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世界中の本好きのために

松田哲

Profile

1956年生まれ、東京都出身。 早稲田大学法学部を卒業後、三菱信託銀行に入社。本店国際資金為替部にて、外国為替、国際資金業務に携わる。その後、ファースト・インターステート銀行、パリバ銀行、クレディ・スイス銀行、オーストラリア・コモンウェルス銀行にてチーフ・ディーラーとして活躍。東京外国為替市場委員会、住友商事などを経て、現在は、法人・個人向けに外国為替等のコンサルティング業務を行っている。 著書に『FXで稼ぐ人はなぜ「1勝9敗」でも勝つのか?』(技術評論社)、『外国為替・FXのしくみ 損得を生み出す取引市場のカラクリとは?』(PHPビジネス新書)、『FX短期売買の教科書』(扶桑社)など。

Book Information

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きれいごとではなく「事実」「真実」を伝えたい



松田トラスト&インベストメント代表取締役。外国為替のコンサルティング業務を行っています。松田さんは、早稲田大学法学部卒業後、三菱信託銀行へ就職。外国為替や国際資金業務などの仕事を行い、ニューヨーク支店での勤務経験もあります。そして、アメリカのファースト・インターステート銀行やフランスのパリバ銀行で勤められた後、クレディ・スイス銀行やオーストラリアのコモンウェルス銀行でチーフ・ディーラーとして働かれました。そういったご経験で得た知識を元に、ウェブサイト「松田哲のFXディーラー物語」や「松田哲のFX一刀両断」で、FXで勝つ手段などを語られています。著書は『FX「シグナル」を先取りして勝つ! 稼ぐ人はなぜ相場の動きを読めるのか?』『外貨崩落 生き残る人は知っているもう1つのシナリオ』など。松田さんに、子どもの頃のお話、仕事でご苦労されたこと、執筆をすることになった意外なきっかけなどを伺いました。

必要なのは、努力とセンスと忍耐力


――現在は法人や個人に向けた外国為替のコンサルティングというのが主な業務ということですが、具体的にはどういったことをされているのでしょうか?


松田哲氏: 「マーケット・コメント」と言いますが、主に外国為替、例えばドル/円とか、ユーロ/円とか、ユーロ/ドル、あるいはオーストラリア/ドルに関しての価格、外国為替レートがどのように変動していくのか、その情報提供をしています。どこで売ればいいのか、どこで買えばいいのか、どうすれば儲かるのか、それを読者の皆さんにお伝えすることが、個人的な目的です。どうすれば利益に結び付けるのか、どう考えればいいのかということを伝えることができればいいなと思って、連載などをしています。

――めまぐるしく移り変わるものを読み解き、それを読者に伝えるというのは、とても難しいのではないでしょうか。


松田哲氏: 何事も真剣になれば、簡単なことは何一つないと思っています。例えば、将棋の羽生さんは、ひょっとして基本的には普通の人なのかもしれませんが、その分野に関して言うならば特殊だと思うのです。まず1つひとつの積み重ねによる基礎があって、それから応用があって、それで勉強すれば一定の水準までは必ず到達するのですが、そこから先は努力の繰り返しと、どれだけ耐えられるかということ。それからセンスなのだと思います。特に、継続することができるかどうかという部分が、必要なセンスなのかなと、私は思うのです。



勉強をやめ、夢中になったのはバドミントン


――そういった努力をして基礎を築くというお考えは、昔からあったのでしょうか。


松田哲氏: いえ、昔から、という訳ではありません。中学校までは、特別に何かをしていたわけではないのですが、ずっと勉強で1番でした。小学校6年生の頃は進学教室に通っていて、中学受験では開成を受けたのですが、風邪で熱を出して調子が狂ったのか試験に落ちてしまい、公立の中学校へ行きました。「落ちるはずがない」と思っていたので、泣いたのを覚えています。人生で初めての挫折でしたね。

――ご両親のすすめもあったのでしょうか?


