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世界中の本好きのために

高橋伸夫

Profile

1957年、北海道小樽市生まれ。小樽商科大学商学部卒業。筑波大学大学院社会工学研究科退学、学術博士(筑波大学)。東京大学教養学部助手、東北大学経済学部助教授、東京大学教養学部助教授などを経て現在、東京大学大学院経済学研究科教授。主な著書に、『ぬるま湯的経営の研究』(東洋経済新報社)、『組織の中の決定理論』(朝倉書店)、『できる社員は「やり過ごす」』(文藝春秋)、『日本企業の意思決定原理』(東京大学出版会)、『経営の再生』『鉄道経営と資金調達』『超企業・組織論』(有斐閣)、『虚妄の成果主義』(日経BP社)、『組織力』(ちくま新書)、『殻』(ミネルヴァ書房)などがある。

Book Information

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小さな仕事の積み重ねが、次につながる



高橋伸夫さんは、経営学者として、日本企業の組織、人事、賃金体系などの実態を分析する学術上の業績を重ねられ、また一般向けの書籍でも活躍されています。本、そして電子媒体に関するお考えを、東大教授として指導するゼミの講読、研究における電子ジャーナルや原書の探索、書籍の執筆や編集者さんのエピソードを踏まえ、お聞きしました。

ゼミはコミュニケーション重視


――大学でのお仕事についてお聞かせください。


高橋伸夫氏: 大学では、大教室の講義と、大学院の授業とゼミをおこなっています。東大の場合、ゼミは「2年継続にしてくれ」と指定することが可能ですので、2年継続のゼミの学生がいます。東大の経済学部は、社会に出たあとに同窓の連中に会うと「どこのゼミだった」と大体聞くんです。それがある意味アイデンティティになっているところがあります。

――ゼミの授業はどのように進めるのでしょうか?


高橋伸夫氏: 経済学のゼミは、だいたい輪読をやるもので、テキストを読むことがゼミでのメインの仕事となるのですが、私は、それはちょっと違うなと思っていて、基本的にはコミュニケーションをちゃんと取る授業にしようと思っています。ゼミ生も入る時にちゃんと面接をやって、面接にはゼミ生も参加させるスタイルに変えました。私も最初の頃は普通に輪読をやって、割と人気のあるゼミだったので、人もたくさん来たんです。何年か経った夏休みに入る前くらいに、私の隣に座っていた3年生が、同じ3年生のレポートを聞いている時に、「あいつの声を今日初めて聞いた」って言うんです。飲み会をしても参加しない人もいるし、ゼミ中に発言しない人もいる。これはまずいと思い、ゼミ中に最低1回発言しないと欠席扱いにすることに決めました。また、発言する時は、ただ自分が言いたいことを主張するんじゃなくて、前に発言した人の話を継いでいくやり方をしてくれと言っています。プレゼンも、表現の仕方1つで印象が全然変わりますから、それぞれの人が自分のレジュメのスタイルを作ってくれればいいなと思っています。毎週飲み会もありますが、私が一番出席率が高く、ゼミの時間より飲み会の方が長かったりします(笑)。

――コミュニケーションを重視することで、ゼミの雰囲気は変わりましたか?


高橋伸夫氏: ゼミでも「キャラが立つ」ことが結構重要なんです。キャラクターが分かると皆いじってくれて「君はこういう発言をするんじゃないの」といったフリがある(笑)。パーソナリティといったものが分かってくることで、雰囲気も変わってきます。

――コミュニケーション能力は就職でも重要になりますね。


高橋伸夫氏: 就職だけではなく、普通に生きていくのにも必要なので、どこかで身に付けなくてはいけません。東大生の場合、学力的に問題があることはほとんどないので、問題があるとするとコミュニケーション能力かなという気がします。コミュニケーションをとらなくてもいい職業もあるのでしょうが、学者でも、そんな人はめったにいません。

学生のディスカッションで新たな発見


――ゼミではどのような本を読み進めていくのでしょうか?


