『ヒッチコック映画術』を読んで、映画本にどっぷりはまりました
――宇多丸さんといえば、本当に沢山映画を日ごろからご覧になっているそうですが、正直飽きたなと思った事ってありますか。
宇多丸氏: 飽きてはいないですけど、大変だなって思います。でも本数の問題じゃないんですよね。むしろ、「シネマハスラー」を毎週一本やるというせいで、本数が観られなくなっているのが、すごくイヤなんですよね。要するにその1本のためにかけなきゃいけない、調べたりする手間やコストがすごくかかる。あと、その週に扱う物の事以外、あまり考えなくなったりしちゃうし。
ただ、その一方、見る映画の幅が広がって、豊かな経験をさせてもらっているなとは思っています。
当初、自分が観る予定じゃなかった映画を観るほうが多い。本の例えで言えば、「だいたいこの本にはこういう事が書かれているであろう」という、ある程度内容が想定できる本があります。こういう本のことを僕らは「強化系」と言っているんですけど、「もう知っているし思っているし」という事を強化するために読む読書ってあるじゃないですか。こういう読書はすごく自分にとっては心地いいし、これはこれで結構なんだけど、そればっかりやっているとちょっと視野が狭くなったりとか、考え方が貧しくなったりしてしまいがちなんですね。
映画も同じで、自分の好きなほうだけを掘り下げていくのはいいんだけど、自分が「イヤだな」と思う映画を観ることなどで、興味の対象の外側に触れていくというのも刺激的かなという気がするという感じでしょうか。ただ、これのせいで、本当に観るべき物とかを見逃していたりするのも事実なので。
でもイヤイヤ観ているから時間の無駄かっていうと、そんな事はないんですよね。例えば学校の教科書や課題図書などで、何でこんな物を読まされなきゃいけないんだと思ったものこそ、後から考えればちゃんと意義があったりとか。人間ひとりの嗜好や視野なんて放っておけば狭くなる一方だから、たまには外部の視点を無理くりにでも注入したほうがいい気がするんですよね。
あとやっぱり、最初は「イヤだな」と思っていたものでも、ごくまれにでもなく頻繁に「あ、結構いいじゃん」とか「こういう所がいいんじゃん」とか、そういう事もあるし。全く知らなかったいい事を知る事も多々あって。例えばその作品そのものはよくなくても、それに派生する何かで、「こっちのテレビシリーズはすごく面白かったなあ」とか。最低限「なるほど、人気がある理由は理解できました」という勉強にはなるかもだし。何も無駄にはならないという事でしょうか。
例えば「小林よしのりなんて…」って言っている人が、ちゃんと小林よしのりを読んでいるかっていったら意外と読んでない。まぁ、明らかに考え方が合いそうもない人の意見に触れるのって、確かにかなり体力使うのは間違いないですけど。でも「読んでもいないのに批判していいのかな」とは思うんですよ。
ネット検索では出会えない、「驚き」が本屋にはある
――趣味の一つに書籍の購入とあったと思うんですけど、どういったところで購入するんですか。
宇多丸氏: ぶっちゃけ、Amazonが多くなりましたね。本好きの友人とか、それこそネットであの人がコレを褒めているというのでチェックしておいて、即買ってしまう。本屋自体もすごく好きだし、本屋で買うべきだって思うんですけど。申し訳ないんですけど、どうしてもネット購入が増えたという感じですね。
ただフラっと店舗に行く楽しみももちろんあります。全く予定していないものが目に入ってきて、パラパラ読んでいて「これはすごい!」ってなったものを買ってみたり。
ネットで目的に沿ったものだけ触れたり買ったりするのは一見無駄がないんですけど、世界が狭くなりやすいんですよね。これは、自戒も含めてなんですけど。普通に歩いていて、全く今まで興味を持った事がない物を二度見して、「え!!?っ」て驚きたい(笑)。やっぱり「事故」が起きる瞬間が一番楽しいんですよね。その意味では書店が押してるものを一応手に取ってみたりとかもします。
――今、どれぐらいの頻度で本屋に行くんですか。
宇多丸氏: 厳密には言えないですけど。でも、もしも僕の歩くルート上に大きい本屋があって、時間がそれほどキツキツじゃなければ、その本屋に寄る行程をいれていますね、必ずね。10分でもいいから。
「ツンドク」は母親ゆずり? 家の各所に本の塔があります
――そうなんですね。ご結婚を機に色々と整理されたというのをチラッと聞いた事があるんですけれども。本はどうなっちゃったんですか。
宇多丸氏: これは本当にお恥ずかしい限りなんですけど、収納とかがヘタで、どんどん積んじゃうんですよ。だから積んであるタワーが、遺跡のように乱立している状態。一人暮らし時代は、あの辺にあの本はあるんだけど、取れないみたいな、もしくは取るのが面倒くさい、だからまた買う、みたいな最悪のパターンに陥ってました(笑)。
悪癖だと思うんですけど、とりあえず買っておくんですよね。それでここにずっとあって、「読まなきゃな」と思いながら、どんどん増えていって……。
――ある意味、本当の本好きですよね。
宇多丸氏: ちなみに、その本の遺跡を作る癖は、完全に母親譲りですね(笑)。家に帰って愕然とした。「あ、コレだ」って。本が縦に積んであって、「お前のせいだ!!しつけが悪かったんだ」って(笑)言ってます。本棚は一応あるんですけど、そこに入りきらないほど買っちゃうとか。うちの母の場合は持ってきちゃうという感じですね。図書館でいらないやつを「ご自由にお持ち帰りください」ってやっていたりするじゃないですか。そういうのとかを全部持ってきちゃうんですよ。母は出版社勤めだったりもしたので、そのせいもあったと思うんですが。
でも、積んでおくだけで読まないんだから本当に「本好き」って言っていいのか疑問ですよ。部屋の中に心苦しい物がある状態って、あんまり精神衛生上よくないと思うんですけど。
でも、結婚を機に、本は結構処分もしました。ちなみに、いまの話は一人暮らししてた部屋のことで、実家は実家でどえらい事になっているんです。今も遺跡が立ちまくっているんですけど(笑)。まあ、1度読めばいいだろうみたいな物は処分しましたね。
――もし書籍の電子化のサービスがあれば、引越の時に使ってみたいと思われますか。
宇多丸氏: 僕は結構こう見えて、アナログというかローテクなので、テクノロジーについていくのは遅いんです。でも僕でさえ、「いずれは全部データとかにしたい…」とか考えています。
自分の本を電子書籍するなら、索引とか脚注をいっぱいつけたい
――今現在、電子書籍端末とかはご利用はされていますか?
