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世界中の本好きのために

守屋淳

Profile

1965年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大手書店勤務ののち、作家として独立。『孫子』『論語』『老子』『荘子』などの古典の知恵を現代にどのように活かすかをテーマとした執筆や、企業での研修・講演を行う。 著訳書に『最高の戦略教科書 孫子』『ビジネス教養としての「論語」入門』(日本経済新聞出版社)、『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)、『孫子・戦略・クラウゼヴィッツ』(プレジデント社)、『論語に帰ろう』『現代語訳 渋沢栄一自伝』(平凡社新書)など多数。

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「生きるための選択肢」を、提供していきたい



中国古典をビジネスの現場で役立たせるため、講演活動や勉強会などを行っている作家の守屋さん。父は、中国古典分野での第一人者として知られる守屋洋氏。早稲田大学第一文学部卒業後、大手書店に勤務し、その後作家として独立されました。著書は『最高の戦略教科書 孫子』『ビジネス教養としての「論語」入門』、『現代語訳 論語と算盤』、『孫子・戦略・クラウゼヴィッツ』などの著作の数々は、膨大な資料をもとに執筆されているそうです。今回は、現在のお仕事の近況や、書店勤務という経験をお持ちの守屋さんの目からみた出版界などについてお聞きしました。

日本人の無意識のとらわれ、常識、価値観などを知る


――中国の古典を現代に活かすノウハウなどを伝えるということで、執筆、講演、研修をされていらっしゃるわけですが、近況をお聞かせください。


守屋淳氏: 連載が今4、5本ありまして、それと単行本の執筆、あとは講演と研修を行っています。それぞれが4分の1ぐらいずつの割合になっていると思います。最近は、リベラルアーツというのが企業研修でブームになっていて、特に大企業の管理職以上の人たちは、「教養を身に付けていかないと世界で活躍できないのではないか」と感じているようです。西洋の伝統的なリベラルアーツは、ギリシャ、ローマからの「人は学べば自由になれる」という考え方で、そのためには学び、教養を身につけないといけない、と。一方、中国には、士大夫と言われる政治家、官僚を中心とした儒教や中国古典の学びというものがあります。その2つを比べてみると、「人を率いる人間は幅広い学問に精通すること。そしてその中から多面的な視点を身に付けること。それから歴史に学ぶこと」そういった共通した部分があるんです。「普通に仕事をしていただけでは欠けているものを、補っていかないとダメじゃないか」というところが主眼になっているのだと思います。日本人は非常に中国古典の影響を受けていますし、「自分自身を知るという意味でも、中国古典は学んでおいた方がいい」という考え方から、幅広く声がかかっています。私は、よく社会学者の橋爪大三郎先生とペアになる場合が多く、橋爪先生は世界の宗教を、私は論語や儒教を中心としたものをやります。中国を知るということ以上に、「日本人の無意識のとらわれ、常識、価値観は何か、そういったものを知るために学ぼう」というコンセプトで私はやっています。

――勉強会をされているとお聞きしていますが、勉強会では具体的にどのようなことをするのでしょうか?


守屋淳氏: 勉強会は自然発生的にでき上がったんです。渋沢栄一氏の玄孫で渋澤健さんという方がいらっしゃいまして、健さんが「『論語と算盤』を読みたいのだけれど、自分は漢文が読めない。読める人はいないのか」ということで、知り合いの知り合いといった感じの私がそれに参加することになりました。そしてその参加メンバーから「それとは別で勉強会をやりたい」と言われ、さらにそのメンバーがまた別の勉強会をやりたいと、どんどん繋がり、今は月に5つくらいやっています。『論語と算盤』はもう16刷のはずで、それだけ皆さんに読まれていますし、必要なものということなんでしょうね。

――文章だけでなく、お話される上でも淀み無い言葉を話せるというのは、やはり講演会などの活動によって培われていったものなのでしょうか?


