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世界中の本好きのために

河合敦

Profile

1965年東京都町田市生まれ。地元の中学・都立高校卒業。青山学院大学卒業(文学部史学科)。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。「わが祖先を語る」を秋田書店「歴史と旅」に投稿、編集長に見いだされ、25歳で「歴史と旅」に寄稿。その後、歴史読本などにも寄稿、共著で本を執筆するようになる。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)。第6回NTTトーク大賞優秀賞を受賞。現役の高校教師として日本史を教えるかたわら、多数の著書を執筆。難しい日本史をわかりやすく楽しく教えるのがモットー。

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歴史に、光を――河合 敦と本



河合 敦――歴史評論家としてテレビなどでも活躍するこの人物。高校や大学での授業をこなし、歴史関連の著作も多い。河合氏はどのようにしてここまで歴史に魅せられていったのか。

人生を変えた本たち


――執筆のお仕事と教育のお仕事、それに加えてテレビなどにも出演されて。お忙しいと想像しますが。


河合敦氏: 今、高校3年生の担任をしていまして、本当に忙しいですね(笑)。ただ今回、担任として生徒を卒業させたら、都立高校は退職しようかなと思っていて。教師は好きなので、どこかで講師でもしながら執筆をメインに据えたいですね。

――今年度、今のクラスが最後。


河合敦氏: そうですね、都立高校では最後になると思います。生徒にも言っていますよ。俺、やめるからって(笑)。

――このインタビューで、お話していいんですか?


河合敦氏: それは全然。もう言っているので。今、まあそんなに売れてはいませんが、監修も含めると年間20冊ぐらいの本を出しているんですね。よくゴーストライターじゃないかって言われたりもしますが、全部自分で書いています。書き下ろしだけでも7~8冊、監修といってもやっぱり時間が結構かかるので……本当に時間がなくて。

――今回はそんな先生への、本に関するインタビューということで。先生がどのようにして今の先生になったかを、昔の読書体験からお伺いできたらと思っています。最初の読書体験って覚えていらっしゃいますか?


河合敦氏: はい。大学で倫理の授業を取ったときに、その先生が、面白い本を幾つか勧めてくれて。そこで本って面白いなと。高校時代まではあまり読まない方だったけど、それ以降は乱読でいろいろな本を読みはじめました。

――意外ですね。


河合敦氏: それまで本はあまり読まなかったですね。ただ……歴史小説などは、司馬遼太郎さんが好きで読んだりしました。というのも、金八先生が大好きだったんです。武田鉄也さんはご存知のとおり龍馬が好きで、金八先生の中にも龍馬の話が出てくるんです。それで影響されて『竜馬がゆく』を読みました。そんな感じで、歴史小説はパラパラとは読んで影響を受けていましたね。

――少年時代から歴史に興味を持ち、かつ教育者への思いもそのころに?


河合敦氏: そうですね。中学のときから金八先生に憧れて、先生になりたいと思いました。歴史の先生になろうと思ったのは、『竜馬がゆく』がきっかけかもしれません。

――大学からはたくさんの本を。


河合敦氏: はい。あと、大学で乱読するようになる前に話が1つ。当時、僕は国立大学に行きたかったんですが、数学が全然できなくて滑ってしまって。それで一旦、桜美林大学の経済学部に入ったんですが、やはりどうしても歴史を勉強したい。というので、仮面浪人というんですかね……1年間大学に通いながら、勉強して、受けなおして、青山学院の史学科に入ったんですね。その仮面浪人中に読んだ本が、もうすごい、それこそ生涯に渡る影響を与えてくれて。これです。『強く念じよ!すべては実現する-あなたに富と成功をもたらす大法則』。

――作者は、謝世輝さん。


河合敦氏: 台湾から日本に来て大学の先生になった方です。僕はブルース・リーが大好きなんですけど、表紙の人がブルース・リーに似ているのでついつい手にとって(笑)。それでもう、人生が大きく変わっちゃったという。

――人生が変わるほどの……。


河合敦氏: 世に言う成功本って腐るほど出ていると思うんですけど、僕にとってはこの本が、一番最初に読んだ成功の法則の本です。

――この本を読んだとき、どう感じられましたか?


