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朝倉智也

Profile

1966年生まれ、東京都出身。1989年慶應義塾大学文学部卒。銀行、証券会社にて資産運用助言業務に従事した後、95年米国イリノイ大学経営学修士号取得(MBA)。同年、ソフトバンク株式会社財務部にて資金調達・資金運用全般、子会社の設立および上場準備を担当、98年、モーニングスター株式会社設立に 参画し、2004年より現職。 著書に『〈新版〉投資信託選びでいちばん知りたいこと』『30代からはじめる投資信託選びでいちばん知りたいこと』(ダイヤモンド社)、『低迷相場でも負けない資産運用の新セオリー』(朝日新聞出版)などがある。

Book Information

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金融業界の大変革を予感し、刺激を求めて証券会社へ


――金融の世界へ入ってみて、最初はいかがでしたか。


朝倉智也氏: 実は、銀行は1年で辞めてしまいました。入社した最初の夏に、エポックメイキングな出来事がありました。それまで、都銀13行の中では、合併というのはほとんどなかったのですが、太陽神戸銀行と三井銀行の合併が発表され、大きな衝撃を受けました。当時は、大蔵省が護送船団方式で、都銀13行は仲良くやっていこう、銀行はみんなで成長していこうということだったのが、突然合併が発表されました。そこから、一気に合従連衡が起こり、銀行も含めて金融業界は大きく変革していくだろうと思いました。

北海道は非常にのんびりとした穏やかなところで、ゆったりと働き、普通に生活していくには最高の環境だと思います。ただ、当時はインターネットの環境もまだ進展していない時であり、東京から距離が離れているということで、様々な情報が入ってくるのが遅く、何か取り残されているような感じでした。そういった状況の中、少しまずいなと感じて、もう少し刺激のあるところに行きたいと思いました。

――銀行員を辞めると話した時、周りの反応はいかがでしたか。


朝倉智也氏: 当時、銀行員というのは、一生安泰だと言われていました。比較的給料も高く、入れば一生食いっぱぐれはないと言われ、銀行を辞めるなんて人はいませんでした。ですから僕が辞めると言った時は、当時の支店長も大変びっくりしていました。支店長は大学の大先輩で、すごく可愛がってくれていたので、相当激怒されると思ったのですが、「僕が君のように若かったら、僕も同じ選択をしたかもしれない」と言って、温かく送り出してくれました。

――それでメリルリンチに。


朝倉智也氏: 父は、僕が就職前に商社や出版、マスコミ等に行きたいと言っていたのが、やっと銀行員になってくれたと思っていたのに、1年も経たずに辞めると言われ、相当落胆し、むしろ激怒するかもしれないと思いましたが(笑)、理解を示してくれました。

そして、僕がグローバルな企業でチャレンジしたいと父に言うと、当時米国最大の証券会社のメリルリンチ証券の東京支店で働いていた知り合いの方を紹介してくれました。縁あって父の紹介を得ることはできたのですが、その方から「これから、メリルリンチも日本の投資家のために海外の商品などを販売していくから、チャレンジしてみるか?その代わり、最初に米国の証券外務員試験に受験をして、もし落ちたらクビだ」と言われ、それを了解して入社しました。それから半年間勉強漬けでしたが、何とか無事合格することができました。

選んだ選択はベストだったと信じること


――先ほどグローバル志向とおっしゃっていましたが、イリノイ大学へ留学されたのはどういった経緯で。


朝倉智也氏: メリルリンチ証券は、4年間勤めました。当時は1度外資系の会社に入ると日本の会社に戻るのはなかなか難しかったので、ずっと外資系の道で歩んでいこうと思いました。そうだとすると、金融の勉強や語学をブラッシュアップしていかなければいけない。そして、自分としての箔も付けていかなければと思い、自分でためた貯金と父からも少しお金を借りて、米国イリノイ大学のビジネススクールに行くことにしました。その当時27歳。ビジネススクールは2年間なので、30歳までに、金融、グローバルという視点で生きていくためのベースを作っておこうと思いました。

ただ、ビジネススクールを出た後に、職が保証されているわけではありませんし、企業から派遣される人と違って、戻る場所もありません。だから危機感はすごくありました。でも、人も会社もそうですが、ある程度、危機感を持っていないと成長する意識が希薄になってしまうので、プレッシャーや危機感を持っていたのは、逆に良かったのかなと思います。

――チャレンジの連続ですが、不安はありませんでしたか。


朝倉智也氏: 後悔はしたくないので、その時その時がベストの選択だったと思うしかありません。拓銀の支店長には、「拓銀を辞めたことを後悔してもらいたくないし、ベストの選択だったと思ってほしい。あなたがメリルリンチで一生懸命頑張り、活躍してくれることが、私どもは嬉しく、それは拓銀の誇りとなる。メリルに行っても『やっぱり拓銀の卒業生は優秀だな』と言ってもらいたいから、あなたには頑張ってもらいたい」と言われたときは涙が出そうでした。その時の決断がベストだったとは思いますが、出会った方々が僕の背中を押してくれたというのも、非常に大きいです。有難いことに、その当時から周りの人に非常に恵まれていたなと思います。

――辞めるときは覚悟を持って、後悔のないよう決めたなら進むだけですね。


朝倉智也氏: 辞めるという選択をすることは、別に悪くはないと思います。結果的に僕は出来なかったのですが、「石の上にも3年」という考えももちろん否定はしません。辞める選択をしてしまった以上、自分なりに考えを持ち、後悔せずにまた新たな気持ちで、しっかりとやることが大事だと思います。どこに行っても様々な問題や課題があるし、色々なことを言われたりもしますが、それは自分が決めた世界なので、それを全うしていくという覚悟がすごく大事だと思います。そうすることで、不平不満を言う周りの人も、次第に認めてくれるようになると思います。

著書一覧『 朝倉智也

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