守屋淳氏: インタビューの仕事をしているということもあると思います。『孫子』という中国の古典の講演会は、もう200回以上やっていますので、1時間半の講演の場合は、話す時間を2、3 分単位で調整できるようになりました。講演のCDを出したことがあるのですが、1日でCD3 枚ほどになる4時間半ほどの収録をさせられたりすることもありまる。録音の人からは、「素人さんがやることじゃないよ」とか言われたりしたこともあります(笑)。そういう意味では、ちょっと喋りに慣れたという感じかもしれません。

25年以上前に聞いた電子媒体の話がきっかけで、書店へ


――守屋さんが現在の道に至るまでの歩みを、お聞かせ下さい。


守屋淳氏: 本は昔から好きで、よく読んでいました。父が守屋洋と言いまして、中国古典関係の翻訳や入門書を書いているので、家には昔から、中国古典関係の本が多くあったんです。子どもの時からそういう系統の本ばかりを読んでいました。本と関わって生きていくという思いは、小さな頃からあったと思います。それもあって早稲田の文学部に進みました。

――ライフワークとしてやっていこうと思われたのは、いつ頃くらいですか?


守屋淳氏: 大学時代に、文化人類学者の西江雅之先生という有名な先生が、「活字の流通のジャンルで革新が起こる。これから活字媒体は電子になる」といった話を、授業でされていたんです。それを聞いたのはもう25年以上前のことです。「なぜ本が情報流通の主流になり得たかというと、それは情報あたりの単価が一番安かったからで、これからは電子の方がどんどん安くなっていくから、全部電子に変わっていく筈だ」という話もされていました。蔡倫という中国で紙を改良して一般化した人、あとグーテンベルクという活版印刷の人がいますが、それ以来の革命が起こる可能性があるのだろうなということを感じまして、「そこの変革の真ん中にいられたら面白いな」と思い、書店に就職をしたんです。

――当時の出版界は、どのような感じだったのでしょうか?


守屋淳氏: 残念ながら当時は「電子になる」と言って、「そうだよね」と言う人はほぼいませんでした。これからは大きく変わっていくと思いますが、その頃は電子化というと99.9%くらい否定されていましたし、「本が無くなるわけないじゃない」などと言われたこともありました。私も本が無くなるとは思っていなかったのですが、情報流通の大きな流れとしては、単価も安くなりますし、色々な利便性が高まりますから、電子に行くんだろうなということは25年前に思っていたんです。

――執筆のきっかけはどういったことだったのでしょうか。


守屋淳氏: 残念ながら「ただ書店にいても、大きな変革の中枢にはいられない」ということを感じていたんです。そのうちに雑誌でエッセイを書かせていただくようになったり、書評の仕事などをするようになったりして、「書き手として変革を見た方がいいのかな」ということを考えるようになりました。サラリーマン時代にも父の下訳をやったりしていて、自分も「中国古典系の本を書きたいな」と思っていたところ、書店で営業をやっていた方が編集者になって、「守屋さん、何か書くんだったら、原稿ちょうだい」と言われたんです。それで渡した原稿がもとになって、最初の本が出ました。最初の出版は、本当にご縁だったと思います。『最強の孫子』は実はもう12年以上前に出た本ですが、まだ生きてる本です。ほとんど直しは無く、図版を付けてもらって、そのまま出せたという感じです。

本には、選んでもらうための売りが必要


――サラリーマンを辞めるというのは大きな決断だったと思うのですが、その時のお気持ちは?


