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世界中の本好きのために

梶原しげる

Profile

1950年神奈川県出身。早稲田大学からラジオ局文化放送にアナウンサーとして入社。現在はJFN「ON THE WAYジャーナル梶原しげるのトーク to トーク」をはじめ、テレビ、ラジオで活躍。 その一方で大学院に進学。認定カウンセラー、健康心理士、シニア産業カウンセラーの資格を持ち、東京成徳大学応用心理学部客員教授・同大学経営学部講師も務める。「口のきき方」「すべらない敬語」「即答するバカ」「ひっかかる日本語」(全て新潮新書)など著書多数。「日経BPネットBizカレッジ~プロのしゃべりのテクニック」好評連載中。

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三島由紀夫の文体を「パクった」高校時代


――好きな作家、影響を受けた作家はいますか?


梶原しげる氏: 僕の読書で、初めて意識的に読んだ本は、三島由紀夫の『仮面の告白』とか『金閣寺』とかだと思いますね。なぜかというと、文章が実に華麗だったんですね。中学の後半から、高校の3年間ぐらい、ずっと三島由紀夫が好きでした。当時、60年安保過ぎたあたりから、兄貴連中が読んでいた『平凡パンチ』とか、『プレイボーイ』とかの若者雑誌に作家じゃない姿で、ボディビルダーみたいな感じで出ていて、「今の日本人はたるんでる」だの何だの、人生相談なんかをしているのですが、単なる人生相談じゃなくて、文章が「でせう」とかで書いてあって、「いいねいいね!」と(笑)。そこから、この三島由紀夫っていう人は、いったい何を書いている作家なのかなと思って本を読んでみたら、自分がこれまで味わったことのない世界で、そこからまた、パクった文章を書くようになったんですね(笑)。



僕の中学校が、作文何とか指定校っていうことで、しょっちゅう作文を書かされたんですけど、僕は三島由紀夫のまねをするもんですから、文章がまわりくどい、たとえがわかりにくいって、しょっちゅう赤で直されていたよね。情緒ばかりを書いていて、こういう作文はダメな作文ですと言われたんですよ。それは教師として正しい判断だと思います(笑)。でも、僕にとってはなかなか良い文章修業だったんじゃないかなぁと思っていますね。

――三島由紀夫の自決はおいくつの時だったのでしょうか?


梶原しげる氏: 三島さんがああいう形で亡くなっちゃったのが大学の2年のころだったかな。1970年ですよね。あれでいわゆるイデオロギーっぽいモノに対する拒否反応が強くなったのかもしれません。ちょうど高校から大学に上がるころ、野坂昭如さん、それから井上ひさしさんの文章っていうのがとても好きになりました。当時、あの人たちが直木賞を取っていた時代だったと思いますけれども、軽いモノが好きになったんですね。野坂さんは、『火垂るの墓』は別で、エロい世界だとかが軽やかに書いてある。今度はそういうのをまねしたり(笑)。小沢昭一さんの『小沢昭一的こころ』も、東海林さだおの『ショージ君』も出ていたかな、どんどんそういう軽いものが好きになって読んでいましたね。その一方で五木寛之さんの世界にあこがれて、俺もナホトカからどこか行っちゃおうかなと思ったりね。大した読書家ではなかったですし、むしろ音楽を聴くことに時間を費やしていていたような気がします。

アイドル本にも、編集者の「匠」の仕事がある


――アナウンサーになってからの読書はまた変化がありましたか?


梶原しげる氏: ラジオでゲストを迎えなきゃいけないんですよね。「ゲストが来るから、一週間で全部読んでおけよ」って5冊渡されたりして、「ほかの仕事も抱えているのに、5冊も読めるわけがないじゃないですか」って言うんだけども、人はやらなきゃならないことはやるんですね。そういうことで本を読む習慣がついたとも言えます。やっぱりさっきも言ったように、「俺、この人の何を知りたいんだろう」とか考えながら読むと、その人の絵が浮かんでくるフレーズが、本の中に必ずあるんです。

