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世界中の本好きのために

関橋英作

Profile

青森県八戸市生まれ。外資系広告代理店JWTでコピーライターから副社長までを歴任。ハーゲンダッツ、キットカット、デビアス・ダイヤモンド、NOVA英会話学校など、たくさんのブランドを担当し、数多くの賞を獲得。特にキットカットにおいては、キットメールでカンヌ国際広告祭メディア部門で日本初のグランプリ受賞。その他に、日経BPオンラインコラム「マーケティング・ゼロ」をはじめ、執筆、講演、企業研修など幅広く活動する。 著書に『マーケティングはつまらない?』(日経BP社)、『チーム・キットカットの きっと勝つマーケティング―テレビCMに頼らないクリエイティブ・マーケティングとは?』(ダイヤモンド社)などがある。

Book Information

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人間の役割は、知と血を繋げていくこと



ブランディングの会社MUSBの代表取締役。青山学院大学経済学部卒業後、外資系広告代理店JWTに勤務され、ハーゲンダッツ、キットカット、NOVA英会話学校などのブランドを担当。コピーライターとして、また副社長として働かれ、ギャラクシー賞やACC賞など、数々の賞を獲得されました。キットカットでは、AME(アジア・マーケティング・イフェクティブ)賞グランプリを2年連続で受賞。キットメールではカンヌ国際広告祭メディア部門で日本初のグランプリ受賞し、その名が広く知られることとなりました。著書には、『マーケティングはつまらない?』『YESのスイッチ』『ブランド再生工場 間違いだらけのブランディングを正す』などがあります。現在はクリエイティブ・コンサルタント、東北芸術工科大学企画構想学科・教授としてもご活躍されています。関橋さんに子どもの頃のエピソードや、今まで経験された仕事、影響を受けた本や電子書籍についてお聞きしました。

街・町の活性化を目指して、実際に活動


――MUSBでの仕事、大学での講師のほかにも、山形でも活動をされているとお聞きしましたが…


関橋英作氏: 山形のかみのやま温泉という場所があるのですが、面白い町なのにさびれている。それで、ゼミの学生と一緒に、町を活性化させるための取り組みをやり始めました。1月に、商工会議所や市役所の観光物産課や商店街の人などが集まる中、大プレゼン。結構気に入ってもらえて「実際にやりましょう」という話になりました。私が教えている、東北芸術工科大学には、小山薫堂さんがつくった企画構想学科という日本でも他にない学科があります。その学科では、かみのやまのプロジェクトのように、1年時からリアルな取り組みをしています。地元の酒屋など、実際にクライアントさんがオリエンテーション。その課題を、学生たちが考えてプレゼンし、良ければ実行するという形です。企画構想学科ができて丸5年になりますが、就職率は約90%と、とても高いのですが、社会とつながる企画をしているせいなのでしょう。ですから芸術系大学ですが、アーティストやデザイナーだけではなく、卒業生はあらゆる職業に就いており、中には「企画する警察官」になった人もいます。

――プライベートでは、お祭りが好きとお聞きしました。


関橋英作氏: そうなんです(笑)。かみのやま温泉にも、カセ鳥という五穀豊穣を願って行うお祭りがあります。これは390年前から行われており、裸に蓑のカンダイを着て練り歩く人に水をかけるというもの。それを見るために、全国から人が集まってきます。
夏にお祭りをするのは、単に都合が良いからで、元々お祭りというのは冬の方がオリジナルなのです。冬になると太陽の角度が低くなり、光量が減る。縄文時代など大昔は、今のように情報がないので、その光景を「この世の最後か」と思っていたようです。死ぬかもしれないので「皆で霊のエネルギーをもっと活発にさせよう」というのがお祭りの起源だったのです。

本、映画、カメラ。父親譲りの好奇心


――青森県の八戸がご出身地ですよね。どのような環境で過ごされていたのでしょうか?


関橋英作氏: 父が網元の親方なので、荒くれがたくさんいる中で育ちました。でも、小学生の時は今の私からは想像がつかないくらい、とてもシャイで、女の子が前にいると顔が赤くなっているような子ども。あまり人とワイワイする方ではなかったので、昔からの知り合いに久しぶりに会うと、「半ズボンをはいておとなしく隅に座っている子だったのに、どうしたの」と言われます。根本的な部分は変わらないかもしれませんが、外的な要因で人はもの凄く変わっていくのではないでしょうか。仕事を始めてから喋る機会が多くなったので、昔とは変わったのだと思います。今では「口から生まれてきたような奴なのに」と言われることも多い。自分ではそんなことはないと思っていますが(笑)。

――お父様のお話が出ましたが、どういう方だったのでしょうか?