守屋淳氏: 怖さ半分、期待半分でした。私が独立したのは32歳の時でしたが、妻と子どももいなくて、家も買ってない、というように独立しやすい条件が揃っていたので気は楽でした。貯金は少しありましたが、最初の年は年収が諸経費を差し引くと8万円くらいで、その次の年が36万だったかな。書店にいた時に、大きい書店の新刊書売り場の責任者をやっていて、出版社の営業の方との繋がりというのはかなりあったんです。そういう繋がりを上手く使っていけば、食べる分には困らなくはなるかなとは思っていました。人というのは、先生タイプと芸人タイプに分かれると思っているんですが、私は完全に芸人タイプなんです(笑)。先生タイプは尊敬されたい人、芸人タイプは面白いと思ってもらいたい人。私は「ウケたい」、これが動機なので、多少危なくても面白くなりそうな、そういう方向に行くのだと思います。

――書店では、どういった仕事をしていたのでしょうか。


守屋淳氏: その当時は1日に100点~200点くらいの新刊が出ていたのですが、その中からセレクトして新刊書売り場のところに置いていくんです。それを選ぶために「この本の売りってなんですか?」と営業の方に聞いていました。でも、答えが殆ど返ってこないんです。編集者もそこまで考えて作っていなかったり、「この著者だから売れるでしょ」とか、あとは「売れている本と同じような本だから、これも売れる筈だ」とか、そういった発想で出したりするんです。実は、書店員時代に、出版社の編集者を1年間預かったことがありました。その人は1年でどんどん変わっていきました。レジで接客して、ライバル社の本の方が売れていたりするのを目の当たりにすると、「なんでライバル社の方が売れるのか」と真剣に考えていました。そうすると「表紙に工夫が無い」など、色々なところに気付いていくんです。そういうリアルな経験をしないと、なんで売れないのかということにはなかなか気が付きません。だから、営業の人に突っ込んで聞いてみても、返事が返ってこないのです。「それならば」と、その本を作った編集者や、時には著者に売り文句を聞きに行ったりしたんです。内容が良い本はいくらでもある。その中から「じゃあこの本」といって選ばれる理由が無いと、本は売れにくいというか、手に取ってもらいにくいのです。

――書店勤務のご経験を踏まえて、書店の役割はどのようなところにあると思われますか?


守屋淳氏: ネットの書店と何が違うのかと言うと、Amazonでもオススメの本などが色々と出てきますが、書店だと一望できるので、こういう本もあったんだとか、こういった本と繋がっているんだというところなど、見えてくるところがあるんです。そういった繋がりが見えることは、書店の大きな強みだと思います。いくら工夫をしてもネットでは画面でしか見られない。でも、本は収納場所に困ります。私の知り合いにも「コミックを大人買いする場合、本で買うと奥さんに怒られる。だからもう電子に変えたんだ」という人が結構いるんです。そういう人が、かなり増えています。最近話題になっている『進撃の巨人』などを、若い人を知るためにも買って読んでみた方がいいのかなと思うのですが、巻数が多く出ているとわかると躊躇してしまうんです。でも電子だったら一括してダウンロードしちゃえばいいだけですよね。

インプット7割アウトプット3割


――本を書く時、書き出しはどのようにはじめられるのでしょうか?


守屋淳氏: あまり考えずに、とにかく書いて、それから納得がいくまで書き直します。原稿用紙350枚分くらい書いても、自分で出来が悪いと思ったら、もう1回最初から書き直す。それも半分くらいまで書いて、「やっぱりダメだ」と全部チャラにして、もう1回一から書いてようやく良いかなと思えた、ということもありました。気に入らないと思ったら1回仕切りなおして、書き直しまくる。ひたすらその連続です。

――執筆の際には、1冊分の原稿につき大体何冊くらいの本を読むのですか?


守屋淳氏: 1冊書くのに100冊~200冊くらい読みます。もっと読む人とかもいるかもしれませんが、それが苦じゃないというか、楽しいです。本を書く時に参考図書を読みまくることが自分の勉強になっているんです。私には本を買えなかった時期もあったんです。図書館と、当時住んでいたところの近くに、1000坪のBOOKOFFがちょうどできたので、その両方を利用して最初の本を書いていました。その時に「お金が無くても本は書けるんだなと」思った覚えがありますが、それは時間があったからできたんだと思います。類書との差別化をはかるためには、やっぱり違う情報をとにかく入れたいということで、色々と入れ込んでいたのは確かです。それが私の本の売りの1つになっているのかもしれません。
あとは自由な立場なので、大学のエクステンションセンターなどにも実は行きまくっています。そういうところで、これから本にできそうなジャンルの下調べをしたりもします。 インプット7割アウトプット3 割という感じでしょうか。

知らない自分を知るという高揚感


――執筆というのは、守屋さんにとってどのような行為ですか?


