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世界中の本好きのために

本秀康

Profile

1969年生まれ、京都府出身。神奈川県立神奈川工業高等学校デザイン科卒業。1995年、『月間漫画ガロ』7月号掲載の入選作『パーティー大好き』でデビュー。小学館『ビッグコミック』『月刊IKKI』などで連載。また、レコードコレクターであり、音楽誌にも連載を持った。2014年に7インチ・シングル盤限定・アナログレコード専門レーベルとなる「雷音レコード」を立ち上げる。 著書に『たのしい人生』(青林工藝舎)、『ちきゅうのへいわをまもったきねんび』(岩崎書店)、『まじかるきのこさん』(イースト・プレス)、『ワイルド マウンテン』(全8巻/IKKI COMIX) など多数。

Book Information

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先人達をリスペクトする。「大好きだから」描けるもの



イラストレーター、漫画家。『月間漫画ガロ』の入選作『パーティー大好き』(1995年7月号掲載)でデビュー。『MUSIC MAGAZINE』『レコード・コレクターズ』に『レコスケくん』を連載し、レコード収集マニアの主人公が人気者になりました。牧歌的な画風でありながら、シニカルなストーリー・世界観によって、熱狂的なファンを獲得。「爆笑問題のバク天」の番組キャラクター、そしてスピッツや奥田民生、東京事変などのジャケットなども手掛けられています。また、ジョージ・ハリスンの熱狂的なファンであり、レコードコレクターとしても有名で、今年、7インチシングル盤限定・アナログレコード専門レーベル「雷音レコード」を立ち上げました。イラストレーター、漫画家としての自身の経験、趣味やアナログとデジタルへの思いなどをお話していただきました。

「アナログ復興計画」?


――なぜレコードレーベルを作ろうと思われたのでしょうか?


本秀康氏: 音楽に関しては、とにかくアナログが大好きなのです。ずっとレコードを買って音楽を聴いていましたが、実は「音楽そのものよりも、レコードが好きだったのでは?」と思うくらい、器、盤のほうに興味があるので、最近はあまり音楽に興味がないような気になっています(笑)。今は、ネットで音楽をダウンロードするのが主流になっていて、そこでしか売っていないものは僕もネットで購入していますが、データは買ってしまうと聴かなくなるので、モノとして存在するアナログの良さを再認識しました。それに、最近はCDの立場が少し危うくなってきているので、もしかしたら、今がアナログ復興のチャンスかもしれないということで、それを盛り上げるために「雷音レコード」を始めました。

――レコードの良さはどういうところだと感じていますか?


本秀康氏: やはり音楽は情報量が音だけなので、映像作品などよりも情報が少ないです。CDやレコードはジャケットのビジュアルで、イメージを補っていたのだと思いますが、ネット配信は、そこが弱い気もします。デジタルジャケットが一応付いていますが、最近は、あってもないのと同じのような気もしています。

雷音レコードの活動に関して言うなら、僕の「レコードを作りたい」という気持ちが一番強いです。他には、僕の周りのデビューしたての若いアーティストたちのプロモーションになればいいなというのと、アナログが復興したらいいなという、その2つです。実際に儲かることをしているわけではありません。基本的にプレスした枚数が全部売れればトントン。全部売れることはほとんどないので、1ヶ月に1枚出して、5万円赤字という感じでしょうか。好きでなければ、やっていけない事です。



漫画の原点


――絵や漫画を描くようになったのは、いつごろでしたか?


本秀康氏: 小学生のころからですね。僕は3月生まれの早生まれなのです。早生まれだと、小学生のころは、4月生まれの人とは体力的に1年の差があるので、休み時間に外でみんなとドッジボールをやってもかないません。それで、「みんなで集まって、休み時間は教室で絵を描くか」という話になりました。僕の周りで絵を描いている友人も、早生まれの人が多かったですね。僕自身も、気が付いたら絵を描いていました。

――子ども同士で集まって、どのような絵を描いていたのですか?


本秀康氏: 最初は仮面ライダーやウルトラマンの絵を描いていました。回し読みするためにノートに漫画を描いていました。中学校までは、僕の描く漫画がクラスで大人気だったのですが、高校はデザイン科のある工業高校に入ったので、「絵が上手い奴はこんなにいるのか」と、驚きました。中学で僕がやったように、中学時代の自分のように漫画を描いてクラスで回す奴がいたのですが、そいつの漫画には到底敵いませんでしたね(笑)。その後、転校して横浜の工業高校のデザイン科に入りましたが、また漫画を描いてクラス中に回し始めました。

――彼の漫画はどういったものだったのでしょうか?