河合敦氏: 強く念じれば叶うんだと思って……。大学受験も、やっぱり青山学院に一番行きたかったんで、その本に書いてある通り“自分は青山学院の学生だ”というイメージを完全に何回も何回も(笑)、思い浮かべて。偶然かもしれないですけど、そうして受かったこともあって、ああ、心から念じるとその通りになるんだなっていう。

これがきっかけになって、あとはもう、同じような本を年間何十冊も読みましたね。どのくらい成功の法則本を読んだか分からないぐらいですよ。

歴史のプロが選ぶ、1冊


――では、最近読んだ本の中で、何か面白かった一冊は?


河合敦氏: 成功の法則本は目にするとついつい買っちゃうのと、あとは執筆の仕事に関連した本を買っていて。例えば天皇家の歴史についてこの前書いたので、天皇家に関するいろいろな本をそろえました。で、少し前に『知られざる日本の偉人たち』という本を書いて、いろいろな人物を見ている中で、今日、本を見繕ってきたんですけど。

――ありがとうございます。『人見絹枝―炎のスプリンター』(日本図書センター)ですか。


河合敦氏: 人見絹枝さんは、日本初のオリンピック女子メダリストなんですよ。ずば抜けた運動神経で、幅跳びとかいろいろな競技でいきなり世界新を出したりして。この人がオリンピックで活躍したのは1920年代後半なんですが、この方が銀メダルを取って以降、日本の女子メダリストって64年も出なかったんです。

――そんな素晴らしい方がいらっしゃったんですね。


河合敦氏: 当時は、女性がスポーツをするのはよろしくない、はしたないということで、反発や非難も多かったそうです。それを乗り越えて、オリンピックのアムステルダム大会に、日本女性としてたった1人で参加して銀メダルを取ったんですね。その後、自分の後輩を育てようということで、私財をはたいて、また寄付なども募りながら女子団を作って、国際的な大会に出たりして。でも24才で亡くなられているんですよ。24才。若いですよね。

――24才……。


河合敦氏: 女性のスポーツ界のために本当に一生懸命やった方なんですが、結核からの肺炎でお亡くなりになってしまう。この方は国を背負って頑張るという意識がすごく強くて、実際に国の期待を背負って国際大会に望むんです。でも、自分では頑張ったと思っているのに、新聞とか知人の手紙にむごいことを書かれたりするんです。「4位とかそういう順位で日本に恥ずかしくて帰って来られないだろ」みたいなことを言われて、非常に悔しがったりとか。

そういうさまざまな障壁を乗り越えた、女子スポーツ選手の草分け的な存在で、読んでいて本当にすごいなと思いましたね。この方は文章もうまくて、新聞社に入社するんです。会社はもちろん、彼女をスポーツ選手としてだけじゃなく、記者としても活躍させる。だからこそ、自伝も本人が書かれたんです。

――並々ならぬ苦難を乗り越えて、その上で自伝を、24年の生涯を終えるまでの間に……。


河合敦氏: 書いているんですね。その自伝の印税から、また合宿費を出したりする。自費で女性選手の交流というか、スポーツの振興を図っているんです。

――そんな素晴らしい業績を持った方なのに、一般的には恐らく……


河合敦氏: 知らないでしょうね。映画化とかもされながら、広く知られていない日本人っていっぱいいるんです。僕としてはそういった人にもっと光を当てて、メジャーにしたいのはありますね。

――先生ならではの目線ですね。


河合敦氏: 今回出した『「のぼうの城」に見るリーダー論』もそうです。今まで関東の戦国時代なんて誰も見向きもしてなかったから。でも、石田三成が水攻めをして失敗したという、本当に面白い合戦を和田竜さんが原作で小説にして、映画になるというので。たまたま一緒にコラボして、本を書かないか? ということで書いたんです。あまり光が当たっていないけどすごいものって、歴史上にいっぱいあるので、そういうのをもっと書いていきたいと思っているんですね。

――これから、より執筆に時間を割かれるということで、先生の本を読める機会も増えると思うのですが、教育者である先生が作家として活動されるようになったきっかけは。


河合敦氏: 僕は東京都の高校日本史の教員として入都したんですが、最初に配属された学校が町田養護学校といって、知的障害を持ったお子さんたちの学校だったのです。そうなると、普通の高校の歴史の授業というわけにはいかない。

でも、歴史への思いがやっぱりあるので、時間を見つけて自分なりに歴史の研究をしていたのです。地域の歴史だとか、先祖の歴史を調べていって。それで、自宅のそばに山城があって、その山城はそれまで鎌倉時代の城って言われていたんですけど、実は戦国時代の城の可能性がすごく高いということを、論文として書きました。

僕は専門の学者ではないので、『歴史読本』という雑誌が昔やっていた郷土研究賞にその論文を出してみたんですね。そうすると優秀賞を受賞して、その辺りから、文章を書いてみませんか、という歴史雑誌からのお誘いがあって。ポツポツと書くようになりました。書いていくうち、ぜひ本を出したいなと思うようになりました。

移ろう本との関わり方


――ところで、話は前後しますが、人生に影響を与えたという謝世輝さんの本は、どのように手にされたんですか?


