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世界中の本好きのために

福島哲史

Profile

慶應義塾大学文学部哲学科卒。講演・研修、企画を中心に、企業や舞台のブレーンとして活躍、広く、各界へ、さまざまな提言および、表現活動、プロデュースを行なっている。特に発想企画、創造性開発、感性・表現力などを中心に、これからのビジネス手法やクリエイティブな仕事術について、高い評価を得ている。一方で、ライフワークとして、20年来、声のトレーニングを研究所とスタジオを経営しつつ、自らも15名のトレーナーと指導と声の研究を続けている。著書は、「感性がもっと鋭くなる本」、「集中力がいい人生をつくる」など100冊を超える。

Book Information

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自分の知らない世界と「声」を交わして、人は大きくなる



福島哲史さんは、株式会社オフィスヴォイス代表取締役として、企業や舞台、エンターテインメントのブレーンとして活躍、また、長年、ライフワークとして声のトレーニングの研究所を運営されています。著作としては、仕事術、自己啓発、感性や創造力開発などをビジネスマン・一般向けに、また声のトレーニング関連でも音楽・舞台関係者向けに、合わせて100冊以上の本を出されています。福島さんに、出版業界の展望や、今後の言論活動における「使命」などについてお話を伺いました。

「マーケティング」と「ロックヴォーカル」の本で、ほぼ同時に作家デビュー


――福島さんは、ビジネス書のほか音楽関連など多彩な著作がありますが、はじめに執筆されたのはどのジャンルなのですか?


福島哲史氏: 出版に関しているなら、老舗の中央経済社というところから出した『フューチャーチャネリング-感性で読むマーケティング』がデビュー作です。私の講演を聞いた編集者の方がまとめてくれました。そして、同年、関わりのあった音楽出版社からロックヴォーカル向けの声の本を出しました。そのころはいろんな企業の企画のブレーンをやっていました。若かった上に、ロックの本を出していると取引先の企業での信用が下がり、ビジネスに関わっていると声のトレーナーとしての信用が、なぜか日本では下がるので名を分けていました。それが2000年頃になると、研究所にヴォーカルではなくて、だんだん声優さん、役者さん、それから一般のビジネスマンが来るようになって、声のトレーニングを一般のビジネス書で書いてくれという依頼が増えて、ニーズが混じってきたんです。おかげで二つの出版社では両方の名前で書くはめになりました。ペンネームや芸名を使い分けているのは、作家と大学教授やビジネスを兼ねている人にはみられることです。

――様々な仕事を両立させ、またその手法を提唱されていますが、仕事術のアイデアはどのようにして生まれましたか?


福島哲史氏: 仕事術の本は、もともとは、先のデビュー本があまり売れなかったのを別の出版社の社長に「そんないくつも仕事を掛け持っているんだったら、その毎日の処し方を書いて」と言われたんです。そのほうがビジネスマンに役立つということで。それが『究極の手帳術』という本で5万部ぐらい売れた、ひょうたんからこまです。そのせいで、仕事術路線がひかれ、結果として毎年、5、6冊書くことになりました。今の手帳ブームを、先駆けてやっていましたね。日本語での声とことばのレッスンの本などは、大ベストセラーとなった齋藤孝さんの『声を出して読みたい日本語』の5年前に出していました。だから僕の場合は、本というのは、そのときどきの仕事の必要にせまられたものを自分なりにまとめたりしながら、そのまま出してきましたね。ただ世の中の歩みより、いつも三歩ほど早いので(笑)。

――お仕事の中では、ヴォイスコミュニケーションに関する業務が異色ですが、きっかけはどのようなことですか?


福島哲史氏: それまで日本の研究所といえば理工学系の人が経済的なところでもトップだったんです。ところが、だんだん物よりも心の豊かさなどが求められるようになると、人をどうやって集めるか、人をどうやって感動させるかというようなことが問われるようになってきました。当時は、企業が入社式をイベントセレモニーにしたり、運動会を大規模にしたりしていました。それはエンターテインメントのノウハウなんですよね。首相が竹下さんのころ、「ふるさと創生事業」があり、市区町村に1億円給付して箱物、ホールだけは作ったけど、ソフトがなかった。それで、自分のやっていることがそのまま企業に使えると一気に引っぱられたのです。色々な博覧会などもあったし、全国のテーマパークも回りました。今はそのほとんどがつぶれましたが(笑)。そういうなかでソフト、人と人を書くことや話すことでつなげることの重要性を説いてきました。特に日本人には苦手な音声でのコミュニケーション能力の強化法が、ロックに限らず歌手や俳優の声のトレーニングと結びついていったのです。

内容が浅くなる本。「3週間でできる」が「1分で変わる」に。


――多数の本を執筆されている福島さんから見て、以前の本と最近の本ではどのように変化しているでしょうか?