高橋伸夫氏: 前期はこれから出る本、後期は古典という風に大体決めています。これから出る本というのは、私が編集している新世社の『ライブラリ経営学コア・テキスト』シリーズの本の原稿で、私が書いた本もありますが、今は若手の研究者が書いた本の原稿が中心です。編集する前の段階の原稿を学生に読ませると、「この用語の使い方がおかしい」「この図はおかしい」などと指摘してくることもあります。その意見をメモして、私の意見も足した上で、書いた本人にコメントとしてまとめて送ると皆だいたいショックを受けます。



古典は原語で読むこともありますが、英語で読むと英文解釈の時間になってしまうので、学生には、翻訳されたものでいいから読んでおいてくれということにしています。古典の良いところは、経営のゼミにいた人ですと、誰でも名前くらいは聞いたことがある本なので、同窓会などでOBやOGに会った時も、会話が成立するということです。有名だけど1人で読んでみようと思えないような本をわざとピックアップして、10人から20人くらいで読んで、ゼミの半分くらいの時間をディスカッションにあてています。

――学生のディスカッションで、ご自身も新たな発見をされることがありますか?


高橋伸夫氏: 意外な発見がありますね。学生の話を聞いていると、「今まですごく難しく考えていたけど、意外と簡単なことなのかもしれない」と思うことがあったり、最後の落としどころまで聞いて、「ひょっとすると、本当にこの本はそういう意味で書いていたのかもしれない」と思ったりすることもあります。
私のゼミは1学年10人。2学年20人で議論して、司会が取り仕切ったりもしますが、それなりにトレーニングになっているところがあって、終わった後に学生が「今日は盛り上がらなかった」と反省もしています。内容の説明が上手くいったかどうかというのはもちろんありますが、それ以前の問題という場合もあって、本の内容とは別のところでも面白いなと思うことがあります。


受験勉強から、好きなことだけ学べる勉強へ


――北海道のご出身で、小樽商科大学を出られていますね。


高橋伸夫氏: 私は大学入試までは理系でした。田舎に住んでいたので東京に出たくて、それを実現するのに一番良い方法は、東京の良い大学に合格することでした。当時は物理学者になりたかったこともあって東大の理Ⅰを受けたのですが、2次試験が終わり、帰り際に門の所で模範解答をもらった時に、最初の簡単な小問を間違えていたことが分かりました。「これは才能がないな」と思い、案の定、入試に落ちたので、小樽商大に行くことになりました。

――大学時代はどのような生活でしたか?


高橋伸夫氏: 入学当初は商社マンになろうと思っていましたが、授業はあまり出ていませんでした。グリークラブという男声合唱団に入っていましたが、それもそんなに一生懸命やるわけでもなく、学校ではただ話してるだけという生活をしていました。語学の授業も含めて1ヶ月に2つしか授業に出なかったという記録まであり、先生の顔もよく分からないような状態でした。

――大学院に進まれることを決めたのは、どういうきっかけですか?


高橋伸夫氏: 3年からゼミが始まるのですが、その直前に、図書館で世界銀行などの募集要項を見たところ、修士号が必要と書いてあったので「これからの時代は修士号が要るのか」と思い、ゼミの面接の時に「君は何がしたいんだ」と先生に聞かれ、「これからの時代は修士号くらいは要るんじゃないかなと思う」という話をしました。ゼミに入ってすぐ「お前は学者志望なんだろ」と教授に言われてしまい、勉強しなきゃいけない雰囲気になったので、あまり気が進まないまま始めましたが、実際に勉強をしてみると本当に面白かったのです。高校までの勉強は受験のために不得意科目を潰す勉強の仕方で、どちらかというと得意なものより不得意なものに時間を使っている。でも大学の勉強は、好きなことだけ勉強していればいいということに気付きました。

――筑波大学の大学院ではどのような勉強をされましたか?