本秀康氏: 僕の描いていた漫画は、自分でオリジナルキャラクターを作って、ただ単に面白いストーリーを考えて描いていたのですが、彼の描く漫画はかなりプロデュース能力があって、学校のクラスメイトの不良や先生などを主人公にしていました。でも、その主人公を完全に崇め奉るわけではなくて、最終的には少し間抜けな役に落とし込める、その感じがすごく不良本人にビビッとくるようでした。僕はその時は漫画を描いていませんでしたが、彼からはそういった手腕を学びました。横浜に引っ越してから、また漫画を描き始めた時、彼の手法をそのまま真似して描くと結構人気が出ましたね。

デザインの最先端を学ぶために


――デザイン科に入ろうと、昔から考えていたのですか?


本秀康氏: 僕は親の転勤で、小学校5回、中学校、高校は2回ずつ転校しています。こんなに転校が多いと普通は苦労も多いのでしょうが、僕にとって転校はプラスになりました。転校した場所は結構偏っていて京都、三重県など近畿一帯と埼玉、九州です。中学校3年生の時は埼玉の和光市というところに住んでいて、その後佐賀に引っ越したのです。そこで高校のデザイン科に入ったのですが、入ってすぐ親の転勤が決まって、また東京に戻ることになりました。その時、「せっかくここの高校に入ったのだから、高校卒業まで1人でここで暮らしなさい」と親に言われたのですが、僕は東京の生活を知っているし、九州でデザインを学んでも不利だなと思って、「東京のデザイン科がある高校に入りたい」と言って、東京へ戻りました。

中学で東京に住んでいた時はカルチャーに対して無頓着だったのですが、1年半くらい九州に住んだ時、東京でカルチャーを吸収するということが、いかに大切かということが分かりました。それで、高校2年生の1学期から横浜に引っ越して、最新のカルチャーを必死に勉強しました。イラストの展示や、イベントがあれば必ず行くようにしました。サブカルチャー的な素養が、そこで形成されたと思います。こういう風に気付かせてくれることもあったので、あの転校は、自分にとってはプラスになったと思います。

夢を思い出してイラストレーターに。


――将来は、「絵を描く仕事に」と思っていましたか?


本秀康氏: 将来の夢は漫画家でした。でも高校がデザイン科だったので、しばらくはデザイナーの仕事をしていました。デザインをしていると、イラストレーターに発注する時間がなくて、自分でイラストを描くことも結構ありました。それが社内の別のデザイナーの目に留まって、社内で発注を受けていたら、イラストのほうが楽しくなったので、会社を辞めてフリーのイラストレーターになりました。

新人の時にイラストレーターとして売り込んだのは、『MUSIC MAGAZINE』さんと、文藝春秋から出ている『Sport Graphic Number』というスポーツ雑誌の2誌だけです。通常は、もっと一般紙のほうに売り込むことが多いようなのですが、僕の20代前半期はものすごいオタクの時代で、音楽とボクシングにしか興味がなかったのです。それで好きなミュージシャンを描いて『MUSIC MAGAZINE』に、好きなボクサーを描いて『Number』に持って行きました。『MUSIC MAGAZINE』でも『Number』でも、絵を見せたのは、ほんの30分くらいで、その後2時間くらい編集者と専門分野の話をして盛り上がり(笑)、仕事を頂くことになりました。

――編集者は、どういうところを見ているのだと思われますか?


本秀康氏: 絵の良し悪しよりも、「この人はこの雑誌の傾向に詳しいのか」というところを見ていると思います。やはり専門誌というのは、記事だけではなく、イラストにもマニアックな目線がないと読者に納得してもらえないので、編集者はビジュアルを作る人やイラストレーターに関しても、その分野におけるマニアを望んでいるようなのです。僕は基本的に、音楽、ミュージシャンのことが好きになったら、その人の似顔絵を描きます。子どもの頃、本を買い始めるのは漫画からだと思いますが、好きなキャラクターを模写していました。その延長線上で当時は描いていましたが、それが活かされたのだと思いますね。

――漫画家への転身のきっかけは?


