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世界中の本好きのために

西成活裕

Profile

東京大学大学院博士課程修了。工学博士。車、人、インターネットなどの流れに生じる「渋滞学」やビジネスマンから家庭の主婦の生活にある無駄を改善する 「無駄学」を専門とし、学術的なフィジカルレビューレターズ(世界最高権威の米物理学専門誌)などに論文掲載を多数行っている。その中でも著書の「渋滞学」は講談社科学出版賞と日経BPビズテック図書賞を受賞し、話題となる。現在は、「ストレスや渋滞そして無駄のない社会づくりに貢献したい」という思いのもと執筆活動だけではなく、日本テレビ「世界一受けたい授業」をはじめ、メディアへの出演や講演活動を行い、一般の人にも分かりやすく伝えている。

Book Information

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長期的視野で物事の調和を考えた時、何が本当に正しいかを見極めたい。



東京大学先端科学技術研究センター数理創発システム分野の教授で、渋滞学を専門とする西成活裕さん。流れが滞ること、つまり“渋滞”をキーワードにして手掛ける分野は、物理学や経済学、社会学など多岐に渡る。著書の『渋滞学』は講談社科学出版賞と日経BP・BizTech図書賞を受賞。テレビ出演や各地での講演会など、多忙を極める西成さんに、研究の源ともなった本や、日頃の本との付き合い方、さらには今後の日本のあり方についてお伺いしました。

数学という言葉を使って、『社会の便秘』を解消していく


――先生の研究内容は『渋滞学』ということですが、ちょっと耳慣れない学問ですね。研究内容について説明していただけますか?


西成活裕氏: いわゆる車の渋滞から、人の混雑、工場での在庫など、ありとあらゆる『渋滞』という社会の問題を、数学や物理の手法をベースにして解決するということに取り組んでいます。あらゆる「流れ」というものは渋滞する可能性があるんですね。その流れの停滞をなくす。便秘を解消するみたいなことですね(笑)。そういう社会の便秘を解消するということをライフワークでやっております。

――研究の他、著書も多く、またメディアでも大変ご活躍されていますね。寝る時間もないのではないですか?


西成活裕氏: 2ヶ所のオフィスに週2ずつ顔を出して、週1位のペースで講演をしたり、企業に技術相談に行ったり。バタンとベッドに倒れ込む日々で、体が持つんだろうかと不安になりますが、私は睡眠時間を6時間以上取らないと物事を考えられないタイプですから、夜12時半か1時位から朝6時半か7時位までと、毎日なるべくずらさないように6時間ちょっとは寝ています。それ以外はフル活動ですね。だからなるべく自分の時間を確保するようには頑張っていますよ。例えば夜に仕事や飲み会が入っても2次会はなるべく行かないとかね。お酒は好きなので学生時代は3次会、4次会、オールというのもありましたけれど、今はなるべく明日に気を使っています。まあ、だいたい2次会以降はグチャグチャになるので、行かなくても構わないんですけどね(笑)。

――国内のみならず、世界も駆け回られているとか。


西成活裕氏: そうですね。明後日からインドネシアに行って、車の渋滞実験をやるんですよ。インドネシアでの実験は初めてで、今はその準備でてんやわんやです。そんな感じで、数学とか物理みたいな基礎学問をやりながら、その応用まで。数学の研究の一方で、社会で直接役に立つようなことをやるという振れ幅で仕事をしています。入口から出口まで、全部一気にやりたいんですよ。

――著作でも、仕事の渋滞、車の渋滞など幅広く扱われていますが、いつ頃から色々なところにアンテナを張るようになられたんですか?


西成活裕氏: 小学生の頃から何でも興味があって、全分野を頭に入れたいという少年だったんです。だから生物やら経済、スポーツとか芸術、もちろん国語、算数、理科、社会。全分野を色々勉強して自分でやってみたいと考えていた、とんでもない少年でしたね。普通は何か専門を決めたり、好きな分野があると思うんですけれど、私は何でも好きだったんです。だから今はいい研究テーマを見つけたと思っています。ありとあらゆるもの全部に渋滞はあるんですよ。商品が売れ残る在庫の渋滞とか、会社で出世しないのは人事の渋滞とかね(笑)。車の混雑の研究は、自分の中では30%位の割合ですね。

――渋滞を研究対象にしたきっかけというのは何でしょうか?


