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福沢恵子

Profile

1958年、東京都世田谷区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。 専門はキャリア開発論、ジェンダー論、税法、メディアリテラシーなど。 在学中に女子学生の作る就職情報誌「私たちの就職手帖」を創刊、初代編集長を務める。 卒業後、朝日新聞記者を経てフリーランスのジャーナリストとして独立。「女性と仕事」を中心テーマに、就業、人材開発などについての執筆や講演を行う。 1998年にコラムニスト深澤真紀らと共に企画会社「タクト・プランニング」を設立。 著書に『会社でチャンスをつかむ人が実行している本当のルール』(共著。ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『40歳で遺言状を書く!』(オレンジページ)など。

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“フリーランス5ヵ年計画”で独立



福沢恵子氏: 大阪在勤時代には作家やカメラマンなどと一緒に仕事をする機会があり、「組織に属さずフリーランスとして働く」ことの可能性を知りました。私はそれまで「会社に雇われて働く」以外のワークスタイルを知らなかったのですが、「自分で仕事を選ぶことができる」という働き方を知ることは私にとって「コペルニクス的転回」となりました。それが29歳の時です。そこでまず「フリーになっても生きていける私を作る」というプロジェクト “フリーランス5ヵ年計画”を立てました(笑)。
最初にやったのは、知り合いのカメラマンに“フリーでやっていくために必要な条件”を聞くことでした。その答えは「フリーランスで仕事をするためには、最低でも12ヵ月分くらいの運転資金が必要。だからまず家計簿を最低3ヶ月つけて、1ヶ月の必要生活費を把握しなさい」というものでした。「蓄えがない状態でフリーランスになったら、それは単なる失業者だ。仕事を選べる自由があって、自分の時間を思い通りに使えるから『フリー』なんだ」とも言われました。それで、1年分の必要生活費を算出して、その額を貯金することが最初の目標になりました。

――他にはどのような計画があったのですか。


福沢恵子氏: 二つ目は、“1ヶ月に1人、将来の取引先となる人間、見込み客を開拓する”ということでした。出版社に就職した同級生に連絡をして、親切に対応してくれた人は、食事にお誘いして名刺交換をしていました。三つ目は、“1冊でいいから自分の名前の入った本を出す”こと。フリーランスになった時に、1冊の著書もなければ「私はジャーナリストです」とは言えないと思ったのです。

それで出版したのが『楽しくやろう夫婦別姓』という本です。当時は夫婦別姓が話題になり始めていたころで、後に社民党の党首となる福島瑞穂さんと、現在では「離婚弁護士」として有名な榊原富士子さんと三人の共著という形で出しました。表紙は漫画家の石坂啓さんが、すごくかわいいイラストを描いてくれました。おかげで夫婦別姓というお堅い法律がらみのテーマが、カジュアルに捉えられる、異色な本だったように思います。「あなたが結婚で名前を変えることを強制されているということに対して違和感を抱いているならば、その違和感も大切にしていいんだよ」というメッセージを込めていたのです。



――順調に計画の三つ目もクリアーできたわけですね。


福沢恵子氏: 見込み客の開拓は、3年目で、5年間の目標である60人を達成できました。でも「もっと見込み客を増やそう」と思った1990年に、私の母が病気になり看病しなければならなくなりました。シフトで勤務時間が決まる部署への異動を上司に相談しましたが、なかなか人員の空きが出ず、断念せざるを得ませんでした。当時は育児介護休業法もまだ存在していない時代です。親の看病での休職は認められません。そこで、予定を2年繰り上げて32歳で独立することに決め、現在に至ります。

常緑樹のごとく 一隅を照らして


――どのような思いでお仕事をされていますか。


福沢恵子氏: 私がフリーランスになったばかりのころ、ライターの大先輩に言われた「常葉樹のような仕事をしてね」という言葉が今でも心に残っています。「華々しいベストセラーを出すことも素晴らしいけれど、そのような著作の中には後に何も残らない仕事も多くある、それよりは、細々とでもいいから、誰かがあなたの仕事を何年経っても活用してくれるような、そんなロングセラーとなるような仕事をしてね」と言われました。当時の私は32歳で、その言葉を聞いてもあまりピンときませんでしたが、20年経ってみると「なるほどね」と思うようになりました。

私が水野谷悦子さんと翻訳した『ビジネス・ゲーム』という本は、アメリカでは100万部のベストセラーで、日本でもかなり売れたのですが、一度絶版になりました。しかしながら、文庫本で復活し、アナウンサーの小林麻耶さんが、「思い出す本忘れない本」という朝日新聞の記事の中で、自分が心に残った本として紹介してくれました。また、本屋さんで働いている人が、小さなコラムで書いてくれるなど、本を介して見ず知らずの人に自分の思いが届けられるという貴重な体験ができました。このような体験によって、たとえ小さな光でも、一隅をずっと照らし続けることの重要性が改めて分かったような気がします。ベストセラーはその時代の象徴であったり、出版業界も活気づくのでその存在を否定はしませんが、ロングセラーの価値も再確認すべきだと私は思っています。

――これから、どんなお取り組みを。


福沢恵子氏: 三月で大学の任期が終わるので、四月からは休学中だった大学院に戻り「女性のエンパワメント」に関連した博士論文に取り組む予定です。本学の教職員の身分を離れることで「社会人メンターの応募資格」が発生しますので、今後はもしかしたらメンターのひとりとしてお手伝いが出来るかもしれません(ただし「選考を通過すれば」ですが……笑)。今後は、自分が常緑樹のように仕事をしていくのはもちろん、新たな緑の種をまくお手伝いを、色々な形でできたらと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

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