BOOKSCAN(ブックスキャン) 本・蔵書電子書籍化サービス - 大和印刷

世界中の本好きのために

久恒啓一

Profile

1950年、大分県中津市生まれ。九州大学法学部を卒業後、日本航空株式会社入社。ロンドン空港支店、客室本部労務担当等を経て、本社広報課長、サービス委員会事務局次長を歴任。ビジネスマン時代から「知的生産の技術」研究会(現在はNPO法人)に所属し著作活動も展開。日本航空を早期退職し、1997年4月新設の宮城大学教授に就任。2008年度、多摩大学経営情報学部教授。2012年度より経営情報学部長。主な著書に『図で考える人は仕事ができる』(日本経済新聞出版社)、『遅咲き偉人伝』『30代からの人生戦略は「図」で考える!』(PHP研究所)など。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

知的な武器を持てば、世界を関連付けられる



久恒啓一さんは、あらゆる事象を「図解」することで理解を深め、コミュニケーションの形を変革することを提唱されています。100冊以上の著作を持つ作家、また教育者として論を展開しています。また、全国の「人物記念館」を旅し、偉人を通して歴史を考察する「真・日本人紀行」の活動でも著名です。久恒さんに、図解コミュニケーションと人物考察によって目指すもの、また、ネットを駆使した言論活動を行う立場から、電子メディアの可能性などについてお聞きしました。

偉人の足跡をたどり、大学教育に活かす


――多岐にわたる活動を展開されていますが、近況をお聞かせください。


久恒啓一氏: 私はいつも、「2本足」で歩こうとしています。会社勤めをしていた時は、自分の仕事、プラス知的生産の技術研究会でやっていました。知研でやっていたことが次第にふくらんできたので、今は大学の先生になっています。
多摩大学では、以前に務めていた民間企業での経験からマネジメントができるということで、教授になってから4年間、学長の寺島実郎さんと大学の戦略を立てる仕事をして、入試やカリキュラム、就職に関しても、ここ数年の間に変えていきました。今は学部長になったので、それを推進する立場となりました。学校の仕事だけをやっていればいいのかもしれませんが、最近では地域の問題についても考え始めて、今は地域の活性化に関することもやっています。

――「知的生産の技術研究会」は、梅棹忠夫先生の思想に関する研究会ですね。


久恒啓一氏: 梅棹忠夫先生の『知的生産の技術』を大学時代に読みました。梅棹先生には、『文明の生態史観』という名著があります。「旧大陸の世界では中国とロシアとインドとイスラムには砂漠があった。砂漠では強大な暴力が発生するから、これらの国々に関しては大帝国を形成するけれども成熟しない。でもその暴力から逃れたところが2つあって、1つは西ヨーロッパ、もう1つは日本。この2つの地域は内的成熟を果たしてきているので、あまり違和感がないのだ」という内容。大学卒業の時に、それを確かめる旅をしようと思って、40カ国ほど旅をしました。そして今、日本を知るための旅ということで、人物記念館を回っているのです。それがあまりに面白いので、2005年から始めて今は9年目、累計で500館を越えてきています。

――そうすると日本の500人を超える偉人の生涯をたどったということになりますね。


久恒啓一氏: 偉い人の跡を訪ねる聖地巡礼です。何においても100を超えると卒業というか、ある一定のレベルを超えてくるといいます。確かに、山も100登るとあるレベルを超える、新聞記事も100テーマで集めると本が書ける、といった風に、100を超えるとなんだか抜けた感じがします。偉人の言葉も集めていて、それが1000以上溜まっているので、それをまた本にしていきたい。地道な仕事なのですが面白いので、これをずっと続けるにはどうしたら良いかと考えて、大学の授業の中に組み込んで、自分が絶対に逃げられないという状態にしました。だから、春は図解の授業、秋は人物の授業をしています。旅行する度に、授業では毎回新しいことを伝えています。

――特に印象に残っている偉人を挙げると、どなたでしょう?