高橋伸夫氏: 筑波大では社会工学研究科に入りましたが、理系の頃に戻ったように、数学ばかりの生活が待っていました。経営学でも数理系アプローチが専門になりました。修士論文は、はじめは日本語で書いていたのですが、提出した途端、英語に直しなさいと言われ、言われるままに英語に直して、国内の英文のジャーナルに投稿して掲載してもらいました。これが最初の論文です。ただし、日本の経営系の学会で発表しても、数理系の内容なので、壇上でコメンテーターの大家の先生と生意気にもやりあったり、日本語で書いた論文が国内誌からリジェクトされたりと散々でした。それで、指導教官から英語で書いた方がいいと言われました。こうして英語で論文を書くようになり、悪戦苦闘して何本も英語で書いて投稿し、海外のジャーナルにも何本か載り始めました。なので、博論も英語で書きました。最初の本も英文で、シュプリンガーという出版社から出しました。

「引用される」英文ジャーナルを目指す



高橋伸夫氏: 一念発起して、我々が出しているABASという英文のジャーナルをリニューアルして、年間25本ほど論文を出すことにしました。今までは10年間で40本ぐらいしか出なかったんですけども、電子ジャーナルで世界中の人が読めるし、実績さえ積めば、例えばトムソン・ロイターがやっているWeb of Scienceのデータベースに載る可能性がありますので。去年は、結局24本。ほぼ目標通り出して、今年は前倒しで25本を出し終わっています。

――WEBによって、研究論文のあり方は変わっていますか?


高橋伸夫氏: 学問の世界だと、本と論文はかなり違っていて、昔は私も学術書志向で書いていたのですが、基本的に学会自体がジャーナルの論文を引用するパターンがメインになっていると感じています。今ジャーナルは、サイテーションインデックス(引用索引)で、どのくらい引用されたかということを調べ、ジャーナルの売り込みのために使っています。「このジャーナルには価値がありますよ」と出版社側が言うための、格付け用なんです。だからジャーナルの評価項目の中にインパクトファクター(雑誌の影響度を測る指標)もあれば、掲載論文数みたいなものもあるし、全部ミックスしてランキングをつけるわけです。そこに私は可能性を見出したのです。

――どのような編集方針を立てられたのでしょうか?


高橋伸夫氏: 今までは「これが一流誌」というのが決まっていて、私もそういったところを狙って出していましたが、時代は変わりつつあります。例えば、海外の一流誌はインパクトファクターが高いから、ぜひうちのジャーナルを買ってください、投稿してくださいと言うわけです。だから「研究者が面白いと思って引用してくれるものを出しましょう」という方針を打ち出しました。権威づけのためにどうしなくてはならない、ということは取っ払って、他の研究者が引用したくなるような論文を載せる。「あまり長いのは読みたくないだろうから短くしよう」といったように、「引用されるジャーナル」にしたいと思っています。サイテーションさえ取れれば、ランキングも上がっていく可能性があるので、「価値がある」と思い直して編集しています。

――日本人の研究者が英語の論文を書く際、どのような問題がありますか?


高橋伸夫氏: 英語で書いた論文で、普通に読んで意味が分からない時は、理由が2つあります。英語が下手だという理由と、もう1つは内容が論理的ではないという理由です。内容が論理的じゃないと、そもそも日本語でも分からないわけです。英語にする前に日本語でチェックしないと、上手くいかない。翻訳する人もあまり分からずに訳していますから。日本語の段階で論理構造だけをきちんとしてもらって、それから英語に直すというプロセスに私は変えました。



私が執筆者に対して思っているのは、日本の会社の事例は素直な英文にはならないし、日本的なコンセプトがきれいな英語になるわけがないということです。ネイティブが首をかしげても、その言葉をそういう意味で使っている、ということさえ分かってもらえればいい。翻訳した後で、英文校閲も付くので、英文校閲で直されてきても、「私は、この単語を使いたいんだ」と戦えばいい。ネイティブの人が書く英語の論文じゃなくて、日本人が書く英語の論文だからこそ、英語にそういうザラツキ感もあってしかるべきです。そういった英文ジャーナルABASを去年の暮れからニューバージョンで出し始めました。今、年間掲載論文数だけでいうと、国内で出している経営関係の英文誌で一番多いのではないでしょうか。

電子の利便性で失われる本との出会い


――ジャーナルと電子書籍は親和性が高いのではないでしょうか?


