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岸見一郎

Profile

1956年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの“青年”のカウンセリングを行う。 近著に『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『アドラー心理学 実践入門 「生」「老」「病」「死」との向き合い方』(KKベストセラーズ)、『よく生きるということ 「死」から「生」を考える』(唯学書房)、『介護のための心理学入門』(アルテ)、『困った時のアドラー心理学』(中央公論新社)など。

Book Information

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大変なトレーニングに臨めたのは、校訓のおかげ


――ハイレベルの講義を受け、ますます哲学への道を進む決意は固まっていきます。


岸見一郎氏: 哲学をやろうと固く決心はしていましたが、実はその後すぐに没頭した訳ではなく、ちょっと違うことを考えていたのです。しかし、大学生になってからある先生に「哲学というのは、言葉も概念もギリシアのものだ。ギリシアの哲学を学ばなかったらいつまでたっても当てずっぽうのままだ。フランス哲学といいドイツ哲学といい、ギリシア哲学とのアナロジーでそういう名前がついているだけだから、元のギリシア哲学を学ばないとダメだ」と言われたのです。それで覚悟を決めて古代ギリシア語の勉強を始めました。ギリシア哲学を学ぼうと思った矢先に読んだ本、『ギリシア哲学と現代』で、藤澤令夫という先生のことを知り、この先生のところで勉強しようと決めました。

――藤澤先生のもとでの学びは、どのようなものでしたか。


岸見一郎氏: ものすごく厳しかったです。ギリシア語のテキストを、一字一句、疎かにしないで読むというトレーニングばかりしていました。毎日のようにギリシア語の辞書を朝から晩まで引いていって、哲学を勉強しに入ったのにギリシア語学科に入ったんじゃないかと思えるぐらいで(笑)。でも、それだけギリシア哲学を学ぶうえで、ギリシア語で読むことは大切なことなのです。その時のトレーニングが基礎になっているので、その後、どんな専門に進んでも色々なことができるのです。トレーニングをあまり受けていなかったら、その後、何をやっても大成しなかったでしょうし、今の僕もなかったと思います。藤澤先生にはとても感謝しています。

――厳しいなかで頑張れたのは、なにか目標があったのでしょうか。


岸見一郎氏: 高校の時に校訓が(それは仏教に基づいたものでしたが)、そのうちの1つに、「社会に献身せよ」というのがありました。自分が学ぶだけではダメ、独りよがりの研究だけではダメなのです。そして、宗教の先生によく言われていたのが、「君たちは仏にならないで敢えて菩薩になれ」ということ。菩薩とは、敢えて悟らないで衆生を救うために献身する人のことです。学問というものは決して自分のためだけにするものではないということです。敢えて菩薩になることを目指したことで、僕は頑張れたのだと思います。

その後、大学院を終えてからの約10年間は、特に経済的に大変だったのですが、その時も苦しいと思ったことはありませんでした。また、その時期に子育てに関わることができたというのは、今振り返ってみると幸運でした。奈良女子大学で教えていた頃は、保育園への子どもの送り迎えもしました。子どもと関わっていたので、後に出会うアドラー心理学に大いに惹かれたのだと思います。

アドラー心理学との出会い、瞬間で人生が変わった


岸見一郎氏

――アドラーとの出会いは、どのように岸見さんを変えましたか。


岸見一郎氏: 出会ったその瞬間から人生が変わりました。というのは、あるアメリカの先生の講演でアドラーの心理学に出会ったのですが、「たった1回の講演で、人はこんなにも変わることができるのだ」と、今でも覚えています。「それまでの自分はどこかで背伸びをしていて、みんなによく思われたいと思って生きてきたのかもしれない」ということに気づいてしまいました。この気づきだけでも十分でした。僕には何か求めているものがあって、その時たまたま講演を聴いた。そのタイミングが合ったから上手く人生が動き出したのかなという気がします。

――岸見さんは、奇しくもアドラーと同じ心筋梗塞を患ったということですが。


岸見一郎氏: はい。アドラーは67歳で、おそらく心筋梗塞で亡くなっています。僕も50歳の時に同じ病気になりました。その後の人生は余生だと思っています。人生はそこで終わっていたかもしれないのですから、ラッキーなのです。でも、このラッキーをラッキーのままで終わらせてはいけません。ある看護師さんから、「助かったですませる人も多いのですが、あなたは若いのですから生き直すつもりで頑張りましょう」と言われました。病気からの回復というのは、元に戻ることではありません。これまでやってきたことで、改めるべきところがあるのならば変えていかないといけない。生かされたのならば、自分の持てる能力を、社会に返していかないといけない。それで僕は、入院している時も病気の前に書き終えていた本の校正をしていました。

主治医はそんな僕を諌めるわけでもなく「本は残るから、書きなさい」と言ってくれました。周りの理解もあり、退院後は、それまでの人生に書いた本よりも、はるかに多くの本を書きました。1年に4、5冊のペースでした。

今はかなり元気になってきましたが、もっと状態が悪い時もありました。心筋梗塞で倒れた翌年には心臓を止めて冠動脈バイパス手術を受けました。2008年から2010年は、認知症の父の介護をしながら、執筆をしていました。朝、出勤するような感じで父のところに行き、5時、6時に帰る、そういうような暮らしだったので、たくさん本が書けました(笑)。

――執筆は、岸見さんにとって社会への献身、そして生き直しなのですね。


岸見一郎氏: そうです。詩人リルケは、『若き詩人への手紙』の中で、詩というのは、他者からの評価とは全く関係ないところで書くものであって、「書かずにはいられない」と思うのであれば書きなさいといっています。本を書くというのは結局そういうことなのです。アドラーが言うように、僕も世界を変えたいのです。そのためには人の心を変えていくしかない。その手段が僕の場合は本なのです。

カウンセリングも1人ひとりのことですから、効率は悪いかもしれません。しかし、その人が変われば世界が変わるかもしれないのです。本も、たくさんの人に届くから広まった、変わったというのではなく、その本を読んで人生が変わるといことに意味があるわけです。付箋をつけたり、ラインマーカーをたくさん引いてもらえるような、何度も読んでもらえるような本であれば、たとえその発行部数が500部だったとしても意味がある。1人でも変われば、その本を書いた意味があるわけです。

著書一覧『 岸見一郎

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