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世界中の本好きのために

長沢伸也

Profile

1955年、新潟生まれ。1978年早稲田大学理工学部工業経営学科卒業、1980年同大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士前期課程修了。1955年立命館大学経営学部教授などを経て、2003年より現職。また、早稲田大学ラグジュアリーブランディング研究所所長、ラグジュアリーブランディング系モジュール(LVMH寄付講座)責任者でもある。主な著書に『ブランド帝国の素顔――LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン』(日本経済新聞社)、『日産らしさ、ホンダらしさ――製品開発を担うプロダクト・マネジャーたち』(共著、同友館)、『それでも強い ルイ・ヴィトンの秘密』(講談社)、『老舗ブランド「虎屋」の伝統と革新―経験価値創造と技術経営―』(共著、晃洋出版)など。

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ラグジュアリー戦略、老舗戦略で、
「日本のものづくり」を救いたい



1978年早稲田大学卒業、1980年同大学院理工学研究科博士前期課程修了し、工学博士でもある。立命館大学経営学部教授などを経て、2003年より早稲田大学ビジネススクール教授に。早稲田大学ラグジュアリーブランディング研究所の所長としても精力的に研究されており、『ブランド帝国の素顔――LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン』、『地場・伝統産業のプレミアムブランド戦略――経験価値を生む技術経営』など、数多く執筆されています。本日は長沢さんに、研究の道に入ったきっかけ、現在のお仕事、本や電子書籍についてお伺いしました。

1人遊びが多く、要領の良い子だった


――大学でのお仕事の近況をお聞かせ下さい。


長沢伸也氏: 文部科学省的に言う専門職大学院、平たく言うとビジネススクールをやっていて、若い学部生ではなく、社会人に教えています。中には、台湾出身、中国は上海、ロシアの方などの外国人の方もいます。

――どのようにして今の道に至ったのかをお伺いしたいのですが、幼少期の頃はどのようなお子さんだったのでしょうか?


長沢伸也氏: 割と1人で遊ぶ子でした。道路1本違うと別の学校っていう校区の境目に住んでいて、近所に友達があんまりいなかったんです。保育園で仲良かった子は、別の学校に行っちゃったんです。
春、桜が咲いて散ると、地面に桜の花びらが落ちてますよね。そこを避けて、道を作って三輪車で通って行くなんてことをしていました。

――1人遊びもそうですが、家にいて本を読むことも多かったのでしょうか?


長沢伸也氏: 一生懸命に本を読んだ記憶はありませんし、逆に外を走り回ったという記憶もありません。

――ご両親は教育熱心でしたか?


長沢伸也氏: そうではなかったと思います。ですが、宿題はきちんとしていました。夏休みの課題も、休みが始まって3日くらいでやり終えていましたが、得意がっていると言われるのが嫌で、仲間には「最後の3日間くらいでやった」と話していました。要領は良かったと思います。でも今は、その反対ですね。筆が遅いので、自慢じゃないけども締め切りが過ぎてからでないとできません(笑)。今現在でも多分10冊くらい、不良債権があるんです。現在進んでいるものもあるし、出版社に約束して塩漬けになっているのもあります。

誘いを受け、民間の会社から研究の道へ


――新潟で過ごした後、早稲田に入られるわけですが、早稲田を選んだ理由はなんでしょうか?


長沢伸也氏: 人間のタイプとして慶応じゃないなと思ったんです(笑)。高校の時、理系か文系か悩みました。高校だと進路、受験の関係もあってクラス分けするじゃないですか。理系から文系に行けても文系から理系は行けないから、理系を選択しました。基本的には、理系文系両方に興味があったので、一番文系よりの理系、つまり理工学部の工学系、工業経営学科(現、経営システム工学科)へ行くことにしたんです。

――大学ではどんな風に過ごされましたか?