松田哲氏: 小学校6年生の時に、同級生が受験するというのを聞いて、父に話をしたら、「なんだ、お前も受けるか」と。父親は勉強してもらいたいと強く思っていたようで、「東大に行け」という感じで、小学校6年生の時に進学教室にいきなり連れて行かれました。だけど私自身は、「東大」を「灯台」と勘違いをしていて、「何を言っているのかな」と不思議に思っていました(笑)。進学教室に通っていた時は勉強したのですが、その後からはあまり勉強した記憶がないですね。

――でも、高校は進学校に進まれていますね。


松田哲氏: そうですね。都立小石川高校に通っていました。当時、東大に50人ぐらいは行っていたと思います。私は、1年生の時は学年でも10番ぐらいにいて、担任の先生から「松田、お前このままいけば東大に入れるから、頑張れよ」と言われました。それを聞いて「ああ、チョロイじゃないか」と(笑)。それからは、全く勉強しなくなりました。

――勉強の他に取り組まれていたことはありましたか?


松田哲氏: バドミントンをやっていました。中学校の時にバドミントンに出会って夢中になり、団体では東京都で優勝したほどです。個人でも3位になりました。それから、高校2年生の時にマージャンを覚えて、学校をサボって雀荘に入り浸っていました(笑)。覚えて半年ぐらいで、相当強くなったと思います。

――その後、早稲田大学の法学部へ入られたわけですが、大学時代もバドミントンは続けていたのでしょうか?


松田哲氏: 大学生の時は、体育会のバドミントン部に入っていました。「上級生の言うことは絶対」という暗黙のルールがあって、1年生部員は頭を丸めないといけないなどという理不尽なしきたりのようなものがありました。それに対して、上級生に「おまえ、そういう話は俺に勝ってから言え」と言って、大問題になったこともありました(笑)。それが原因で居づらくなった部分もあり、バドミントンを辞めました。体育会に入っている間は体育の授業を免除されるのですが、辞めたことで体育をやらなきゃいけなくなり、アマチュアですが、ボクシングを習ったりしていました。その当時の体育の先生が東京オリンピックの選手だった白鳥先生という面白い方だったのですが、体育会を辞めたとどこかで聞き、「時間があるだろうから、高校生を教えてくれ」というので、バドミントンのコーチを始めたんです。

――どのような指導をされていたのですか?


松田哲氏: 1回戦で負けるような弱小チームだったので、昼休みに毎日10㎞の走り込みとか、うさぎ跳びを10kmとか、腕立て伏せ5000回、腹筋6000回などをさせました。弁当を2食持ってこいと指示して、2時限目と3限目の間に1食、5時限目と6時限目にもう1食を食べさせていましたね。腕立てや腹筋などはさすがにキツかったのか、最後までできない者もいて、もともと38人も所属していたのに、残ったのはたった9人でした。でも、最終的には関東大会へ行けるまで成長したのです。「これだけ練習していたのに負けるのか」という思いがあると、負ける事が悔しいんですよ。でも、人間というのはその悔しさがないと頑張れない。それを私は教えたかったのです。

仕事で結果を出したことで、助けを得られた


――その後、三菱信託銀行へ入社されましたね。以前から、その分野の仕事を目指されていたのでしょうか?


松田哲氏: 3年生の時に都庁の大学卒を受けて受かっていたので、勉強面での能力が証明されていたということがあり、面接に行った三菱信託より「ぜひ来てほしい」と話があったのです。それも、むしろバドミントンのコーチの話が一番印象が良かったのかなと思います。都庁の上級職には受かったものの、なりたかった国家公務員の国家上級は落ちてしまったのです。

――ニューヨーク支店へはどういったいきさつがあって、行かれることに?


