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世界中の本好きのために

上原善広

Profile

1973年生まれ。大阪府出身。大阪体育大学卒業後、東京都在住。中学校非常勤講師などさまざまな職を経た後、ノンフィクションの取材・執筆を始める。『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で第41回(2010年) 大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その他の著書に『路地の教室―部落差別を考える』(プリマー新書)、『被差別の食卓』、『異形の日本人』(以上、新潮新書)など。近著に『差別と教育と私』(文藝春秋)がある。

Book Information

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色々な可能性を秘めたノンフィクションの面白さを、
もっと広めたい



『日本の路地を旅する』で第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞された、ノンフィクション作家である上原さんは、部落問題などについての本を多数執筆されています。『新潮45』2011年11月号の「孤独なポピュリストの原点」では、橋本徹氏の生まれについて書かれ、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞では大賞を受賞されました。今年の1月には『路地の教室ーー部落差別を考える』を、3月には『差別と教育と私』を刊行されました。今回は、ノンフィクション作家となった経緯や、転機のきっかけとなった出会いなどについてお伺いしました。

予備取材をするスタイルを続ける


――今年に入って2冊も出版されていますが、かなりご多忙ですね。


上原善広氏: 実はここ2年ほど、体調を崩していたんです。それでしばらくは仕事ができるような状態に回復することに専念して、今年からようやく本が出てくれるようになったという状況です。ノンフィクションの場合、真実を書いているからこそ、とある誰かを傷つけることにもなりかねません。そういったプレッシャーを、自分でも意識していない内に苦しいと感じる部分があったのかもしれません。3月には文藝春秋から『差別と教育と私』と言う本が出ました。あと7月頃には『異貌の人々』というタイトルで出していた海外短編集を『異邦人』と改題して文庫化(文春文庫)する予定です。また、『新潮45』で連載してきた考古学をテーマにした本も年内には出したいと思っているので、今年は最低でも4冊くらいは出る予定です。休んでいた分が、今年は一気に出るという感じです。

――ルポライター、ジャーナリストとしてのお仕事は、どのようなスタイルでされているのでしょうか?


上原善広氏: ジャーナリストと紹介されることが多いのですが、ぼくの書く物にはあまり報道性がないので、基本的にはそうではないと自分では思っています。一括りにジャーナリストと言っても色々な方がいると思いますが、ぼくは基本的には1人で淡々と話を聞くことが多いと思います。例えば昔は国内外でも1か月以上は取材のために現地に滞在するというスタイルでやっていましたが、今思うとなんとものんびりした取材でしたね。今はいそがしくなって不可能ですが、それでも取材の前に1週間はかけて、一人で予備取材をするようにしています。忙しいなりに、できるだけ前からのスタイルを変えないようにと気をつけています。



ノンフィクションの迫力に魅せられはじめる高校時代


――3月26日に『差別と教育と私』が出版されましたね。


上原善広氏: 『差別と教育と私』には、ぼくが不良少年だった頃のエピソードなどが詳しく書かれているので、いわゆるジャーナリスティックなルポ物とはまた違う面白さがあるのではないかと思っています。中学時代はシンナーなどを吸っていましたが、担任の教師に助けられたというエピソードとか。当時は、不良というとラグビー部か柔道部に入れられていて、その有り余るエネルギーを、ラグビーや柔道に教師が上手く発散させているという感じがありました。「スクールウォーズ」などもそうですよね。ぼくの中学にはラグビー部がなかったので、柔道部に入ってました。

――スポーツに励まれる一方で、文学少年だったとお聞きしていますが、どのような本がお好きでしたか?


上原善広氏: 中学生までは割と古典的な太宰治や中原中也などのメジャーな私小説や詩を読んでいました。母親がとにかく本が好きで、本に関しては惜しみなくお金を出してくれました。フィクションを読んでいたのは、中学生までだったかな。高校生からは、ノンフィクションばかり読んでいました。本が好きだったので、周りのいわゆる不良と呼ばれていた人たちとは全く話が合わなかったですね。
それから小学校の時は、映画小僧でもありました。レンタルビデオが出始めた頃で、1本につき2泊3日で1500円から2000円もした。その時も、「何でも借りて良いよ」と母親が言ってくれたので、映画はほぼ毎日観ていました。1日に2、3本観ていた日もありました。大人向けのものばかりですが、基本的に何でも好きでした。

――将来、お仕事としてノンフィクションを書くということは考えていましたか?


上原善広氏: 読むのは好きでしたが、実はまったくノンフィクションを書こうとは思っていませんでした(笑)。ノンフィクションの場合は、数字も間違えないよう理路整然として、資料を区分けしなきゃいけないからです。表現することは好きだけど、ノンフィクションなどの数字や情報の正確さが必要とされる部分はものすごく苦手だったので、ぼくは自分がノンフィクションを書くことはないと思っていたんです。結局、書くことになったのはノンフィクションの大ファンになってしまった、というのが大きな理由だと思います。書くとしても細々と、小説か詩の方に行くだろうと十代の頃は思っていましたね。

――ノンフィクションのどのようなところに魅力を感じられたのでしょうか?