――ゲストに来られる方は、もちろん様々なジャンルにわたるのですよね。


梶原しげる氏: 政治家も学者も、色々な人が来られるわけですけど、当時のポップシンガーなんかの芸能本・タレント本の類はさんざん読みましたね。そうすると、「梶原さんは俺より俺の本のことを知っている」ってよく言われたんです。だって、本人は自分で書いてないから。ただ吉田豪さんが、「アイドル本は本人は書いてないけど、全く関係ないことはない。その中に真実を探すのが面白い」っていうことをおっしゃっていた。アイドル本でも、頭からバカにしないということが大事だなと思いますね。本の世界には、本の世界の匠っていうのはいますので。

本は「書き続ける」ことで認められる



梶原しげる氏: 映画もそうなのですが、1800円払ってつまらないものに出くわした時、どこがそのつまらなさの根本で、この監督はなぜここまでつまらなくしたんだろうかと探そうとする営みは、自分にとってメリットがあるんです。でも人は、怠惰なもんですから、スルーしちゃう。淀川長治さんはどんな駄作も褒めどころを探します。テレビ局が買ってきた映画を放送するわけすから、メインな映画にいくつかくっついてきたのも紹介しなきゃいけない。淀川さんにお目にかかったのはだいぶ昔のことですけれども、自分なりに分析すると、淀川さんにとってつまらないものなんていっぱいあったと思いますよ。目が肥えているわけですから。「見るに値しない」と言おうと思えばいくらでも言えたのに、「いやぁ、エンドの字幕の出し方はよかったですねぇ」とか。そういう風に物事を見ると、ハッピーになりますよね。

――本についても同じような見方ができるのではないでしょうか?


梶原しげる氏: 本も消費財のように言われて、いい加減な本が多いと言いますけれども、書き続けている人はそれなりにすごいんです。僕がまだ40代で、大学院に入る時に、國分康孝先生がとっても好きで、国分先生について行こうと思って、昔から親しくさせていただいている和田秀樹さんに相談したんです。そうしたらね、和田さんが、「国分先生は本を一般書籍含めて250冊ぐらい書いている。そういう人は信用していいよ」っていう風におっしゃったんですね。東大の大学院の先生でも、論文は書いても一般書籍は書いていない人たちは僕には合わないんじゃないかという風におっしゃったのが、今でも心に残っているんですね。

国分先生が修士論文の指導もやってくださったんですけれど、僕の『口のきき方』っていう本は修士論文を本にしたものなんです。指導しているのが国分先生だからいい本だと思います。でも国分先生は、「本というのは、1冊2冊3冊じゃダメ、出し続けないとダメなんだ」とおっしゃいました。1冊目を出した時は、人は、たまたまラッキーだったんだなと思う。で、2冊目出した時に、何か調子をこいてんじゃないかと言う。で、3冊目ぐらいから、ようやく「あいつ本を書くのが好きなんだな」と言われる。これをずっと続けていくと、世間が認めてくれるようになるよと。書き続けるっていうのは結構大変で、それだけ出版社が引き受けてくれるっていうことは、それなりに評価があるっていうことですよね。だから、本は書き続けろと言われて。結局40冊ぐらい今書いているんですよね。

――国分先生からは学問的にどのような影響を受けましたか?


梶原しげる氏: 国分先生の論理療法的な考え方というか、出来事をどう受け止めるかっていうのは、結構大事なことなんですよね。國分流で「ABC理論」って言うんですけど、AはActivating event、要するに出来事ですね、例えば就活の面接で、何度も落とされたという事実がある。すると多くの人は、激しく落ち込み、うつになることもある。今現在、落ち込んでいるというのが、Consequence、結果です。そういう時にカウンセラーが、どこに働きかけるかというと、出来事と結果の間の、どう受け止めるかっていうBelief、信念に働きかけるんですね。できれば志望したところに受かったほうが良かったんですよ。でもBを「これで人生おしまいだ」とするか、「空いた時間で旅にでも出てやりたいことをやっちゃおう!」でCの結果は違ってくる。ふと、「自分をもう1回振り返る、いい機会を与えてもらった」と、色々な体験をすることによって、一流企業に入ること以上の成果を得て、それがきっかけで起業する人もいるわけですよね。もうこのまま俺の人生おしまいだ。ひどい場合には首つって死のうかと、そこまで思い詰める人もいるとすれば、そうでない道もあるよっていう受け止め方で人生変わるっていうことですよね。

著書一覧『 梶原しげる

この著者のタグ: 『英語』 『心理学』 『アナウンサー』 『可能性』 『価値観』 『学習』 『フリーランス』 『手段』 『ユースフル』 『問題解決能力』

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