松田哲氏: 私は中国語の学校に半年間行かせてもらっていたのです。中国ビジネスをするつもりでいたのですが、天安門事件があったこともあり、まだ中国の発展は無理だということで余剰人員になってしまったのです。それで北京に留学するはずだったのも、キャンセルになりました。ただ「お前、中国語を勉強してきたんだから国際部だ」と。それで、国際部に行ったらディーラーが足りず、「じゃあお前、ディーラーだ」と、ディーリングをやることになりました。半年ぐらいで、後に社長になられる上原治也さんというチーフリーダーから「お前は才能があるから、徹底的に厳しく教える。俺の言うことを聞け」と言われました。9カ月ほど経った頃、「ニューヨークへ行け」と言われたのです。

――でも、勉強されたのは英語ではなく中国語でしたよね…


松田哲氏: そうです。私がなぜ中国語をやっていたかというと、英語が嫌だったからなのです(笑)。ニューヨークに行く飛行機の中では日本人のキャビンアテンダントがいましたし、JFK(空港)では仲の良かった上司が迎えに来てくれました。タクシーも日の丸タクシーと言って、日本人の運転手だったので良かったのですが、とうとうホテルのチェックインで言葉の壁にぶち当たり、「何て言えばいいんだろう」と考えこみました。ホテルの方が「May I help you?」か何か言ったのですが、全く分かりませんでした。これは冗談じゃなくて、本当の話(笑)。

――英語ができないとなると、仕事をするのも大変だったのではないですか?


松田哲氏: 「売った」、「買った」というのは「Yours」「Mine」と、その程度なのです。「本当はこの値段でやりたいんだけど」とかは、「そんなのは関係ない、やっちゃえ」という感じで強行突破すればいい。大雑把に言えば、「もうちょっといい値段で…」といったような細かい要望は無視して(笑)、「Yours」「Mine」で突っ込んでいくから、仕事はどうにかなるんです。
最初は英語が話せないから、周りに馬鹿にされていました。でも、9月に行って2カ月で、100万ドル、当時で言うと2億円ほどを作ったことで、アシスタントの方が「こいつは儲かる」と思ったのか、英語を教えてくれるようになりました。こういう時はこう喋るとか、発音を直してくれたり、やりとりする上で足りない表現を補ってくれたりしました。

“勝負ごと”のおもしろさを見出す


――周りの助けをもらいながら、トップになっていったわけですね。


松田哲氏: 自分のことを一生懸命やるのは当然のことなのですが、何事も、1人ではできないことが多いのです。私も色々な方に助けてもらってきたと思います。三菱信託でわんぱく坊主をやっていた頃にしても、結局、周りで支えてくれていた人がいるからこそできたのです。でも正直なところ、開き直りはありますね(笑)。普通だったらあきらめているだろうなと思うことも多いです。でも、あきらめないでしがみついていると、不思議と誰かが助けに来てくれるのです。

――ご自身をどう分析されていますか?


松田哲氏: 1人でストイックにやるのは、苦手なんです。ただひたすら、走るとか泳ぐとかトレーニングするとかいうのはあまり好きではなくて、人と比較して優劣を競うというか、「これは人よりもできるぞ」とか「勝った」「負けた」という、そういう勝負事が好きなんだろうなと思います。それから、自分が気に入ったものに関しては積極的に行動するのですが、あまり興味のないものはだめなんです(笑)。あとは、理不尽なことが大嫌いです。サラリーマンになって、三菱信託の社長がリクルート事件で株をもらっていた時、当時の社長は謝罪しなかった。それで、酒を飲んでいて酔っ払って、「うちの社長は謝罪しねーのか!」と、会社のディーリングルームで大声で叫んだことがあります。その時、社長はいなかったのですが、その後たまたまエレベーターで社長と一緒になった時も、絶対に頭は下げませんでした。後から秘書課に呼び出されて、「さっきのあの態度はなんだ」と言われ、「すみません、私は尊敬できない人に頭を下げることはできません」と言いました。意地悪されるかなと思ったらお咎めなしでしたね。今考えてみると、問題児だったろうなと思います(笑)。

ディーリング中に読書


――本はよく読まれますか?