西成活裕氏: それはやはり、数学をやっていたというのが大きいですね。数学というのは私にとっては色々な物事を記述する言葉なんですね。小説家は日本語を言葉として、それを記述して物事を表すじゃないですか。私にとって数学は言葉。自然現象、あるいは社会現象を表す言葉なんですね。それで、その言葉の中でも特に「流れ」を表すのに非常にキレがいい道具、セル・オートマトンという分野にドクター位の時に出会いまして。あ、これはキレ味がいいなということで、とにかく色々な流れに対してそれを応用しました。こんな風に渋滞が起こるんだなとか、このようにして解消したらいいんじゃないかとか。他の分野ではこう解消しているけど、それをこっちに持って来られないかとか。そういうことを色々とやって来ましたね。

――様々な分野へ視野を広げたんですね。




西成活裕氏: とにかく数学は汎用性が高いんですよ。そこが数学のいい所です。数学って、一般の人から見たら抽象的で役に立たないと思うかもしれないけど、抽象的なもののメリットというのは、何にでも当てはまるということなんですね。個別に影響されない、全ての物事の本質部分だけを抽出したものが数学なんです。そうすると、車だろうが、人だろうが、水だろうが、在庫だろうが、「流れ」という抽象的な概念で捉えられます。概念でいうと、全て同じじゃないですか。その抽象的な概念から1つずつ広げてきましたから、自然と全部に使えるんです。例えて言えば、バスケットボールでピボットという動きがありますよね。片足を動かさないで、もう片足だけ動かして回転する。軸足を動かさなくても、ずっとグルグルと動けるわけですね。これが私にとって数学なんです。だから数学を軸にして、ピボットで色々な分野をやるのは全然苦ではないんですね。軸がしっかりしているから、それを色々な分野に応用するという感じで研究しています。

本屋での知的な散歩は、最も楽しい時間


――数学が軸とはいえ、研究の幅は本当に広いですよね。あらゆる分野の知識も必要でしょうし、本も相当幅広く読まれていると思うのですが。


西成活裕氏: 本は一言で言えば“知的な散歩”だと思うんです。私はパッと色々な本を手に取って読むんですが、それはまるで散歩する感覚なんですよ。ちょっと気分がいいから散歩をしようと歩く、その時に何かハッとした出会いがあると楽しいじゃないですか。読書は、体は動かないけど、脳みそが散歩する時に何かに出会うワクワク感とかリラックス感がある。本というのは私にとってそういう存在です。
私は月に1回必ず7、8階建ての大きな本屋に行って、まず一番上まで上るんですよ。そこからパッパパッパと本を見ながら、1日かけてゆっくり下りてくるんです。全然違う分野の本は普段は手に取らないけれど、そういう時にパッと手に取ってみると、「お!面白いじゃないか」と今の研究のヒントになったりする。知的な散歩ができる、最も楽しい時間ですね。その中で、人生観が変わる本にたまたま出会えることもあります。散歩中に人と出会って、その人と意気投合するみたいな感覚ですね。散歩って計算しないで何かに出会うじゃないですか。突然、見たこともない犬が歩いてきたりとか。本屋を歩くことには、それと同じような感覚があるんですよね。今だと電子書籍で色々とできますけれども、やはり本の質感や見た目も大事ですし、全くランダムに手に取るので、「この本を買った人はこれも読んでいます」とか全然関係ないんですよ。それがいいんですよね。だからこそ、その時に読まれたものって本物だと思うんです。それこそ神様がいたとしたら、神様は全部計算づくかもしれないけれど(笑)。こちらとしては全てが偶然の積み重ねで、まるで散歩をしている感じがしますね。

進む電子化で変わった、論文との付き合い方


――先生は教授というご職業柄、学生さんとの交流の機会も多いわけですが、最近の若い人は本を読まれているようですか?