福島哲史氏: われわれのころから言われていたとは思いますが、ビジネス書では、どんどん内容が浅くなってきていますよね。自分の本さえ、本で求められるものは薄くなっている。昔は、それなりに理論的で、独創性がなければ出版できなかったんです。戦前の方々の文章とか本を読むと、1冊に、想いが一生分詰まっていますよね。編集者もレベルが高かったし、きちんとした本じゃなきゃ売れないから、すごく質のよい、職人技みたいな本を作っていた。一方で、僕はそれに反発して、ビジネス書に関しては週刊誌的な扱いでもどんどん回転していけばいいだろうと考えていました。それはそれで一つの考え方だったと思いますが、あまりに行き過ぎた気もします。良くないなとも思っています。

――福島さんが本を出されるようになった1990年ころからの出版界の変化は、どういった変化だったんでしょうか?


福島哲史氏: ビジネス書は専門書をわかりやすく一般的に読めるようにしてほしいというニーズに応じたものだったのです。当時、語学書などがビジネス書で出てヒットしていました。僕はMacintoshの本も書いたんですけど、それは自分がマックを使うのにすぐに役立つ本がなかったからです。ニフティやザウルスの本も、睡眠も感性や集中力の本も、そういう能力や知識が自分の仕事に必要なのに、見合う専門書がなくて、自分で研究して自分に使っていたらそれが本になっただけです。今で例えるとタニタの社員食堂のレシピ本みたいなものです。たとえば、睡眠時間がとれないほど多忙だから睡眠を専門書で調べざるをえなくなった。すると、動物実験、あるいは時下や事故といった特殊な事例、しかも海外の古いものしかないのです。人体実験が許されないからです。それなら今の自分のおかれている過酷な実体験から、ノウハウを導いた方が、そして医療の専門家にチェックしていただいてつくったものの方が、ビジネスマンや一般の人には役立つでしょう。ただ、当時は、そのような本にも、自分の仮説なり理論なり思想を入れていたんです。その部分は、今なら、だいたいカットされちゃうんですね。手帳や声の本でも、能書きっぽいもの、精神論的なもの、思想、信念から出てくるものからカットされる。テレビ的になってきているのです。今日からすぐ使えるノウハウやメニューだけ教えてくれ、みたいな要求がある。昔なら「3週間でできる」というタイトルの本が、今や「1週間でできる」、「1日で変わる」、「10分で変わる」、「1分で変わる」みたいな感じでしょう(笑)。

――そのような「メニュー」だけの本が、読み手にどのような影響を与えたのでしょうか?


福島哲史氏: 他人のメニューやノウハウはテンプレートみたいなものです。それをとっかえ、ひっかえしていても、自らの基準を得て、自ら材料をくみたてて創っていくということへつながらない。つまり、根本的な成長がないということですね。思想を知っていたら、そこから環境に合わせて自分なりの方法とかメニューを作って対応していけるわけです。本当の仕事の力というのは、そこに当たるんです。私の書く本は、「答え」が書いてあるわけじゃなくて「問い」です。僕も買う本には、答えは求めていなくて、自分に問いかけてくる、あるいは問いを作ってくれる本を求めている。読み終わった後に、「わからなかった」で全然構わないんです。正解自体があるわけはないし。自分には、何かしらわからないものがあるとか、自分に見えていない世界が、現実にもこんなにあるんだということに気づくことが大切なんです。本でも映画でも演劇でも、わからないものだと、若い人は「だめな本だね、ひどい映画だね、俺全然わからなかったよ」ってけなすんだけど、わからなかったからこそ意味があるんですね。60代の監督の演劇とか映画を、若い人が見てわからなかったとして、間違っていたり、おかしいわけじゃない。自分がその成長レベルに達していなかったり、60代の監督たちと同じ時代に育ったり、60代にならないとわからないものって、世の中にたくさんある。だからそういったものを認め、取り込まないと、自分は変わらないですよね。自己肯定や共感ばかりが強くなりすぎた。人づきあいも同じです。異質なものに触れるから、自分が成長する。そのきっかけを与えたり勇気を促す最高のものの一つが本だったのに、残念なことです。

本の賞味期限が短くなり、よい編集者がつぶされる


――求められる本が変わったことで、出版社や編集者にも変化はありますか?