関橋英作氏: 父は、近所にある本屋さんで一番多く本を買う人でした。好奇心が強く、写真を撮ったり、8ミリを撮ったり、マンドリンを弾いたりなどしていて、僕も、小さい頃から簡単なカメラを買い与えられていました。また、近所に東映の映画館があったので、そこで父と歌舞伎揚を食べながら、しょっちゅう映画を観ていました。本好きの父の影響で、僕もよく本を読んでいました。「怪人二十面相」シリーズがちょうど出版されていた時で、いつも新しい巻が出るのが待ち遠しかったです。学校の図書館では、少年少女冒険シリーズのようなものを、図書館の右から左まで読破しようともしましたね。

――当時から、クリエイティブな仕事に就こうと思ってらっしゃったのでしょうか?


関橋英作氏: 想像もしていませんでしたね。当時は、総理大臣や卓球選手というように、僕も色々な夢を持っていました。その頃は卓球が好きで、よく練習していました。その時々で好きだったものになろうと考えていたのかもしれません。

降って湧くのではない。たくさんの努力が発想に繋がる


――大学に入ってからは、何を目指されたのでしょうか?


関橋英作氏: 音楽業界に入りたいと思い、ヤマハの音楽振興会に入って作曲や編曲の勉強をしていました。昔からミーハーで、面白いと思うと考える前に体が先に動いていました。今は、狂言をしています。僕は、好奇心という字が一番好きです。好奇心の奇は、「変」という意味ですが、人が変だと思うことは、自分にとってラッキーだと思った方が良い。変だと思うと避けて通る人が多いかと思いますが、僕の場合はそこをいただきます。現在は「外れると悪い」とみんなが思うのか、同じものが多いような気がします。だからこそ外れている部分に行けば、すぐに面白いことができると僕は思っているんです。

――大学卒業後、広告代理店への就職を決められた理由は、どういったものだったのでしょうか?


関橋英作氏: 僕は競馬が大好きだったので、土曜休みの会社がいいなと探していたら、外資系の広告業を見つけました。職種を見ると「コピーライター」と書いてありましたが、僕は意味が分からず、国語辞典で調べました。そうしたら、広告文案家と書かれてあった。今思うと大変失礼なのですが、「新聞などのチョロい文章ね。あんなの誰だってできるじゃん」と思いました。それで試験を受けたら、受かったんです。

――では、コピーライターという仕事を全く知らないまま、仕事を始められたのですか?


関橋英作氏: コピーライターはおろか、広告という仕事についても全く知りませんでした。当時の日本の会社は、自分の就く仕事について全く知らないまま入社し、会社でその仕事を覚えるというシステム。ですから、最初は見よう見まねで仕事をしていましたね。会社では、「明日までに、これのキャッチコピーを100案書いてこい」と10日間連続で指示されるなど、無理難題を言われたこともたくさんありました。でも、できあがりを見せに行くと「見なくても分かるから」と、内容を見もせずにゴミ箱に捨てられてしまう。ひどい話です(笑)。

――辛くはありませんでしたか?


関橋英作氏: 今だったらパワハラに該当するのかもしれませんが、その頃はそれが普通だったので、怒りや悔しさをぐっと堪えて「仕方ない」と受け止めていきました。「また書きゃいいんだろ」と頑張って続けていくうちに、自分で様々なことを考えるようになったわけです。愛という字を、漢字、平仮名、カタカナ、英語で書くと、それだけで4つの言葉になりますよね。1000案も書くのは大変でしたが、そういう風に自分でもレパートリーの広げ方を思いつき始めたので、少しずつ慣れていきました。当時は、厳しい要求に当然腹が立ちましたし、「僕の方が上手い」と思うこともありましたが、たくさん書かなければ、仕事を覚えることができません。キャッチコピーは人から教えられるものではないので、答えを出すのは結局は自分。仕事でもなんでも、やり始めた最初の年には人の3倍くらいやらないとだめです。そこをダラダラしていると、永遠に上手くならない。その代わり、一気に努力すれば、一気に成長します。 

――キャッチコピーはどのようにして作られていたのでしょうか?


