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川田浩志

Profile

1965年生まれ、鎌倉出身。医学博士。米国サウスカロライナ州立医科大学内科ポストドクトラルフェローを経て、現職。内科診療とともに予防医学の推進にも力を入れており、アンチエイジングドックで面談医も務めている。自らがアンチエイジングと健康生活の実践派という本領を発揮しての生活指導には定評があり、アンチエイジングや健康管理の著書のほか、講演やTV・ラジオ・雑誌などからの取材も多い。 著書に『医学データが教える 人生を楽しんでいる人は歳をとらない』『HEALTH HACKS! ビジネスパーソンのためのサバイバル健康投資術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。

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ピンチをチャンスに変えて



川田浩志氏: そんな父でしたが、私に対して特に医者になれということはありませんでした。私は、いろんなことを夢見る少年で、作家だったり作曲家になろうかなと思ったり……。小学5年生の時、平凡社の百科事典で見た現代美術がものすごいインパクトで、さらに父に連れられて行った彫刻の森で衝撃を受け、それからは勉強もせずに絵ばっかり描いていました。やりたいことだけしか考えていない。自分ワールド全開でした。

「好きなことをして良い」と言ってくれていた父でしたが、高校2年生のある日、父が絵に詳しい知り合いの医者を連れてきました。そのとき、私の自信作を見せたのですが「絵描きより医学部に行った方がいいな。趣味的に描くならいい」と言われ……、その後心境の変化もあり、結局父の思惑通り(!?)医学部へ進むことになりました。

その先生とは、その20年後にお会いすることになるのですが「君の絵を見て、医学部へ行けと言ったことがあったろう。あれは、でまかせだ。オレに絵なんかわかるわけがないだろう」とおっしゃられたので、びっくりしました。当時の父の心情を察して、そうおっしゃったらしいのです。

――意外なことで人生は変わっていくものですね(笑)。


川田浩志氏: その先生はもうお亡くなりになられましたが、今は感謝しています。その先生のおかげもあって進んだ医学部でしたが、未練もあったのか最初の1年間は、授業では黒板を写すだけ、あとは上の空で身が入っていませんでした。そこで心配した友人から、「今、こんな授業の内容をやっているよ」と、わかりやすい微生物の教科書を渡されたのですが、それを読んでなぜか「これを勉強しなければ!」という直感が働き、そこから一生懸命勉強しました。おかげで、無事医者になることができました。

医者になって3年目に大学院へ入りました。普通、大学院の4年間のうち少なくとも1年か2年は臨床フリーになって研究生活を送るのですが、私たちは指導してくれる教授がいなくなったこともあり、それができませんでした。最初のピンチでした。けれども、新しい教授から臨床フリーで思う存分に研究をしても良いと言われ、その結果あるプロジェクトで成果を出し、それがアメリカ留学へ繋がりました。

留学して最初の半年間は、研究がなかなか進まず悶々としていましたが、ある日ボスの提案でアメリカの血液学会で報告された研究をさらに発展させることになり、運良く研究の成果が出て学会でも発表できるチャンスが訪れました。発表はもちろん英語でしたが、アメリカ人スタッフから発音のダメ出しを受け、ちゃんと通じるように特訓しました。その学会の発表では、絶対に失敗は許されないとボスから厳しく仰せつかっていたのです。

ネイティブの准教授に読んでもらった原稿音声を100回以上聞いて、発音からすべてを頭に叩き込みました。いまだにそらで言えるくらいです(笑)。おかげで発表後、どちらかというと厳しかったボスでしたが、そこではじめて認めてもらいました。のちのちまで良い評価を得ました。この聴診器は、そのボスからいただいたものです。今やっているアンチエイジングに目覚めたのも、そういった研究の賜物です。

帰国後、先生方が集まるある教育関係のワークショップに参加した時に、また自分からピンチを招いてしまいました。その夜の座談会で「習う側の頭の柔らかい学生を対象にするワークショップを開催したらどうか」と、集まった先生方に向かって、生意気なことを言ってしまったのです。ちょうどその発言を聞かれた、当時学部長だった、内科学の大御所の黒川清先生から、「では、やってみなさい」とご指示を頂きました。正直、まだ自分自身の研究も中途半端でそれどころではなかったのですが、なんとか数ヶ月後1年生を対象にワークショップを開くことができました。そこから今の教育分野での仕事に繋がっていきます。

――ピンチをチャンスに変えていきます。


川田浩志氏: リスクが高すぎてもダメですが、リスクが全くないというのはダメですね。ここでいきなり歴史の話なのですが、桶狭間の戦いで、織田信長は、今川義元率いる40000人の大軍勢に、わずか2000人で立ち向かいました。家来に、「お前ら、少ない人数は負けるという風に思っていないか。そんなことはない、世の中決まってることはない、神のみぞ知るところだ」と言ったとか言わなかったとか(笑)。結果は、ご存知の通り今川に勝利します。意気込みを持っていけば勝てる。私はその話を無理矢理現代に当てはめて、何か新たな挑戦をしようとする学生たちには「失敗しても死にやせんだろう」と言っています。信長の勇気は素晴らしい。修羅場をくぐり抜けて自分で道を切り拓いてきた。生死をかけて2000人で突っ込んでいったことに比べれば、私たちのリスクなんてたいしたことないだろうと。

「ピンチはチャンス」です。ピンチが未来を拓いてくれている。チャンスって、ピンチのような顔をして来ます。そこを乗り越えると、実はチャンスだったんだなと気がつきます。人間は基本的には変化をあまり好みません。ピンチというのは、ちょっとしたストレスだと思いますが、しかし、そこがもしかしたら飛躍するチャンスなのかもしれないのです。

著書一覧『 川田浩志

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