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世界中の本好きのために

河野哲也

Profile

慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(哲学)。防衛大学校人間文化学科助教授、玉川大学文学部人間学科助教授等を経て、現職。 専門は心の哲学、現象学、倫理学、応用倫理学。 著書に『意識は実在しない 心・知覚・自由』(講談社選書メチエ)、『エコロジカル・セルフ』(ナカニシヤ出版)、『道徳を問いなおす リベラリズムと教育のゆくえ』(ちくま新書)、『暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討』(光文社新書)等。『知の生態学的転回3 倫理:人類のアフォーダンス』(東京大学出版会)等、編著や翻訳・監訳も多く手掛ける。

Book Information

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難しい言葉は使わずに、哲学の民主化を進める



慶応義塾大学文学部を卒業後、同大学院に進学。防衛大学校、カナダトロントのヨーク大学の客員研究員、玉川大学を経て、現在は立教大学文学部教育学科教授をされています。専門は心の哲学、現象学、倫理学、応用倫理学(ビジネス倫理、科学技術倫理、倫理教育)。修辞学・文体論の研究も行っており、ご自身の経験をもとに書かれた『レポート・論文の書き方入門』は20万部以上のロングセラーとなっています。主な著書に『エコロジカルな心の哲学』、『善悪は実在するか  アフォーダンスの倫理学』『暴走する脳科学』などがあります。河野さんに、教師のありかた、日本における哲学の未来、本についての考察をお聞きしました。

できるだけ学生が話すようにする方法


――立教大学でのお仕事に関しまして、近況をお聞かせください。


河野哲也氏: 今の大学では、1回の講義に大勢の学生がいますが、学生たち自身に議論してほしいと思っているので、自分が話す量をどのぐらい減らすかということを考えて講義をしています。例えばゼミでは、学生の発表をメインに進めていくのですがで、大きな講義型でも、できる限り自分がしゃべらないようにして学生が参加するようにしています。今、そのやり方がだんだんと分かってきたように感じています。200人ほど集まっている教室で、まず最初に、僕がインターネット上で読んでほしいテキストの一部を貼り付けます。それを読んでおくのは前提で、必要に応じて、講義の冒頭でごく簡単な説明をしてから、すぐに問題を出す。あとはグループディスカッションしてもらうというやり方です。ディスカッションまでの運びは様々で、問題を学生の側から出してもらう場合や、僕が考えてきたいくつかの問題の中から選んでもらって回答してもらうこと、あとは、僕とディスカッションした後にグループでディスカッションをしたり、そのまた逆の場合もあります。

――そういったスタイルに変えた理由とは何ですか?


河野哲也氏: 質疑応答に関しては、大学教授を20代後半からやっているから、もう22、3年講義の中に取り入れていることになります。最初の方は、自分が喋るのが中心で、1時間半あると70分くらいは喋っているといった感じだったかもしれません。でも次第に、「それは自己満足なんじゃないか」と思うようになり、自分の話す時間をだんだんと減らしていきました。1年生担当の授業は入門演習や新入生セミナーなどと言われていますが、僕は哲学という専門の特徴上、それを担当することが多いんです。批判的思考や読書のやり方、あるいはレポートの書き方などの基本的なスキルと言われているものをやります。その時に大切なのは、学生の動機を引き出すことであって、そのためには学生が自分自身で考えて喋ってもらうのが一番だということに気付いたんです。だから教員がやるべきこととは、面白い題材を提供して、話しやすい環境を作ることだけかなと思ったんです。知識は図書館や書店などに山ほどあるわけですから、重要なのはそれらをどう使うかだと思うんです。さらには使うだけではなくて、どうやってそこから新しい知識を作っていくかということ。そういった新しい知識を、専門の研究者ではない一般の人々が、どれだけ作れるかということが大事なのです。

教師は「触媒」


――教育においての理念はございますか?