久恒啓一氏: 「誰が一番偉いのか」。結論から言うと、福沢諭吉だと私は思うのです。人間の偉さとは何か?と考えた結果、それは「影響力」なのではないかというのが私の考えです。自分の周辺に、深く、広く、しかも長く影響を与える。この縦横高さの総量が偉さの定義です。長さには生きている間の偉さと死んだ後の偉さがあります。福沢諭吉は慶應を作って、彼の影響力は死後も続いたので、影響力の総量では、日本近代で一番多いと思います。もう1人挙げるとすれば、渋沢栄一。彼は500社もの会社を作って、日本の会社のほとんどが、その渋沢の影響下にあるといって過言ではないほどの人物です。

――日本中を訪ねて回る、そのバイタリティはどこからくるのでしょうか?


久恒啓一氏: それは面白いからということにつきますね。福沢諭吉などは、年代的に私の母の祖父にあたる感じです。そう考えると身近に感じてきますよね。それに近代の日本人は偉い人だらけですので、このことは世の中に広く伝えていく必要があります。この旅のことを私は「真・日本人紀行」といっています。

あらゆるものは図解できる


――多種多様な分野で、図解を駆使した解説をされていますね。


久恒啓一氏: あらゆるものを図にするということは、新しい創造のようなところがあります。図解は究極の要約です。例えば、吉田松陰は多くの本を読んだ人ですが、彼は「読んだ本を必ず要約する」という方法で学び、それから本同士の関係を考える、という方法で勉強をしていたそうです。この本とこの本の関係はこうだ、と考えていけばどんどん世界は変わります。これこそが勉強の最も正しいやり方だと私は思っています。歴史の教科書は文章で書いてあるだけで、年号を覚えたとしても、関係が分からないから理解できないのです。でも、図解すればなんでも分かりやすくなります。漫画家なら、手塚治虫は『ファウスト』などで世界の古典を漫画にしましたし、石ノ森章太郎も『マンガ日本経済入門』『マンガ世界経済入門』などを描いていて、彼らの教養がものすごく深いのがわかる。北条正子や三国志の登場人物、あるいはギリシャ神話の神々を作ったりする人形師も、ある表現手段を手に入れたことで、世界を読み解くことができるかもしれない。同じように、私も図解という方法を用いて『図解でわかる! 難解な世界の名著のなかみ』を書きました。

――専門家が書くよりも一般の人によく伝わるということもありますね。


久恒啓一氏: 私は10年以上前に、日本の経済白書を図解して解説する仕事をしたことがあります。専門家が専門用語を使って解説するだけでは、一般の人に経済の文章を理解させることはできないのです。経済雑誌も、サラリーマンは読んでもよく分からない。経済雑誌から頼まれて、図解で白書を解説しました。1番目が私で、2番目が堺屋太一経企庁長官、3番目が竹中平蔵慶応大教授といった順番になっていました。専門以外は概略が分かればよろしい、という考え方だから、詳しく突っ込むのはそれぞれの専門家にまかせてしまえばいいのです。

「図解」は考え方のOSである


――図解は、様々な職業の研修にも使われているとお聞きしました。


久恒啓一氏: JICA(国際協力機構)で海外に派遣される専門家の研修を行ってきました。「あなたのミッションを図解して下さい」というと、最初は書けないのですが、図解しようとする、その過程で自分の仕事が明確になってくるのです。最近、「日本は途上国が税関を作るためにODAで協力しているが、税関のことが上手く説明できない」という話を財務省の方から聞きました。そこで私が行き、先生たちに税関が何をやっているかということを、図解するように教えます。つまり、図解が国際協力になっているわけで、なにも、英語がペラペラになるまで訓練する必要はないんです。

――図解することそのものが言語になっているということですね。


久恒啓一氏: グローバルな人材を育てなくてはならないとよくいいますが、どうすれば育てられるかという点に関しては、解決策としては、英語をもっとやれということくらいで、そのほかには確固たる解答がありません。日本能率協会マネジメントセンターから「グローバル人材についての通信教育を手伝ってほしい」と言われた時に、私はグローバル人材に必要なことを3つ挙げました。1つは、今はアジアの時代だという視点です。日本の貿易相手国は中国が2割位、香港、台湾、シンガポールが3割位といった具合に、5割をアジアが占めています。アメリカに関しては1割強で、2007年の段階で中国に抜かれている。だからこそアジア、ユーラシアダイナミズムを中心とした深い視界が必要です。2番目は、英語だけではなく図解という国際言語を使うべきであるということ。図解は日本が開発した新しい国際言語なのです。3番目が、グローバルリーダーになるためには真の日本人にならなければだめだということです。日本人らしい日本人としての成熟がなければ、皆が言うことを聞きませんので、後藤新平や新渡戸稲造、福沢諭吉らのことをよく勉強すべきだと私は思います。切磋琢磨すること、志、そして怒とうの仕事量、文武両道。今後、日本型グローバルリーダーの条件というテーマで本にしようと思っています。



――今、図解の技術が最も必要と思われるのは、どういった業界ですか?