守屋淳氏: 知らない自分を知る行為かもしれません。内田樹先生も書いているのですが、最初に構想があってその通り書いたものというのは、決して良い出来にならないんです。書いているうちに自分でも思いも寄らない展開や、結論になった時に、「実はこうだったんだ」と自分で気付くという瞬間が結構あるんです。それはある種、自分の可能性が広がったというか、自分の知らない自分に出会えたようなそういう意味では非常に高揚感があります。

――原稿を書かれているうちに全く違うものになるというのは、よくあることなのでしょうか?


守屋淳氏: 私の場合、ほとんどそうです。内田先生は「自分の中に小人がいるみたい。この小人さんに如何に働いてもらうかが重要」といった表現をされていましたが、私もそう感じていて、小人さんに出会えた時が楽しい。執筆は、人のためにやっていることでもあり、自分を知る手掛かりにもなります。

――電子書籍も普及してきて、出版のハードル自体は下がってきていると感じますが、編集者の役割はどんなところにあると思いますか?


守屋淳氏: 私は書店時代から、名物編集者といった方々と色々とお話をさせていただける機会もありました。著者を知り尽くして「この人はこういう新しい切り口だったら、絶対面白いものが書ける」などといった提案をして、著者から新しいものを引き出すことができる人というのが、昔は良い編集者だったんです。今でもその筈なのですが、今はあまりにも忙し過ぎて、そこまでやれないのかもしれません。根本的には刊行点数を減らすしかないと思います。今のペースで編集者に本を作らせていたら、まず良いものってできないんじゃないかなぁと私は感じています。私が書店で働いていた時は1日で100点から200点でしたが、今はもっと増えているかもしれません。それだと色々な良い本があっても、埋もれてしまいますよね。平積みにしておく期間も短くなってしまいますし、書店員も疲弊していますので、なかなか良い本を育てるとか、そういう方に発想が行きにくくなってしまいます。なんとなく良くない方向に行ってしまっている気がします。

長い歴史を経たことによって、弱点も判明している


――古典は、1000年単位で読み継がれている歴史あるものですが、古典の魅力とはどのような所にあるのでしょうか?


守屋淳氏: 企業研修でもよく話をしているのですが、中国の古典は実学と言われていまして、ある種で私の本は、文学や情緒的なものである以上に「現実にどう活かすのか」ということをテーマにしているんです。例えば、良い社会を作るにはどうしたらいいでしょうとか、生き抜いていくためにはどうしたらいいでしょうとか、その参考になる本として使われるんです。そういう意味では、古典にはアドバンテージがあるんです。古典の教えは、長い歴史を経たことによって、その弱点も判明しています。例えば『論語』とか『孫子』においても、「こういう状況で使うと失敗します」ということが判明しているんです。でも最新の理論というのは、現実の土壌に落とし込んだ時に、どういうマイナスが出るか分かってないから、とんでもないマイナスが出てしまう場合があります。このわかりやすい例が「成果主義」です。90年代に「アメリカで流行っている」と某コンピュータ会社の社長さんがとり入れたのですが、その結果大混乱を起こして、人事課の人が告発本を出すというとんでもない騒ぎに至ってしまったんです。日本で取り入れた場合のマイナス部分が分かっていなかったのです。古典というのは既にそういう部分が分かっているので、失敗を避けつつ使うことができるんです。

――電子書籍についてはどのようにお考えでしょうか?


