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世界中の本好きのために

田口ランディ

Profile

東京生まれ。作家。2000年に長編小説「コンセント」でデビュー。以来、人間の心や家族問題、社会事件を題材にした作品を執筆している。「できればムカつかずに生きたい」で婦人公論文芸賞を受賞。小説以外にも、ノンフィクションや旅行記、対談など多彩な著述活動を展開。08年には父親の看取りをきっかけに終末医療とエリザベス・キューブラー・ロスの死生観を描いた「パピヨン」(角川学芸出版)を発表。2010年より対話のできる世代の育成のため「ダイアローグ研究会(明治大学)」を開催、また、地元湯河原で「個性をだいじにする会 色えんぴつ」を立ち上げ、発達に問題を抱える当事者、家族と様々なイベントを企画している。

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映画と本の一番の違いは、見る人に「意志があるか・ないか」です



2000年に執筆した長編小説「コンセント」で小説家デビューして以来、その不思議な世界観と繊細な文章で注目され続けてきた田口ランディさん。また、ノンフィクション作家としても活躍しており、多くの人が語る不思議な体験を集めた最新作『アルカナシカ』も話題になっています。小説家デビューする前には、メールマガジンを発行していたことでも知られるほどデジタルと親和性の高い田口ランディさんに、今回お話を伺いました。

あったらいいなと思うのは、専門書がいっぱいつまった電子端末


――さっそくですが、弊社は個人の蔵書を電子化するサービスをおこなっているBOOKSCANという会社なんですが、名前はご存知でしたか?


田口ランディ氏: 知りませんでした。どちらかと言うと、私は、小説に関しては紙で読みたいなと思います。でも資料として書籍がたくさん必要な仕事の方は、大量の本を部屋に置くのは大変ですよね。日本は、住宅事情もよくないし。だから、専門書がたくさん入ったブック端末があったらいいですよね。専門領域を広くカバーできている端末なら、高価であっても欲しいです。図鑑、辞書、その他の非常に細かい専門領域のブック端末で、しかも優れた検索機能がついていたら言うことないですね。多分、もの凄く便利なんでしょうね。「誰か早く作ってよ」という感じですよね。もっとも、小説の場合は「私の紙の本を買ってよ」となるんですけど(笑)!

あと日本はまだ遅れてますけど、最近はインターネットの発達で、世界規模でのいわゆる科学論文やレポートのアーカイブスが各大学で作られているじゃないですか。このサービスは、海外ではすごく進んでいますよね。そのアーカイブスをブック端末でアクセスして読めるようになると、さらに便利ですよね。

そうすれば都会にいる必要がなくなるので、静かな環境で執筆をした方がよくなるし。でもそれは、私が生きている間は来ないかなと思いつつ…。だから読むのは紙で。書くのはデジタル……というのが現状ですね(笑)。

原稿は、すべてパソコンでしか読み直しません


――なるほど(笑)。執筆される際は、パソコンを利用されるんですか?




田口ランディ氏: 自慢じゃないんですけど、デビューしてから一度も自分の作品をプリントアウトした事がないんですよ。全部パソコンの中で完結してしまいます。

プリントアウトしても、自分で読み返さないんです。デビュー当時からパソコンを使っていますから、早い話がペーパーレスです。原稿はデータとして編集者に送って、ゲラになって初めて紙として読むという感じです。

――その理由としては効率化などが狙いですか。


田口ランディ氏: いや、別に紙にする必要が無かったからですね。自分の感覚の中では、デジタルで読んでも、紙で読んでも同じなので。

――普段執筆される時はパソコンで、縦書きですか。


田口ランディ氏: 縦書きです。最初は横書きだったんですけれども、文字表記とか、だいたい小説は縦書きになるので、縦書きで読んだほうが印刷された状態でのニュアンスが分かりやすいの。だから、最近は縦書きになりましたね。

――そういう意味では、小説というのは文字の並びなども含めて作品ということですか。


田口ランディ氏: そうですね。本というのは、作品もそうなんですけど、装丁も含めて、一つの芸術品みたいな物でもありますから。

理想の本屋さんは、「ビジネス書が一冊もない本屋さん」


――ビジネス書といった情報性の高い物に関しては、いかがですか。


田口ランディ氏: どんどんデジタル化して、ペーパーレスにするといいですよね。私の理想の書店は、出来ればビジネス本は一冊も並んでいない本屋さんなんです。そして、そこには素敵な小説ばっかり並んでいるという(笑)。そういう世界にしたいな。そうしたら本同士での競合しないで済むし。いろんなジャンルの本が、紙か電子かで住み分けて行く方向でいったら、私としたら嬉しいなという感じですかね。

