時代で、情報と企業経営などを語れる先生を早稲田さんが探して、私が網にかかったということだと思います。私自身も金融での仕事には、やや疲れが出てきていたころでしたから、早稲田に移った直後は金融論や金融政策論あるいはファイナンスなどという講義は担当せず、情報社会論とか情報経営論という科目を担当することになりました。

――暗号やセキュリティについては早くから興味をもたれていたのでしょうか?


岩村充氏: 公開鍵暗号というのが登場した時には衝撃を受けました。その時は別の仕事をしていて、技術が登場した1970年代からは約10年ほども遅れて知ったんです。私の父親が数学の先生で、「今、こういうのが面白いよ」とサラッと教えてくれたんです。私はあまり父親の言うことを聞かないし、父親も数学を教えてくれたことは1度もないんですけど、暗号についてまとめた学術情報誌の『数理科学』の特集号を渡されて読んだら、これが本当に刺激的でした。金融の実務を意識する人間にとって、とても重要そうだということに気が付いたんです。
特にRSA(公開鍵暗号の1つ)は数学的に簡潔にして見事で、私のような経済学部の卒業生でも理解できるような理論体系だということに衝撃を受けました。ただそれ以降、暗号技術は精緻化の方向に進んで、世の中のものの考え方や仕組みの根底を動かすようなブレークスルーはないような気がしてきたので、90年代に入る頃からは、やはり金融論とかファイナンス論の世界に関心が戻ってしまいました。

計算よりも「基本的な考え方」を教える


――多彩なキャリアがあるだけに、書かれる本の分野も多いですね。


岩村充氏: 確かに暗号理論のことを書いたこともありますが、その一方で、金融政策の話の本もありますし、ファイナンス理論の話のものもありますから、まあ要するに「ごった煮」状態ですね。でも、そうした「ごった煮」が面白いと言ってくれる人もいますから、これは有難いことです。例えば『コーポレートファイナンス』という本は、教科書モードで書いたものですが、間にはマクロ金融の話を少し書いていたりして、本文よりそっちの方が面白いなどと言ってくれる人もいます。喜んで良いのかどうか分からないですが(笑)。

――『コーポレートファイナンス』はどのような読者層を想定されたのでしょうか?


岩村充氏: 経営陣候補生はファイナンス理論をどう理解するべきかというコンセプトで書いています。アメリカのファイナンスの教科書は、バンカーや証券会社、財務部門のスタッフに教えるための本で、内容的に盛り沢山で百科事典的には極めて便利なものですが、企業の経営陣候補生を養成するのが役割のビジネススクールで細かいことや計算技術を教えてどこまで役に立つのかというのが私の思いでした。ですから、私自身は、ファイナンス理論の基本はどこにあるのかということをざっくりと書くようにしました。

――『貨幣進化論』では、経済成長の観点から世界史的な考察がありますね。


岩村充氏: 『貨幣進化論』の中で強調している点は、人類社会で経済成長が始まったのは19世紀初めと、意外なほど早いということです。世界史には、人類社会はギリシャ、ローマ、古代中国からずっと成長し続けているという前提があります。でも成長は普遍的な現象ではなくて、むしろ停滞の方が普遍の現象です。長い人類史的にみると、経済成長は時々ズドンと起こって、わりとすぐに終わるものなのです。だから今の経済や金融の状態の状態を異常だと考えないほうがいいという思いが、『貨幣進化論』の根底にある問題意識です。



これは現在の日本にとって重要な話で、デフレとか停滞の状態が異常なのか。もしもこれで普通の状態であったら、そこに無理矢理カンフル剤を与えるというのは良くないことです。アベノミクスや異次元緩和というのは、成長は当然で停滞は病気という前提があるようですが、成長というのは何か理由があって起こり、理由が一巡すると消えるものです。19世紀以降の経済成長というのがなぜ起こったのかということを、もう少し深く考えたほうがいいと思います。

響く言葉が見つかったら、本を閉じる


――読書に関するお考え、読書スタイルなどをお聞かせください。


岩村充氏: 私は本が嫌いで(笑)、文学作品を除くと1つの本を最初から最後まで読み通す忍耐力をあまり持っていません。研究書や論説書などは1つの本の中で、気に入った概念や言葉が出てきてしまうと、その先は読みません。強烈に響く言葉や考え方が提示されると、そのことを軸に自分が何を考えるか、という自分の考える世界に入ってしまうんです。衝撃的な概念が見つけられなかった有名な本の方がむしろ最後まで読んでいます。つまらないな、という感想を得るためですが(笑)。逆に、面白そうな小説などを読む時は途中でやめることができなくなること必至なので、期限のある仕事をしている最中に、力の強い作家の作品を読み始めることは絶対にしないです。お仕事の方に障りますから。

――『貨幣進化論』では、マルクスなど様々な引用がありますね。


岩村充氏: マルクス主義の貨幣観として、『ゴータ綱領批判』を使ったと思いますが、この本は昔読んだことがあって、そのとき彼は労働価値説を主張したとされているけど、むしろ時間価値説だなあ、と思った記憶があったんで、今回は改めて探し出してきて引用しました。ですから、この本も最後の最後まで読んで深く考えたかというと、そうでもありません。研究や著作のために参照する本っていうのは、実は最後まで読んでいないことが多いです。

――最後まで読み切ることよりも、自分の実になるか、ということが重要だということでしょうか?