本秀康氏: 25歳か26歳位の時、中学生まではずっと漫画家になりたかったということを思い出したのです。中学生の時に描いていた漫画は、鉛筆で描いただけの落書きでしたが、やっぱり漫画家なりたかったので、つけペンとインクを買ってきて、漫画家のように仕上げようと、書いたこともありました。でもなかなか難しかったです。それから10年くらい経って、「今ならプロとして絵も描いていることだし、できるだろう」と思って描いてみたんです。それを、『月刊漫画ガロ』に持ちこんで、載せていただけることになりました。

仕事は、趣味の延長線上にある


――こちらにお持ちいただいているのは?




本秀康氏: 最近買っている本などを集めてみました。カタログ本が多くなっています。マリオの今まで出た人形のカタログのようなものばかりです。僕にはいくつかの趣味があって、気付かないうちに、趣味のジャンルの研究本ばかり買っているので、やっぱり根がオタクなのかも知れませんね(笑)。仕事も趣味の延長線上という感じです。

――これは、香港ですか?


本秀康氏: はい。香港が大好きで。これは、50年、60年代のショウ・ブラザーズという香港の映画会社で、映画のセット美術を担当していた親子の研究本です。香港の電影資料館という映画関係の博物館の展示カタログですね。

――こういうものは、どうやって手に入れるのですか?


本秀康氏: 僕の『レコスケくん』という漫画が、2000年くらいにアジアで人気が出たのです。今はなくなりましたが、その当時は香港に「レコスケショップ」という、レコスケのグッズしか売っていないお店が6店舗できたので、年に数回仕事で香港に行っているうちに、香港にはまってしまいました。それで、年に数回レコードを買いに行くようになり、レコードだけでは飽き足らず、香港のミニバス(マイクロバス)のミニカーを集めるようになりました。そのミニカーを買うために、香港のタクシーやバスのような交通を色々と勉強しています(笑)。

――香港、レコード、それからミニカーと、面白いものが色々と見つかりますね。


本秀康氏: そうですね。どこからか枝葉が出るような感じです。僕はザ・ビートルズが好きなのですが、佐賀に住んでいた時、有田工業高校にしかデザイン科がなくて、デザインを学びたくて佐賀市からそこまで1時間半かけて通っていたのですが、その通学時間が暇だったので、推理小説でも読もうということで、横溝正史の金田一耕助シリーズを貪るように読みました。その後、金田一耕助も登場する「悪霊島」という映画があって、主題歌がビートルズの「Let it be」だったのです。そこからザ・ビートルズが好きになりました。普通はわき道に逸れると、そっちに趣味がシフトすると思いますが、僕はその両方が残るのです。最近は枝分かれが激しくて、趣味がいっぱいになってきて、どれもあまり深くは追えないという感じになってきていますね(笑)。

――趣味、興味の対象が増えていくというのは、愛着や思い入れがあるからなのでしょうか?


本秀康氏: それもありますが、一種の気づかいなのかなとも思います。「好きだ好きだと言っていたのに、もう私のことは好きではないの?」「いいや、今でも好きだよ!」ということだと思います(笑)。例えば、マライア・キャリーは、22歳か23歳くらいでデビューしていて、可愛いなと思ってアナログは全部買いました。ところが、その4年後くらいにソニーの社長と結婚して、全く興味がなくなりますが、いまだにアナログは全部買っています。正直、本当に辛いですよ(笑)。あと、必死に資本をつぎ込んでマライア・キャリーのレコードを買っていたのに、もう要らないわけだけど、今まで買っていたものが無駄になるのが嫌だから、これを成立させるためにずっと買い続けようという、セコさもあるのかもしれませんね。

情報の切り口と、人脈


――ネットも含めて、電子媒体についてはどのような印象をお持ちですか?


本秀康氏: 仕事面で言えば、やはり資料をググッてすぐ1発で見つけられるという部分では、すごく楽になりましたね。昔は、少しマニアックな媒体だとデータが勝負という感じで、資料などを持っている人が強かったのですが、今はもう、「持っている・いない」の勝負ではなくなっています。僕は情報をどういうふうにネタにするかということを、いつも考えています。人それぞれの切り口があると思いますが、情報の切り口はどの時代でも大切だと思うので、ネタや切り口のアイディア勝負という部分は変わらないと思っています。

――ネットで作品を世に出す、ということについてはどのようにお考えですか?