装丁も含めて、趣味の物を選ぶような気持ちで本を取れるようになるといいですね。かつてそういう時代もあったわけですから、元に戻ってもいいかなという気がしますね。

――昔と比べて、本屋さんや装丁も含めて、こういう所が変わったなという所はありますか。


田口ランディ氏: 例えば流通の問題がありますね。「この大きさだと流通しづらい」とか、「この大きさだと本屋さんが長く置いてくれないし」とか。こういった売り場に並べるための制限が、装丁にはたくさんあるわけなんですよね。でも出来ればね、装丁にこだわりながら面白い本を作った方が、楽しいんじゃないかなと思っているんですよね。

「紙」はもともと「神」の言葉を伝えるために作られた神聖なものでした


――素敵な本がたくさん並んでいる本屋さんがあったら、わくわくしますね。ちなみに、田口さんご自身は電子書籍を利用されていますか。


田口ランディ氏: 電子書籍は読みませんね。今度Kindleが入って来るらしいので、それを少し期待しているのかもしれない(笑)。

――では、紙の本の良さはどういったところだと思いますか。




田口ランディ氏: 紙というのは、人間の精神の歴史と一緒にある物なんです。そもそも紙は神様の言葉を伝えるためにしか使われていなかった、特殊な物だったんですよ。だから紙と神は同じ音。なので、紙の文化自体が人間の精神思想と、たいへん密接に関わっているんですね。紙の本を読むというのは、実は私たちの遺伝子の中に、特殊な体験として組み込まれているんですよね。電子書籍が紙に取って代わるためには、紙の歴史、2500年を超えなければたぶん塗り替えられないくらいの記憶を身体に沁みつけているので、それはもうどうしようもないですね、歴史ですからね。

――そんなに特殊な物だったんですね。まったく知りませんでした。


田口ランディ氏: そうです。そして今も、多分紙は特殊な存在なんです。私たちの深層心理、潜在意識の中では、紙で書かれた物は特別なんです。ですから契約書はたぶん電子化し得ないと思いますね。何かの契りを交わすという事においては、やはり紙が必要になるでしょう。現代は紙と人間の関係の特殊性が薄れているから、逆に言えば、電子書籍の登場で、もう一度、紙はその特殊性を取り戻す可能性がありますよね。それはいい事だと私は思っています。紙に書く必要がないものは、紙に書かなくていいんですよ。でも、どうしても紙に書かなければいけないものもあるんです。

古典を読むと、新しい「言語感覚」に出会えるんです


――では、続いて田口さんの本との関わりについて伺います。最近読まれた本で、面白かったのは何かありますか。


田口ランディ氏: 最近読んだ本で面白かったものは、モーリス・メーテルリンクという人が書いた『花の知恵』という本。メーテルリンクというのは、ノーベル文学賞をとった作家で、メーテルリンクは、あの有名な『青い鳥』の作者なんですけど、植物オタクで、植物に関する本、生物に関する本をたくさん書いているんですよ。

この本自体は、全然新しい本ではないんですけれども、私が最近読んだので。工作舎から出ているんですが、で、自分でもスケッチをしたりしていて。この本は、そのノーベル賞作家が、自分の文章力を総動員して花を賞賛している自然科学エッセイ集なんですよ。とにかく記述が素晴らしい。物語のようでいて、しかも科学的な視点で、花の生体の神秘を文学的に書いているわけですよ。これが面白くて! しかも、挿絵もモーリス・メーテルリンクが自分で描いています。

作家からすると、花とか動物とか自然とかというものを、文学的に、自分の言葉で描写するのって案外難しい事で。だから、この本はその参考にするわけですね。でも、読むたびに「いったいモーリス・メーテルリンクはどうやってあんなにうまく花について描写できるんだろう?」と思ってしまいますね(笑)。

