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世界中の本好きのために

関橋英作

Profile

青森県八戸市生まれ。外資系広告代理店JWTでコピーライターから副社長までを歴任。ハーゲンダッツ、キットカット、デビアス・ダイヤモンド、NOVA英会話学校など、たくさんのブランドを担当し、数多くの賞を獲得。特にキットカットにおいては、キットメールでカンヌ国際広告祭メディア部門で日本初のグランプリ受賞。その他に、日経BPオンラインコラム「マーケティング・ゼロ」をはじめ、執筆、講演、企業研修など幅広く活動する。 著書に『マーケティングはつまらない?』(日経BP社)、『チーム・キットカットの きっと勝つマーケティング―テレビCMに頼らないクリエイティブ・マーケティングとは?』(ダイヤモンド社)などがある。

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降って湧くのではない。たくさんの努力が発想に繋がる


――大学に入ってからは、何を目指されたのでしょうか?


関橋英作氏: 音楽業界に入りたいと思い、ヤマハの音楽振興会に入って作曲や編曲の勉強をしていました。昔からミーハーで、面白いと思うと考える前に体が先に動いていました。今は、狂言をしています。僕は、好奇心という字が一番好きです。好奇心の奇は、「変」という意味ですが、人が変だと思うことは、自分にとってラッキーだと思った方が良い。変だと思うと避けて通る人が多いかと思いますが、僕の場合はそこをいただきます。現在は「外れると悪い」とみんなが思うのか、同じものが多いような気がします。だからこそ外れている部分に行けば、すぐに面白いことができると僕は思っているんです。

――大学卒業後、広告代理店への就職を決められた理由は、どういったものだったのでしょうか?


関橋英作氏: 僕は競馬が大好きだったので、土曜休みの会社がいいなと探していたら、外資系の広告業を見つけました。職種を見ると「コピーライター」と書いてありましたが、僕は意味が分からず、国語辞典で調べました。そうしたら、広告文案家と書かれてあった。今思うと大変失礼なのですが、「新聞などのチョロい文章ね。あんなの誰だってできるじゃん」と思いました。それで試験を受けたら、受かったんです。

――では、コピーライターという仕事を全く知らないまま、仕事を始められたのですか?


関橋英作氏: コピーライターはおろか、広告という仕事についても全く知りませんでした。当時の日本の会社は、自分の就く仕事について全く知らないまま入社し、会社でその仕事を覚えるというシステム。ですから、最初は見よう見まねで仕事をしていましたね。会社では、「明日までに、これのキャッチコピーを100案書いてこい」と10日間連続で指示されるなど、無理難題を言われたこともたくさんありました。でも、できあがりを見せに行くと「見なくても分かるから」と、内容を見もせずにゴミ箱に捨てられてしまう。ひどい話です(笑)。

――辛くはありませんでしたか?


関橋英作氏: 今だったらパワハラに該当するのかもしれませんが、その頃はそれが普通だったので、怒りや悔しさをぐっと堪えて「仕方ない」と受け止めていきました。「また書きゃいいんだろ」と頑張って続けていくうちに、自分で様々なことを考えるようになったわけです。愛という字を、漢字、平仮名、カタカナ、英語で書くと、それだけで4つの言葉になりますよね。1000案も書くのは大変でしたが、そういう風に自分でもレパートリーの広げ方を思いつき始めたので、少しずつ慣れていきました。当時は、厳しい要求に当然腹が立ちましたし、「僕の方が上手い」と思うこともありましたが、たくさん書かなければ、仕事を覚えることができません。キャッチコピーは人から教えられるものではないので、答えを出すのは結局は自分。仕事でもなんでも、やり始めた最初の年には人の3倍くらいやらないとだめです。そこをダラダラしていると、永遠に上手くならない。その代わり、一気に努力すれば、一気に成長します。 

――キャッチコピーはどのようにして作られていたのでしょうか?