上原善広氏: 高校の時に同和問題に興味を持ち始めたのがきっかけです。それから障害者問題に入って、スラム街のホームレスのボランティアなどに高校生の時から参加し始めたんです。その時の体験が、ノンフィクションに進むきっかけとなりました。ノンフィクションのファクトの部分に魅了されてしまったんです。それに比べると小説は、非常にリアルに描かれたものでも、結局は著者の頭の中で考えられたもの。その宇宙、世界観に対する尊敬はもちろんありますが、ノンフィクションほどの迫力が感じられなくなったんです。今は小説は、西村賢太氏などの私小説をたまに読むくらいですね。

表現者になりたいという一貫した思い


――文章を書き始めたきっかけはなんだったのでしょうか?


上原善広氏: 最初は、ずっと美術方面に進みたいと思っていて、中学、高校は美術部に入りました。高校の時は石膏や版画などの製作をしていて、小学校の時から何度か小さな賞などもいただいていたのですが、自信がなかったというか、美術で食べていけるとは思えなかったんですね。ただ落ちこぼれの小学生の頃から作文もほめられていたので、結局、書く方にいこうと思いました。文章を書き始めた時は、ぼくは体育大学出だったので、コネも何もありませんでしたが、食べていけるかいけないかで言うと、文章だと割と食べていけるんじゃないかなと思ったんです。最初はノンフィクションにいくと思っていなかったので、小説だったら新人賞もあるし、投稿もある。自分の文章に対して自信はあったので、やりたいと思ったんです。それから高校生時代にノンフィクションにはまった、というのが大きかったですね。

――アメリカに行くことを決められたのはなぜだったのでしょうか?


上原善広氏: 20歳くらいの時には「冒険家として生きようか」とも思って、歩いて世界一周する計画を立てました。大学を出た時にアラスカに渡って、メキシコまで1年かけて歩きました。距離で言えば8000キロあるので、途中にあるサンフランシスコで働いたりもしました。他にもキューバ縦断とか、香港から中国を通ってベトナムまで歩いたりとか。最初は、ライターではどうせ食えないのだから、最初の10年位は冒険もやって、それからライターをやれば良いかと考えていました。ノンフィクション作家になりたいと思っても、師匠もいないしどうすればいいか分からなくて迷っていたこともあり「やっぱり人生経験を積まなければ」と思って、とりあえず誰もしない旅をすることにしたんです。北米を歩きつづけた1年の間、帰ってからやりたいこととか、本のテーマなどに関して、色々と深く考えることができました。いま思えば大きな回り道をしたものです。ただ途中から、このままだと両方とも中途半端になると思ったので、30歳くらいから書く方に専念しました。

――ライターとしてデビューしたきっかけはなんだったのでしょうか?


上原善広氏: ロサンゼルスの日系人新聞『羅府新報』で旅の話を書いたのが初めてでした。記者が取材に来てくれたんです。その時に「うちで書かない?」と言ってもらえたのがきっかけです。
最初はライターでは食べていけなかったので、日本では中学の保健体育の非常勤講師をしながら書いていました。ライターになった20代の半分は海外にいたので、「不安になりませんか?」とよくライター仲間から言われたこともありますが、ライターとして食べていけないのは当たり前だと思っていたし、ぼくの場合は持ち込みから始めましたが、全然苦になりませんでした。表現したいものはもう分かっていたので、署名以外のものを書くつもりもありませんでした。絵描きに比べたら、何でもない苦労だと思っていたんですね。実際は将来に関して色々悩みましたが、一貫してノンフィクションを書きたいというきちんとした動機があったので学歴がないことなんて苦にもならなかったし、もともと芸術方面にいきたかったので、ライターで食べていけると思ったことはつい最近までありませんでした。もともと同和などのテーマでは食べられないと思っていましたからね。30半ばからは少し欲が出てきましたが、それまでは「書ければ無料でも良い」という甘い考えでしたね。

プロ意識を目覚めさせてくれた、師匠との出会い


――ライターとして欲が出てきたというきっかけはなんだったのでしょうか?