――今読んでも楽しめる本なんですね。


田口ランディ氏: そうですね。今の人たちって、時代感覚を共有しているわけですよ。ですから、例えば「反原発で国会のデモをみんながやっています」という時に、その情景を描写しようとしても似たような言葉になってくるじゃないですか。

だから私は、どちらかというと古典を読むんですよ。例えば、戦前の日本の物理学者で、文化人でもあった寺田寅彦さんとか。そうすると、彼らの時代といまの時代は、まるで言語感覚が違うんですけど、寺田寅彦さんなんかは科学者ですから、いろいろな問題を科学的な視点で描いていたりして。感覚が新しいんですよね。自分が使っていない言語の筋肉みたいな物を鍛えられるというか。そうしていかないと結局同じ表現を使い回すことになっていってしまう。言語感覚は年をとってから磨くのはすごく難しいです。

――古典から得るものは凄く大きいということですか。


田口ランディ氏: 今の私にはそうですね。他の人にはお勧めはしませんけど(笑)。みんながモーリス・メーテルリンクを読んで面白いかどうかは、私ちょっと自信がないので(笑)。

『デミアン』で繰り広げられる精神世界に、心奪われた中学時代


――田口さんの人生の転機になった本や、影響を受けた本というのはありますか。


田口ランディ氏: うぅ~ん、そうですね…。ヘルマン・ヘッセかな。『デミアン』という本を、中学1年の時に読んで。ものすっごい衝撃を受けたんですよね。

エミール・シンクレールという主人公の少年がマックス・デミアンというとっても不思議な青年と出会うんですよ。そのデミアンはね、不思議な神様……、アブラクサスという神様を信仰しているんですね。これはイランの方に古くからあったゾロアスター教という宗教の神様なんですけど。

この少年はごく普通の私たちが今住んでいる世界、ありきたりな一般常識の支配する世界に住んでいたんですが、このデミアンという青年と出会うことによって、自分の内的な世界というものをもの凄く意識するようになっていく。それで自分の中にある本当の自分に出会っていくまでの、精神的な冒険と言ったらいいのかな…。そういう事を描いている、とっても不思議な小説なんです。すごく変わった小説だと思いますね。

屋久島に行く人に、田口ランディファンが多いワケ


――田口さんは旅行もお好きなんですよね。特に屋久島がお好きだと伺いました。


田口ランディ氏: そうなんです。本当に屋久島が大好きで。屋久島の本も2冊ぐらい書いていて、よく旅行に行くんですよ。屋久島では、昔から知っている素泊まりの民宿に泊まって、自炊するんです。

――エッセイ集『癒しの森 The forest of grace ひかりのあめふるしま屋久島』と、写真家・山下大明さんとコラボなさった『いつか森で会う日まで』ですね。


田口ランディ氏: だから、私の本を読んで、屋久島に行かれる方も多くて。それで私が泊まった時に民宿の奥さんが「あのね、今日、田口さんの本を読んで、屋久島に来たという人がいっぱい泊まっているから、夕ご飯の時に、みんなに田口ランディさんが今日ここに泊まっているんですよって、紹介してもいいかな」って言うから、「ああ、いいですよ」みたいな事を言ってね。

そして、夕ご飯の席に宿泊客が15、6人並んだんですよ。奥さんが「みんな今日は大ニュースがあるのよ! なんとあの小説家の田口ランディさんが泊まっているんですよ!」と言ったんです。お客さんは私の本を読んでいるわけですよ。それなら、私が女性だという事も書いてあるから分かっているはずですよ。日本人で女性だというのは、私のエッセイを読めばわかるでしょう。それなのに、「えぇぇ!」ってみんなが驚いて、一斉にそこに一人で泊まっていたフランス人の男性を見たんです(笑)。そこで、彼は、「違います!」って否定していて。そこで、「でもランディさんは日本人だし」となって、「あ、そうだよね!」って納得していました(笑)。

それを見たとき、「人間の条件反射って、すごいな」と、ビックリしたんですよね。

――それは、宿泊者にとってサプライズでしたね。屋久島にはいろいろなお酒がありますけど、何か楽しまれたりはしますか。


田口ランディ氏: 「三岳」という焼酎があります。おいしいんですよ。いつも「三岳」を飲むのを楽しみにしていたんですが、屋久島がとっても有名になってしまったでしょ? 私が通っていた初めの頃って本当に人がいなかったんですよ。森に入っても私しかいないということが多かったんです。いつもそんな感じだったんですけど、ところが、あっという間にこの10年で有名になってしまって、「三岳」も最近、1人1本までとか、売り切れが多くて「えぇぇ!!地元なのに」って。ちょっと残念なんです。

