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世界中の本好きのために

石川幹人

Profile

1959年、東京生まれ。東京工業大学理学部卒業、同大学院総合理工学研究科物理情報工学専攻中途退学。松下電器産業㈱、(財)新世代コンピュータ技術開発機構研究所などを経て現職。博士(工学)。不思議現象や疑似科学を信じる認知プロセスの研究を専門とする他、日本における超心理学研究の第一人者としても知られる。 著書に『「超常現象」を本気で科学する』(新潮新書)、『人はなぜだまされるのか―進化心理学が解き明かす「心」の不思議』(講談社ブルーバックス)、『超心理学―封印された超常現象の科学』(紀伊國屋書店)、『人間とはどういう生物か―心・脳・意識のふしぎを解く』(ちくま新書)など。

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「ぼんやりした実在」というグレーな捉え方を身につけよう



明治大学情報コミュニケーション学部で教鞭をとる認知科学者の石川幹人さん。幼少期から「社会と意識的に合わせるよう生きてきた」という経験は、人間の心に関する問いの出発点となり、その後、企業での研究を経て、学者として研究を発展させるきっかけとなりました。そんな研究の成果や思索を込めた本に対する想い、それを作る編集者、また読み手の意識など幅広く語って頂きました。

思索遊びが始まり。夢は研究者


――今日は学部長室にお邪魔していますが、先生の研究室はどんな感じですか。


石川幹人氏: 雑多な感は否めませんが、他の文系の先生ほど本であふれているという訳ではありません。私が研究している認知科学の分野は、昔からコンピューターを使って実験することが多く、だいたいはデータ化されていて資料が山積みになったりはしないんです。

――先生のウェブサイトでも、学生のために資料がダウンロードできるようになっていますね。


石川幹人氏: 情報分野から研究を始めているので、早いうちからメールやインターネットはなるべく積極的に使っていました。学生にも情報技術は駆使しましょうと言っていましたが、今はみんなスマホを持っているので、敢えて言わなくても自然に利用していますね。こちらの大学に赴任した当時は、まだまだネットワーク環境が今のように揃っていなくて、わずか数十人でも学生がインターネットを同時アクセスすると、すぐハングアップしてしまう。そういう時代でした。

赴任当初は文学部に在籍していたのですが、ネットワーク環境を構築したり、LANを導入したりする仕事もしました。そのLANも結局無線の時代になり、もうほとんど使われなくなったのですが、先端的仕事はそういう試行錯誤の連続ですね。今私がいるここ情報コミュニケーション学部は、2004年に新設された学部で、伝統的な決まった枠組みがありません。制約がない中で、教える側もいろいろ創造しながらやっていくという特徴を持っています。私にはやりやすいのですが、何かに合わせて仕事をする人はやりにくいと思いますよ。

――やりやすい、というと。


石川幹人氏: 私は本来、疑問を持たずに既存のものに沿って生きていくとか、人と自然に合わせていくとかが苦手、というかしっかり意識的に合わせないとどんどんズレていってしまうのです。これには小さい頃からの話をしなければいけませんが、私は外目に見ると暗い子で、「この世の中って、どうなっているんだろう」とか、「人間ってどういうものなのかな、人間ってなんだろうな」とか、いつも思索遊びのようなことをしていました。それが、小学校低学年くらいの時です。近親者が亡くなって考えたとか、そういうきっかけがあったわけではありません。私としては、ごくあたりまえに考えていました。

また、「みんなもこういった『人間について』を考えているんだろうな」とも思っていました。一般化の法則、つまり「自分がこうならば他の子もきっとこうだろう」と小さな頃は考えていました。その後高学年になって、自分が異質であることを痛感するのです。まあ、哲学的なことに興味があったので、小学校の卒業文集には、「将来の夢は研究者」と書きました。よく分からないものを究明したいと思っていましたね。



――そういった関係の本も読まれていたのですか。


石川幹人氏: いえ、算数と数学、物理などは好きだったのですが、本は嫌いであまり読んでいませんでした。というのも国語の点数が悪くて、特に、詩の授業は大変でした。先生が詩の意味を説明してくれても、全然分からず、苦労しました。小学生の時に、先生から、「本を読んで、自分の想いを語りなさい」と言われたので、想いを素直に語ってみたら、なんと「それは違う」と言われてしまったのです。教室では異質な存在でしたね。