西成活裕氏: 人によると思うんだけど…、特に私の場合は理系に属しているので、学生は比較的専門書、数学や物理の難しい本を読んでいますね。当然勉強のためにそういう本を読む時間が長いと思うんですよ。でもその中でも、自分は誰々の小説が好きだとか、小説を読んで頭をリラックスさせるという人も結構いますね。学生を見ていると、気分転換として本を読むというのが多いと思います。小説がカバンにポンッと入っている学生も結構いますから。

専門書に関して言えば、理系というのは、この分野はこの本だというのが何となく決まっているんです。例えば、数学だと高木貞治先生の『解析概論』だとか。この分野のこの内容だったらこの本…というのは、大学の理系では代々語り継がれているんですね。それをまず皆さんバイブルとして手に入れる。あとは先生に、どの本がいいですかと聞いて選ぶのが一番多いと思いますね。

数学というのは100年前の本だろうが1年前の本だろうが、基本的に内容は同じなんですよ(笑)。1+1=2というのは1000年前から一緒ですから。そうすると現代の本がいいというわけではなくて、やはり本質を分かりやすく捉えた説明だとか、いい例が入っているとか、色々な意味で、新しいものがいいとは限らないんですよね。ただ、古い本は入手しづらくなってきていますので、図書館とかで頻繁に貸し出しされていたり。そういう形で伝統的な本を揃えていくという感じですね。私もこの前、自分で持っていた本が、どこか別の大学から貸出依頼を受けました。たまたま読んでいなかったので貸したら、すごく喜ばれましたよ。「この本、東大にしかなかったんですよ」って。私が自分の研究費で買った本で、図書館に登録していたんです。その本が2週間、他の大学に旅をして帰ってきたという出来事があってですね、データベース化がどんどん進んでいるんですね。



あと、我々は本だけじゃなくて論文。専門論文が電子化されているんです。昔は図書館に行って、すごく分厚いデカい本を抱えてきて、コピー機の前でバーッと開いてですね、開いた所のシワを押しながらコピーしていたものですけれども、今は全部電子化されてきましたので、そういう苦労は全くなくなりましたね。図書館にアクセスすると、電子ジャーナルの一覧というのが出てきて、読みたいジャーナルのページとか年号を入れると、PDFでポッと出てくるんです。それをダウンロードしてプリントアウトしたり、iPadで読んだりできるんですね。うちの研究室は今、ペーパーレスを推し進めていて、一昨年に研究費があたったのでiPadを15台買って全員に支給したんです。ゼミの資料は全部iPadを使っていますよ。

――学生の勉強方法や論文の形も、ここ数年で随分変わったんじゃないですか?


西成活裕氏: iPad自体がネットに繋がっていますから、最近の論文は参考文献をクリックすると飛べるようになっていたりするんですよ。それをそのまま “ポチッ”でダウンロードできる。今までの論文は、読んでいる途中に参考文献の数字があって、最後に数字に対応した参考文献が書いてあるという感じでしたが、電子ジャーナルだと、その参考文献の数字の所がリンクになっていて、パッと押すとそこに飛べるようになっていたりして。だから論文の見方は全く変わりましたね。いくらでも論文を仕入れて大事な時にはそれを読んだりグラフを拡大したり。それに最近はAdobeだとコメントが書けます。あれは凄いですよね。学生も3、4割は完全に移行して使いこなしていますよ。会議中にiPadでガタガタとしていて、サボっているんじゃないかと思ったら、ちゃんとメモっているんですよ。アイディアとかもiPadのメモに入れていて。

――もし学生時代にiPadのようなものがあったら、どうなっていたと思いますか?