上原善広氏: 土門拳賞の写真家、今枝弘一さんと25歳くらいの時に知り合って、「こんな家に住みたいなとか、いい車に乗りたいとか、欲を持たなきゃだめだ」と随分叩きこまれました。でもぼくは全くそういったものに興味がなかったから、最初は正直「困ったなあ」と思っていたんです。でも、「欲という意味では、そう言われればそうかもしれない」と思うようになりました。今はアパート代も払わなきゃいけないし、家族が毎日3食たべられるくらいは稼ぎたいと思っています(笑)。

――自分のためだけの「欲」ではないのですね。


上原善広氏: 本書きで食べていこうというのと、食べれなくて当たり前と思ってきたというのは、ちょっと矛盾しているようですが、無理にそうさせられたというか。最初は食べていけなくて当たり前だと思っていたのですが、今は世界が広がってきたので、「こうやらなきゃ」などと、色々と思うようになりました。今枝さんから「自分のことを安く売っちゃいけない。プロとしての自覚をもっと持て」と言われたのが、大きかったですね。載せてくれるなら無料でも良いというのはやっぱりアマチュアの考えなんです。「君はものすごく才能があるから、もっと欲とプロ意識を持って頑張れ」と言ってくれて、初めてぼくの才能を認めてくれたのが今枝さんでした。その時に初めて「プロとして頑張っていこう」と思ったんです。

――プロ、もしくはプロ意識とはどういったものだと考えていますか?


上原善広氏: 表現してお金をもらっている、それで生活をしているのがプロだと思います。最初は表現することしか考えていなかったのですが、生活を賭けて仕事をするのがプロだと思うようになりました。

――書く時に、大切にされていることはありますか?


上原善広氏: ノンフィクションなので「できるだけ読みやすく」とは思いますが、あまり読者層とかは想定していません。最初の頃は、自分が出したいだけという感じでしたが、20代から30代にかけて、読んでいる方を少しでも感動させることができたらという風に思うようになりました。ただ一人よがりなだけでは何かを人に伝えることはできない。表現してるけど、全然相手に伝わらないのではだめだと思いましたし、表面に見えているものの深層を伝えることがプロだと思います。描いた人間の様々なドラマが人を感動させたり、泣かせたり喜ばせたりするものになると思うんです。そこを意識し始めたという部分が、アマチュアとの違いかもしれません。読者が増えるということは、その分入るお金も増えるということなので、それもプロの1つの醍醐味です。プロと言うのは、その2つが表裏一体となっていると思います。ぼくがそれを意識し始めた大きなきっかけは、やはり今枝さんとの出会いでした。

書くために生きている


――上原さんにとって書くことの意義とはなんですか?


上原善広氏: ぼく自身の存在意義ですね。ぼくは書くために生きているというのがあって、書けなければ生きているとは言えません。ノンフィクションにおいては、取材も含めて体を張るという部分が本当に大きいとぼくは思っているんです。あとノンフィクションの地位を上げたいという思いもあります。ノンフィクションはもっと色々な可能性を秘めた分野なんだということを伝えたい。文章表現を突き詰めていくと結局は純文学になっていくので、そっちに近づくのはぼくにとっては当然のことだったんです。「上原は高級な方に来たがる」などと言われるのですが(笑)、そうではなくて、ただ文章表現を突き詰めたいと思っているだけなのです。文芸誌から依頼していただいて、1年位一切仕事をやめて小説に取り組んだこともあったのですが、それでも書けなかった。その時にようやく「自分はノンフィクションを突き詰めて、そこから文学に近づける人間なんだ」というのが分かったんです。ただ今はもう、文学とかノンフィクションなどのジャンルにこだわりはありません。ノンフィクションには制約が多いなあと思うくらいです。

――年内に少なくとも4冊の本を出されるということですが、編集者の役割についてはどのようにお考えでしょうか?


上原善広氏: 編集者の方は第一読者なので、編集者の善し悪しで、出来がかなり変わりますね。それほど影響力が強いと思います。仕事の面ではぼくは割と編集者の影響を受けない方だと思うのですが、それでもよく相談にのってもらいます。雑誌もそうですが、特に本は映画と同じで、著者1人だけではできないと思っています。映画には何十人、あるいは100位の人の手がかかっていますが、本はその規模が小さくなっただけ。突き詰めるために、時にはケンカもします。最終的に決めるのは1人なのですが、周りに3、4人いて一緒に作るという体制の方が良い本ができるのではないかと思ってます。人数が多過ぎてもだめですが、1人よりは2人、2人よりは3人でやった方が良い方向に向いていく。新潮社の校正の方にもすごく勉強させられます。色々な方が関わってくれているからこそ、良い本ができるのだと思います。

複数で製作することの可能性


――電子書籍も普及してきて、編集者不在のまま本ができるという話もありますが、それに関してはどのようにお考えでしょうか?


上原善広氏: 1人で書いて、良いものができることもあると思います。ただ、例えば漫画家ならば、『キン肉マン』のゆでたまごさんも2人だし、藤子不二雄さんも2人。これからは電子書籍でも、そういったように複数で、連名で1冊を作るということもあり得ると思います。特にノンフィクションの場合は、社会問題も扱うので、多角的な視点がある方が良い。1960年代くらいからアメリカでは2人の著者が1つのテーマを書いて、ピューリッツァー賞を獲った例もありますしね。日本ではあまりそういう例がないですが、もしかしたら本よりも電子書籍でその可能性があるかもしれません。ただノンフィクションは取材費もかかるので、その辺の解決策が見つかるかどうか、だと思います。

――電子書籍の魅力とはなんだと思われますか?