福島哲史氏: 僕は編集者に育てられたという程じゃないけど、編集者に本の内容を吟味してもらったり、表現を変えてもらったりすること自体が勉強になっていたので、何でも引き受けていたのです。今は編集者の方が年下になって、こっちが書いた通りに出版されてしまう。仕事で実践することと、書物として伝えるというのは、別の技術ですよね。本というのは、新しい場所を切り開くようなところがあるんです。だから、声のトレーニングでも、アンチエイジング、語学、小中学生の教育と、現実の実践の延長上に、コラボレーションできる。出版社には、そういうものを本という形に企画する力、編集する力があり、売る力がある。それらがだんだん著者、さらに読者の方に一方的にゆだねられているような気もしますよね。これは商品の流通に似ていますよね。メーカーが強い時代から、流通が強い時代、そして、消費者が強い時代になる。今はネットで盛り上がってバーッと売れていく。テレビも出版、新聞も、これまでの仕掛けがだんだん通用しなくなってきた。自ら賞味期限を短くしてしまっている部分はありますね。

――本の売れ方、売れる本にも変化が起こっていますか?


福島哲史氏: 以前と違って勝ち組と負け組がはっきりしてきた。売れる人の本は売れて、売れない本と両極になって、その周りにいたようなサブカルチャー的な人たちがなかなか出ていけないように思っています。昔は、3万部、5万部をコンスタントに売って、講演で食べている人が少なくなかった。1冊書いて2ヶ月食べられたけど、今はたぶん1冊書いて1、2週間食べられないんじゃないですか。以前は新刊本が11ヶ月ぐらいは書店にあって、1ヶ月ぐらいは平積みになっていた。年に10冊ぐらい出していた時もあるんですが、8冊ぐらいはどこの書店でも並んでいました。今なんか1週間たたないうちに消えてしまいますからね。いわゆる時間をかけて育てていくような著者とか、最初は読者に理解されないけど新しい才能のあるような人たちが、伸びることができない環境になってきている感じはありますね。出版社は増刷しないと利益が出ません。お互いに売れない本を出すと評価が下がって次に出せなくなるので、そこそこ安全に売れるような本ばかりになった。

――福島さんが関わった、いわば「古きよき編集者」はどこへいってしまったのでしょうか?


福島哲史氏: よい編集者はたくさんいたんですけど、有能で転職や独立した人も少なくありません。まじめな方にはうつになった人もいます。社員がみんな働いている中、平気で休暇を取るような人は生き残りましたが(笑)。市場縮小のなかで、編集者は売るという重い責任を負って、部下はリストラされ、その分の仕事を全部抱え、期限はいつもギリギリ、パソコンでレイアウトから装丁デザインまで一人でやらなくてはいけなくなった。コンスタントに無理をして、つぶれて仕事できないでいる社員と、遊びながらもたまにヒットさせて生き残っている社員のどっちが働いているのかなどといっていましたが、今となると、どちらのタイプも出版社にはいられなくなりましたね。

電子書籍のメリットは、「機能性」と「オーダー生産」


――出版界では、電子書籍、電子出版の登場が変革をもたらすといわれていますが、電子書籍はどのような存在になるでしょうか?


福島哲史氏: 著者が書いてすぐに電子書籍として流せば、出版社を通さなくても売れますよね。ネットで100円ぐらいで売っても本の印税と同じ収入になります。今までの書籍では、著者は印税を定価の1割くらいをもらっていたわけですね。どちらにしても本の収入というのは、著者の労力、支出、そして作品の価値などと全く関係がない(笑)。紙を束ねたモノとしての原価に流通費などをのせて定価にして、それがいくつ売れたかのパーセントでしたから。実際僕のところに来た話では、電子版では1冊300円ぐらいで売り、印税何十パーセントっていうんですけど、紙版よりも売れない場合が多くて、ほとんど成功していないですよね。そうすると今までの印刷物のように原価がかかっていたほうがその1割の収入でも多かったということもいえます。もう一つは、モノとしての価値、ビジネス書は装丁が簡単になっていますけど、それでも、モノとしてあると愛着心がもてる。LPのレコードを持っていて、すり切れていくんだけどジャケットも持っていてファンだという人と、ネットでダウンロードしてファンだという人の、愛着度の違いって絶対あるでしょうね。

――それでは、電子書籍の優位点と言うか、メリットはどこにあるでしょうか?