関橋英作氏: クリエイティブな仕事の場合、どこからかアイデアがフッと舞い降りてくると思われる方もいるかと思います。でも、フッと舞い降りてくるようになるためには毎日100案くらいを書かないといけません。そうすると、脳がヒートアップして、そこで初めてキャッチコピーを「思い付く」ことができるようになるのです。
数年前に、脳の本が流行った時期がありましたよね。それらの本を読むと、“脳とはこういう色々なものを入れると、それがネットワークで繋がり、ぶつかり合って、変なものを生みだす”ということが分かります。そうやって調べていくと、人間だけがなぜこれほど進歩したのかというのは、要するに“他のものに喩える(比喩など)という能力”を人間が得たからだということに辿りつきました。発明や発見は、これとこれは一緒とか、これとこれは似ているなど、ほとんどがそこから生まれるのですが、広告のキャッチコピーもそれに似ています。何か似ているものに置き換えて表現するといったように、イメージしやすいものに変えていきます。

日本らしさを知り、グローバルに戦う


――影響を受けた本はありますか?


関橋英作氏: 中沢新一さんの『カイエ・ソバージュ』という本ですね。この本からは「日本人はどこから来てどこへ行くのか」というのが、今生きている僕らにとって一番大事だということを学びました。また、宗教について書かれた本を読んで、僕は、空海が日本で最も素晴らしい天才だと思うようになりました。また、日本語は元々無文字文化ですが、その日本語の言葉と、生きるということがどういう風に関係しているのかというようなことを、川田順造さんの本から学びましたし、能や狂言も好きになりました。映画は溝口健二さんのものが好きです。

――学生の方に、本について話すこともあるのでしょうか?


関橋英作氏: 学生には「好きな本だけを読むのはダメ。例えば、『世界でもっとも美しい10の物理方程式』などといった、最初は意味の分からない本をいっぱい読んだ方がいい」と伝えています。物理学者の書いた文章はもちろんのこと、人類学者の書いた文章、作家の書いた文章、ビジネスマンの書いた文章は、それぞれ文体が違います。だからこそ、それぞれの文体を通して、色々な考え方が学べるのです。それが結果的に、自分の幅を広げることになり、アウトプットする時にとても役立ちます。
文章を書けない人というのは、基本的に喋るのも下手です。普通に文章を書く時は、自分の頭の中をサマリー(要約)すると思いますが、喋る時も同じ。喋るということには、色々な人が相手になるので、文体がたくさんあった方がいいのです。そのためにも難しく言ったり、喩え話をしたり、易しく言ったり、おかしく言ったりと、色々な文章を読んでいる方がいいに決まっていますよね。

――そういった考え方に至った理由は、どういったものだったのでしょうか?


関橋英作氏: 僕らが住んでいる日本という国は、ここにだけあるのではなくて、色々なところにあるということに気が付いたのです。大陸にも日本があるし、南の島にも北にも色々な日本があって、それが今ここのところにだけ集約している。戦争に敗れて入ってきたものもあるし、流れ着いたものもある。ですから、日本列島は人類の貯蔵庫だと僕は思っています。そう考えると、とても面白いし、皆それぞれが違った方が良いなあと。でも日本人は、「みんな同じ」だと思っている人が多いように感じます。それは明治政府以降から、早く西洋に追いつかなくてはいけないからと、皆が同じ方向を向いて進んできたのが染み付いたのでしょう。でも本当は皆バラバラ。昔、日本にやってきたモースなどの本には、「室町時代などは、男でも派手な色の服を着ていて、日本人は皆バラバラで変な国だ」ということが記載されています。僕は、外資系の会社にいる時に「韓国も中国もインドもどちらかと言うと欧米に近い。日本だけが違う。」と気付きました。その違うところを活かさなければならないのですが、依然として、政府も欧米型を真似しようとしています。でもグローバルで戦うには、日本らしい文化と価値観で戦うしか道はありません。

人を成長させるのは「物語」


――今まで様々な本を書かれていますが、本の役割はどういったものとお考えですか?