西成活裕氏: まず、本棚のイメージががらりと変わりますね。今までは図書館でコピーした論文をファイルした、莫大な数のボックスがあったんですが、iPadを使い始めた頃から新たなボックスがなくなったんですよ。だから、いいかどうかはまた別として、とにかくスペースという意味では全く気にせずに関連文献をどんどん増やせるし、もしも学生時代にiPadがあったら、本当にすっきりした部屋になったのかなと。

それに検索は圧倒的に便利になりましたよね。文献の内部のキーワードで、例えば「渋滞」「ジャム」と入れると、それに関連している本とか論文がバーッと出てくるなんて、コピーをしている時だったらあり得ないわけですよね。ここにあったような気がするなと延々と探している時間がもう必要ないですからね。

便利だからこそ、デバイスにはもっと頑張って欲しい


――研究以外に、小説など普段の読書でiPadを使うことはありますか?


西成活裕氏: それにはiPadじゃなくて、スマートフォンを使っています。青空文庫ってアプリがあって、『銀河鉄道の夜』とか無料なんですよ。ああいう小説ってたまに読みたくなるじゃないですか。暇な時は短いのを、例えば20分電車に乗る時は駅でちょっとダウンロードしてバーッと読みますよ。ただ電源がすぐなくなるんですよ。気が付くと電池の残りバーがどんどん少なくなっていって。「今日午後からすごく大事な電話が来るからこれで終了」なんて、やめないといけないんですよね。その辺がイライラします。もし電源の問題が何もなければ非常にいいと思いますね。

紙の本は電源がいらないから永遠に読めますし、そういう意味では何の問題もないんですよね。iPadは電源が1週間位持つからいいんですけど、デカすぎてポケットに入らないので、やっぱり使うシーンが限られます。今、電子ペーパーの開発が進んでいますから、すぐには変わらないかもしれないですが、デバイスの進歩とともに色々使いやすく変わってくるとは思いますけどね。

あと、私がデバイスに望んでいることがもう1つあるんです。会議や研究の資料を見ていると、ページを比較するということがよくあるんですよ。紙の本だとページをずらして見比べられるじゃないですか。だけど電子書籍は、ページはめくれますが、何ページと何ページを同時に見るということができない。この前会議中に、「何ページと何ページのデータを比較して下さい」というのがあったので、隣の人とペアを組んで、その人がこのページ、自分がこっちのページと、iPadを2つ並べて見たんですよ(笑)。そこの所はまだまだデバイスに頑張って欲しいなと思います。持ち運びとかは圧倒的に便利ですからね。

今までとこれからの研究姿勢を決めた2冊


――先程、人生観が変わる本に出会うこともあると仰っていましたが、様々な本を読まれてきた先生にとって、今でも影響を与え続けているような、人生の転機となった本というのはありますか?


西成活裕氏: 悩むところなんですけどね。学生時代に読んだんですが、村上陽一郎先生の『科学者とは何か』という、新潮選書から出ている本があるんです。大学の初めの頃かな。当然、自分は科学者になりたいと思っていた時に、『科学者とは何か』という本に出会って、「おーっ!何だろうな」と思った。読んでみたら、自分にとっては結構衝撃的な内容でした。「もっと広い視野で、色々なことが分かった上で科学をちゃんとやる、研究が人類にどう影響を与えるかということを広い視点で見なさい、自分の専門だけにとらわれずに色々なことを勉強しなさい」みたいなことが書いてあったんです。要するに、蛸壺になりすぎていて科学者というのはちょっと変だ、みたいなことですね。

その頃の自分の中では、自分の専門を極めて、できる限り深く掘っていって、それに関しては世界で俺しか知らないというのが科学者だと思っていたんですね。でもやっぱり自分の専門だけで、パンドラの箱を開けてしまって、責任感がないような科学者ではいけないと。例えば原子爆弾を作っちゃったりして、取り返しのつかないことになる可能性もあるわけですね。そこから私は科学者と社会の関係というものを考え始めて、今に至るんです。やっぱり科学的なこともやりつつ、その成果を社会にちゃんと還元したい。その研究姿勢の元になったのが『科学者とは何か』という本なんですよね。