河野哲也氏: 「こういう答えを書きなさい」といった方向性を示唆した場合、みんなテストやレポートで同じようなものを書いてきます。考えていることもそれぞれ違うし、取り組み方も違うはずなのに、その結果が直線上に「A、B、C、D」という評価で並ぶだけというのはダメだなと思ったんです。哲学によって人生が豊かになって、社会も豊かになればいいと僕は考えているのですが、そのためにはこの形では全然ダメだなと思いました。先生たちはある程度知識を積んで、初めて独創性が出ると思っているのかもしれませんが、それは間違いであって、最初からもっている独自の素質もあるので、それをどれだけ引き出すかということが大事。だから学生それぞれが持っている独自の関心や、そのちょっとした独創性を大きくしていく。そういうことができれば学生も面白いものが書けるし、そういうものを読んだ方が僕も楽しいんです。その人の経験や考え方を書いてもらって、そこに自分が言ったことが絡んでいれば、なおうれしいと思います。教師としては、自分はその人の関心を出してあげるための触媒になればいい。

――良い触媒となるために、必要なことはありますか?


河野哲也氏: 材料をたくさん持っていなきゃいけないと思っています。教育では、本人が持っている潜在的な良いものを評価すると思うんです。評価する時に、「説得力がある」あるいは「説得力がない」といった評価はしてあげていいとは思うんですが、やっぱり自分が持っているものを、どれだけ深く追求していけるか、ということが大事です。

300枚の原稿を書くのに500冊の本を読む


――教師の「触媒」としての役割は、編集者の役割と、通じるものがありそうな気がします。


河野哲也氏: 同じだと思います。自分が本を書いている時、編集者というのは第一の読者であり共同制作者です。本を書いている時に、まずは誰に読んでもらえるかを考えなければいけません。「どうやって読者に届けるのか」を考える時に、編集者さんのアドバイスはすごく貴重です。専門家の中でだけ通じる本は、多くの人に読んでもらう必要はないので、編集者さんには誤字脱字をチェックしてもらうだけという感じかもしれません。でも、そんなに専門的な文書は本にする必要があるんだろうか、と疑問に思うこともあります。だから、もっと広い読者層に読んでもらうためには、全く別の書き方をしなければならないと思っています。

――本の書き手として、執筆に対する心構えや、こだわりはありますか?


河野哲也氏: 例えば400字詰めで300枚の原稿を書くとすると、300冊ぐらいの本を読もうと思います。そのぐらいしないと何か内容が薄いという気がしてしまいます。私の本に『レポート・論文の書き方入門』というものがあって、それほど厚い本ではありませんが、書くために大学から本棚1個分ぐらい英・仏・独のものを中心に書き方の本を集めました。それらの本を大まかに目を通して書きあげたので、ある程度のエッセンスにはなっていると思います。読んでそれがそのまま1ページに入っているという意味ではなく、背景知識としてとしてそのぐらいいることです。それで、一旦全部忘れてから新(さら)で書くのが一番いい気がします。

――いつ頃から、そういったスタイルになっていったのでしょうか?


河野哲也氏: 博士論文からだったと思います。調べることはとことん調べて、軽く、わかりやすく書くように意識しています。でもまだ自分でも「引用くさいな」と思うこともあります。

本に憑りつかれる


――小さい頃はどのようなお子さんでしたか?


河野哲也氏: 勉強に関しては、親からはあまりうるさく言われなかった気がします。僕はスポーツが好きで、どちらかというとその記憶が大きいのですが、ただ、本を読むのは好きだったと思います。明確に「これを読んだな」と記憶しているのは、小学校3年生以降に読んだ本だと思います。

――どのような本を読まれたのですか?