関橋英作氏: 本はとても大事だと思っています。本は、どんなものでも物語になっています。人間は必ず物語を通して泣いたり笑ったり感動したりして、成長する。小さい頃に読む絵本も形式は物語ですし、そこから人間としての感情や理性というものを学んでいる筈です。逆に、物語を読まない限り成長できません。哲学というものは一見難しいようですが、結局は「どう生きるか」ということを知るためのもの。それを知るためには、自分が感動しやすい物語などを読むことが必要です。そういう物語を通して自分のコアの価値ができ、その価値のフィルタを通して、皆、どう生きるかを判断している。ですから、基本的には全員、受け売りで生きているのかもしれませんね。僕も知識をたくさん本からもらっているので、その知識を本の執筆で開放しています。

――知識を次に伝えていくわけですね。


関橋英作氏: 僕の前の人から僕へ、僕から次の人へ繋げていく。人間の役割は、通過点にある。それに尽きると思います。歴史というものは通過点の連続で、そうやって人類が繋がっているわけです。知を伝えることは、血を繋げていくことと同じ。血と知です(笑)。知識を、「自分のものだ」と隠していては、おそらく良いものはできません。
このようにたくさん喋っている中にも、色々な知があります。自分が発信した知を誰が受け取るかはそれぞれですが、発信していかなければ、世間の知のベースが上がっていきません。今は、知のベースが低くなっていると思います。色々なことをジャッジしたりすることに対して、基準が無さ過ぎるのです。選挙に行っても、「僕1人くらい投票したって何も変わんない」という考えの人がいますが、1人が投票するからこそ変わる。人間は、自分にできることしかできないけれど、それをやることが、100%生きているということなのです。
日本は、実はもの凄く異質なものを受け入れています。江戸時代には、異なる者を尊重するという尊異論というのがありましたが、色々なことを尊重し、色々な価値を皆で共有して生きていくのが、日本。日本人は、「自然と動物と人間は同じ」と思っている珍しい民族です。ですから、自然や動物をどうやって守っていくか考えることも人間の、日本人の役割の1つだと思います。



――執筆には、どのような思いを込められていますか?


関橋英作氏: 皆、本当はポテンシャルとしてクリエイティブな能力を持っているのに、蓋をしている。その蓋をとり、自分の持っているクリエイティビティを発揮すれば、世の中は面白くなるし、人生も面白くなるし、仕事も上手くいくと思っています。その蓋を開けられるような刺激を与えようという想いで本を書いています。

紙には情緒、電子には機能


――電子書籍については、どのようなお考えをお持ちですか?


関橋英作氏: 電子書籍はポテンシャルがたくさんあり、本とは役割が違うと思います。学者にとってはツールや動画にもなる。アミューズメントであり、アカデミック(学術的)でもあるのです。逆に本の方が、普通の人のためのもののような気がします。ですから電子書籍は、役割が明快でないと売れないと思います。「電子書籍の方が便利ですよ」というのは、マーケティング的に間違っているのではないかと僕は考えていて、だから伸びないのだと思います。

――電子書籍と本には、どのような違いがあるのでしょうか?


関橋英作氏: 本に情緒がある代わりに、電子書籍には素晴らしい機能があります。ですから、電子書籍を伸ばすためには、調べる時に色々な情報にジャンプできるとか、学術的にもっと色々なものをストックしておけるとか、その機能を推し進めればいいわけです。
アメリカでは、元々ペーパーバック(紙で印刷された表紙を用いた本)なので、電子書籍と変わりませんが、日本の装丁は凝っていて素晴らしいです。そういったように電子書籍と紙の本は、そもそもが別物なので、将来も競合はしないと思います。紙対電子ではなく、情緒対機能と考え、2つを両立すれば良いわけです。

――本を作る際、編集者の方と多くのやり取りをされていると思いますが、理想の編集者とはどういうものだと思われますか?


関橋英作氏: 編集者は、知の仕事をしています。ですから、ただ知っているだけではなくて、人生のナビゲーターのような人が編集者にならないとダメだと思います。ある本を導いていく、というような人にならないといけない。1つの知識だけではそういったことはできないので、「これを売りたいのですが、これを読む時には、これとこれとこれも読んで下さい」というようなやり取りがあってもいいのではないかと僕は考えています。

――著作活動も含めて、今後はどのようなことをしていこうとお考えですか?


関橋英作氏: 今の日本が持っていると思っているものと、元々の日本が持っているものは違う。そんな価値観を、1人でも多くの人に伝えて、体、自然を通して、皆がそれを共有してほしいなと思っています。それを実現させるために、少しずつ行動していきたいです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 関橋英作

この著者のタグ: 『アイディア』 『考え方』 『マーケティング』

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