松田哲氏: 最近は読んでないですね。サラリーマンの頃は、電車通勤の時間やお客さんのところへ訪問する時などは、時間が余るので、常に文庫本を持って歩いていました。思いついた時にメモしておかなきゃ忘れちゃうからと、自分の思ったことや書きたいことなどをその文庫本に書いていました。この会社を作って5、6年になりますが、その前は、2日、もしくは3日で1冊ぐらいのペースで文庫本を読んでいました。
ニューヨーク支店にいた頃、ディーリングをしていたのですが、電話がいつも掛かってくるわけでもないし、外国為替のレートは音声できていたので、耳さえ使えれば、目も手も空いているわけです。それで山岡荘八の『徳川家康』を、文庫本でずっと読んでいました。そこから歴史小説の乱読が始まりましたね。ニューヨークにも紀伊國屋のような日本の書籍屋があり、高いと分かっていたのですが、そこで買ってきて、吉川英治の『三国志』を読んでみたり、池波正太郎や司馬遼太郎などの本は、ほぼ全部読みました。私は池波正太郎の影響が強いかなと思います。ニューヨークでは聞くのも話すのも英語だから、日本語に飢えるんです。日本語を喋りたいし、日本語を読みたかったんです。

ホームページ作成から執筆へ


――本を書くことになったきっかけは?


松田哲氏: 個人投資家はまだ集まってくる前で、業界自体が萎んでいたので、仕事を辞めようと思っていたのです。年齢的な意味でも仕事が無くなってきた時期だったので、「もう辞めようかと思う」とタカイさんという方に相談に行ったんです。そうしたら、私はインターネット上でホームページをやっていたので、「インターネット上で書き物をやっているんだから、本ぐらい書けるだろう。本1冊分の原稿を1週間後に持ってこい」と言われました。なんとか期限を2週間にのばしてもらったのですが、2週間後はバレンタインデーで、「タカイさん、2週間後はバレンタインデーだよ。バレンタインデーにタカイさんとデートするのか」と言ったところ、「やかましい、お前の大事なところだろう?だから相談に乗ってやっているのに、バレンタインもへったくれもあるか!」と(笑)。その当時、タカイさんは明治生命のお偉いさんで、有楽町にある三省堂のビルの上の保険協会のようなところに出向していたんです。2週間後に、ブログだとかインターネット上で書き溜めていたものなどを寄せ集めて、本2冊分ぐらいあるかなというような原稿をぐちゃぐちゃな状態で持って行ったんです。すると、「1階の三省堂に行って、自分の気にいった出版社を3つ選んでこい。本の裏には必ず奥付に出版社の電話番号が書いてあるから、それを控えてこい」と言われました。

――直接電話をされたのですか?


松田哲氏: はい。私は結局2社しか選べませんでしたが、タカイさんから「電話しろ」と言われ、飛び込みで電話をかけました。でもまともに相手をしてくれることは当然ありませんでした。それでもタカイさんは「松田、これから100まわれ。今2社やったんだから、残り98社だ。必ずどこか拾う」と言いました。そんなある日、たまたま林康史さんという、たくさん本を書いている方から電話がかかってきたので、出版社を紹介してくれないかと頼んでみました。すると、「すぐに原稿を持ってこい」という話になり、日経BPの編集の方とその日に会って、原稿を見せたところ、「松田さん、やりましょう」とすぐに話がまとまりました。それから本ができあがるまでに、1年くらいかかりましたね。

2人からの勧め


――村上龍さんの本に、松田さんが登場しているそうですね。


松田哲氏: ええ。『希望の国のエクソダス』に私が出てくるんですよ。その本は、中学生たちが巨万の富(10兆円)を相場で作って、北海道を独立させてという、近未来小説なんですね。村上さんは、外国為替相場で10兆円を作る方法を知りたがっていたんです。誰も答えなかったのですが、私は「机上の空論でいいのなら、こうすればいいんですよ」と答えたんです。『希望の国のエクソダス』には、「『それは違う』と年老いた外為ディーラーがつぶやいた」とか書いてあるんですよね。「もうちょっとかっこよく書いてくれよ」と思ったところもありました(笑)。それから、ノンフィクションライターの杉山隆男さんも、私のことを何回か書いてくれています。

――杉山さんは、どういったことを書かれていたのでしょうか?