河野哲也氏: エドガー・アラン・ポーの『黒猫』と『アッシャー家の崩壊』という子供用の文庫本を読んで、とにかく強いインパクトを受けました。親は本や勉強道具の類いは自由に買っていいという方針で、好きなものを自由に読める環境だったんです。それで近くの本屋さんで面白そうなものはないかなと思って探していたら、「何か、おどろおどろしい表紙の本があるなあ」と目に留まりました。『黒猫』も怖かったのですが、『アッシャー家の崩壊』は尋常ならぬ怖さで、今でもたまに夢に見るほどの強烈なインパクトがありました。おそらくそれを読んだがゆえに、推理小説や怪奇小説というジャンルを子供の頃にどんどん読み進めたのだと思うんです。あの本はいまだに好きなんですが、もしかすると憑りつかれているのかもしれませんね(笑)。だからこそ中学や高校の時も、心理学やフロイトなどが好きになったのではないかと僕は思うのです。心理学や哲学を好きになって、今も心の哲学と言われているものをやっています。

――そこが出発点だったのですね。


河野哲也氏: あともう1つ、子供の頃に読んで印象に残っているのが、小沢正さんという方の『砂のあした』という本です。これは子供用のSFシリーズで、小学校4年生ぐらいの頃に小学校の図書館で借りて読みました。やはりこれも、とにかく恐ろしいSFでした。原子力の事故が原因で砂が自己増殖しはじめて、世界中砂だらけになっていくんです。そのとき同時に、主人公の男の子も含めて、小学校での誘拐事件が増えるんです。それは未来からきた誘拐犯のしわざなのですが、結局その未来では、砂に適応できる「砂人間」だけが生き残るんです。それで「砂人間」になる素養を持った人間を、人類を救済するために未来に送り込む、という内容でした。それを読んだ時に、強烈なインパクトを受けました。未来は現在とは完全に切れていて現在が滅んでしまうといった後戻りできない感じがありました。SFはたくさんありますが、児童向け文学で、ああいった完全破滅型はあまりなかったような気がします。人類は別の種として存続するというのはハッピーエンドなのかはよく分からない結末でしたが、とても恐ろしいんだけど、ある種の広々とした解放感もあって、いまだに僕に影響を与えていると思います。

この世界に必然性はない


――哲学の道へ進んでいった経緯はどういったものでしょうか?


河野哲也氏: 何か人生の悩みなどをきっかけに哲学を始める人もいると思います。でも、僕の場合は単純に、いくつかの謎を解けないままきた少年といった感じかもしれません(笑)。中学1、2年の頃は、わりと物理学や宇宙論などが好きだったんです。ある時考えたのが、光の速度はなぜ秒速30万キロであって20万キロとか40万キロじゃないんだろうということでした。それをしばらく考えて、何々キロというのは人間の尺度で測っているだけであって、これが40万キロになっても、ほかのものとの関係性が保たれれば何も変わらないじゃないかという結論に至ったんです。しかし、さらに考えてみると、重力も光も、もしかしたら人間もいない、別の設定の宇宙というものもありうるんだろうなと考えるようになりました。そうすると、この世界に必然性というか、別に「こう」である必要はないなと思ったんです。それが不思議で父に話してみたら、「それは哲学っていうジャンルじゃないの?」と言われて、父から渡されたプラトンの本を読んでみたら「あ、これだ」と思ったんです。その本は僕の疑問に答える内容ではありませんでしたが、読んでみると本当に面白くて、岩波文庫や新書、講談社ブルーバックスさんの宇宙ものをひたすら読んでいくという日々が始まりました。本を読み、残りの時間は剣道をするといった感じで、受験勉強はそれほどした記憶がありません。

――大学時代はどのように過ごされたのですか?


河野哲也氏: 哲学をやろうと最初から決めてたのですが、哲学を活かす商売というのはないかもしれないと思い、大学に入る前から学者になろうと決めていました。ただ、勇気は要りました。心理学も好きで、カウンセリングなどの心理学を活かす仕事はたくさんあるだろうとは思いましたが、「自分をごまかさないで哲学に行こう」と一歩を踏み出しました。背水の陣を敷いて行かないといけない、と思ったんです。

――その行動の原動力はなんだったのでしょうか?