長沢伸也氏: 暗かったです。学食の片隅で定食をぼそぼそと食べていました。もう全然心の準備をしないまま、1人暮らしを始めたので、生きていくのがやっとという感じで余裕がありませんでした。また理工学部はレポートが多くて、授業も5限まであり、僕が3年生の時には、1限が週5日もありました。今でも覚えているのが成人式。同期は皆、新潟に日帰りで成人式に出ていたのですが、僕はレポートの締め切りがあって忙しく、ニュースを見て「今日は成人式か」と気付いたんです。「ちくしょう、僕もそうなのに」と思いました(笑)。後は、名画座で映画をよく観ていました。

――研究の道に進もうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。


長沢伸也氏: 僕は最初、日本軽金属という、アルミの民間企業に就職したんです。そこには1年半勤めたのですが、その内の1年ちょっとは北海道の苫小牧工場にいました。新入社員ではトップだったので、リクルーターとして東京への出張を命ぜられたのですが、その時に、明治大学で当時助教授だった先輩に会い、「明治の助手にならないか」と言われたんです。人買いに来たのに、逆に買われちゃいました(笑)。

――すぐにお返事をしたのでしょうか?


長沢伸也氏: 即答したので、逆に「君、よく考えてからにしなさい」と言われました(笑)。助手だと食えないんじゃないかとも思ったんですが、明治の助手は結構給料が良くて、むしろ会社よりも良かったんです。アカデミズムにはもともと惹かれていましたし「生活の心配がないなら」ということで、「じゃあお願いします」と引き受けました。

出たとこ勝負で仕事をこなす


――仕事でインタビューをすることも多いと思いますが、その際、大事にしていることはありますか?


長沢伸也氏: まずは、気楽にインタビューを受けてもらうため、先方に行くことです。あとは、一生懸命に話を聞くこと。

――話を聞くというのは、具体的にどういったことでしょうか?


長沢伸也氏: 相手が言いたいこと、言葉の端を捉えてインタビューします。例えば、社長があることについて言及した時、「今、こういうことをおっしゃいましたけど、関連してこの件についてはどうですか」という風に、僕の聞きたい話題を振ると、スムーズにいくんです。また、あらかじめ、インタビュー内容を広報とよく検討すると断られたり、或いは非常に通りいっぺんの答えになったりと、つまらなくなることが多いんです。ですから、割と出たとこ勝負なんです。

――そういった取材スタイルやインタビュースタイルは、どういう風にして確立していったのでしょうか?


長沢伸也氏: 場数ですね。研究自体もですが、次への課題みたいなものや、こうだっていうものを決めずにやってきました。いろいろやっているうちに方向性や発展性が見えてくることもありました。予定していなかった苦労話や本音などが出る社長は、面白いです。本で活字にしようとするとNGになる話が、実は一番面白い(笑)。あとは、必ず担当者、社長にお話を伺うことが大事です。広報を通してではなく、その人に会えれば半分終わったようなものです。

――辛いことやきついことがあった際の、原動力は何ですか?


長沢伸也氏: もう後がないということですね。引き返せない。工学博士をとった時で言うなら、研究がだめで博士号を取れなかったら、工学部では万年助手が確定するわけです。万年助手ってわけにもいかないから、そしたらまた会社に勤めるのか。だけど、大体大学の先生は使えないって相場が決まっているから、大学の助手をやった人が、再就職は難しいだろう。それとも、元いた会社に、頭を下げて行くのか。そうやって考えると、目の前にある研究をやるしかないと思うんです。それと、今はビジネススクールにいるけど、出身が工学ってこともあって僕はとにかく傍流なんです。人がやらないことをやる。そうすると、例えばラグジュアリーブランドっていうのは従来のマーケティングのおよそ逆をやるんです。だから、マーケティングの王道を行く人には訳が分からないかもしれないし、やっぱりラグジュアリーは特殊だとか業界が小さいとか言って理由を付けて手をつけない人もいます。100パーセントは分かんなくても半分くらい分かれば御の字じゃないかっていうのでやってみようとやるわけです。あと、ブランドの先生なんかは、「消費者の皆さん、ブランドっていうとルイ・ヴィトンやシャネルを想像するかもしれないが、それだけがブランドじゃない、コカ・コーラ、マクドナルド、トヨタ、ソニーもブランドだ」って言って、以後2度とラグジュアリーに戻ってこない。でも、街行く人に「あなたブランドものを持っていますか?好きですか?」と聞けば、かえってくるのは間違いなくルイ・ヴィトン、シャネルといった名前ですよね。だけど、学者の先生のブランド論はそれを除外する。それはおかしいと僕は思う。一般の人にそれだけ浸透しているってことは、そこから学ぶことがあると思うんです。だから、日本で研究している人がいないっていうならやってみよう、そう思ったんです。

本を書くことで広く知らしめ、世に問う


――本を出すことになったきかっけは、なんだったのでしょうか?


