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世界中の本好きのために

陳満咲杜

Profile

1992年に来日し、生活費と学費をアルバイトでまかないながら、大学時代より株投資を開始。中国情報専門紙の株式担当記者を経て黎明期のFX業界へ。香港や米国の金融機関で研修を重ね、トレーダーとしての経験を積む。GCAエフエックスバンク マネージングディレクター、イーストヒルジャパン チーフアナリストを経て独立。日本、中国、台湾地域をカバーした執筆、講演、情報サービス、投資家教育などの活動に取り組んでいる。日本テクニカルアナリスト協会検定会員。 著書に『基本にして最強GMMA+RSI二刀流FX』(扶桑社)、『FXチャート分析 マスターブック FX プライスアクション 成功の真実』(実業之日本社)など。

Book Information

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「知日・知中」の役割を大きく果たす



株式会社陳アソシエイツの代表を務める、為替アナリストの陳満咲杜さん。各種メディアで好評の陳さんの出発点は、「絵」でした。どのようにしてそこから「投資」の世界へ進んだのか。志し高く日本に渡り、四半世紀。留学当初の話から、今「本」に託したい想いを伺ってきました。

上海の美術青年、海を渡る


――陳さんの一日は、どんな感じで始まりますか。


陳満咲杜氏: 午前中、7時から10時までは、チャートとニュースを見比べ、検証しています。値動きの裏にどんな材料があるか、ニュースの出来事がチャートにどう現れるか、マーケットがどういうふうに反応しているか、これが一番大事です。この反応のパターンから今後の値動きを推測していきます。10時からレポートを書き始めて、12時頃配信するという感じです。うちのキャメロン君(オス)も、一緒になって画面を眺めています(笑)。



あるニュースが出た時、どのくらいのインパクトがあるか、何pips(最小変動単位)の値動きをもたらしたかを検証する。世間の方が非常に重要だと感じているニュースでも、実は40pipsとか30pipsしかなかったり、逆に、私たちがそうでもないと思っているニュースが120pipsとなったり、そういうことを考えていくのが相場のだいご味ですね。情報収集は、主にネットで、ロイターやブルームバーグのような経済専門サイト以外、『フィナンシャル・タイムズ』や『ニューヨーク・タイムズ』、『ウォール・ストリート・ジャーナル』も読みます。

私は上海の出身ですが、子どもの頃から、わりと日本人と接する機会がありました。もちろん昔の中国でも、日本のドラマも放送されていました。小学校の時は、日中国交正常化が始まったばかりで、私たちは日中友好の教育ばかり受けていました。ですから、教科書に旧日本軍の戦争犯罪に関する記述はあるけれど、普通の日本人も軍国主義の被害者だと教わりました。世代によって違うけれど、今でも別に歴史を教えているだけで、反日教育を積極的に行なっている訳ではないと思います。まあとにかく、当時は日本人の訪問団がよく来ていました。私は絵を描いたり、みんなの似顔絵を描いたりして、通訳を通して日本人と話す機会がありました。きれいな女の子にも会いましたし……(笑)、日本には好感を持っていました。それで、日本に行きたいと思っていたのです。

――『勤勉で勉強家の日本人がFXで勝てない理由』に詳しく書かれています。


陳満咲杜氏: 来日した23年前は、日本と中国の経済格差はとても大きくて、周りはみんな貧乏で、お金持ちはまずいませんでした。最近、中国人観光客の「爆買い」のニュースが報じられていますが、私たちの時には考えられなかったことです。私自身が何千円しか持っていなかったし、学費もほとんど借金していましたから。私だけじゃなく、周りはみんなそうやって苦労したんです。

日本に渡る前は、ずっと美術の勉強をしていまして、一応絵描きを志していました。周りにはちょっと絵が描けるということで、才能があると褒められたのですが、中国は受験戦争がきつく、例えば国立の大学などはとんでもない倍率で、若い受験生にとっては非常に残酷です。自分がどのくらいの力があるのか、分かってしまいました。周りには、すごい能力を持っている人がたくさんいたのです。そして、自分はとても越えられないと感じて、うつ病になってしまいます。名門美術大学の受験に失敗して、「描け」と言われても、前に進む意欲もなくなって。そういう時に、日本に渡るチャンスをつかみました。

当時の私たちのような、コネも資本もない留学生が外国で学ぶのは難しく、アルバイトでなんとか学費や生活費をしのいでいました。学業と両立できる都心のキャンパスということで、日大の経済学部へ進みました。来日最初はとても孤独でしたね。日本語も不自由でしたし、周りとコミュニケーションも取れていませんでしたから。海外留学を挫折したほとんどの人の原因は、その孤独感だと思います。

――その孤独感、どうやって乗り越えたのですか。


陳満咲杜氏: 耐えるしかありませんでした(笑)。中国では、面子が大事で、大学を卒業するか、お金持ちになって故郷に錦を飾るしか帰る道はありませんでした。でもだいたい3年、長くても5年を過ぎると、孤独感も消えていきますね。バイトが忙しくて、日本人のクラスメートとの交流も限られていました。そういえば、私たちの時代、90年代は周りの日本人の学生は、みんな勉強しなかったですね。私も株をやったり、ゲームの会社で働いたり、大学3年生の時にはもうゲーム会社の社員になっていました。海外業務を担当したり、シナリオをみんなと一緒に考えたりしていました。あと、日本のゲームを海外に移植したり、バグを探したりと、ほとんどの業務をこなしていました。

著書一覧『 陳満咲杜

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