でも、屋久島は水が美味しいからね。何かあそこで飲むとね、普通のインスタントコーヒーでも美味しいんだよね。

――屋久島は結構雨が多いと聞きますね。


田口ランディ氏: 雨は多いですね。雨は本当によく降るけど、1日中降るということはあまり無くてね。島のこっち側が降っていると反対側は晴れていたりということが多いんですよ。
高い山があって、気流がそこにぶつかるので、天気が分かれるんですよね。だから晴れている所を探してぐるぐるしているとか。

――面白いですね。屋久島へはどういうルートで行かれるんですか。


田口ランディ氏: 大概は鹿児島から乗り継ぎして、飛行機で行っちゃうけど、時々鹿児島港からフェリーで行くというのもあります。フェリーもまた楽しいんだけどね。ただ、滞在時間が短いときは早く着きたいので、飛行機で行っちゃう感じです。鹿児島から35分~40分ぐらいかな。

――屋久島といえば、「首折れ鯖」(※鹿児島県屋久島で水揚げされるゴマサバ)が有名ですが、食べたことありますか。


田口ランディ氏: ああ、首折れ鯖ね。まあ、ただの鯖ですけど(笑)。要するに新鮮という事なんですよね。首を折って血抜きするんです。「鯖スキ」っていう、すき焼きの肉のかわりに鯖を使う料理があって。生の鯖を、すき焼きみたいにして食べるんです。

――新鮮だからこそできる料理なんでしょうね。


田口ランディ氏: 鯖は走りが早いですからね。

――今年は屋久島には行かれる予定はありますか。


田口ランディ氏: 今年は、何も予定を入れていないですね。去年は海外に2回行って、とっても疲れちゃって。去年はしんどかったな。震災があって原発事故があって……。今年はあまり予定を入れずに、ちょっとゆっくりしたいんです。後半は仕事場も新しくなったし、執筆に専念しようかなと思っているんです。

湯河原が好き。一目で気に入って、18年間住んじゃいました


――今は湯河原に住んでいらっしゃいますが、ここに決められたきっかけみたいなのはあるんですか。


田口ランディ氏: 駅を降りた時にすごく気に入ってしまって。「絶対ここに住もう」って決めてから、すぐに物件を探して。それ以来、18年住んでいるんですけど。

――素晴らしいところですよね。18年というと、執筆、デビューの作品の前から住まわれているということですよね。


田口ランディ氏: そうです。ここで子どもを産んで育てている時に、デビューしたので。

――お子様にとっての環境も抜群じゃないですか。


田口ランディ氏: そうなんですけど、学齢期になると学校が全然無くて(笑)。

東京だと、いろいろな学校や、いろいろな専門学校があって、何にしようかという選択肢がいっぱいあるじゃないですか。湯河原にいると本当にボケちゃいますよね。物欲を刺激するものも何もないし、お金を全然使わない。だから、吉祥寺に越したら急に小金使いが荒くなって荒くなっちゃいました(笑)。なにかちょっとしたものが可愛いから、つい買っちゃう。100円ショップですら、凄くおしゃれで。外観も普通のアクセサリー店みたいな感じで、レイアウトもこっていて。でも100円ショップなんですよ。100円だと思うとつい毎日何かをちょこちょこ買っちゃって、すごく小金を使うようになっちゃった。「物欲が肥大する場所だなー、都会は」と思いましたね。

湯河原は湿度がすごく高いんですよ。海が近いから。だから私は湯河原に帰ってくると、髪がしっとりしてくるんですけど、吉祥寺にいるとカッサカサになっちゃうんですよ。こんなにも違うんだと思ってビックリしました。

――ちょっとお話が変わるのですが、ご自宅もステキですね! こちらのお部屋の本棚はオーダーメイドで作られたんですか。


田口ランディ氏: はい、これは作りつけです。こんなに広いところがあるにも関わらず、吉祥寺は1Kに住んでいるんですよ。すっごい狭いですよ。この3分の1ぐらいしかないんじゃないのかな。

――先ほど拝見したんですが、こちらのマンションにはプールがあるんですか?