長沢伸也氏: それはやっぱり、こんな面白い会社がこんな面白い経営をやっているっていうのを伝えたいっていう想い、もうそれにつきます。広く知らしめたい、世に問いたい、そういう想いです。今まで81冊出していますけれど、それぞれ1冊ずつ、その時のベストを尽くして出しているし、大げさではなく命を削りながら作っています。だから、「代表作を選べ」なんてよく言われるんだけど、それはできません。



――本屋に行かれることはありますか?


長沢伸也氏: ありますよ。主に経営ビジネス書やマーケティングの本を買います。自分の本が入ってるかどうかはもちろん見ますし、まれに検索をすることもあります。あとは、やっぱり新刊、新しいものです。例えば、青山ブックセンターだとデザイン関係が充実しています。

――新刊や新書、新しい本を見るということは、世の中の潮流みたいなものを感じられるのでしょうか?


長沢伸也氏: 今で言えば、潮流もだし、「ものづくり」から「ことづくり」っていうのを色々な人が言うようになってきているからそれも確認できます。ことづくりが大事って書いてる本は全部チェックをして買うようにしています。僕にとって、本屋というのは、本を買うというストアの役割もありますが、情報源でもあります。
あと、今の出版業界は利益なき繁忙だから、やっぱり新刊で出た時に見ておかないといけません。それと、すぐ絶版になる。絶版になってからは買うのに苦労するんですよ。昔は神田の古本街で土曜日の午後を潰して、本を探したこともあるんだけど、あれば良し。でも、無駄足も多く時間がかかるので、それよりは、今、出ていて、参考になるかもしれなそうな本をとりあえず買っておく方が、結果早いかなと思います。

――本を選ぶ際の基準はありますか?


長沢伸也氏: その絶版になるかもしれない本を色々買って、とりあえずさーっと見るんです。この本は僕の言ってることと同じことを別の面で言ってるなとか、意外なことを言ってるなとか。早い話が使えるか使えないかを探ります。正直言って使えない方が多いんだけど、やっぱり使える本もありますから。そういうのをチェックして、論文を書いたり講演したりする時に「早稲田の長沢がこう言ってる」ではだめでも、「コロンビア大学のバーンド・シュミットがこう言ってます」って言うと、マーケティングではハロー効果が効いて良いです。

電子書籍はほとんど利用せず、本で揃える


――発信者として、読者が電子書籍として読むということに対して、何か特別な思いというのはございますか?


長沢伸也氏: 読んでいただければ結構です。東洋経済の『ルイ・ヴィトンの法則-最強のブランド戦略』『シャネルの戦略-究極のラグジュアリーブランドに見る技術経営』が電子書籍になって電子出版の印税が入ってくるから、その時に「読んでる人がいるな」って思う、そんな程度です。

――ご自身では、電子書籍を利用されていますか?


長沢伸也氏: 利用していません。それは理由が2つあります。全てが電子書籍になれば、電子書籍を利用するのですが、今は、電子書籍もあるし物理的な紙媒体もある。だったらまだ本で揃えておいた方が良い、それが理由の1つです。ネットショッピングもそうですが、買うものが決まってる時は便利だけれど、「これは良さそうだ」という勘を働かせるのはネットでは無理です。また、本屋で探すと、今売れてる本や新しい本がすぐ一目で分かる、これもネットでは分かりません。

――電子書籍のメリットはなんだと思いますか?