守屋淳氏: 電子の強みは、アーカイブが無くならないことですよね。音楽や映像などのジャンルでも同じようなことが言えると思います。膨大に発信されてきた今までの良い歌や曲が、Youtubeなどで探して楽しめるようになっています。ただ最新の作り手は、過去とも戦わなきゃいけなくなるという意味では、すごく厳しい時代になるのだと思います。本の世界でも似たようなことが起こる気はするのですが、それでも音楽などとは少し性質が違うと私は思っています。
昔の文章はそのままだとかなり読みにくいんです。特に古典などは翻訳が必要になるけれど、翻訳文も古びていくんです。そうすると単純なアーカイブというよりは、その時代の人に読みやすい形に更新されていくことが必要になります。だからその意味では、まだ本の方が新しいものが出やすい気がします。

アメリカでバーチャルリアリティの父のような人がいて、その人が書いた本の中で、「音楽は2000年以降、全然新しいムーブメントが出ていない。デジタル化によってイノベーションというか、新しいものが爆発するに違いないと言われていたけれど、永遠のうたた寝に入ってしまった」というようなことを言っていましたが、本はそうなりにくい気がしますね。
ただ、刷新していかないと、どんどん古びる運命にあるのは間違いないです。今から3 、40年前の人の書いた文章は、ちょっと読みにくかったりするんです。刷新が容易だということで、電子書籍には可能性を感じています。あと、映像や音を付けたりできるので活字だけじゃなくてもいいわけですよね。だから活字と他の媒体とのコラボレーションが確実に起こるだろうという気はしています。技術革新もされていくので、ローテクだったものがどんどんハイテク化していって、非常に面白いものができるんじゃないかなと思っています。本はもうでき上がっている形なので、他のジャンルとのコラボレーションが非常にしにくい。でも電子だと色々なものを融通無碍に取り入れられるので、どんどん進化していって変貌を遂げると思います。それが盛り上がりに繋がると、楽しい方向に行くんじゃないのかなと感じています。

――執筆、それから数々のご活動も含めて、ご自身の役割とはどのようなことだと思われますか?


守屋淳氏: 渋沢栄一にしてもそうなんですが、古典というのは、幅広く言うと現代の我々が読んでヒントになる内容がすごく多いと思うんです。だから、生きる選択肢を増やす糧になるものを、私は提供しているのだろうなと思っています。「中国古典には、こういう話があります。それは皆さんの思ってもいなかった選択肢かもしれないけど、選んでみると楽しいかもしれませんよ」と。そういった「生きるための選択肢」を増やすお手伝いができればいいなと思っています。



難しいものを、面白く伝えたい


――今後の展望、意気込みをお聞かせ下さい。


守屋淳氏: 企業研修がすごく増えてきているのですが、いかにきちんと提供していくか、ということを考えています。それなりの地位の人を集めるので、「1日8時間でやってください」というスケジュールになって、そのうち6時間くらい私が喋るとか、とんでもない研修になってしまうんです。でも、精力を傾け過ぎたのか、歩いていて木にぶつかったことが2回あるんです(笑)。夏にTシャツを裏表を逆に着て外に出歩いていたことがあって、レジで会計する時まで気が付かなかったということもありました。本の内容を考えたりしている時もあるのですが、交通事故だけは気をつけたいと思います(笑)。この後は孫子の本や安田善次郎さんの本などを出す予定があるのですが、その後には勝負師の本を書きたいと思っているんです。

――どういった内容の本になる予定なのでしょうか?


守屋淳氏: 状況が混沌としていて誰しも判断が上手くいかないような時でも、不思議と上手く判断できるという人がいるんです。なぜそれができるのか。それに関しては孫子関連で戦略の本を書いたりもしていて、そういった視点や、中国古典的な視点からも色々と言えると思います。色々な角度からそれについてのヒントがくみ出せると考えていて、今、個人的に一番やりたいなと思っているのは、そこのところを深掘りして、面白い本を作ることです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 守屋淳

この著者のタグ: 『海外』 『働き方』 『価値観』 『作家』 『常識』 『本屋』 『勉強会』 『講演』 『書店』 『古典』 『選択肢』

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