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上原善広

Profile

1973年生まれ。大阪府出身。大阪体育大学卒業後、東京都在住。中学校非常勤講師などさまざまな職を経た後、ノンフィクションの取材・執筆を始める。『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で第41回(2010年) 大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その他の著書に『路地の教室―部落差別を考える』(プリマー新書)、『被差別の食卓』、『異形の日本人』(以上、新潮新書)など。近著に『差別と教育と私』(文藝春秋)がある。

Book Information

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表現者になりたいという一貫した思い


――文章を書き始めたきっかけはなんだったのでしょうか?


上原善広氏: 最初は、ずっと美術方面に進みたいと思っていて、中学、高校は美術部に入りました。高校の時は石膏や版画などの製作をしていて、小学校の時から何度か小さな賞などもいただいていたのですが、自信がなかったというか、美術で食べていけるとは思えなかったんですね。ただ落ちこぼれの小学生の頃から作文もほめられていたので、結局、書く方にいこうと思いました。文章を書き始めた時は、ぼくは体育大学出だったので、コネも何もありませんでしたが、食べていけるかいけないかで言うと、文章だと割と食べていけるんじゃないかなと思ったんです。最初はノンフィクションにいくと思っていなかったので、小説だったら新人賞もあるし、投稿もある。自分の文章に対して自信はあったので、やりたいと思ったんです。それから高校生時代にノンフィクションにはまった、というのが大きかったですね。

――アメリカに行くことを決められたのはなぜだったのでしょうか?


上原善広氏: 20歳くらいの時には「冒険家として生きようか」とも思って、歩いて世界一周する計画を立てました。大学を出た時にアラスカに渡って、メキシコまで1年かけて歩きました。距離で言えば8000キロあるので、途中にあるサンフランシスコで働いたりもしました。他にもキューバ縦断とか、香港から中国を通ってベトナムまで歩いたりとか。最初は、ライターではどうせ食えないのだから、最初の10年位は冒険もやって、それからライターをやれば良いかと考えていました。ノンフィクション作家になりたいと思っても、師匠もいないしどうすればいいか分からなくて迷っていたこともあり「やっぱり人生経験を積まなければ」と思って、とりあえず誰もしない旅をすることにしたんです。北米を歩きつづけた1年の間、帰ってからやりたいこととか、本のテーマなどに関して、色々と深く考えることができました。いま思えば大きな回り道をしたものです。ただ途中から、このままだと両方とも中途半端になると思ったので、30歳くらいから書く方に専念しました。

――ライターとしてデビューしたきっかけはなんだったのでしょうか?


上原善広氏: ロサンゼルスの日系人新聞『羅府新報』で旅の話を書いたのが初めてでした。記者が取材に来てくれたんです。その時に「うちで書かない?」と言ってもらえたのがきっかけです。
最初はライターでは食べていけなかったので、日本では中学の保健体育の非常勤講師をしながら書いていました。ライターになった20代の半分は海外にいたので、「不安になりませんか?」とよくライター仲間から言われたこともありますが、ライターとして食べていけないのは当たり前だと思っていたし、ぼくの場合は持ち込みから始めましたが、全然苦になりませんでした。表現したいものはもう分かっていたので、署名以外のものを書くつもりもありませんでした。絵描きに比べたら、何でもない苦労だと思っていたんですね。実際は将来に関して色々悩みましたが、一貫してノンフィクションを書きたいというきちんとした動機があったので学歴がないことなんて苦にもならなかったし、もともと芸術方面にいきたかったので、ライターで食べていけると思ったことはつい最近までありませんでした。もともと同和などのテーマでは食べられないと思っていましたからね。30半ばからは少し欲が出てきましたが、それまでは「書ければ無料でも良い」という甘い考えでしたね。

プロ意識を目覚めさせてくれた、師匠との出会い


――ライターとして欲が出てきたというきっかけはなんだったのでしょうか?


上原善広氏: 土門拳賞の写真家、今枝弘一さんと25歳くらいの時に知り合って、「こんな家に住みたいなとか、いい車に乗りたいとか、欲を持たなきゃだめだ」と随分叩きこまれました。でもぼくは全くそういったものに興味がなかったから、最初は正直「困ったなあ」と思っていたんです。でも、「欲という意味では、そう言われればそうかもしれない」と思うようになりました。今はアパート代も払わなきゃいけないし、家族が毎日3食たべられるくらいは稼ぎたいと思っています(笑)。

――自分のためだけの「欲」ではないのですね。


上原善広氏: 本書きで食べていこうというのと、食べれなくて当たり前と思ってきたというのは、ちょっと矛盾しているようですが、無理にそうさせられたというか。最初は食べていけなくて当たり前だと思っていたのですが、今は世界が広がってきたので、「こうやらなきゃ」などと、色々と思うようになりました。今枝さんから「自分のことを安く売っちゃいけない。プロとしての自覚をもっと持て」と言われたのが、大きかったですね。載せてくれるなら無料でも良いというのはやっぱりアマチュアの考えなんです。「君はものすごく才能があるから、もっと欲とプロ意識を持って頑張れ」と言ってくれて、初めてぼくの才能を認めてくれたのが今枝さんでした。その時に初めて「プロとして頑張っていこう」と思ったんです。

――プロ、もしくはプロ意識とはどういったものだと考えていますか?


上原善広氏: 表現してお金をもらっている、それで生活をしているのがプロだと思います。最初は表現することしか考えていなかったのですが、生活を賭けて仕事をするのがプロだと思うようになりました。

――書く時に、大切にされていることはありますか?


上原善広氏: ノンフィクションなので「できるだけ読みやすく」とは思いますが、あまり読者層とかは想定していません。最初の頃は、自分が出したいだけという感じでしたが、20代から30代にかけて、読んでいる方を少しでも感動させることができたらという風に思うようになりました。ただ一人よがりなだけでは何かを人に伝えることはできない。表現してるけど、全然相手に伝わらないのではだめだと思いましたし、表面に見えているものの深層を伝えることがプロだと思います。描いた人間の様々なドラマが人を感動させたり、泣かせたり喜ばせたりするものになると思うんです。そこを意識し始めたという部分が、アマチュアとの違いかもしれません。読者が増えるということは、その分入るお金も増えるということなので、それもプロの1つの醍醐味です。プロと言うのは、その2つが表裏一体となっていると思います。ぼくがそれを意識し始めた大きなきっかけは、やはり今枝さんとの出会いでした。

著書一覧『 上原善広

この著者のタグ: 『海外』 『考え方』 『ノンフィクション』 『人生』 『取材』

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