それと、もう1冊挙げさせていただくと、『スモール イズ ビューティフル』。これは今でも私のバイブルなんです。E・F・シューマッハーという経済学者が書いて、講談社学術文庫から出ています。今でも常に枕元にあって、ボロボロになるぐらい書き込みがある、一番読んでいる本ですね。これからの経済がどうあるべきか、というような話です。もう30年以上前に書かれた本だと思うんですけれど、地球というのは有限だという視点で、地球環境を考えた経済学を説いているんですね。そこで彼が提唱しているのが、日本に注目しようということで『仏教経済学』なんですね(笑)。要するに人間のスケールに合った、自然と矛盾しない調和した生き方を目指すべきだと。原点に帰ろうという思想ですね。私はそういうのがすごく好きなんです。人から離れた経済学が今、色々な問題を作っちゃっていると思っているんです。人間に基づいた、人間がベースになる、自然に逆らわない生き方を、いかに追求していくかというのがテーマなんですね。私は生物学もずっとやっているんですけれど、何億年も生きている生物というのは、何億年も生きられた理由があるわけです。やっぱり自然の摂理にちゃんと合わせて、無理していないんですよ。矩を越えないというか。だけど人間というのはどこかで越えちゃっているじゃないですか。『スモール イズ ビューティフル』には、このままだと人類は持たないよという警告がいっぱい書いてあるんですね。こういう警告本は、イケイケの経済学者には耳が痛いのかもしれないけれど、非常に大事かなと思っていて。私はいつか、そういう仕事をしたいんです。

合理的でも、100年後に潰れたら意味がない


――今の地球上においては人間が知性の頂点にいますが、その知能が逆に身を滅ぼすということでしょうか?


西成活裕氏: そうですね。だから、その時に長く続いているものは何かということを考えたいですね。私は会社の講演にもよく呼ばれるんですが、この前もある会社で、御社は何年続いていますかと聞いたんです。まあ30年とか、50年とか。そこで、300年続いている企業ってなぜ続いているか知っていますかと聞いてみる。例えば京都の和菓子屋はなぜ1000年も続いているか。調べてみると色々な共通点があるんです。顧客はあえて減らす、とか。

――減らすんですか?


西成活裕氏: 減らすんですよ。今いる顧客を大事にして、品質を保って、ずっと生きているんです。売れても店舗拡大もしない。こういう会社が1000年残るんですよ、と言うとみんな「はー…」と言うわけです。今は売れたら、店舗拡大しようというのが普通ですよね。設備投資をしよう、もっと増産しようと。では、これは正しいんですかと。それをやった所で好調な売り上げ何年も続きません。好景気の波はずっと続くわけじゃないですから。だから長期的な視野で見て、何が本当に正しいのかということをやりたいんですよ。みんなにも考えて欲しいんです。そうすると、先代から続いている会社の経営者はみんな、「先代が言ってたなあ」って言うんですね。やっぱり長く生きるというのはそういうことなんだよね、最近忘れてたよって(笑)。

――人間に関しても同じことが言えるんでしょうか?


西成活裕氏: そうですね。1000年続いているナントカ家ってありますからね。そういう家には色々な知恵があるので、そういう所から学ぶべきだと思うんですよ。今は情報の変化が本当に激しいので、それに振り回されると、追従していくコストがすごく掛かるんですね。だから、そういうことが本当にいいのか考えてくれと言いたくなるわけです。何が長期的な意味で持続可能かと。そこが一番大事なんじゃないかと。100年後に潰れたら何もならないわけですよね。それを今の日本の政治に言いたいんだけど(笑)。100年の計を考えて行く人がいないとダメですよ、本当に。

――考え方が短期的すぎますか?


