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世界中の本好きのために

岸見一郎

Profile

1956年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの“青年”のカウンセリングを行う。 近著に『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『アドラー心理学 実践入門 「生」「老」「病」「死」との向き合い方』(KKベストセラーズ)、『よく生きるということ 「死」から「生」を考える』(唯学書房)、『介護のための心理学入門』(アルテ)、『困った時のアドラー心理学』(中央公論新社)など。

Book Information

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本とカウンセリングで人の心を、そして世界を変える。



日本アドラー心理学会の認定カウンセラー、顧問でもある哲学者の岸見一郎さんは、各大学の講師、医療施設でのカウンセラーを経て、現在は京都聖カタリナ女子高等学校、明治東洋医学院専門学校で教えられ、また個人のカウンセリングも行っています。アドラー研究の第一人者として知られ、著書に『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』、『アドラー 人生を生き抜く心理学』などがあります。古賀史健氏との共著である『嫌われる勇気』は40万部を超えるベストセラーになりました。自身が影響を受けた人たち、哲学者としての使命、本の力、執筆に込められた思いについて語って頂きました。

思いもよらない助言で、人生が変わる


――カウンセリングはどのようにして行っているのでしょうか。


岸見一郎氏: 「今日はどんなことでお越しになりましたか?」と聞くことからカウンセリングは始まります。カウンセリングには1時間か1時間半ぐらいかかります。相談にこられた人が「もう終わりなのか」、「ここで切られるのか」と感じることがないように、いかに自然に結んでいくかが肝心なところです。1回のカウンセリングで終わることもありますが、何度もカウンセリングをした後でカウンセリングを終えようとすると、「もう私は来てはいけないのか」と思ってしまう人がいます。そう思われないように、カウンセリングでは最初に、目標設定をします。その目標が達成できたらカウンセリングを終えることができるのですが、最初にこの目標設定をしないままにカウンセリングを始めてしまうと、カウンセリングをいつまでも終えることができなくなります。

――目標設定をする時に注意すべき点はありますか。


岸見一郎氏: 例えば、子どもが学校に行かないということで母親がカウンセリングに来られた場合、子どもを学校に行かせることはカウンセリングの目標にはなりません。子どもが学校に行く、行かないは子どもの課題であって、基本的には母親にはできることがないからです。子どもの課題であるにもかかわらず、子どもがいないところで親とカウンセラーが一緒になってどうすれば子どもを学校に行かせることができるかという相談をするというのは、子どもとの関係を悪くします。ですから僕は「それは、ここではその相談には乗れません」とはっきりといいます。

親は「早く学校に行かないと授業に遅れる」とか「このままでは卒業できないのではないか」と心配かもしれませんが、親が学校に行かない子どもとどう接すればいいのかということだったら相談に乗ります。

そのような合意をした上でカウンセリングを始めるのですが、カウンセリングに来られる前と後で、少しでも人生が変わるような手助けをしたいと思っています。そのためには、ただ話を聞いているだけではダメで、相談に来られた方が思いもよらないような助言をします。あるいは全く違うものの見方ができるように援助をします。そうすると1回のカウンセリングでも人生は変わります。

岸見一郎氏

勇気を持って味方になってくれた母親


――哲学者として、心理学の観点から助言をされるわけですが、どのように今の形で活かすようになったのでしょうか。


岸見一郎氏: 最初は心理学に興味はありませんでした。高校生くらいから哲学の本を読んでいたのですが、同時に、心理学の本も読んでいました。しかし、心理学の本に書かれていることは、納得がいく点もあるものの、あくまでも一般論であり面白くありませんでした。例えば反抗期について、心理学の本には「反抗期は誰にでもある。反抗期がなかった子どもは問題を起こす」と書かれていましたが、僕は自らの経験から、それは違うんじゃないかと思っていました。実際、僕には反抗期はありませんでしたが、反抗させるような親がいなかったからだと言えます。反抗させる親がいるから反抗する子どもがいるわけで、親が反抗するような対応をしなかったら、子どもは反抗しなくていいのです。

――岸見さんの親は、どういう接し方をされていたのでしょうか。


岸見一郎氏: 今僕がカウンセリングや講演で話したり、本に書いてあるようなことを、母は自然に体得していたような気がします。多くのお母さん方は、自分が受けた教育や自分がしてきた教育とあまりにかけ離れているので、アドラー心理学にすごく抵抗されるのですが、僕にはそういった抵抗感はありませんでした。おそらく、母が僕と同じような考えを持ちながら、僕が成長するのを見守っていてくれたからだろうと思います。