しかし、高校生の時に「自分の考えでなく、この文章を読んだら標準的な人が考えそうなことを推測して答えればいいんだ」と、はっと気付いたわけです。自分はこう考えるけど、普通の人は違うんだろうなと思うようになって、普通の人はこう思うべきなのだと作者も期待しているんだな、という風にワンクッション入れて答えを書くようにしたら、国語の点数がぐんと上がりましたね(笑)。

――では、理学部に進まれたのも、哲学への想いと得意分野を活かして……。


石川幹人氏: 宮城音弥先生という、当時の心理学界で有名な先生が大学にいると聞きつけて東工大の理学部に進み、現在の社会理工学部に相当することを学んだのですが、なんと宮城先生はもう退官されていて、大学にはいませんでした(笑)。それで、別の諸先生を慕って学んでいくこととなります。大学に入ってからは、それまでと比べて、かなり視野が広がったかなと思います。高校までは英数国理社だったのが、多くの学際的な学問分野の実際を体験できました。

ただ大学生の間に、自分が目標にしていた“人間の理解”のようなことは、とても大きなテーマだと自覚しました。哲学はちょっとやっていたのですが、人間理解の思想や思索はあっても、心の科学や人間の科学という形にはまだなっていない。だから、それを形にしていくというのはすごく大変な要求であることを知るわけです。「大学院で相応の勉強をしたらなんとかなる」という風に見ることができれば挑戦したかもしれませんが、そうとも思えず、哲学的なことだったら自分で本を読むこともできるわけです。続けていても、特段、進歩はしないだろうと思いました。それで、大学院をやめて就職しました。

――就職先の松下(現パナソニック株式会社)ではどのような事をされていたのですか。


石川幹人氏: 視覚心理の研究を大学院でしていたので、放送用の文字図形発生装置の高精細化開発をしていました。東京ドームから中継される巨人戦で初めてカラーのBSOが表示されたのですが、それには私の開発した機械が使用されていました。また、この機械が全国のNHKに配備され、設置整備のため日本各地をまわりました。その後、スケジューリングシステム、ホームページ知的検索システムの研究開発に従事していました。

研究をしているうちに、“コンピューターで人間の頭脳を作る”という、通商産業省(現経済産業省)の国家プロジェククト「第五世代コンピュータプロジェクト」があることを知り、その部署に希望を出して異動させてもらいました。「この方法で心の研究ができる」という嬉しい気持ちもありましたが、一方で「本当にテクノロジーで人間の心が解明できるのかよ」と半信半疑でしたね(笑)。学生時代は「ここまでだな」と、ある種、諦めの中で就職したのですが、“テクノロジーで人間の研究をしている”というので驚きました。本当だったら掘り下げて行きたいなと思ったし、本当じゃないのなら、どう本当じゃないのかも知りたかったのです。

マイノリティーの問題を解決したい



石川幹人氏: それで、その「本当かよ」という率直な想いと共に、「その研究をやりたい!」と上長に訴えたのですが、「君みたいなことを言ってきた人は過去に一人もいない」と言われました。みんな会社の方針に合うような既定の進路に自然と進むのでしょうけど、やはり私は、本来ズレているので意識しないと合わせられないようです。合わせたくなかったら合わせない行動を取る。その行動の結果、そんな風に言われました。

――自然に合わせるのではなく、疑問に対して考えたり進んだりせざるを得ないからこそ、今の研究に繋がっていったのではないでしょうか。


石川幹人氏: 私の姿勢はマイノリティーの反旗のようだと感じます。最近注目している進化心理学を紹介しましょう。この進化心理学で言われている、「生まれながらにして強みや弱みは、ある程度存在する」という話は、1970年ころには証拠が出ていて、生物学的にはかなり正しいとみなされていました。でもその事実は、文科系には浸透していないのです。

それは1920年ぐらいの“経験主義”の人間観が災いしています。「生まれた時はまっさらで、色々なトレーニングを積むとそれに従って人間は作られていくんだ」という考え。多くの人がそれを当たり前だと信じ込んだため、データにもとづいた生物学の主張に目が向けられないのです。それなりに主張は繰り返されているのですが、受け入れられていないという状況がずっと続いています。正当な主張なのに目が向けられないという、思想的な「マイノリティーの問題」が見えてくるのです。