関橋英作氏: クリエイティブな仕事の場合、どこからかアイデアがフッと舞い降りてくると思われる方もいるかと思います。でも、フッと舞い降りてくるようになるためには毎日100案くらいを書かないといけません。そうすると、脳がヒートアップして、そこで初めてキャッチコピーを「思い付く」ことができるようになるのです。
数年前に、脳の本が流行った時期がありましたよね。それらの本を読むと、“脳とはこういう色々なものを入れると、それがネットワークで繋がり、ぶつかり合って、変なものを生みだす”ということが分かります。そうやって調べていくと、人間だけがなぜこれほど進歩したのかというのは、要するに“他のものに喩える(比喩など)という能力”を人間が得たからだということに辿りつきました。発明や発見は、これとこれは一緒とか、これとこれは似ているなど、ほとんどがそこから生まれるのですが、広告のキャッチコピーもそれに似ています。何か似ているものに置き換えて表現するといったように、イメージしやすいものに変えていきます。

日本らしさを知り、グローバルに戦う


――影響を受けた本はありますか?


関橋英作氏: 中沢新一さんの『カイエ・ソバージュ』という本ですね。この本からは「日本人はどこから来てどこへ行くのか」というのが、今生きている僕らにとって一番大事だということを学びました。また、宗教について書かれた本を読んで、僕は、空海が日本で最も素晴らしい天才だと思うようになりました。また、日本語は元々無文字文化ですが、その日本語の言葉と、生きるということがどういう風に関係しているのかというようなことを、川田順造さんの本から学びましたし、能や狂言も好きになりました。映画は溝口健二さんのものが好きです。

――学生の方に、本について話すこともあるのでしょうか?


関橋英作氏: 学生には「好きな本だけを読むのはダメ。例えば、『世界でもっとも美しい10の物理方程式』などといった、最初は意味の分からない本をいっぱい読んだ方がいい」と伝えています。物理学者の書いた文章はもちろんのこと、人類学者の書いた文章、作家の書いた文章、ビジネスマンの書いた文章は、それぞれ文体が違います。だからこそ、それぞれの文体を通して、色々な考え方が学べるのです。それが結果的に、自分の幅を広げることになり、アウトプットする時にとても役立ちます。
文章を書けない人というのは、基本的に喋るのも下手です。普通に文章を書く時は、自分の頭の中をサマリー(要約)すると思いますが、喋る時も同じ。喋るということには、色々な人が相手になるので、文体がたくさんあった方がいいのです。そのためにも難しく言ったり、喩え話をしたり、易しく言ったり、おかしく言ったりと、色々な文章を読んでいる方がいいに決まっていますよね。

――そういった考え方に至った理由は、どういったものだったのでしょうか?


関橋英作氏: 僕らが住んでいる日本という国は、ここにだけあるのではなくて、色々なところにあるということに気が付いたのです。大陸にも日本があるし、南の島にも北にも色々な日本があって、それが今ここのところにだけ集約している。戦争に敗れて入ってきたものもあるし、流れ着いたものもある。ですから、日本列島は人類の貯蔵庫だと僕は思っています。そう考えると、とても面白いし、皆それぞれが違った方が良いなあと。でも日本人は、「みんな同じ」だと思っている人が多いように感じます。それは明治政府以降から、早く西洋に追いつかなくてはいけないからと、皆が同じ方向を向いて進んできたのが染み付いたのでしょう。でも本当は皆バラバラ。昔、日本にやってきたモースなどの本には、「室町時代などは、男でも派手な色の服を着ていて、日本人は皆バラバラで変な国だ」ということが記載されています。僕は、外資系の会社にいる時に「韓国も中国もインドもどちらかと言うと欧米に近い。日本だけが違う。」と気付きました。その違うところを活かさなければならないのですが、依然として、政府も欧米型を真似しようとしています。でもグローバルで戦うには、日本らしい文化と価値観で戦うしか道はありません。

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この著者のタグ: 『アイディア』 『考え方』 『マーケティング』

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