福島哲史氏: どこでもいつでも見られるというところは、電子出版のほうがいいでしょう。辞書、事典は、一番早くネットにとってかわられましたね。いつでも取り出せるとか、編集して自分だけに役立てるとか、雑誌の切り抜きとか、情報や知識はデジタルに限る。思想書などと、ビジネス書もそういう点では、根本的に考えるためのものと、仕事や生活に日々使うようなものと分けて考えたほうがいいですよね。電子書籍を読んで、よい本だったから紙の本を買う人がいるのもいいことだと思いますね。本だけだったら絶版になってしまうものが、電子書籍で生き返るのも、すごくいいことです。売れない本をたくさん処分していることを、なんとかしなきゃいけないですよね。本は在庫で税金がかかるから捨てざるを得ないんですね。何でも、売れる分だけのオーダー生産が本当は一番いいんですよね。それと音楽、画像や動画の流通の変わり方と、もう分けては考えられなくなってきているということをあげておきます。

才能を集めるには、業界を底上げするシステムが必要。


――電子化に限らず、複製や二次利用など、著作権の問題はどのようにお考えですか?


福島哲史氏: 著作権の問題で、主張しているのは大体、もうかっている人たちなんですね。印税で何億円ももうけている人は、もういいと思うんですよ(笑)。取材に10億円かかると言われたら、そういうのもあるかもしれないけど、普通の著者がトントンか赤字でやっている中で、何回も増刷して、3次、4次利用して、もうけている。だいたい1年かけて書いたものだったら1億円ぐらいを上限に、あとは社会に還元すべきですよね。まあ、彼らからしたら、立ち読みされたりレンタルで、それでも1割も入っていないぞということかもしれないけど。テレビもレンタルビデオも、そんなものがでたら売れなくなるぞって言っていたけど、作品やその人の名前が知られて、ペイできるんであれば、あまり規制しないほうがいい。ヤミで流れていても、次の作品が出た時は最初から売れますよね。もちろん、よい面と悪い面と両方あります。著作権やパテントというのは守らないと権利者は困る。でも、社会や文化としてどう考えるかは、また別の問題です。

――利用された際にお金が入るシステムがないと、若い才能が出にくくなるという指摘についてはどう思われますか?


福島哲史氏: 確かに実力がある人が稼ぐのがこういう世界だし、成功するっていう夢がないといけないんだけど、今は金持ちになりたいから表現しようなどという日本人は少ないんでしょうね。貧しいままでもなりたい人はなっている。そういう面では、ある程度トップの稼ぎを制限して、その分を貧しい人に回して、できれば社会、ムリなら業界だけでも潤うようになれば理想的だと思います。業界がどうであれ、才能のある人ってどこでも現れる。ただ才能っていうのは、お金が回っている業界に行きますから、そういう意味でいうと、出版にも才能が集まるようにした方がよいのでしょうね。でも、こういった業界という区分けさえなくなっていくから、本人がやるかやらないかだけでしょう。

ネットメディアで遠のく「自分の器」を破る契機


――電子書籍のほか、ブログやTwitterなど、新しい電子メディアで文章を読む人も増えていますが、これらのメディアの可能性はどう思いますか?


福島哲史氏: 新しいメディアがたくさん出てくるのはとてもいいことだと思います。その中に新たに専門家が出てきているというのもいいことです。僕の書いてきたテーマの一つが仕事術でしたから、ブログとかTwitter、Facebookといったものも、僕が30代だったら先陣を切っていたと思いますが、育ってきた環境がありますから(笑)。デジタルの分野が得意な人がやればいい。他の若い人ができることからは、大人は早く身をひくべきでしょう(笑)。20年以上前に、僕が「手帳術」で書いたこと、ビジネスマンや社長にアドバイスしていたこと以上のことを、今の中学生や高校生が全部実現しているんですよ。たとえば、僕の手帳術では「駅のホームで思いついたことでも瞬時にポストイットにメモをすること」とあります。でも今、モバイルフォンでは、書くだけでなく、それをほぼ同時に他人に伝えられます。常に書いて、人に伝えられるから、また書く気になるわけです。すぐにそのレスポンスまでもらえる。SNSなら大して発信しなくとも、欲しい情報が集まってくる。おのずと、ネットに巻き込まれてしまう。でも同時に自分の情報をとられています。いつの日かSF映画のように誰かに支配されていることになりかねません。

――ブログやTwitterの書き手の文章、あるいは読者の特徴は感じられますか?