本秀康氏: 昔は何か作品を出すというのは、投稿がメインでした。実は僕も読者ページに送ったりしていました。今の若い人たちはネットにアップしています。そのほうがマスに見つけられやすいので有利だと思いますね。同じことをしていても、先につながる可能性は今の若い人のほうが多いと思います。それと、人脈ですね。ミュージシャンもイラストレーターも1人有名になるとそのコミュニティーの人たちが、みんなそろって出世していきます。仲間のうちの1人が売れて、それでみんなの意識が高まって、画力、音楽性がアップしていったというのもあるかもしれない。そういうコミュニティー力は、以前は都心に集中していましたが、今はネットで地方の人もつながっているので、昔よりは有利になっているから、すごく好ましいことだと思います。

編集者は一般読者


――漫画などを描く時に、編集者とはどのような感じで作品を作っていっているのでしょうか?


本秀康氏: 僕、漫画は、どちらかというとアンダーグラウンドに位置するところで仕事をすることが多かったのですが、1度だけ小学館の『月刊IKKI』という雑誌に『ワイルドマウンテン』という作品を連載させていただきました。その時だけは、編集者と話し合って、話を作っていくという世界を少し体験できたかなと思っています。基本的に僕は、自分で考えて、「ハイ、これを載せてね」という感じだったのですが、小学館の時だけは、ダメ出しがあったり、それに対して納得がいかなかったり、逆に、ああなるほど、さすがメジャーなところにいる人は考え方が正しいなと思って、それに倣って直したりということがありました。
僕はその時に、一般の人たちがどう思うかということに関しては、いまひとつ分かっていない部分があるということに気付きました。今は少し毒がなくなったというか、良い意味でも悪い意味でもアンダーグラウンドからは少し抜け出してしまったかなという感じです。

――編集者にはどのような役割を期待していますか?


本秀康氏: 編集者には、読者を見させてくれるといった役割を期待します。基本的にイラストレーションは1人で作りますし、漫画も、僕の場合は、基本的には自分1人で成立してしまう世界なので、それを閉じこもった世界にならないように開いてくれるのは編集者さんだと思います。客観性を持たないと伝わりにくいですし、あまりに毒がなくても僕らしくない。僕は結構マニアックな作家だと思われているようなので、開かれた表現をしすぎると、昔からの読者がガッカリしてしまいます。そういう悩みが10年くらい前はありましたね。あと、年齢も重なると集中力も気力もなくなってきているので、できることにも限界があります。その範囲内で、自分で納得できることをやろうと思っています。

――題材は、どのように選ばれるのでしょうか?


本秀康氏: 僕の場合は、自分が好きなものを取り扱った仕事が多いです。それも、僕だけではなくて、世間一般に好きな人が大勢いるから仕事が成立するわけですよね?だからその人たちに、認めてもらえるようなものを書きたいなと常々思っています。例えば、ザ・ビートルズをやる時は、ファンの眼差しを意識して、嫌われないように、誠実にやっています。愛がなくてもダメだし、生半可にマニアックぶっているけど、「実はこいつ知識がないのではないか」と思われたりするとやりづらいんです。ザ・ビートルズに限らずですが、見所があるなという風に認められないと風当たりが強いのです。だから、一般よりもそこそこ詳しいものしか仕事にしないようにしています。

お風呂で読めるものしか、読んでいない


――最近、読書などはされていますか?


本秀康氏: 今は、基本的に物語というものを楽しめなくなっています。本への取っ掛かりとなった推理小説は、どんなに辛くても最後に一応、「タネ明かし」というサービスがあります。金田一耕助シリーズだと謎解きがあります。それに慣れてしまっているから、純文学のように行間の情緒を楽しむといった楽しみ方ができないのです。1冊分厚い本を読むのは大変だけど、読んだ最後にはご褒美があるよ、というものしか読みたくなくて、楽しむ本の幅が最初から狭かったという感じかもしれません。あと推理小説というのは、トリックなどに限界があるので、昔の作家のほうが有利なのです。「あ、これはあのトリックの焼き直しだな」というようなことが分かってきたりして、ある時点から面白いと思うものがあまりなくなってきました。

――小説や文学以外の本も、読むことが減ってきているのですか?