宇多丸氏: いや、僕はiPadとか持っていないし。ただKindleとかを見るたびに、使い勝手の評判次第ではちょっと考えちゃいますね、正直。さっきから言っているように新書とかのレベルならデータでいいだろうという気もするので。
――電子書籍がもうちょっとこうなったら取っ付きやすいかなというのはありますか。
宇多丸氏: まあ、使っていないので、使い勝手に関してはどうこうは言えないですけど。でもやっぱり紙の本がいいなと思うのはある種のランダム性があるからという気はします。バッと広げて、「だいたいこのへん」みたいな感じがいいっていう。
ただ、単に紙の本が電子書籍に置き換わると言うよりは、メディアの形式によってコンテンツとしての表現自体が変わってきたりはするんじゃないかなとは思いますよね。例えば漫画とか、電子端末で見開きという概念が無くなったら、それ用にコマの構成の仕方とかも変わっていくはずじゃないですか。視線をどうやって運ばせるかというのを計算して書いているわけですから。
――もし電子書籍で読まれるとしたら、ご自身で書いて出される時に描き方のスタイルとかって変わりそうですか。
宇多丸氏: 文章としてはそんなに変わらないんじゃないですかね? むしろ、例えば注釈とかがつけやすくなるんだったら、結構いいかなと。本当は、自分が書く原稿には、脚注・注釈を際限なくつけていきたいので、そういう意味ではいいですよね。ちょっとクリックするとイメージやキャプションが出てきたりして、いまみたいにいちいちそれを下で参照してみたいなのが解消されるんだったらいいかなって。映画の本とかだと、どうしても脚注が多いので。
――いま、出版社の9割が赤字と言われているんですけれども、その中において電子書籍の登場というのは助けになりそうですかね。
宇多丸氏: 電子書籍と普通の本の関係って、ちょっとラジオとインターネットに似ているかなっと思うところもあって。例えばインターネットって、要は大半が文字情報じゃないですか。若者が本を読まないって言われて久しかったけど、実はみんな「文字」自体はすごく読むようになってるってことでしょ。つまり、インターネットのおかげで文字情報文化が復権したとも言えるかもしれない。同じようにラジオも、完全に滅びかけの古いメディアだと思われてたけど、みんながスマートフォンなどを持っていて、道を歩くとき何らかの「音」を聞いているこの時代、音楽以外の情報コンテンツとして、むしろラジオ発のポッドキャストが人気だったりする。だから、悲観するよりもチャンス到来って考えたほうがいいと思いますよ。
――将来的に、電子書籍はどんな存在になっていたら良いなと思いますか。
宇多丸氏: もうちょっとディスプレイが軽くて薄くなってくれれば、やっぱりそれに越した事はないですよね。現状、いくら軽いといっても、やっぱりちょっと持ち運びには不便さを感じますよね。あれが、折り畳めたりして通常はコンパクトだけど、開くと全部画面だとか、そういう感じになったらいいなとは思います。そうなると紙資源問題とかにも役立ちますよね。ただ、手書きという行為自体が無くなるとも思いませんけど。絶対にそれは。紙に書かないとダメな事は絶対にあると思うし。
――今、手書きという話題が出たんですけど、アイデアや歌詞、ラジオで話す事のネタ帳ってあると思うんですけど、宇多丸さんはどうなさっているんですか?
宇多丸氏: 「シネマハスラー」だけはガッチリ、ノートを書いています。メモというよりは、自分用の台本に近いですね。当日放送する時間前に、家でやるんですけど、最近は2~3時間はかかるようになっちゃっていました。このネタを話したら、次はこの話…みたいに順番をつけているんです。
以前、もうちょっと台本が短い時期は、ドトールとかで書いていたんですけど、ちょっと書く量が多くなりすぎちゃって。あと、歌詞とかは家で書いていますしね。