松田哲氏: ディーラーになる前に、私は外回りをやっていたのですが、「退職金を預けてください」と話した消防士さんに、「全額現金で、1回持ってきてくれないか」と言われたことがあるんです。「俺は命懸けでこの仕事をやってきて、それを誇りに思う。自分が命を懸けて稼いだお金を1回現金で見てみたいじゃない?君だったら分かってくれるんじゃないかなと思って」と。それで、実際に1750万円の現金を持って行き、「明日取りに来ますからね」と言って、翌朝もう一度行きました。そうしたら彼は玄関の前で目を真っ赤にして待っていて、「寝られなかったよ、早く持って行け。テレビでやっているみたいに、アイロンをかけたりしたくてやってみたら、馬鹿馬鹿しくなった。自分が命懸けで稼いだ金に対してこんなことするもんじゃない。全然楽しくないよ」と言っていました。1000万円の大束を解いておらず、消防士さんだから「これは危険だ、火事になったらどうしよう」と思ったそうです(笑)。落語みたいな話なんだけど、この話を杉山さんにしたら、『外為ディーラーは眠らない』では、ほとんどその話をしていました。村上さんには、「作家というのは自分の感性で書いているから、松田さんが書いてもらいたいと思っていても書けるわけじゃないんだよ。自分で書くしかないんだよ」と言われました。杉山さんにも同じようなことを言われましたね。

読者が知りたがっている情報を提供したい


――本を通して伝えたいこととは?


松田哲氏: 「本当のこと」です。きれいでも汚くもない、ただ単なる事実を淡々と伝えたいのです。実は最初に書いたのは小説の『青春のモニュメント』という実話です。「こんなことをやっているんだよ」ということを伝えたかったし、その中で自分が思ったこと、経験したこと、そして起きたこと、その結末はどうなったか、という真実を伝えたかったんです。
いかにもありそうな話ではなくて、「実際にどうすれば勝てるんだろう」ということ。勝たなきゃいけないし、負ければ身を滅ぼしていくことになる。だったら相場なんかやらない方がいい。FXという相場にタッチすることは楽しいからドーパミンも出るだろうし、興奮もするだろうし、そこら辺を楽しむのならば、それはパチンコや競馬と一緒です。でも、それで身を立てるとか、商売をやるとか、あるいは輸出だ、輸入だと、重要なことをやっていくのであれば、やっぱり勝たなければいけない。では勝つためにはどうすればいいんだ、何を考えればいいんだ、自分はどうやってきたんだということを伝えたいのです。

――本を作る上で、編集者の方に期待することとは?


松田哲氏: 去年、技術評論社から出す本を書いていたのですが、途中で書くことを断ったのです。「ドル/円が上がってきていて、120円までいく」というような内容で、それは正しかったのですが、同じことの繰り返しに飽きてしまい、自分が嫌になったんです。ブログやネット配信でもそういった内容のことはもう書いているので、それでいいじゃないかと。だから、逆に言うとそこら辺をうまく構成してくれる編集者がいるとありがたいなと思いますね。

――今後の展望をお聞かせください。


松田哲氏: いずれは本を書かなきゃいけないなとは思っているんです。ただ、今まで書いたような、「ここで売ればいい、買えばいい」などというノウハウ的なものはもう一通りやったかなと思うのです。新しい読者がいるわけだから、それを改めて焼き直すことも仕事だと思いますが、真実を伝えるために、今は充電しなきゃいけないのかなと思っています。
読者の皆さんが私に求めていることは、結果的には「相場」。例えば夏目漱石だとか森鴎外、あるいは内田康夫さんのような推理小説を求めているわけではないと思うんです。読者が興味を持っていること、知りたいと思うことを伝えていかなければ、誰も拾ってくれないんだということがよく分かりました。だからこれからも、そういう情報を探して、伝えたいなと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 松田哲

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