田口ランディ氏: ここは温泉がついているんです。プールは子ども用なんですけど、大浴場がついていて。リゾートマンションということになっているので、温泉には住民は無料で入れるんです。この辺のマンションは、ほとんど大浴場付きになっていますね。みんなお風呂を掃除する手間が省けるので凄く喜んでいます。

湯河原から吉祥寺まで、毎日電車で「通勤」してます


――田口さんご自身が、「書き手」として今、新しい読者に向けて、現在の取り組み、どんな事をされているかという事をお伺いしてもいいでしょうか。最近は、湯河原から吉祥寺の方にお仕事場を移されたともお伺いしていますが…。


田口ランディ氏: 昨年末まで夫の両親と同居していたんですけれども、4月に義母が12月に義父が相次いで亡くなって、介護から解放されたものですから、少し気分を変えたいなと思って、仕事場を移してみたんです。

――いまは、だいたいどれぐらい仕事場にはいらっしゃるんですか。


田口ランディ氏: 平日はだいたい居ます。ただ、娘がまだ高校生なので、土日、娘の休みに合わせて家にいるという感じかな。

――湯河原から吉祥寺までは、電車に乗って行かれるんですか。


田口ランディ氏: はい。

――その時って、何かサングラスをしたりとか、特に変装とかみたいなのはいないですか。


田口ランディ氏: 変装!? 全然そんな事はしませんよ(笑)。私の顔なんて、誰も知りませんから、もう。80%ぐらいの人は、私のことを男だと思っているし(笑)。

自分で「読もう」としない限り、絶対に中には入れない。それが本の魅力です


――失礼しました(笑)。最後にご質問させて頂きます。田口さんにとって、本というのはどういう存在ですか。


田口ランディ氏: そうだな…。作家になってちょうど12年になるんですけど、本を自分が書くようになったというのは、とても素晴らしい、嬉しい出来事だったんです。でも、単なる一読者ではいられなくなっちゃったんですよね。

自分が書いていると読む時間も無くなるし、かつて自分が純粋に読者だった頃が、すごく懐かしくなっていて、「昔に戻りたいな」と思ってみたり(笑)。

でも、映画でもなく、ゲームでもなく、何故「本」が大切なのかというと、本ってね、自分から入り込もうとしない限り、その世界に入れないので、大変自立性と能動性を必要とするメディアなんですよ。

でも、映画は一方的に向こうから入ってきてくれるじゃないですか。映像と音楽とで。それはどんどん展開されて、ただそれに身を任せていれば、どこかに連れて行ってもらえるという物なんですが、言葉というものは、私が「読むぞ!」と決めて、それを1文字1文字拾いながら、その世界に自分から入って行こうとしない限り、入れないものなんですよ。そういう意味では、もの凄く能動性を必要とされる媒体なんですね。そこがいいんでしょうね。

――映画は黙っていても頭に入ってくるけど、本は意志がないと読めないですね。考えてみると、とても、能動的な行為ですよね。


田口ランディ氏: そうなんです。自分が本を読もうとしない限り、絶対に本には入れません。見ているだけでは映画のようには頭にも心にも入ってきてはくれないので。だから、そこで自分から文字の世界に入っていくという意志みたいなものが必要になる。そこが私が、本の一番好きなところなんですよね。

やっぱりね、自分から入ろうとしてその世界に入り、読もうとして読み、意味を解釈しようとして苦しむというような事が、人間の精神を育てているんですよ。だからこそ、「本を読め」と言われるんでしょうすね。ただ単に、「本を読むと知識が入る」という事じゃなくて、「生きる」ということと深く関わっているんですよ。

だから一般的に、「ゲームをやれ」とは推奨されないけど、「本を読め」と言われるのは、本が自分から意図的に入らなければ、受け入れてくれない世界だからなんです。
人生も同じ。自分から入って行き、自分から理解し、自分から意味を求め、そしてページをめくっていくことでしょう。

本って、人生と似ているんです。なにかの本に出会うという事、本を読むという行為も含めて、自分で選び、自分で扉を開ける……。すべては、チャレンジなんですよね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 田口ランディ

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