父親は伝統的な、昔ながらの父親でした。そんな父親が息子の教育について口を挟んでこようとすると母がブロックしていました。僕が哲学を専攻するという話をした時も、父は反対したのですが、母は「あの子のすることは全て正しい、だから見守りましょう」と言ってくれました。そうすると父は、何も言えなかった(笑)。「あの子のしていることは間違いない、正しいんだ」と言い切ることは、親としてはかなり勇気のいることであることに、自分が親になった時に感じました。

母親は、「人生の裏側を覗くような仕事は大変だから、弁護士にはなるな」と言っていたのですが、結局、僕は哲学だけでなく心理学の勉強をして、精神科にも勤務し、カウンセラーになったわけです。弁護士は法律の範囲内で人助けをする訳ですが、その範疇を超えて助言をするカウンセラーになったことで、弁護士よりも人生の裏側を見ることになってしまったと思います(笑)。

学問の知らない世界をみせてくれた先生たち


――家庭の外で、影響を受けた方などはいらっしゃいましたか。


岸見一郎氏: 大学生になるまで、家庭以外で僕にいろいろなことを教えてくれた先生が3人いました。最初に影響を受けたのは小学校5年生の時に出会った先生です。僕に文学を教えてくれました。先生は詩人で、朝、教室に入ると、よく黒板に自作の詩や著名な詩人の作品が書いてありました。1時間目の授業は、その詩をみんなで読んで議論しました。「すごくいい」とか「面白い」とかはダメ。必ず、そう主張する根拠を示せというのがその先生の方針でした。小学生の頃から、そういう議論をしていたため、知らぬ間に論理的に考えるトレーニングを積み重ねていました。6年生になると、石川啄木の短歌を読みたくなって、古語辞典を買いました。ものすごく背伸びしていたような気もしますが、それも多分、先生の影響だったと思います。

中学2年生になった時、私立高校の合格を目指して、家庭教師に付いて勉強しました。当時27歳の京大工学部出身の先生でした。名の通った企業に就職したのですが、そこを辞めて、実家がお寺ということもあって仏教を学ぶために、文学部に学士入学しました。わざわざ仕事を辞めて文学部に入るという、常識的には人生の本道から脱線したかのように見える生き方があるということを、その先生に出会ったことで、僕は知ってしまったのです。

先生は毎回、風呂敷にたくさんの本を包んでやって来ました。先生の影響を受け、仏教や思想に興味を持ち始めました。先生と同じ万年筆を買い、同じ黒色のインクを入れるぐらい、先生に心酔していました(笑)。

「人と人は対等」


――印象的な出会いが続きます。

岸見一郎氏

岸見一郎氏: このように小学校、中学校で素晴らしい師に出会えたのですが、高校での先生との出会いが決定打となりました。高校2年生の時の、倫理社会の先生で、当時70歳ぐらいの方でした。その先生に出会わなかったら、今の僕は、おそらくいないと言えるでしょう。まだ先生に教えを受ける前に一度、廊下ですれ違ったことがあるのですが、その時に僕が軽く会釈したら、先生は立ち止まって深々と頭を下げてくださったのです。人と人は対等だということをアドラー心理学では言います。年齢や経験、それから知識が違っても対等、ということを体現していた先生でした。

その一瞬の出会いは、ずっと心に残っています。後に先生は、僕が哲学を専攻するということを聞くと、「哲学を学ぶということはとても大変で、生活は決して楽ではない。世間的な成功は望めない」と反対しました。僕の決意の固さを試していたのかもしれませんね。僕の決意が固いことを知った先生は態度を一変し、みんなの下校後に先生から個人授業を受けることになり、マルクスの『経済学批判』の序文を一緒に読みました。そのプリントにはドイツ語の原文が書いてあり、当時、僕はドイツ語を勉強していたので、先生に「ドイツ語で読んでもらえますか」といったところ、ドイツ語でも読むことになりました。

「なんでドイツ語を知っているのか」という話にはならず、「高校生なのに」という意識も全然ない。そういう風に自分のことを見てくれる人が、世の中にいるということが僕には衝撃でした。通常の授業でも先生は、教科書にある、太文字のゴシックで書かれた大事な言葉を、英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシア語の5カ国語で必ず黒板に書いていました。ギリシア哲学を後に学ぶきっかけになった出来事もありました。