だから私は、本を書く事で、マイノリティーの問題を改善したいと思っています。それは思想だけでなく、人も同様で、何かの事情でマイノリティーになってしまい、色々な圧力を受けているような人を支援したいとも考えています。

例えば私は、遺伝的に酵素、アセトアルデヒドデヒドロゲナーゼが欠落していて、お酒が飲めません。昔は、大学のサークルでイッキ飲みがあったり、就職したら営業はたくさん飲まなきゃいけないというような風習がありました。私のようなお酒が飲めない人にとっては過酷な状況でしたし、やはりこういったところは改善しなきゃいけないと思っています。

お酒は自分が当事者でもある問題でしたが、現代の、例えば女性の社会参画に関する問題であるとか、そういった改善するべきことが、いくつもあるわけです。「こんなのはおかしいじゃないか」という思いです。マイノリティーとされるものに目を向けることにより、マイノリティーによく起きているような抑圧の問題をなんとかしたい。それが私の基本的な思いなのです。

小さな集団の中で固まるのは、協力ではない


――マイノリティーが抑圧を受ける状況とは。


石川幹人氏: 算数が苦手なら計算ドリルを一生懸命やりなさいというような、旧態依然とした教育などは、まさにその典型。でも、そんなのは電卓でやればいいじゃないかという話なのです。目が悪ければ眼鏡をかけるように、色々なことを工夫しながら自分の強いところを生かして、弱いところに無益なトレーニングをするのではなく、文明の利器を使ってサポートしていく。できないことが社会的抑圧につながってはいけないのです。

例えば、算数が得意な子と国語が得意な子で協力したりして、人間として助け合えばいいわけです。にもかかわらず、算数が好きな子だけや、国語が好きな子だけで固まるのが現実の集団でよく起きていることです。古代の生活集団のような「そりが合うような人たちの集団」というものが理想になってしまったからです。助け合えば色々なアイディアが生まれるのに、なんでそんなに古いことにこだわっているのか。それは恐らく、異質を排除し、大勢に合わせてしまう人たちが多いからなのだと思います。だからこそ、私は埋もれたものに目を向けることを重要視したいと思っているのです。

“現場に近い編集者”書き手と読み手の橋渡し役


――そういった想いを、編集者と共に本にしていくのですね。


石川幹人氏: はい。最初の本である『サイコロとExcelで体感する統計解析』は、私が講義の際に作っていた“講義ノート”が元になって出来ました。共立出版の方が、「講義ノートを本にしましょう。」と言ってくれたのです。統計学の本で、それもコンピューターを使いながら学ぶので、それほど読み物的なものにはなり得ないのですが、そのジャンルのものの中ではかなり読み物的な側面が盛り込めていたので、いい評価でした。

良い編集者の方は、想定読者を代理してくれます。また、原稿を読んで「分かりにくい」とか、「ここはもっと深くやる」とか、「ここはトピックが多すぎるのでちょっとくどい」とか、そういうことも言ってくれます。それから全体の構成の仕方も読み手のことを考えてくれて、「こういう読み手だと、ここまでは深すぎる。この辺だけで留めよう」などということも言ってくれるので、本作りは編集の人との共同作業だと、最近は特に感じています。なんといっても編集者は「読まれる現場」に精通していますので。私自身、松下幸之助ゆずりで、「現場が一番大事」に思っています。

私も学生という現場を持っているわけですが、本の場合、現場は直接教えている学生ではないのです。「講義ノートではこうだけれど、この本はこういう読者層で」というように言われると、ああそうかと思って、手を加えていきます。だから、想定する読者層によって、本のトーンはかなり違ってきますね。ある時編集者に、「この本は高校生向けです。」と言われ、「高校生はこんな本、読まないよ」と思ったのですが、「それでも読みもの好きの高校生が読める感じにして下さい」という熱意をくみ取っていくと、道が見えてくるのです。