上原善広氏: デビューがしやすい点ですね。あと、タブーが非常に少ないというのも大きい。同和問題だけではなくて、精神や身体障害者問題についても、かなり自由に書けます。でも、それは電子書籍というよりは、掲示板みたいになってしまうんでしょうか。

――コンテンツなのか、本なのか、といったところは曖昧だと思うんです。もしかしたら定められるものではないのかもしれませんね。


上原善広氏: そうですね。これからは本と電子、ネットの住み分けもできてくると思います。テレビが出た時は、映画がなくなると言われました。ですから電子書籍やネットが出てくることで、紙媒体が無くなるとは思いません。ただものすごく紙媒体にとって刺激になっていることは確かです。しかし、ぼくらはゲームで言えばソフトを作る側だから、発表媒体はなんでも良いし、それは編集者や会社が考えることだと思っています。ぼくは表現者だから、その方法については全然問いません。読者が見てくれることが大事。個人的には紙に対する思い入れはありますが、それはあくまで個人的な思いであって、書き手としてではありません。紙媒体と電子やネットの関係というのは、映画館で映画を観るのとレンタルして見ることくらいの違いしかない。ゲーム機でも、要は素晴らしいソフトがありさえすれば良いわけだから、ノンフィクションの分野で面白いコンテンツをきちんと提供すれば、媒体がどうあれ、もっと人気が出るのではないでしょうか。ただぼく自身でいえば、紙媒体とネットでは、書くテーマを変えないと書けないという限界を最近感じました。この辺りも今後、住み分けができてくると思います。

他者を通して描かれていく自分


――現在、考えている執筆のテーマはありますか?


上原善広氏: これからも少しずつ変わってくるとは思いますが、全て2つの共通した手法があると考えています。1つは、ノンフィクションなのですが自分の内面をどんどん掘り下げて行くということ。もう1つは逆に社会的なものの掘り下げ。1つ目は非常に個人的な問題で、もう1つは非常に公的なことなので、マクロの方にいくのとミクロの方の両方をやっていくことになると思います。具体的に出すと、全然違うテーマだと思われるのかもしれませんが、例えば分子のところと宇宙の方まで行くのと、やってることは根源的には変わらないのと同じような感じ。それと同じように、ぼくの中では私的と公的、社会的な二つの要素は繋がっています。他者を通して、実は自分のことを描いているという作品もあります。そういう風なことを繰り返して、結局は自分のことを掘り下げていくというのが、自分のスタイルなのかなと思っています。

――周りのことを考えることは自分のことを考えることにもなりますよね。


上原善広氏: ただ、自分の言いたいことを自分の言葉として直接、表現することはないですね。1つのテーマなり事件を取材しながら自分の中身を掘り下げていく作業をすると、その時にぼくは一切表に出てきません。だけど、読んでみると自分自身を掘り下げていくことになっている。結局、何をやっても自分とつながっている。それが今のところ、ぼくのノンフィクションだと思います。『差別と教育と私』では、自分と社会が交互に出てくる構成になっています。そういう意味では複雑な本なのですが、これからはもう少し難しいものにも挑戦したいなと思っています。周囲からは高尚なことを言うのが得意だと言われてしまうのですが(笑)、実際に書くとなるとそうした抽象的な感覚とは別ものだし、売れるというのは読んでもらえているということだから、それがないとやった意味がないから、ようはそのバランスを取るのが今後のぼくの課題ですね。

――今後の展望をお聞かせください。


上原善広氏: 20代、30代の頃は、吸収することが多かったのですが、今は逆に情報をシャットアウトして自分に向き合う時期なのかなと思っています。雑誌での活動が長かったので、雑誌屋が何を考えているのかは分かっているつもりです。だから、ぼくに必要なのはその感覚と、自分のテーマが合っているかどうかということ。それを検証するための作業をして「大丈夫だ」と自信を持った時に、また色々な角度から見て完成させていく。映画の世界のように色々な角度から見て、「この方向は間違っていない」というのをはっきりさせることができれば、後は自分でどう表現するかだけ。自分としては、作品性については認めてもらったと思いますので、今後はより多くの人に読んでもらうことができるかどうか、というのがぼくの課題ですね。今、正にその総力戦の最中なので、気持ち的にもあまり余裕はないのですが、これからも試行錯誤しながら、いろんな答えを見つけていきたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 上原善広

この著者のタグ: 『海外』 『考え方』 『ノンフィクション』 『人生』 『取材』

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