本田哲也

Profile

1970年生まれ。セガの海外事業部を経て、フライシュマン・ヒラード日本法人に入社。2006年、グループ内起業でブルーカレント・ジャパンを設立し代表に就任。2009年の著書『戦略PR』(KADOKAWA)で広告業界にPRブームを巻き起こす。国内外の大手顧客に戦略PRの実績多数。 著書に『最新 戦略PR 入門編・実践編』(KADOKAWA/アスキー・メディアワークス)、『広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい。』(共著。ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。 2015年よりJリーグのマーケティング委員に就任。アドテックトーキョー、カンヌライオンズ2015公式スピーカー。世界的なアワード『PRWeek Awards 2015』にて「PR Professional of the Year」を受賞。

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パズルのように組合わさった“天職”との出会い



本田哲也氏: 「海外とエンタメ」と意気込んで入社したのですが、配属されたのは日本国内のゲームセンターでした。同期300人ぐらいだったかな。営業職のほぼ9割方日本各地のゲームセンターに配属されました。私も、そこで店長をしていました。そこで提供しているゲームは最新の、世界中で認められるゲームなのですが、何かが違う。自分に違和感を感じながらも、ユーフォ―キャッチャーに、ぬいぐるみを設置しながら、そんなことを考えていました。おそらく同期も同じような想いを抱いていたと思います。時には、意見書などを書いて、本社に提出したりしていました。

ある日、本社で海外勤務希望者を集めて英語の社内テストが実施され、日本中から何十人か集まりました。ようやく海外で仕事ができると私も意気込んで参加したのですが、人事部を含めた面談で、たまたま私の面談を当時の人事部長が担当されていて、意見書で書いたような正直な想いをぶつけてしまいました。そのときの想いが通じたのか、運良く希望する海外部門にようやく配属されたのは、入社から3年目のことでした。

――そこからどのようにしてPRの世界に繋がっていくのでしょう。


本田哲也氏: 20代も終わりにさしかかり、希望の職種にもつくことが出来、仕事に対して不満はなく、それなりに充実していました。ところが今度は、自分が作ったものではないものを広めることへ、釈然としない気持ちが湧いてきてしまったのです。そんな時に、当時の上司だった海外部門の部長が、世界トップ3のPR会社、フライシュマン・ヒラードの日本法人を立ち上げることになって、私にもお声がかかりました。当時“PR”という言葉もよく認識されていなかった時代でしたが、そこなら自分がイチから作ったものを広めることが出来る、ずっと思い描いていた仕事ができると思い、転職に踏み切りました。

――ずっと思い描いていたおぼろげな想いが、明確に。


本田哲也氏: 小説家とか映画の仕事をしたいと思っていた気持ちが、その時にバッとつながるような、バラバラだった想いのパズルが組合わさったような感覚でした。この世界に飛び込んだのは、29歳でした。親や友人にも心配されましたが、まだ怖いもの知らずだったんでしょう(笑)。

――飛び込んでみた世界、当初はどんなことを。


本田哲也氏: 全くの別世界だったので、転職してすぐの頃は「失敗した!やばい!」と思いましたよ(笑)。この世界のことを何も知らなかったので、とにかくPRをイチから学びました。片っ端からクライアントの記事を読んで勉強していました。また、メディア、新聞記者や編集者を知らなきゃいけないから、オフィスを飛び出して、とにかく彼らに飛び込んでいきました。そこで、恐れながらも(笑)、3年ぐらいかけて多くの方々と知り合うことで、だんだんと業界の仕組みを覚えていきました。

「想いを言葉に」PRからのPR


――その頃、『影響力』を出版されています。


本田哲也氏: アメリカではPRに関する本が、たくさんあってそればかり読んでいたのですが、日本にはまだありませんでした。誰も書いていないのならば、自分が書こうと思い、企画を提案させて頂きました。

私たちが扱う“PR”は概念で、モノとしての明確さがあるわけではないので、まずは編集者の方に、そこから説明するようにして書き始めました。企画が通るまで、高いハードルがあったように思います。そこで編集者が「初めてだから未知数の部分はあるけれど、ここはひとつ賭けてみましょう」と、大きな決断をしてくれました。もう共犯関係のような感じで(笑)。もう十冊ほど書いていますが、とくに最初の出版は勉強になりました。自分の知らない着眼点を読者に教えてもらいました。やはり物事は、世に放たないと分からないんだなと思いました。

――そういった経験が、『戦略PR 空気をつくる。世論で売る。』につながって……。


本田哲也氏: いきなりでは、書けなかった本だと思っています。出版社の方には、本当に感謝していますが、書くことで自分自身もステップアップさせてもらっています。目に見えないものを、いかに分かりやすく伝えるか、自分でも試行錯誤しながら伝える試みをしていますが、多くの方が本を読んでくれたことにほっとした気持ちもあります。また、この仕事のプロとして、自分たちのPRが出来ないのに、クライアントのPRが出来るのか、という思いもあります。

少し過激な意見になってしまいますが、当時自分が感じていた「PRの当事者が、PRというものを言葉にできないようではダメだ」という想いが、モチベーションになったのは確かですね。案の定、「当たり前のことを書いて、いまさら」なんていう意見も頂戴しましたが、その当たり前の説明を怠ってはいけないと思っています。一番受け入れてくれたのは、広告業界でした。「なんだ、やっと分かりました」という感想でした。

−−やっとPR側からの発信が来たと。

本田哲也氏: 日本中で一番売れたのは電通さんのビルがある汐留の地下の書店だったそうです(笑)。私の気に入っている言葉のひとつに、「物は言いよう」というのがあるんですけど、良いものなのに伝わってないことは、まだまだ世の中にたくさんあります。中身が良くても、それを伝えるのに長時間かかってしまっては、受け手の気持ちは離れていってしまいます。

例えば、同じ内容の話でも要約して順番を変えるだけで、ぐんと話は伝わりやすくなります。私も、相談を伺うときは、自然とアタマの中が「情報編集モード」になっています。相手の悩みが、編集によってまとまって、解放されれば、それが相手の喜びになり、私のスッキリ感も増す、今の仕事はまさに天職です。プライベートで映画を見たり、本を読んだりする時にも、つい情報編集グセが出てくるときは、さすがに奥さんにもあきれられてしまいますが(笑)。

著書一覧『 本田哲也

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