――現場に近い編集者が、書き手と読者をつなぐのですね。


石川幹人氏: 書き手である私からすれば、編集者が現場に最も近い存在であり、橋渡しをしてくれる存在ですが、読み手側から見ても、やはり同じように、読書におけるコーディネーター的存在だと思います。今、googleなどで検索すると、情報がたくさん出てきますが、とんでもない数の中から一生懸命調べ当てる必要があり、自分で調べ尽くすことが難しくなっているわけです。そういう時に“お薦めを作ってくれる”編集者という存在は、すごく重要になってくるはずなのですが、まだまだ注目されていないように感じます。また今後、電子出版が普及してコンテンツが増えてくると、編集者の役割はますます重要になってくるでしょう。「この人の編集だから読んでみよう」となるでしょうし、そうなっていくべきだと思います。

――読み手としてはいかがですか。


石川幹人氏:Evolution(生物進化)』という本はいいですね。昔は、「小さい頃はサイエンスの本を読みましょう」ということがよく言われていましたが、それは、「宇宙は広く、いかに人間がちっぽけな存在か」ということを強調しがちなものでした。

しかしながらこの『Evolution』という本は、「人間は偉大だな」と思える本だと思います。『古事記』やユリアスなどの歴史の本より、更に古くからの長い歴史が書かれています。この本を開くと、人間という存在はこういう生物進化の歴史の集大成なんだな、と感じ取れます。そして今、我々がこうあるのも、過去の歴史を背負って、恐竜の時代に生きていたネズミのような哺乳類の祖先から、延々と生き残って歴史を刻んできたのだという、人間の歴史の偉大さを感じることができるのです。我々は、絶滅せずにここまでちゃんと生き続けた動物の末裔なのだという事実を、豊富なイラストによってこの本は直感させてくれます。

――驚きがある本、素敵ですね。


石川幹人氏: 「本流の主張とここまで違うのか」というような異端の書みたいなものも、いいですよね。それから、最近よく見かけるのは宗教、信仰、道徳、美の本質を科学的に究明する良書たちです。人間の信じる心、善なる心とか美しく感じる心などというものは、これまでは哲学的な深遠なものとされてきたのですが、進化生物学や進化心理学の知見を応用して、進化の歴史の中で我々がいかに生き残ってきたかを考えると、「そういう心を持たざるを得ないよね」という話に展開できるのです。だから、こういう路線の人間究明というのが、今のところ、将来有望かなという感じを持っています。

グレーの捉え方を知る習慣を身に付けよう


――書き手として、どんな想いを発信していきたいと思われていますか。


石川幹人氏: 「客観的にある種の妥当さを持っているのにもかかわらず、注目されていないこと」というのを発掘して発信していきたいと思っています。その繰り返しですね。

超心理学―封印された超常現象の科学』では、幽霊を取り上げたのですが、「幽霊はいるの?いないの?どっち?」と言ってしまった場合、この話はもう二者択一になってしまいます。どちらかが正しいという“真実”があるという風に皆が思っているわけです。でも、そうじゃない。

「集団的自衛権は善し悪し」という話でも、それは解釈によって変わり、文脈によって変化する。それは社会的な存在であり、“モノの世界”のように、「現実にある」といった一面では判断できない。けれども私たちは、“モノの世界”のセンスで物事を考えすぎているのです。世の中のことや社会のこと、あるいは人間や心理のことなどは、もっとずっと漠然としていて、それは状況によって、あるともいえるし無いともいえる。

「殺人は良いか悪いか」という問いには、「悪い」に決まっているけれど、戦争に行ったら実際に殺人が行われ正当化されます。どちらかのみの事実が存在している訳ではなく、両方の可能性が共存していることも多くあるわけですよね。

大学では、言論の対戦を通して白黒つけるディベートの訓練を指導してはいますが、なんでも白黒つけるというのはいただけないですね。こういう場合は白だけどこういう場合は黒、というようなグレーの捉え方を知る習慣をもっと身に付けた方がいいですね。実際のところほとんどの存在はグレーなのですが、人間は複雑な思考を避けるためにわざと白黒つけようとするのです。だから、現実はひとつだからどちらかが正しいという発想に、あまり立たない方がいいと私は考えます。そこには抑圧の危険性が伴うからです。だから、どちらの可能性もある「ぼんやりした実在」という捉え方を普及させたいなと思うのです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 石川幹人

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