長沢伸也氏: 印刷、製本費がかからず、流通も直販だろうから安いのはメリットですよね。また、絶版の心配がないっていうのも良いなと思います。

ヨーロッパのラグジュアリーブランドを成功モデルに


――今後の展望をお聞かせ下さい。


長沢伸也氏: 出版を約束しておきながら塩漬けになっている不良債権を早くやらなきゃと思っています(笑)。あとは、日本からラグジュアリー研究を発信できれば良いなと考えています。日本にラグジュアリーブランドとよべるものがあるかというと難しく、強いて言うなら、宝石のミキモトと、虎屋です。どちらもパリに店舗があります。これがラグジュアリーと言えるかな、というくらいで、他にはないんですよね。だけど、もともとはルイ・ヴィトンも、パリの街角にある老舗だった。1978年でたった35年前だけど、その時点でルイ・ヴィトンの店っていうのはパリ本店とニース、その2店舗しかなかったんです。でも78年に突如その2店舗に加えて東京に4店舗、大阪に2店舗の計6店舗出して、グローバル化が始まったんです。だから、日本がルイ・ヴィトンを発見して、ルイ・ヴィトンが日本を発見した。そのあと、シャネルが続き、80年代バブルとかもあってヨーロッパのラグジュアリーブランドが日本を足掛かりにグローバル化したわけです。だから、ラグジュアリーブランドは世界を目指しました。歴史と伝統で言えば、日本だって200年、300年。虎屋はもう500年。負けないどころかむしろ上回ってる会社が多いんです。あと、こだわりのものづくりっていう点でも引けを取らないので、ラグジュアリーの要素がすごくいっぱいあるんです。だけど、日本の老舗はどちらかと言うと潰れかかっているところが多く、ヨーロッパの老舗はラグジュアリーブランドで世界に飛躍して伸びています。

――ヨーロッパの老舗と日本の老舗の違いはなんでしょうか?


長沢伸也氏: 日本の老舗では、時代の流れに取り残されて売り上げが落ちることもありますが、ルイ・ヴィトンだって世界に出ていかなかったとしたら、同じ状況になっている可能性があったわけです。だからこそ、日本発のラグジュアリーを作りたい。或いは日本発のラグジュアリーの理論。ラグジュアリー戦略じゃなくて老舗戦略と言っても良いんだけど、それを確立したいっていうのが学問上あるし、それに見合った本も出していきたいなとは思っています。

――日本のものづくりに関しては、どのように考えてらっしゃいますか?


長沢伸也氏: 大きく言うと日本のものづくりを救いたいっていうのがあるんです。というのは、日本で作ると高い、すると中国へ、それも沿岸部じゃなくて奥地へ移転する。しかし、中国でも人件費は上昇するし日中関係も微妙なので、そうするとベトナムだ、ミャンマーだ、後はスリランカ、バングラデシュ、そのあとはもう北アフリカ、マダガスカル島。そこまで行ってしまったら行くところがない。これ、時間稼ぎだよね。確かに圧倒的な低コストで行く手はあるんだけど、それは日本企業に向かないですよね。潰れかかった中小企業とか地場産業、伝統産業は、技術がすごいってみんな自慢しているし、確かにすごいと僕も思います。技術はすごいのに売れないっていうのは、技術の問題ではなく、売る方の話、ブランドの話ですよね。やっぱり日本でものづくりをやっていくためには、圧倒的な専門性か圧倒的に強いブランドで行くしかないんです。今はまだ日本にラグジュアリーブランドと呼べるものがないから、ヨーロッパのラグジュアリーブランドを参考にして、その成功モデルを日本の地場伝統産業のみならず、日本の製造業に持ってくれば、まだまだいけると思う。

――例えば、どういったことでしょうか?


長沢伸也氏: 去年インドへ行ったんだけど、インドは経済発展がすごくて女性も働くから、30種類のスパイスを5時間も煮込んでカレーを作る余裕はない。日本のレトルト・カレーは高いけど美味しいと結構評判なんですよ。僕が子どもの頃、インド人もびっくりってターバン巻いた人が出る宣伝があったんだけど、まさにそれが起こってるわけです。或いは、台湾へ8月に行ったんだけど、日式緑茶というドリンクがあります。要するに日本式。台湾の緑茶は砂糖が入っているので、砂糖が入っていない分、日式緑茶の方が安いと思うのですが、日式緑茶っていうだけで高いんです。しかも、日本のあの「伊右衛門」とか「生茶」の直輸入ものはもっと高いんです。こんなに日本製は価値があるのになんで日本で作ることから逃げて、できもしないコスト競争に入っていくのかなと思うんです。

――いますべきはコスト競争ではないということですね。


長沢伸也氏: そう。だから、価値づくりでいかないといけません。高くても売れて、熱烈なファンがいる。残念ながら日本にはその参考になるものはないので、ヨーロッパのラグジュアリーブランドを参考にすべきです。責任者を務める早稲田大学ビジネススクールのラグジュアリーブランディング系モジュールでは、それを教育・研究しています。基本的には、僕は日本のものづくりを救いたい。地場産業、伝統産業を救いたい。それにはラグジュアリー戦略、もしくは老舗戦略が必要なんです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 長沢伸也

この著者のタグ: 『大学教授』 『ものづくり』 『原動力』 『ビジネス』 『研究』 『教育』

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