福島哲史氏: 「表現」とは、本当にすごいものは、当初、否定されるようなものでした。今はわかりやすいもの、すぐ共感できるもの、すぐ得するもの、人に言いやすいものばかり流れます。フローばかり。考えさせたり、反感をもつけどどこか納得させられるものなどは、スルーされる。Twitterなどはストックされた専門家の思想や知恵より、そのとき断面を切りとっただけのおもしろいだけのフローな情報に有利なツールだと知るべきでしょう。ネットでは非難されるようなことを書くのを極端に恐れるようになりかねません。みんな賛成ばっかりのつながりを求めるようですね。そういう環境は良くないですよね。世界中から自分と合う人を探してつき合っていくというのは、今まではそういう人と出会えなかった人にとっては、とてもいいことです。しかし、自分が嫌いかも知れない人とか、自分が合わないかもしれない人を避けることになってしまいます。例えば、家族であったら合わなくても一緒に住まなきゃいけないときもある、パートナーなったからには、違う面があることに気づいてきても簡単に別れられないとか、就職した会社で生涯がんばるとか、人というのは社会のなかでは制限下でやるべき義務もあります。自由を制限されたところに本当の幸福もあったのです。今の人たちは、家の都合とか、親や上司の薦めで見合い結婚なんて考えられないでしょう。でもそういう結婚をしたから不幸だったのかと言ったら、違う話ですよね。嫌になったら出ていくと言っていたら、9割は失業、転職、家庭崩壊や離婚になります(笑)。嫌なことを避けるのが決して幸せになる道じゃないわけです。ずっと嫌なことでも一瞬で報われるということもあります。嫌なこと、つらいことが多いほど、一瞬が輝くわけだから。その制限下で自分の器を破ってみることで嫌なことも好きになれて、自分が大きくなる可能性が出てくる。残念だなと思うのは、それを今の自分の器で「これしかできない」とか、「これは嫌だ」と閉じこめてしまっていることです。異質だからこそ接して大きく学べるのですから。

人に教わり、怒られた経験が財産になっている


――人と直接関わることの重要性は、ネット時代になっても変わりませんか?


福島哲史氏: 今の時代、だれにでも会えるんですよ。僕らの時代は、人に会うまでに紹介の紹介の紹介とか、あるいは何年か待って少し偉くなって会うということが多かったけど、今だったらその人が、どこで何をしているか大体わかるからそこに行ったらいい。会いにきた人と話すのも、嫌っていう人もあんまりいないですからね。応対もTwitterやブログで逐一報告されることもあるし(笑)。色々な人に会えるし、刺激を受けることができるからいい時代だと思います。ブログでも、Twitterでもそれを越えてアクセスできる勇気っていうのかな、さらに知らない人、できたら自分と考えの違う人、気にくわない人、嫌な人に会いにいきなさい(笑)。たとえ敵と思えても、避けるのでなく理解しあえるようにする、気にくわない人を育てる努力も大切、その方がいろいろと刺激を得られ、自分も成長できます。気が合わなければとか、失敗したらとか、失礼にあたったらとか、そういうことでみんな動けなくなっちゃっているのでもったいないですよね。経営者は文化人や芸術家の支援をやることですよ。すると世間からたたかれた時に防いでくれます。もちろん、会社としてちゃんとしたことをやらなければいけないんだけど、会っておくと、敵にまわる人も、五分五分ぐらいには立ってくれます。味方するまでにはならなくても、わざわざ敵に回らなくなる(笑)。

