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世界中の本好きのために

小沼純一

Profile

1959年、東京都生まれ。学習院大学文学部フランス文学科卒業。製薬会社に勤務しながら、文学、美術、音楽についての文章を多数発表し、流通経済大学・国立音楽院等での非常勤講師を経て、現職。1998年には第8回出光音楽賞(学術・研究部門)を受賞。「音楽文化」の視点から、音楽、映画、文学、舞台、美術など幅広い著述活動を展開する。 著書に『映画に耳を: 聴覚からはじめる新しい映画の話』(DU BOOKS)、『オーケストラ再入門』(平凡社新書)、『無伴奏──イザイ、バッハ、そしてフィドルの記憶へ』(アルテスパブリッシング)、『発端は、中森明菜一ひとつを選びつづける生き方』(実務教育出版)など多数。

Book Information

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デジタルとアナログの使い分け


――本の良さとはどのような点にあると思われますか?


小沼純一氏: 本の背表紙はすごくいいんですよ。今、場所をとらないようにDVDやCDは薄いビニルケースにしまっているのですが、これは背表紙が見えないのが難点。背表紙を見ていると「そういえばこれがあったよね」という風な連想が働くので、そういう意味でも「モノ」としての価値があると思います。わたしの本棚は、「何々の並び」という風に決めて並べているのですが、違うものも混じっていたりするのもまた面白い。デジタルだとそういう並びがないから、すごく居心地が悪い。もちろんKindleも便利なのですが、私自身はあまり使い込んでいるとは言えません。洋書を読むことが多いでしょうか。電子書籍と本は別物です。デジタルとアナログの時計の違いってありますよね?私たちが中学の頃に、ちょうどデジタルの腕時計が出回り始めました。だから当時はデジタルの人が多かったのですが、最近の学生たちを見たらみんなアナログです。「あれ、デジタルじゃないの?」と言ったら「あと何分っていうのが分からないじゃないですか」と(笑)。「なるほど、そういう使い分けなんだ」。あたりまえですけど、デジタル世代でもこうなのかと。LPレコードとCDと同じ。それと似たような感じで、そういった本の厚さが電子書籍では分からないのが私は嫌ですね。

――電子書籍と本の使い分けというか、住み分けという感じでしょうか。


小沼純一氏: 探しているモノがあればクリックすればいいし、分厚い本を中に入れて持ち歩けるという良さはあります。そういったように良いところと悪いところ、どちらもあると思うのです。だから電子書籍と本の両方を持つかもしれません。最近は厚い本も出ていますが、それを手で持って読むのはきついだろうとは思いますけれど、電子書籍だと目測で終わりが分からないし、画面だから読むのはきついだろうな、と。
高校時代の友人が学研を辞めて起業して、パソコンで動物の鳴き声などが聴けたり、絵が動いたりする絵本を作っていました。私も「それはいいな」と思いました。そういった新しい可能性というものもあるし、紙の本ではできないこともまだまだある、あるはずです。だからそれぞれが少し違ったものだけど、重なっている部分もある、となるといいでしょうね。

――電子書籍の登場に伴い、編集者とのつながりや役割に関しては、どのように変化していくと思われますか?


小沼純一氏: これまで、編集者は書籍や新聞などの仕事という感じでした。今はなんでも情報を整理しなくてはならないものとなっているので、本に限らず誰でも編集している状況ですよね。ホームページやブログなどを変更する度に、チェックしなくてはいけません。だから、発信する可能性が少しでもある人は、編集者的なセンスを否応なしに持たなければならないでしょう。書くだけではなく、それをどう見せるかというのを考えなくてはいけませんし、読み込む能力、視覚的なセンスやデザインセンス、あるいは何を強調するかというようなことを考えることも必要となります。だから編集者だけに任せるのではなく、ある程度こちらもスキルを持って対応しないといけません。今まで以上に編集のスキルが重要になってくるか、と。

――本屋へ行く機会は多いのでしょうか?


小沼純一氏: 買い過ぎてしまって、読めない本が積み重なっていくのが困るので、今はあえて本屋に行かなかったりします(笑)。本屋に行くと、新刊書として小説や文学関係のものがあったり、芸術書などもありますよね。でもすぐ近くの場所に経営の本や理系の本などもありますし、その中で面白いものもあります。Amazonなどでも必要なものは探せますが、本屋でないとなかなか出会えない本もあります。普通はあまり読みませんが、関心があるので理系の本も見つけると買ってしまいます。ヘンな言い方かもしれませんけど、音楽は動きなのです。だから物理やエネルギーなどと関係するように思うのですが、どの本がいいのか分からないので、書店に行くしかありません。『空耳の科学』は聞こえ方の問題、音とはどういうものなのかという物理的な視点で見ている本で面白かった。岡ノ谷(一夫)さんは言葉と鳥の歌がどう関連するのかといったことを『小鳥の歌からヒトの言葉へ』で書いていますが、こういうのが面白い。

接し方によって、広がり方も変わる


――これから、どんなことをしたいなとお考えですか?


小沼純一氏: 少し新しいことをできればと考えています。文学部を出た人たちは、果たして文学を好きになったのか?と私は疑問を抱いているのです。小説の書き方や読み方や、歴史書に対してのアプローチの仕方、人口統計の取り方など色々とやりますが、本から何かを受容してそれを楽しむということを果たしてできてきたのかな、と。毎年多くの人たちが入学してきて卒業していくにも関わらず、本が売れなくなっていると言われます。「どうすれば億万長者になれるのか」などといった内容の本がありますけど、そういった本を読めばみんな億万長者になっているはずですよね。でもそうなっていない。そんなのを読むのがそもそも駄目だとおもいますけど、そういう判断ができないとね。音楽だって似たようなことはあります。オーケストラのコンサートなどに行くと、年輩の方が多い。それは聞き手たちの新陳代謝が起こっていないということでしょう。自分が弾いたものしか好きではない人もたくさんいます。でも「自分が弾いてないけれど面白い」と思うような聴き方ができることが必要だと思うし、それは美術でも同じかもしれませんが、広がり方が全然違うはずです。本や音楽への接し方をどうにかできないのかなと常に考えています。私は、みんなに本を好きになってほしいし、「小説はやっぱり面白いよね」と思わせたい。

――色んな切り口、接し方によって広がりの幅がどんどん大きくなっていく。


小沼純一氏: そうですね。多方面から接する事によって、そのものの面白さを感じてほしい。
芥川賞系の小説、そして直木賞系の小説などがあって、それぞれが違うけれど、その両方ともが必要ですよね?ポピュラーミュージックがあるのも構わないけれど、「なぜクラシック音楽、それもヨーロッパ19世紀ぐらいまでの音楽が必要なのか」とか、「どうしてクラシックの音楽をホールでやらなくちゃいけないのか」とか、「クラシック音楽も聴いた方がいいよ」とか、あまり言われていないような気がします。クラシック音楽を聴くのは、他のあまたの音楽とともにある選択肢のひとつではなく、何らかの意味があるんじゃないか、ということを言えればいいかな、と今考えているところです。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『音楽』 『アナログ』 『古本屋』 『デジタル』

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