高橋伸夫氏: そうですね。ジャーナルは、電子書籍化しやすいんです。なぜかというと、ジャーナルは昔から、皆がコピーして読んでいて、今はそれをPDFで読んでるだけで、全く同じなんです。そもそも製本状態で読んでいない。元のジャーナルはもちろんありますが、そこに書き込みしたりはしないで、必ずコピーをとる習慣があるので、電子書籍化が自然なんです。本はジャーナルとは少し違って、コピーしながら読む人はまずいなくて、書き込みしながら読むというパターンが普通です。Eジャーナルは、学者の行動パターンとマッチしています。

――電子化には、デメリットもあるのでしょうか?


高橋伸夫氏: 弱点があるとするならば、論文が冊子で手に取られることがなく、単体で売られてしまうという点です。例えば、私が1日中駆けずり回って探した、1936年に出た、ライトという人が書いている有名な学習曲線の論文があります。航空工学のジャーナルに載っている論文で、図書館で調べたら、東大にあるというので、そこで1936年の冊子を見つけたのですが、感激したのは、その同じ号に載っていた当時の東大教授が書いた論文でした。ゼロ戦などを作る前なんですが、当時の日本の航空工学はこれほど世界レベルだったのかと感心しました。電子化すると検索して見つけてしまえばそれでおしまいですから、そういうことがなくなってしまう。必要な情報は何も失われてないけど、付帯情報といったものが失われる。そこがちょっと難点です。

――冊子として発刊された歴史自体が、情報なのですね。


高橋伸夫氏: 私は自腹で買う本代がものすごいので、本だけは道楽だと思うこともあります。洋古書は、本当に熱中して注文する時があって、リアルな古本屋にも掘り出し物はあるんですが、時間が掛かるのでほとんどネットです。特に、紀伊国屋の洋古書のウェブサイトはすごい。例えばノーベル経済学賞ももらっているSimonの『Administrative Behavior』という本。日本語の題が『経営行動』っていう有名な本ですが、奥付には初版1947年版の前に、1945年版があると書いてあります。本の中には準備版があると書いてあるが、それが45年版だとはどこにも書いていない。第2版は1957年なので、紀伊国屋のネットの洋古書コーナーで2000円くらいで1950年に出版されたものを買ってみると、なんとカバーのバックフラップに45年版が準備版だと書いてある。図書館の蔵書はカバーを捨ててしまうので、そういった情報が残らない。
アメリカの大学は、古い本は全部放出してしまう。アメリカの図書館の放出本もたくさんあって、昔は手に入らなかった本がどんどんネットで売りに出ています。私も見たことがない本が出ていて、「こんなものまで放出しちゃっていいの」というようなものがたくさんあります。紀伊国屋の洋古書はすごいと思います。どういう履歴で回って来たんだろうと想像する面白さもあります。

――WEBによって新たに本との出会う機会ができたのですね。


高橋伸夫氏: 一昔前だと、図書館になければ、もうどこにも見つかりませんでした。でも今ではインターネットで丹念に探すとヒットすることがあり、そのままダウンロードできるものもあります。最近、ある本の翻訳をやり始めたのですが、参考文献が900本くらい載っている。気になったのでインターネットで検索すると、題名から人名まで間違いだらけだと分かってしまう。論文自体もまた、Eジャーナルで取得できて、さらに引用内容の間違いまで分かるので、ある意味怖い時代になっています。

『殻』執筆で叶った、かねての念願



高橋伸夫氏:殻: 脱じり貧の経営』で「殻」というのはウェーバーに由来するのですが、もともと、私はウェーバーをあまりよく理解できていませんでした。折原浩先生というウェーバー学の大家がいらっしゃいまして、私が助手の時に教授をされていた方で、ちくま新書の『ダメになる会社』でウェーバーのことをちょっとだけ書いたので、恐る恐る折原先生に1冊献本いたしました。案の定、先生から分厚い封書が届いて、それからウェーバーの勉強が始まりました。それが『殻』につながったのです。