――人と直接言葉を交わすコミュニケーションが大事になるんですね。


福島哲史氏: そうです。そこで必要なのが、声のトレーニングなのです。そういうことができて力をつけていく人と、そうでない人とは、ますます差がついちゃいますね。昔は、そこで「俺、力がない」と気づいて、ギャップを感じ、黙ってがんばったのですが、今はこのギャップさえ見えなくなっていて、何も気づかないまま、あっという間に10、20年たってしまう。もっとそのギャップを見せてあげられるといいと思います。僕は若いときから、色々な人にインタビューをしたり、いろんな勉強会の幹事をやって年輩の先生を呼んだりして、ずいぶん早く大人になれたと思います。物の考え方や処世の勉強もできました。当時の先生方のなかには、気難しい人もいて、こうやると怒るんだとか(笑)、たくさんの失敗から学んだんですね。若いころに色々な人たちと会ったことが財産になっています。特に、嫌な人に(笑)。だから、嫌な人でいたい(笑)。

――生徒さんなど、若い人と接する機会も多いと思いますが、今の若い人の印象はどうでしょうか。


福島哲史氏: 僕はビジネスで20歳上の人たちとやっていましたから、ライフワークとして、年下の人とやっていく場を早くつくりました。いつでも、次の時代は若い人のものです。しかし、そういう人たちの悩みを聞くと、ずっとそれを大事に抱えたまま持っていってしまう。成長して、それが小さな悩みにならない。もっと大きな悩みにぶつかるように行動すればそんなものふっとんでしまうのに。早く大きく苦労して、自分をもっと鍛え変えていかなくては、この先、大変だぞっといっています。情報にふりまわされているうちは、まわりが気になり、まわりを変えようとばかりして、悩みます。情報など、たち切っても生きていけるように自分をたくましく変えてこそ、情報も使える、といっています。

「われわれは日本をよくしたのだろうか?」と自問自答。


――若い人が、生きている環境を変えるにはどうしたらよいでしょうか?


福島哲史氏: あまり金をもたずに海外に行けばいい。不便なところへ。旅一つでも苦労できていいと思うのですが。若い人は「日本のほうがいい」と言いますが、「いいからこそ、早く、そこを自ら脱しなくてはいけない」のです。ものが充足しすぎるとおのずと、選択になっちゃうんです。昔は物がないから、ひどいものしかないから、これだったら自分で作っちゃえとか、組み合わせちゃえとか、もらってきちゃえと、生活の知恵の力がつき、それがうまくできたらお金にもなったり、自分の生きていくためにプラスになった。今は自分たちが作る前に物があって、それを覚えたり、どれがいいのかの差別化をすることにほとんど神経が使われます。ものを捨てることさえ、本を読んだり、人を雇っているとか(笑)。
「間違ったり損はしたくない」ということで、「何が正しいんですか?」みたいなことをすぐに聞いてくる。すでにあるものがなかったものとして、ゼロから出直してみることです。

――今の若い人は、これからの時代を背負うには頼りないと感じられますか?


福島哲史氏: それをいうのであれば、もう年寄りのたわごと、でも若い人がダメというより、団塊の下あたりの世代から僕らの下あたりの世代がもっとダメでしょう(笑)。今の40代ぐらいから70代あたりの人がやってきたことって、皆で自分のいいようにして、日本をダメにしてしまった。今の日本を見たら、昔の人たちみたいに美田を子孫に残すみたいな考え方のほうが正しいとわかります。戦後、ゼロから、30年で世界一にまで稼いできた日本の富をこの30年ですべて使ったどころか借金だらけにした。戦後、価値観がガラッと変わって、親とか教師の言うことを信じられなくなって、アイデンティティーを確立できなかったのが団塊の世代で、それに育てられたのが今の若者です。理想がないままに日本のシステムがガラガラ崩れた。大人というのは、まともに国を導いて、自分のことより社会や子孫のことを考えるはずなんだけど。たぶんアメリカの、悪い意味での自由な教育でね、魂が抜けちゃったまま来ている。政治もみんなが失敗と思いながら自らは存命しようとして手を打つごとに悪くしちゃってますからね。団塊が人口的に多いから、政治的な面でも文化的なものでもいまだに支配している。それはもう20年もたてば壊れますよね。その後に全く違う世界が急に来てしまうのでは若い人には何ら希望がない。だからもう失敗しちまった戦後の世代が全部引っ込んじゃって、20代ぐらいに、主権を預けちゃったほうがいいのかもしれないです。

「クールジャパン」で考える。大人の文化とは何か。


――団塊の世代より上の人たちは、また印象が違ってきますか?