河野哲也氏: 好きだからだと思います。野球選手が野球をやっているのと変わらないと思うんです。ただ覚悟を決めて「中途半端になってはいかん」と思いました。それはどのような道でも同じです。学生にも「一生懸命やればいい」と言っています。いつ死ぬか分からないから、好きなことをやって、うまいものはうまいと言い、「もしかしてまずいかもしれない」と思っても、1回食べてみればいいんです(笑)。

レベルは落とさず、文章は易しく


――本を書くきっかけはどのようなことだったんでしょうか?


河野哲也氏: 博士論文を出版したことが出発点だったと思います。そのままではなく、文章も練り直したんですが、基本的な内容は変えませんでした。自分としては博士論文を書いた段階で、この分野の研究としては、一頻り(ひとしきり)ついたなという感じがあり、次の展開をするには全く新しいことをやらなきゃいけないなと思ったので、それまでとは違った方向性を自分なりに進めることにしました。1年間の在外研究に行っていた時に、勁草書房の方から「1冊書いてみませんか?」と言われたので「今までのものをちょっとまとめてみよう」と思って書いたんです。途中まで書いた段階で、文章量が1冊を超えてしまったので、「続きを書かせてくれませんか?」と言って書いたのが3冊目となりました。その後に選書の方から講演依頼などがきたり、選書関係の編集の方から、「これは専門的な内容なので、読者層も限られている。もう少し変えて書いてみてください」という依頼があったりして、その意向に合わせて書くこともありました。

――執筆をする上でのこだわりなどはございますか?


河野哲也氏: 編集者の方は、自分がやっていることから外れたテーマは持ってこないので、そのテーマで書かせていただくことが多いです。ただ、「文章は易しくしますが、レベルは落としません」ということはいつも伝えています。専門家に伝える場合は、難しいままでもいいのですが、分野外の人たちに説明することが、人文・社会科学系にとっては大切だと思うんです。それができないというのは、自分でも自分の研究を理解できていないんじゃないかという気がします。

本は「道具」


――電子書籍の可能性についてはどうお考えでしょうか?


河野哲也氏: 学者の中には本にフェティシズム的な愛着心を持っている方もいます。僕の場合は、書きこんでしまうし、破ってしまうこともあるので、そういった人から見ると、そういった行為は許せないのかもしれません。電子書籍は、書き込む機能はあるけれど、色を付けられないなどの、まだ若干の不便さがあるので、僕自身は、電子書籍で読むよりは本という「もの」で読んだ方がスピードは速いです。以前は付箋にページ数をメモしていたりしましたが、もうコピーするのも面倒くさいと思った時は、ページを破ってしまうこともあります(笑)。

――本を「道具」として使われているんですね。


河野哲也氏: 本の内容を引用することが目的ではなくて、いかに説得力をつけるかという話なのです。引用することによって、読んでいる人は「自分とつながるんだ」というそのアンカーのようなつなぎ役としては、参考文献が必要かもしれないけど、それ以上ではない。材料としては使いますが、本は重いし、かさばるので、見やすくてコンパクトになれば、それに越したことはないです。特にコンパクトになってほしいのはアンソロジーのような、1本のページ数が短いものです。読んでいくと、一つ一つはなかなか良い論文なんだけど、他の論文は読む頻度が少ないものなどは、全部電子書籍にしちゃうといいですね。若手研究者たちが自分たちでハードカバーを出すのはハードルが高いので、電子書籍で安く出ていたらいいし、専門書でも安ければ、授業の学生に「ダウンロードして読んでおきなよ」と言うことができます。

――授業でも、電子書籍を活用することができると思われますか?


河野哲也氏: 手間が省けますし、電子書籍を授業で使えるようになれば、それはありがたいです。場合によっては「これらの論文をダウンロードする電子書籍を作ってね」という引用本を注文をできないかなと思っているんです。海外では、紙媒体においてはオンデマンドで組み立てるということを既にやっているので、それを電子媒体でやってくれるといいなと思います。例えば、授業の準備をする時に、本の一部分や論文をテキストとして本屋さんに持って行って、「これを電子書籍化してくれませんか?」と注文する。著作権も考慮したシステムにして、学生にも買えるような値段にするわけです。大学院だったら英語で書かれている論文をやっぱり読みたいんです。図書館で1冊しかないのを借りてきて、みんなで読んだりしますが、買うには高過ぎるし、輸入するのは大変。論文などを10個集めるという手間やコストがかかる作業が電子書籍でできたら、こんな便利なものはないと思います。

――今は、研究の仕方も大きく変わったんじゃないでしょうか?