河合敦氏: たまたま古本屋だったと思いますね。

――古本屋にはよく通われていた?


河合敦氏: そうですね。今は自分のが安く売られているのでいやなんですけど(笑)。でも当時はお金がなかったので、古本屋はしょっちゅう通っていましたね。

――昔と比べて本屋や古本屋について変化を感じたりはしますか。


河合敦氏: やっぱり綺麗になりましたよね。古本屋でも新刊と変わらないようなきれいな状態で本が売られていて、比較的手に取りやすい。あと、安いですよね。

――でもそれは書き手として諸手を挙げて、という風にはいかないと思いますが(笑)


河合敦氏: はい(笑)。でもまあ、当時が今のようだったらもっとよかったなと思いますね。昔は本当に本が汚くて……。神田の古書店とかだとしっかりしていますけど、普通の町のだと、本が山のように積んであって、しかもめちゃくちゃなジャンルで。ただ、逆にそこから面白そうな本を探すのが面白かったりもしましたね。

――今でも歴史に関連して資料などを参照されることがあると思いますが、そのときの資料の購入は、やはり本屋に足を運ばれるんですか?


河合敦氏: 最近はね、よくないんですけど、Amazonで買っちゃいますね。直接行く時間がないのと……。

――便利ですしね。


河合敦氏: ええ。あと、僕は早稲田で非常勤講師をやっているので、図書館が使い放題なんです。1冊何十万円もする明治期の本なども普通に借りて見ることができるので、それはもうありがたいですね。大学の図書館の存在は、本当に代え難いものです。

――では、購入するとなると、ネットとリアルな書店の割合って、どのぐらいですか?


河合敦氏: ネットが圧倒的ですね。8割ぐらいになるんじゃないでしょうか。

――ネットに関連してお伺いしますが、電子書籍は利用されていたりしますか?


河合敦氏: 最近、うちのやつがiPadというんですか、それを買って、電子雑誌などを購入しはじめましてね。それを見せてもらったら、結構綺麗に映るんだなと思って。ただ僕自身は、それをパラパラとめくったりしている程度ですね。本当に今年から、家族がそういうことをしはじめた。これまではまったく電子書籍に興味がなかったんですが、触ってみて、雑誌みたいなビジュアル的なものはとても読みやすいなと思いましたね。

――その中で、教育者、歴史学者、研究者として、電子書籍のこれからの役割や可能性を感じたりはしますか?


河合敦氏: そうですね……よく分からないですけど、普通に小説とかを読んでいるとそういう機能は難しいと思いますが、例えば音楽が流れてきたり、映像がふぅっと浮いてきたりとか(笑)。そういったことができれば、楽しく読めるのかなという気はしますね。あとまあ、電子書籍は重くならないですから、資料なんかも手軽に読めるんじゃないかと。

僕らのような人が調べものに使う国史大辞典があるんですが、たぶん1冊1キロぐらいで、それが15巻あるんですね(笑)。それをしょっちゅう参照するのはやっぱり大変です。そういう分厚い文献が、コンパクトに全部1台の中に入ってもらうとありがたいですね。

――ほかにも、何か電子書籍ならではの新たしい見せ方もできそうです。合戦の経緯が動く画面で分かったりとか。


河合敦氏: そうですね。ビジュアル的に分かりやすく。例えばですが、姉川の戦いで、どこかを1つ押すと姉川がピーッと映ってきて、そこから合戦の様子が出てきたりとか。それでまた押すと現在の様子が出てくるとか。単にページをめくるだけの書籍ではできない工夫や分かりやすい仕組みが生まれて、教科書のように活用できると面白いですね。

――はい。先生に動画で登場していただいても、面白そうです。


河合敦氏: それも面白いでしょうね。解説を押すと、いろいろな先生が出てきて解説してくれるとか。そういうことが電子書籍はできる可能性がある。それがいいなと思いますね。

――逆に紙の本の良さは、どんなところにあると思われますか?