――まるで大学の講義のようですね。


岸見一郎氏: 教科書に、『ヨハネ黙示録』の一文が引用してあり、それは「我はアルファなりオメガなり」という言葉でした。「この言葉の意味を説明するから」と、先生からアルファからオメガまでの、ギリシア語のアルファベットの一覧表のプリントを配られました。ギリシア語の発音の規則は簡単で、文字と音価さえ覚えたらすぐに読めるようになりました。すると今度は、ギリシア語で書かれた『ヨハネ福音書』の冒頭の一節が書かれたプリントが配られ、「諸君はこれが読めるから一緒に読もう」と先生はいいました。それが僕と古代ギリシア語との最初の出会いでした。先生の授業は、いつもそんな調子で、僕ともう1人の友人以外は聞いている人はほとんどなく、他の学生はたいてい内職をしていました(笑)。この友人との出会いも、大きな収穫でした。

――『嫌われる勇気』にも登場された方でしょうか。


岸見一郎氏: そうです。ものすごく頭の良い人で、強く印象に残っています。当時は、僕が発言した時、彼はどう感じるだろう、どう思うだろうという彼の反応をいつも気にしていました。その友人とは、一度、音信が途絶えたのですが、数十年経過してから、タイでジャーナリストとして活躍しているということが分かりました。英語とタイ語を駆使し、ビデオカメラを使って取材活動をしているようです。

大変なトレーニングに臨めたのは、校訓のおかげ


――ハイレベルの講義を受け、ますます哲学への道を進む決意は固まっていきます。


岸見一郎氏: 哲学をやろうと固く決心はしていましたが、実はその後すぐに没頭した訳ではなく、ちょっと違うことを考えていたのです。しかし、大学生になってからある先生に「哲学というのは、言葉も概念もギリシアのものだ。ギリシアの哲学を学ばなかったらいつまでたっても当てずっぽうのままだ。フランス哲学といいドイツ哲学といい、ギリシア哲学とのアナロジーでそういう名前がついているだけだから、元のギリシア哲学を学ばないとダメだ」と言われたのです。それで覚悟を決めて古代ギリシア語の勉強を始めました。ギリシア哲学を学ぼうと思った矢先に読んだ本、『ギリシア哲学と現代』で、藤澤令夫という先生のことを知り、この先生のところで勉強しようと決めました。

――藤澤先生のもとでの学びは、どのようなものでしたか。


岸見一郎氏: ものすごく厳しかったです。ギリシア語のテキストを、一字一句、疎かにしないで読むというトレーニングばかりしていました。毎日のようにギリシア語の辞書を朝から晩まで引いていって、哲学を勉強しに入ったのにギリシア語学科に入ったんじゃないかと思えるぐらいで(笑)。でも、それだけギリシア哲学を学ぶうえで、ギリシア語で読むことは大切なことなのです。その時のトレーニングが基礎になっているので、その後、どんな専門に進んでも色々なことができるのです。トレーニングをあまり受けていなかったら、その後、何をやっても大成しなかったでしょうし、今の僕もなかったと思います。藤澤先生にはとても感謝しています。

――厳しいなかで頑張れたのは、なにか目標があったのでしょうか。


岸見一郎氏: 高校の時に校訓が(それは仏教に基づいたものでしたが)、そのうちの1つに、「社会に献身せよ」というのがありました。自分が学ぶだけではダメ、独りよがりの研究だけではダメなのです。そして、宗教の先生によく言われていたのが、「君たちは仏にならないで敢えて菩薩になれ」ということ。菩薩とは、敢えて悟らないで衆生を救うために献身する人のことです。学問というものは決して自分のためだけにするものではないということです。敢えて菩薩になることを目指したことで、僕は頑張れたのだと思います。

その後、大学院を終えてからの約10年間は、特に経済的に大変だったのですが、その時も苦しいと思ったことはありませんでした。また、その時期に子育てに関わることができたというのは、今振り返ってみると幸運でした。奈良女子大学で教えていた頃は、保育園への子どもの送り迎えもしました。子どもと関わっていたので、後に出会うアドラー心理学に大いに惹かれたのだと思います。

アドラー心理学との出会い、瞬間で人生が変わった


岸見一郎氏

――アドラーとの出会いは、どのように岸見さんを変えましたか。


岸見一郎氏: 出会ったその瞬間から人生が変わりました。というのは、あるアメリカの先生の講演でアドラーの心理学に出会ったのですが、「たった1回の講演で、人はこんなにも変わることができるのだ」と、今でも覚えています。「それまでの自分はどこかで背伸びをしていて、みんなによく思われたいと思って生きてきたのかもしれない」ということに気づいてしまいました。この気づきだけでも十分でした。僕には何か求めているものがあって、その時たまたま講演を聴いた。そのタイミングが合ったから上手く人生が動き出したのかなという気がします。