久恒啓一氏: 教育界です。教育委員会、教育センターなどによく呼ばれるのですが、それは先生に教えるためなのです。先生たちは文章で勉強しているから、言葉を覚えていても、言葉同士の関係を理解していない。だから、図解できないのです。自分たちが考える力がないのに、学生が教えられるはずがないのです。図解はOSです。新しいOSを入れるとアプリケーションも変わりますよね。

30歳からの地道な自分作り


――久恒さんが図解と出会われたきっかけを教えてください。


久恒啓一氏: 学生時代にものがしゃべれなくなったという経験があります。本ばかりを読んでいて、本の内容に関してしゃべっても、もちろん自信につながるわけでもなく、ある時、「それはお前の意見か?」と言われました。その後、1年間ものを言えずに過ごしたのです。
就職はあまりしたくなかったのですが、大学に残ってもやることもなくJALに入りました。でも、入社した頃は誤字脱字、計算間違いなども多く、自分の考えがないという状態でした。当時は「自分は路傍の石だ。仕事もできないし、もうだめだ」と思っていたんですが、30歳の時から、地道に努力していくしかないということで仕事を一生懸命やり始めたら、少しずつ運が向いてきたのです。そして、仕事の中で苦しみながら、図を使ってやったら上手く行ったことがありました。私は30代半ば位に、図を発見したことになりますが、秀才は皆、図に弱いんです。それが私の新しい武器、バズーカ砲のような強力な武器になり、仕事ができるようになって、次第に良いポストをもらえるようになりました。

――30才くらいで自分の将来に迷いがある人も多いと思いますが、アドバイスされるとしたらどのようなことを言われますか?


久恒啓一氏: 若い人は早く世に出ようとしてあせっている人が多いようですが、人間は成熟していくものです。早熟はだめというか、若い時に世に出た人は後で倒れています。ただし、仕事を選んじゃいけない。よく「自分に向いた仕事がやりたい」などと言いますが、そんなのあるはずがないし、「自分探し」という言葉もありますが、探して見つかるものではない。だから、「自分」を一歩一歩やるしかない。30歳で1回絶望して、その段階から一歩一歩踏みしめて、10年経てばものすごいものになる。嫌な仕事はあるけれど、それをやることが重要なのです。やっているうちに、だんだんと人がミスするところが分かるようになる。それも、全部自分で経験して苦しんだからこそ、身にしみているからわかるのですが、秀才は経験してないから分からない。凡人は凡人なりに「凡人を極めていこう」というスタイルが良いのではないでしょうか。

WEB時代は「自分史」の時代


――WEBサイトをはじめ、ネットメディアを活用し言論活動をされていますね。


久恒啓一氏: 本を読んで、いいなと思ったら、ブログに書いています。本を読むだけではだめで、ブログに書くといった表現をするとか、図解にすることで自分の中に定着します。そういうことをしない限り、読んだだけで終わってしまう。ブログは2002年の9月に書き始めて、もうすぐ10年です。私は、2万3000日位生きていますが、その内3000日書いている。ずっと書き続けると、4万日中で1万日位にはなるかもしれませんね。私のメルマガは900号になっていて、タイトルが昔は『ビジネスマン教授日記』だったのですが、それを変えて、『久恒啓一の学びの軌跡』にしました。私が何を学んだかということを書いているのですが、これは自分の人生をグリップできるかどうかってことなのであって、自分にとっても精神衛生上良いんです。
今はブログやツイッターに書けるので、良い時代だと思います。江戸東京博物館で自分史フェスティバルがあった時に基調講演をしたのですが、「自分史を書くということは、生き方の改善運動になる」といった内容を話しました。私がやっていることも自分史を積み重ねているようなものです。音楽や絵、あるいは映像でも、IT時代においてはそういうことが容易にできるのです。高齢者については、ITの入り口さえ突破できれば、内容はご自分の中にあるから自分史が書けるはずです。若い人は、自分史のようなものを書いている人もいますが、内容が薄いというか、内容の豊かさが全く違います。

――ITについては、もともと興味を持たれていたのでしょうか?