岩村充氏: 自分も本を書く立場の1人なので、最後まで読んでもらえるように一生懸命書いていますけど力及んでないと思います。上手な作家さんなら、最後まで読ませるように書けるのでしょうが、私は下手ですから無理ですね。上手な人、例えば百田尚樹さんや浅田次郎さんは本当に上手で、読み始めたら途中で別のことができなくなっちゃう。夜1時ごろ読み始めて朝まで眠れなくて、翌日は「やっちゃった~」って後悔ということも多々あります(笑)。仕事の本はネタ探しに読んでいるので、1つネタが見つかって、その後に自分の関心と本の内容がずれてきちゃったりすると、その後はあんまり読まなくなっちゃうんです。

良い本は、細く長く残って欲しい


――電子書籍についてのお考えをお聞かせください。


岩村充氏: よく売れている本は電子書籍にしなくていいと想います。売れていない本、あるいは手に入りにくい本を電子書籍にするべきです。私は自分の本で、ウィクセルという人について書きました。彼の代表作は、『利子と物価』ですが、この人の本は、自分が分からないことは分からないとはっきり書いているので、読んでいて気持ちがいいんです。『貨幣進化論』には彼のお葬式についてまで書いてしまったほどです。時は1920年代、共産主義運動が盛んで、国際共産主義運動とカトリック教会は、猛烈に対立していました。ウィクセルの葬儀には、その両方が集まり一緒に彼の死を悼んだのです。彼にはイデオロギーの違いを越えて愛される素直さがあったのではないでしょうか。

でも、その『利子と物価』の翻訳はもちろん絶版で普通は手に入りません。ですから私は、その『利子と物価』の翻訳があることを知ったので、それをAmazonの中古で探して買ったんですけど、こういう本を翻訳しておいてくれた人は立派です。私は外国語が苦手ですから、自著で引用する時、翻訳が出ているかどうか必死で調べるんです。英語のものでも翻訳と読み比べて自分の誤解に気付くことが少なくありません。ですから、あまり売れないはずの本をきちんと翻訳してくれる人を私は尊敬しています。著書の参考文献で原書のみをあげて翻訳をリファレンスしない人がいますが、そうしたやり方を私は好きではありません。個々の翻訳の出来については、外国語の堪能な人から見れば、それはいろんな議論もあると思うのですが、それでも最初に翻訳した人の熱意と苦労を忘れてはいけないと思います。
やや話は変わりますが、『貨幣進化論』で引用した本に、ウィリアム・バーンスタインの『豊かさの誕生』という本があります。本当に良い本だと思うのですが、出版後数年でもう絶版になってしまいました。その本はとても内容豊かなだけでなく500ページ近いハードカバー本で図版も豊富、それなのに定価3200円という安さなのですね。本が安く手に入るのは有難いことですが、行き過ぎると問題が生じます。この本も3200円という値段の何倍かの定価を打っておけば、出版社もそれなりの採算が取れて長く店頭にあったはずだろうに、とも思うのですが、こうした質の良い本を細く長く供給するというのはこの頃では存在しないビジネスモデルになっているんでしょうね。そこまで考えると、本を少しでも安くすることと、その本を細く長く世に送り続けることを両立させようと考えるのならば、本の電子書籍化は優れた方法論になると思います。

――電子書籍は本を安くするもの、というイメージを持つ方もいるようです。


岩村充氏: 知の共通基盤というのは、細く長く供給され続けるべきものだと思うんです。だから、電子書籍という技術を使って、紙の本では商業的に維持しきれないマイナーな思索を、きちんと保存して、長くみんなが使える状態になるといいと思います。評判になった本が、あっという間に絶版になってしまうのは、知の基盤という考え方からは問題です。
いずれ私の本も売れ行きが落ちれば絶版になるんだろうと思っていますが、書き手の立場からはほどほどの値段で世に残しておいて欲しい。細くても良いから長く存在していて欲しいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 岩村充

この著者のタグ: 『大学教授』 『経営』 『ビジネス』 『研究』 『教育』 『研究者』

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