――岸見さんは、奇しくもアドラーと同じ心筋梗塞を患ったということですが。


岸見一郎氏: はい。アドラーは67歳で、おそらく心筋梗塞で亡くなっています。僕も50歳の時に同じ病気になりました。その後の人生は余生だと思っています。人生はそこで終わっていたかもしれないのですから、ラッキーなのです。でも、このラッキーをラッキーのままで終わらせてはいけません。ある看護師さんから、「助かったですませる人も多いのですが、あなたは若いのですから生き直すつもりで頑張りましょう」と言われました。病気からの回復というのは、元に戻ることではありません。これまでやってきたことで、改めるべきところがあるのならば変えていかないといけない。生かされたのならば、自分の持てる能力を、社会に返していかないといけない。それで僕は、入院している時も病気の前に書き終えていた本の校正をしていました。

主治医はそんな僕を諌めるわけでもなく「本は残るから、書きなさい」と言ってくれました。周りの理解もあり、退院後は、それまでの人生に書いた本よりも、はるかに多くの本を書きました。1年に4、5冊のペースでした。

今はかなり元気になってきましたが、もっと状態が悪い時もありました。心筋梗塞で倒れた翌年には心臓を止めて冠動脈バイパス手術を受けました。2008年から2010年は、認知症の父の介護をしながら、執筆をしていました。朝、出勤するような感じで父のところに行き、5時、6時に帰る、そういうような暮らしだったので、たくさん本が書けました(笑)。

――執筆は、岸見さんにとって社会への献身、そして生き直しなのですね。


岸見一郎氏: そうです。詩人リルケは、『若き詩人への手紙』の中で、詩というのは、他者からの評価とは全く関係ないところで書くものであって、「書かずにはいられない」と思うのであれば書きなさいといっています。本を書くというのは結局そういうことなのです。アドラーが言うように、僕も世界を変えたいのです。そのためには人の心を変えていくしかない。その手段が僕の場合は本なのです。

カウンセリングも1人ひとりのことですから、効率は悪いかもしれません。しかし、その人が変われば世界が変わるかもしれないのです。本も、たくさんの人に届くから広まった、変わったというのではなく、その本を読んで人生が変わるといことに意味があるわけです。付箋をつけたり、ラインマーカーをたくさん引いてもらえるような、何度も読んでもらえるような本であれば、たとえその発行部数が500部だったとしても意味がある。1人でも変われば、その本を書いた意味があるわけです。

装丁は紙の本、スペースの節約には電子書籍


――想いを伝える素敵な媒体ですが、電子書籍の登場など変化してきています。


岸見一郎氏: 僕は欧文の文献を読むことが多いのですが、紙の本ならば、取り寄せるのに何ヶ月もかかります。その点、電子書籍なら瞬時に、安価にダウンロードできます。それと絶版になった本が生き残るということ。これもありがたいです。ただ電子書籍と紙の本は、役割分担というか、制度的には両方あっていいと思います。実際、『嫌われる勇気』は両方あります。
岸見一郎氏
『嫌われる勇気』の紙バージョンは、装丁にものすごく凝っています。紙質も選びましたし、装丁の人はもちろんフォントディレクターも関わっています。モノ作りのこだわりの部分は、電子の本では味わえません。そういった装丁に凝っている本というのは、電子書籍で既に買っていても本屋で手にしてしまったら欲しくなると思います。

閲覧性も、まだまだ紙の方に軍配が上がります。紙の本は、「あの辺に書いてあった、最初の方に書いてあった」という記憶がありますから、そのページをすぐに開くことができます。他方、電子本では検索をかけないといけません。また、電子の本はページ番号が出ないものが多いです。本を書く時に、参照元としてページ番号を書かないといけない時がありますが、そういう場合、ページ番号を知るためだけに図書館に行くこともあります。一方で、電子書籍を使うことでスペースを節約できるので、そういう意味ではいい時代になってきているなと思います。

工夫や勉強、みんなの熱い思いが、書店や本を良くする


――読み手としてはいかがですか。


岸見一郎氏: 今でも、書店に足を運んで本を購入しますが、自分と何か共鳴する本と出会いにいきます。仕事モードで引っ掛かる本もあれば、全然関係ないところで引っ掛かる本もあります。無意識で、選んでいるのかもしれません。あえて書店に行くのは、思いがけない本との出会いがあるからです。Amazonも最近はそういう工夫もしていますが、電子書籍には、書店に行く時のような偶然の出会いはありません。それは残念ですね。