本秀康氏: そうですね。すごく単純なことを言えば、時間と場所の問題です。唯一読む時間といえるのは、お風呂に入っている時間なのです。美しい装丁に惹かれて買った本は、さすがにお風呂には持って行けないでしょう。読む時間と場所が作れないということで、単純に読んでいないということなのかなとも思います。一方、学生の頃から毎月読んでいる音楽誌『レコード・コレクターズ』はいまではほぼお風呂でしか読んでいなくて、一ヶ月たって次の号が出るころにはもうガビガビなんですが、それはそれで愛着が沸いて、ボロボロのまま本棚に並んでいます。

――本はどのようにして買われるのですか?


本秀康氏: 普通の本屋さんに行って買っていますが、最近は「この本を買いに行く」と決めて、その本が置いているであろう棚に行く、という感じです。杉浦茂先生の本は絶対買うと決めて買っています。何か見つけて、ついでに衝動買いをするようなことはありません。

――ピンポイントで決め込んだ本だけを買うという感じなのですね。


本秀康氏: 僕はある時期から、本をほとんど買わなくなりました。レコードはサイズが全部一緒なので、レコード棚に入れる時にそろっていて気持ちいいのですが、本はサイズが異なるので、棚に並べても高さがガタガタしているから保管が大変で、本棚に入れることを考えると、なるべく買いたくないなと思ってしまいます。資料として、アルプスの山の写真が欲しかったらググれば1発ですけど、20年前はアルプスの山の写真集を買うのではなくて、ヨーデルのレコードを買いました。その手のレコードは大抵アルプルの山々の写真がジャケットに使われているんです。10年ぐらい前から本は一気に買わなくなりましたね。モノとして美しいのですが、かさばるという話。だから、たまに電子書籍は「いいな」と思います。音楽マンガをコンパイルするといったムックをこの間作った友達がいるのですが、その友達は、アメリカに行った時にも音楽について描かれたコマを探すため、『ドカベン』を全巻持って行ったそうなのです。それがすごく大変で、そのとき初めて電子書籍は便利さに気づいたそうです。僕は、漫画を最近読んでいませんが、読むのならば電子書籍のほうがいいかなあと思っています。でも僕自身も紙で読みたいという作家はいますので、やはり紙で読みたい作家だなと思われたいですね。

――紙で読んでもらいたいというのは、どういう心境なのでしょうか?


本秀康氏: 説明が難しいのですが、ものによっては、紙で持っていることがうれしいという不思議な感じがあります。アナログでレコードを買いますが、それだけではちょっと片手落ちで、デジタル音源も欲しいと思って、デジタル音源を買うこともあります。僕は手軽に音楽を聴きたい時用に、デジタル音源が欲しいと思って購入するのですが、電子書籍でも保存版と普段使う版というような意味合いで、同じような購入の仕方があるかもしれません。だから、音楽とのかみ合いで考えると、もしかしたら何か答えが見えてくるかもしれませんね。

再びマンガの世界へ


――仕事をしていく上で、どのようなことを大事にしていきたいと考えていますか?


本秀康氏: 僕は、先人の残した作品のリスペクトものが多いのですが、やはりオリジナル作品のファンの人に納得していただけるような、トリビュートの仕方をしたいと思っています。漫画にしても結構ルーツがあります。杉浦茂先生などをはじめとする大好きな作家さんを模写して生まれた、僕の個性というものもあると思いますが、やはりその絵から杉浦さんのエッセンスというのは、どうしてもにじみ出てくるもので、それがパクリだと思われたくないのです。だから「リスペクトしている」、「大好きだ」ということを表現しつつ、自分の作品ができれば、という気持ちでやっています。対象のルーツをちゃんとリスペクトして、そのためのルールをしっかり守るということです。

――これから始めたいことはありますか?


本秀康氏: 今、漫画を4、5年くらい休んでいます。作業中は苦しくても、でき上がったものが満足いくものだったら楽しいのです。その楽しい瞬間を目指して、苦しい作業をしているというような感じです。それが広く一般的に評価されればそれが2つめの楽しみとなるわけですが、そこに行き着かないことがあると結構めげてしまいますよね。自己満足で終わってしまうというのは一番辛いです。『ワイルドマウンテン』という漫画は、自分にとっては初の長編で、割と自信を持って世に出したのですが、それほど話題にならなかった。それがトラウマになってしまって漫画から離れていました。でも、4年と少しの間、そこから離れて時間で気持ちを癒すことができたので、そろそろまたやろうと思って、今はその準備をしています。雷音レコードのほうを少し落ち着かせて、来年くらいから、また久しぶりに漫画を描ければいいなと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 本秀康

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