福島哲史氏: 80代っていうのは結構、信念をきちっと持っているんですよね。戦前教育での国に対する使命感も含め、戦友が死んで、自分が生き残ったという社会への使命感がありましたから。彼らは日本の発展と退廃を2回みています。その辺と20歳ぐらいを早く結びつけて、団塊から後は口を出さないほうがいい(笑)。例えば、団塊の世代はギターを弾いて英語で歌えたりはする。でも、それまで漢詩を一つぐらいひねって、都々逸なり小唄など、日本の脈々とした文化の上に生きてきた伝統は、パタっととだえてしまった。団塊の世代の“めざましい”活躍のせいで、そこでブツッて切れちゃってるんですよね。僕は声の指導で古典芸能の人とも接していますが、70代以上がいなくなると先がないかもしれない。オペラも欧米を崇拝してきた団塊の世代がいなくなってたらどうなるでしょう。若い世代は、もう今の日本が一番いいと思っています。でも、どちらもなくなっていくと、成熟した文化はなくなってしまうかもしれません。団魂も含めて欧米を追いかけていたころのほうが、大人になろうと思って、背伸びして頑張っていたわけでしょう。何においてもそういう先行するモデルがないと日本人というのは本当に弱いのですね。

――日本の新しい文化、例えばアニメや漫画などについてはどのように感じられていますか?


福島哲史氏: 今の日本の状況で言うと、子どもに近いところへの志向の文化なんですね。ですから、声優さんでもアニメ声、子どもみたいな声を出したいと言うわけです。勉強やトレーニングは早く大人になる、早く成熟するためのものですね。ところが日本が国際的に発信しようとしてきている「クールジャパン」って言われている分野は、ロリコンカルチャー、欧米などでのタブーへふみこんだ独特なもので、逆行していると感じますね。とはいえ、その国なりに色々なよいもの、悪いものがあって、確かに今どきの日本らしい文化ともいえます。日本のアニメやファッション、ポップスなどのヒットやそこから日本の伝統文化や風習、日本の商品、食品、料理などの世界での流行は、特にビジュアル面での日本人のすぐれた資質に裏付けされています。よいものを見るとその国を尊敬できます。いまだにフランスが、世界の中で発言力を持ち続けているのは文化の力、ブランド力です。僕も漫画で育った、スポコン世代だから、漫画が人生観を変えていくのはわかるんです。でも、やっぱり大人も読める漫画というだけでなく、全体として大人の文化を見ていかないと、いつまでも大人になりきれない人たちを作ってしまう。今、大人っていう定義さえをどうするかが、日本人では難しいんでしょうけどね。

ベーシックな生活を復活させる「声」の力を探求したい


――福島さんがこれから作家として書く内容も含め、今後の展望はありますか?


福島哲史氏: 以前は団塊の世代の功罪を追及する本を書こうかと思っていたんだけど、私ももう彼らとだいたいひとくくりになってしまいましたから(笑)、団塊の世代を責めても仕方がない。自分たちの子どももいい年になってきているわけですから、結局われわれの世代は何をしていたんだ、つまり、日本の戦後ってどうだったのだろうということを、きちっと見て、反省し、改めていきたいと思っています。ようやく、他人のことは他人に任せられるようになってきたので、私自身、学び直さなきゃいけないと思っています。おのずと自分の信念なり指針に基づくことに絞り込んでいくと思います。今一番時間を割いているのは、人間の身体、メンタルの研究です。身体というのは、生物の持つ最高のものが受け継がれたものです。例えば発声でも、おなかから声を出すと顔色がよくなって、メンタル的にも充実を感じます。体が浄化されると言ったら変ですけどね。私も、声を出していると、それだけで今日1日終わった、と充実感をもてます。大げさに言うとこれで一生終わってもいいんだという気分になります。だから、もう書かないかもしれません(笑)。人間のベーシックな生活が今の日本の若い人だけに限らず、多くの人から失われてきているから、そのようなものを取り戻すために、体の声の力というものを考えていきたいと思っています。ともあれ、日本のためにと言っている人ほど日本をだめにしてきた、でも、それをみながら何もやっていない人もだめにしてきた、この事実をしっかりとみることです。若い人の未来のために始末をつけなくてはなりません。それをしないなら、あらたにまた失敗を重ねないように、さらに状態を悪くしないように、我々中高年今すぐ少なくとも日本からはいなくなるべきです(笑)。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 福島哲史

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