――書店では、アットランダムな出会いを楽しむのですね。


岸見一郎氏: もちろん書店と一口に言っても当たりはずれがあります。書店員さんがものすごく勉強しているところは、どんなに狭い書店でもやっていけます。1日2日本を並べてみて、売れない本はすぐに返してしまうようでは、本が売れるはずがありません。ポップも書き、きちんと本を並べる本屋ならば、そこの本屋は売れます。売り方、届け方など工夫しない書店は、どんなに大きなスペースのある書店でもダメだと僕は思います。だから、「ここの書店員さんは勉強しているな」と思うところに行きます。書き手はもちろん編集者、装丁家や印刷所の方、流通や書店の方々がみんなで力を合わせて本を出していくという、そういう熱い思いがあると本は売れるのです。電子書籍においてもそれは同じではないでしょうか。

――岸見さんにとって、本はどんな存在ですか。


岸見一郎氏: 僕自身が入院していた時もたくさん本を持ち込みましたが、その時の僕にとって、本は大きな救いとなりました。母が脳梗塞で臥せっていた時も、僕が高校の頃に読んでいたドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読みたいと母がいったので、毎日毎日読み聞かせていたことがあります。そういう状況下でも、読みたいと思わせる力が、本にはあるのだと思います。本のそういう力を知ることができて、良かったと思います。

また、僕の生き方に反対し続けていた父が、ある日、僕の講演会のチラシを見て、「おまえは人助けの仕事をしているな」と言ってくれました。その時から、人助けが僕の使命だと思っています。それからというもの、僕が本を出すと、父は必ずその本を持って外出していました。父が持っていたわずかな本の中に僕の本がたくさんありました。このことを知って僕と父との関係は良くなりました。これも本にまつわる僕の思い出ですね。

哲学者として、考える本を世に送り出したい


――今後どのようなことを伝え、また使命である人助けをしていきたいと思われますか。

岸見一郎氏

岸見一郎氏: 講演会では、「一生懸命というのは真剣」と言っているのですが、真剣に生きることはすごく大事だけれど、真剣に生きるということと深刻になるということは全然違うことだとも言っています。「真剣だけど深刻になってはいけない」のです。人に裏切られるかもしれないし、対人関係で傷つくかもしれない。でも『嫌われる勇気』の中で哲人は、悲しみや傷つくことを避けていたら誰とも深い関係も築けないと語っています。
とりあえず毎日、朝起きたら、「あ、生きていたな、良かった。とりあえず今日は頑張ろう」と思うのです。そうしたらまた明日に繋がるかもしれませんが、それは誰にも分かりません。誰にも分からないことを思い煩う必要はないのです。たとえ死が無であったとしても、では今、生きる意味がないかというと、そんなことはありません。

本の著作に関しては、出版のオファーがたくさんきています。当然、身は一つなのですべてを受けることはできません。先日受けた依頼は、締め切りが1年後で、書けるだろうかとも思ったのですが、たくさんの人に届けたいと思うし、ベストセラーになるかどうかとは関係なしに、よく僕の考え方を理解してくれる編集者であると思ったので引き受けました。そういうオファーがいくつかあって、おそらくこの1年ぐらいはかかりきりになるような気がしています。

それと、前からプラトンの翻訳を手がけていて、それを含めて、今後はアドラー心理学だけではなく、哲学の本を書きたいと思っています。僕自身も病気をしましたし、父は認知症になりました。ですから、看護師教育にはすごく関心がありますし、今も看護学校で教えています。患者さんと直に接するので、看護師というのは大切な仕事です。まだ詳しくは決めていませんが、看護師さんのための本を書きたいと考えています。

また福島の第一原発事故に関して、今起こっていることを、放っておいてはいけないと思います。事故が起ころうと起こるまいと、作業に携わっている人は被爆しているのです。誰かの犠牲の上に電力供給がされるなどというのはあり得ません。そういうことが今の世の中で、たくさん起こっています。原発を稼働すれば日に日に増えていく放射性廃棄物も、海外に持っていけばいいではないかという考え方もあるのです。ひどい話です。原発問題はエネルギー問題ではなく、人権問題だと強く思います。そういうことは哲学者が発言しなければならないと考えているので、そのあたりのところをきちんと本で書きたいと思っています。

福永武彦という人の、主人公の女性の1人が広島の被爆者である『死の島』という本があります。貴重な本であり、古典だと思います。登場人物の1人が、原爆を使うなと要求する権利はあるのかどうかと自問している場面もあります。そういう本を読むと、大いに考えさせられます。それと同時に、今の自分が置かれているこの時代のことを考えます。古典というのはずっと読み継がれる本で、必ずしもその時代に迎合する本ではないから、ずれるところもあるし、何を言わんとしているのか、すっと入ってこないところもありますが、決して古くはなりません。僕もそういう本を書きたいです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 岸見一郎

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