――『殻』はタイトルも独特ですね。


高橋伸夫氏: 『殻』はかなりこだわりました。私は30冊近く本を出していますが、本のタイトルは、自分の希望が通ったことはほぼありません。以前からタイトルが1文字の本を出してみたかったんですが、最初に別の出版社に、『殻』っていう1文字のタイトルにするのが唯一の希望だと言うと、「絶対にダメ」と、却下されてしまいました。その後ミネルヴァの人がやってきて、「何か出しませんか」と言うので、タイトルは1文字という条件を出してみました。ミネルヴァは、学術書中心の会社なので、ちょっと合わないかもしれないと思いましたが、なんとか出してくれることになって、念願かなって1文字のタイトルになりました。サブタイトルの「脱じり貧の経営」も、最初は「じり貧の経営学」だったんです。「それだと経営学がじり貧みたいだ」と編集者に言われてしまい、「脱」をつけることになりました(笑)。私としては、どうしたらじり貧になっていくかということを書きたかったので、「脱」の一文字が加わって、ちょっとハードルが上がってしまいました。



研究者も「納期」を守らなくてはならない


――書籍の編集にも多く携わられていますが、どのようなことにこだわりがありますか?


高橋伸夫氏:超企業・組織論』という有斐閣の本を編集しました。書いている人はその当時、皆大学院生で、その後、みんな東大や京大や有名な大学の先生になったので、今見るとすごい執筆陣なのですが、私はこの本は徹底的に編集して、脚注の行数まで全部そろえました。普通出版社は、脚注を嫌がります。でも、皆さんそうだと思いますが、後ろに注を載せたら絶対読まないのです。結構重要なことが書いてあるのに、皆読まないので、脚注にしたいと主張しました。それでも難色を示されるので、「原稿の段階からきちんとそろえて出しますから」と言うと、やっと出版社側が折れてくれました。

――著者が多いと、とりまとめるのも大変ではないですか?


高橋伸夫氏: みんなでやる時は締め切りが必要です。こういう本を編集する時は遅れたらボツです。とにかく締め切りに間に合わなければ、ないものとして処理すると最初に宣言します。何人かで書いている時は、1人の原稿がこないと進まなくなってしまう。だから、締め切りに間に合わなかった場合は、その章などをないものとして本を出すと言っています。出版社側も、締め切りを守らない人の悪い評判は共有されているようで、企画段階で、分担執筆者の名前をあげると、出版社が「この人はダメです」と露骨に言うこともあります。学界みたいな世界で生きていくんだったら、納期は守らないとリピート受注ができません。

――若い研究者へ伝えていきたいことはありますか?


高橋伸夫氏: 私は、実を言うと、これだってテーマを決めてやったことがあんまりないんです。最初に出したシュプリンガーの本は、博論が元になっているのである意味自律的ですが、それぐらいでしょうか。『ぬるま湯的経営の研究』では、研究会に出ていた時、会社の人から「うちの会社は、ぬるま湯的体質が問題なんだよ」と言われて、私は当時助手か何かで「いや、そんな研究はない。英語でなんて言うか分かんないでしょ。日本の経営学は輸入学問だから、日本発のものなんてない」と言ったら、「そんなことでいいのか」と言われたんです。それで研究を始めたのがそもそものきっかけでした。昔、NTTの調査もやって本になっていますが、あれも元々は東北大に助教授で移った時に、着任前から研究チームで割り当てが決まっていて、仕方なく調査したものです。『鉄道経営と資金調達』の本は、あまりにもテーマが離れているので、ほとんどの人が、私ではない同姓同名の「高橋伸夫」という別人が書いたと思っているんです。でも、最初はあまりやりたいと思って始めていなくても、やっているうちに面白くなるということもあるので、色々なことをやった方がいいと私は思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 高橋伸夫

この著者のタグ: 『コミュニケーション』 『アドバイス』 『経営』 『研究』 『研究者』

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