河合敦氏: よさですか……。まあ、何か線を引いたり……でもこれは、電子書籍もできるか。

――できるとは思うんですけど、まだ紙には追いつかないというか。


河合敦氏: そうですよね。あとは……何かを探すときに、紙だと大まかに「このあたりにあるな」とか、手に取ってすぐにページが出せるといったこととか。

――ページをめくる感覚。


河合敦氏: ええ、心地よさとかですかね。でも結局はそういうものも、変わっていくんでしょうね。紙の本がなくなることはないと思うんですけど、レコードみたいに一部の人だけが持つものになって、やがては電子書籍が……。そうやって変わっていくんだと思うんです。

そうだ。匂いとかもいいですよね。紙の本の。

――電子書籍では、自分で買った本をスキャンして電子書籍化する――いわゆる“自炊”といったものもありますが、そういった形で読まれることに関して、何かお考えはありますか?


河合敦氏: そうですね。本音を言えばちゃんとした電子書籍を買ってほしいですね(笑)

――自分本をスキャンするというのは、それこそマーカーの書き込みのようなものも含めて保存しておきたい場合もあると思います。


河合敦氏: そうした形で使われることに関しては、特にもう、ありがたいことだなという気持ちです。

編集者との二人三脚は大切


――名残惜しい部分もあれど、少しずつ電子書籍へのシフトは進むと。では、その中で出版社、編集者の役割は、どうなるとお考えですか?


河合敦氏: やはり、今までの出版社は必ずしも要らなくなってきますよね。著者と編集者さえいれば、あとは別に出版社じゃなくてもお金を出してくれる企業やスポンサーがあればいいですし。編集者自身が有能であれば、作品を公開してうまく回していけちゃう。

誰でも簡単に、有料にして本にできちゃうことを思うと、今の出版社っていうものは今後、変わらざるを得ないんじゃないですかね……。構造的に必要なくなってきますよね。編集者というのも、電子的なことが分かってかつ編集ができる人が、重宝されるんじゃないですかね。

――ちなみに、先生にとって、こういう編集者はありがたい、というのはありますか?


河合敦氏: やっぱり作品を最初に読んでくれるのが編集者なので、しっかり読んでくれて、批判をくれる編集者がありがたいです。あとは営業上手な編集者。部数の決定とかも、今は営業側の力が強かったりするので。営業側の判断で初版を減らして、売り切れちゃって、一番売らなくちゃいけないときに本がないという大失態も、結構あることなんです。



出版は初動が命なので、出た瞬間、売れたらどんどん出して行くのがベスト。僕はこの辺りは幻冬舎さんがうまいなと思ってます。売れると思った本は、どんどんコマーシャルして。で、売れていると評判になると、またいいサイクルで、どんどん売れていくんですよ。

――マーケティングの力ですね。


河合敦氏: そうですね。その辺を営業側としっかり決めてくれる人がありがたい。編集者がうまくプレゼンをして、売れるのをアピールして。あとは、発売するまでの間に、「内容が難しいからこうしたら?」みたいな修正をしたり、章立てを工夫したり、売れるタイトルを付けたりと、そういうやり取りをしっかりやって。タイトルもとても大事なんですよ。ほとんど編集者がつけるんですけどね。

――先生も、そこの部分に関してはタッチされていない。


河合敦氏: タイトルはほとんどタッチできないですね。ときどき「どうしますか?」って聞いてくれる方もいますけど、最終的には編集部がつけるんです。鳴かず飛ばずでダメだった本を、違う出版社で同じ原稿でタイトルだけ変えて出したら、10倍ぐらい売れたなんてこともあって、タイトルって大きんだなと実感しました。

――そうなると、二人三脚というか、編集者の役割はやはり大きいのですね。


河合敦氏: 大きいですね。励ましてくれたり脅してくれたりしますもんね。

――脅しですか(笑)


河合敦氏: このままではクビになるから、早く書いてくださいとか(笑)。怖いですよね。フリーになれば少し時間の余裕ができるので。紀行文みたいなものがやってみたいです。司馬遼太郎さんの『街道をゆく』のように、いろいろ歩きながら歴史を語るといった感じで。

――それは本当に楽しみです。


河合敦氏: ありがとうございます。足を伸ばして取材するといった、今まで忙しくてできなかったことをやってみたいなと思っています。

――そこにはやはり、教育者としての目線も存分に入ってくる。


河合敦氏: そうですね、それを入れながらね。

――それは本当に読んでみたいです。教科書や小説では分からない、先生なりの視点で歴史がますます語られれば、歴史を好きになる子どもたちも増えていくのかなと。ご活躍を楽しみにしています。本日はありがとうございました。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 河合敦

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