久恒啓一氏: もともとネットは苦手でした。本についても同じように思っていますが、ITに関しても、良いもの、新しいものを知るためには、目利きの友人を持たなければいけません。同世代の人のほうが趣味が合うのは確かですが、若い人からどういう情報を受け取るかということも重要です。例えば27才のイケダハヤトさんは学生が紹介してくれて、面白いなと思って、彼のブログを読んでウェブの世界のことを色々と知りました。また、データセクションという会社を立ち上げた橋本大也さんとも会って「本物だ」と感じたので、彼のブログで薦めている本を買っています。こういったように、年齢の離れた人とどうやって付き合うかということが非常に重要なのです。偉い人がだめになってしまうのは、面白い若者がいても秘書が無視してしまい、新しい業界のことがどんどん分からなくなってしまうからだと私は思っています。

自分自身の編集者、プロデューサーに


――電子書籍が登場していますが、どのようにお感じになっていますか?


久恒啓一氏: 電子化の時代は、図をもっと活用した方が良いと思います。文章をこんなにたくさん書く必要があるのか、ということも考えなければならない。ポイントは、自分の考えを世の中に広めることが重要であって、書くことが重要なのではないということです。自分にしか書けないものは自分でやるけれど、それ以外はライターと組んでやってもいいし、レベルにもあまりこだわりません。

――すでに電子書籍も何冊かお出しになっていますね。


久恒啓一氏: 電子書籍も良い、悪いじゃなくてそういう流れだからやってみようと思いました。新しい人と仕事をすることは面白いです。本を100冊以上書いていると、編集者も年をとるし、いつの間にかいなくなってしまうこともあります。こうやって話をすることで、ブックスキャンだったらブックスキャンはどういうことをやっているのか、ということを覚えられる。そういうことが、私の情報になっていくので、非常に良いというわけです。

――電子書籍の登場で編集者に求められるものも変わってくると思いますか?


久恒啓一氏: 従来の編集者は皆、電子書籍データをどう扱うかで困っています。ほとんどの会社がIT化に遅れて、編集者が使いものにならなくなってきているのか、出版社から編集者の育て方について相談を受けることがあります。その話をうけて、「編集者をIT化するのは時間がかかり過ぎるからやめなさい。それよりも技術者はIT環境を全部分かっているので、技術者に編集技術を覚えさせて編集者にした方が早い」ということを私は提案しています。
私は、自分の著書をすべて自炊したのですが、それを組み合わせて、検索すると自分のキーワードが出てきます。それを見ながら考えれば、また新しい本ができあがっていく。私の持っている資源を組み直すことで、自分自身の編集者、プロデューサーをしているような感じです。電子化にはいろいろな議論がありますが、新しいことだから、色々やっているうちに失敗もあると思いますが、それも経験になって、新しいものが出てくるのだと思います。

――最後に、今後の展望などをお聞かせください。


久恒啓一氏: 常に仕事をし続けなければ、仕事ができません。休んではだめですね。本を作ったり、常にプロジェクトをやったりしていると、また違う課題が出てくるといったように、何かをすることで新しい地平が見えてくるから、次の仕事が見えてくる。その点に関しては迷いがないのですが、今までは色々なことに取り組み続け、その結果仕事がどんどん増えたので、これからは少し選んで、本当に良い本を出していきたいと思っています。
今は、外務省の人に日本の勤勉な教育を推進したらどうかということを言っています。中国、韓国、台湾などアジアでは、私の翻訳がもう20冊位出ていますが、日本人とは何かということをアジア各国で講演して回る可能性もあるのではないかと思っています。よく「日本の良さを伝える」といいますが、その時に何を伝えるかというと、「文化」も良いけど、やはり「生き方」なのではないかと私は思っています。だから日本人としての生き方を抽出して、日本人を覚醒させるのと同時に、それを輸出するということもあり得るのではないかと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 久恒啓一

この著者のタグ: 『大学教授』 『コミュニケーション』 『研究』 『教育』 『偉人』 『図解』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
ページトップに戻る