西成活裕氏: ええ。ただ、もう会計制度が短期的になってきているんですよね。アメリカ版の会計が入ってきて、4半期で業績が出ないともうダメだとかね。そんなことじゃなくて、株主だって自分の会社を育てたいと思ったら、その会社の株を買って10年位は「まあ悪い時もあるよ」って思わないと。そうして育てる位のメンタリティが欲しいですよね、本当は。それが投機対象になると、途端に社会が分裂してしまう。本当にファンダメンタルから遊離しているという所が、私が一番気になって仕方ない所ですね。



アメリカは、ある意味で合理性を極限まで推し進めているんですよ。まあ、アングロサクソンの血ですから。でも日本はそれと対極にあったはずなんですよ、小泉政権前までは。もっとグチャグチャしていて、それでも色々なバランスを取って、色々な所が擦り合わせをしてできていた。和というものですね。それがアメリカ人にとっては逆に理解できない。合理的に変えてくれと言ってきた。こういう風にした方がいいじゃんって。日本人もそれが分かりやすいから、ある時から旧態依然たるものに対してすごく嫌悪感を持っちゃったんですよね。そうすると年功序列なんてものはおかしいじゃないかと。それを壊した挙句に非正規雇用が増えて、今は逆に大変なことになっているんですよね。
だから、分かりやすさのために、ある時一気に日本の良さを壊しちゃったんですが、その時に日本は、これは日本の文化なんでしょうかという風に留まるべきだったと、私は今でも思っているんです。1回こうなってしまうともう取り返しがつかないですよ。

部分+部分≠全体という、日本の価値観を世界に


――これから先々、色々な面で日本らしさというものを伝えないといけないと思うんですけれども、どういう風に伝えればいいと思いますか?


西成活裕氏: 私はそういう講演が多いので、色々な例を持っています。例えば人工林と自然林の話です。人工林って日本のあちこちにあって、特に東北地方に多いんですけれど、メンテナンスが凄く大変なんですよね。間伐しなければいけないし、ちょっとでも気を抜くとすぐにダメになってしまうんです。だけど自然林は、人間の手が入らずに全てが調和していますよね。メンテナンスフリーなんです。それはやっぱり一朝一夕ではできないわけです。それに比べたら、人工林はコストさえ掛ければどんどん作ることができる。だから人工林をどんどん増やしているわけですね。果たしてどちらが賢いんですかという感じです。自然林という、全てが調和してできている構造は壊しちゃダメなんですよ。森を守るという意味でももちろんですが、全てが調和しているというのは日本が一番得意だったはずなんですね。この価値観は逆に欧米系、特にアメリカ人にはなかなか分からない。

例えばプラモデルと生物の違いなんですけれど、プラモデルってパーツを組み合わせるとできるじゃないですか。こういうものは誰にでも分かりやすい。だけど生物は、胃と心臓と腸をここに並べて人間を作ってと言ってもできないですよね。絶妙なバランスでできているわけです。つまり部分と全体の違いです。部分を集めてイコール全体になるというのがプラモデルです。でも部分を集めたものと全体は違って、全体の方が更にプラスアルファがあるんですよ。これが生物。日本人というのは、この違いを理解できるんです。部分の総和は全体じゃないというのを理解できている国民なんですね。これを新しい価値観として世界に出すべきなんですよ。生物と機械の違いって何ですかと。生物と機械をイコールだと思っているから、アメリカ人はロボットをいっぱい作るんですが、ロボットと我々人間はやっぱり違うじゃないですか。そこの差が分かるのは日本人だと思うんですね。これが新しい日本の付加価値だと私は思うんですよ。その価値観を世界に出せれば、イスラム圏はそういう考えが理解できると聞いたし、他にも色々な国が味方につくと思うんです。
それを経済学では、藤本隆宏先生が 「組み合わせと擦り合わせ」と呼んでいますが、組み合わせがアメリカ、擦り合わせが日本ということですね。そういう対極軸みたいなキーワードを、経済学だけじゃなくて色々な所で作っていくべきなんですよね。

昔、ホロン革命とかホーリズムというのがありましたが、あまりそういう言葉にはとらわれずに、とにかく全体を見て、全体は部分の寄せ集めじゃないよということです。会社だって社員が10人いて10人の和ではないですよね。その10人がいることで、100人でもできなかったことができるわけですよね。そういう部分と全体の違い、これを今後のテーマの1つにしたいんですよね。

(聞き手:沖中幸太郎)

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