河野哲也氏: 以前とは全く違うと思います。検索のこともあって、インターネット上に名前が載ってないと見つけられないから、意味がないと思ってしまいます。昔は図書館で1つ1つ引いていたので、かなり時間が掛かっていました。今では検索エンジンでバーッと出てきて、要約もあるので、読むべきものとそうじゃないものが区別できるのは本当に便利です。そういったように、多くの情報が氾濫している中で、それらの情報をいかにつなげるか、どういう風に使うかが大切なのです。分類オントロジーというか、分野ごとに関連性を付けていくというのが大切で、それは学者がやると同時に、本屋さんにもやってほしいと僕は思っています。それをやるのが図書館司書の役目ではないでしょうか。学者は自分の読んでいる雑誌以外は、それぞれの専門が別分野とどうつながっているのかを知らないんです。それをつなげるのが本屋さんや図書館の役目だと思うんです。



――その本来の役割に特化していけば、活路がありそうですね。


河野哲也氏: 本の分野を超えた全体を知っていて、関連性を付けられるという知識が本屋さんや編集者の本質だとすると、電子化が進んだとしても、いくらでも仕事はあるはずです。物質の持つ強さというか、しっかりと紙で読みたいと思う本もありますから、やはり紙の本は無くならないと思う。持って歩くのには重い本などは電子書籍で、といったように使い分ければいいのです。場所を取るので、基本的に電子でいいんじゃないかと僕は思っていて、特に学会誌などは全部電子でいいんじゃないかと思っていますが、まだ反対する人も多いですね。でも、図書館がいっぱいになってしまいますし、保存に関しては電子媒体でいいのではないでしょうか。本の種類によっては、電子の記号には還元できない物質としての情報があると思うんですが、それは全部ではないのです。

子どもの哲学


――今後の展望をお聞かせください。


河野哲也氏: 今、すごく関心を持っているのは「子どもの哲学」というジャンルなんです。幼稚園児から始まり、小中高生たちと学校や公民館などで、引用などは使わずに哲学的なことを対話していくというものです。子どもの素朴な疑問は、例えば「友達と親友の違いはなんですか?」といったように、ほとんど哲学的なんです。そういったことを真面目に話していくと、結構深い議論になるんです。集中力といった部分では違いがありますが、内容の高度さは全く大人と引けを取りません。そういったものを題材に本を書いていきたいし、対話での教育に関しても考えていきたいと思っています。

――なかなか、そういった本はありませんね。


河野哲也氏: だからこそ、僕が書きたいと思います。翻訳するべき良い本や絵本もあるので、それをどんどん進めていきたいです。僕は、絵は描けないけれど、コラボレーションなどをして、絵本ができれば素晴らしいと思います。日本は他国にくらべると遅れていますが、そういった良い本は、実は世界中にいくらでもあります。例えば、この『ペンギンの隠れた才能』など、タイトルだけでも面白いですよね。哲学的な課題について可愛く考えられますが、内容的には決して浅くはありません。こういった哲学書は「Philosophy for Children」と言うんですが、そういうものを今後発展させていくのと同時に、「哲学の民主化」を進めたいと僕は思っています。カントについて細かく覚える必要はないけれど、哲学的なことについて考えることは、すごく人生を豊かにするし、場合によっては必要なものだと思うんです。哲学とは難しい問題です。簡単に答えはできないし、深く考えないとできないし、終わりもないですが、難しい言葉は使わずに「哲学の民主化」を進めていきたいと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 河野哲也

この著者のタグ: 『大学教授』 『チャレンジ』 『哲学』 『心理学』 『原動力』 『教育』 『子ども』

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