BOOKSCAN(ブックスキャン) 本・蔵書電子書籍化サービス - 大和印刷

世界中の本好きのために

鈴木亘

Profile

1970年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学経済学部卒業後、日本銀行入行。退職後、大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了、2001年経済学博士号取得。大阪大学社会経済研究所助手、社団法人日本経済研究センター副主任研究員、大阪大学助教授、東京学芸大学准教授などを経て、現職。専門は社会保障論、医療経済学、福祉経済学。主な著書に『だまされないための年金・医療・介護入門』(東洋経済新報社、第9回・日経BP・Biz Tech図書賞)、『生活保護の経済分析』(東京大学出版会、第51回・日経・経済図書文化賞)、『年金問題は解決できる! 積立方式移行による抜本改革』(日本経済新聞出版社)などがある。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

両親の教え「人のためになる仕事を」



鈴木亘氏: よく言われる例えですが、生活保護の分野だと、例えば法律や社会学、あるいは福祉学でも、「お腹が空いた人がいたら魚をあげよう」というスタンスなんです。ところが、魚をあげると、もっと欲しいと言って自立できなくなってしまう。では経済学はどうアプローチするかというと、「魚をあげ続けるのではなく、魚の取り方を教えてあげる」という方法をとるのです。常識とはちょっと違うし、他の学者からは「愛がない」などと言われることもあります。しかし、そのシチュエーションで何が起きているかを冷静に理解しないと、結局助けられないのです。助けるための方法を科学的に分析するために、数学や統計学を駆使する学問で、理科系に近いところもありますが、高校生の時、そこに私はピンときたんです。

――世の中のために、という価値観がなぜ強かったのだと思われますか?


鈴木亘氏: 私の親たちが、昭和1桁の全共闘の世代だったということです。その世代は、「世のため、人のため」という価値観が強くて、政治も大好きで、テレビを観ながら「バカヤロー」などと言っている。そういった人たちから「仕事をするのであれば、人のためになりなさい」と聞かされて育ってきたのが、世の中のためにといった価値観につながったのかもしれません。親たちから薦められて読んだのは、司馬遼太郎などの歴史小説が多いんですが、幕末の時代の「自分が殺されても日本を変えなきゃいかん」といった信念に影響されたのだと思います。今から考えてみると、経済を選んだのも、中学校時代に寝る間も惜しんで読んでいた司馬遼太郎の影響なのかもしれません。坂本龍馬は、利害が対立している薩長や、幕府でも、経済によってつなげる。損得を考えれば、反対する思想の人でも手を結べる。でも、そういったことが実は世の中を動かしたのだ、という発想なのです。『坂の上の雲』などもそういったところがあるし、『菜の花の沖』という高田屋嘉兵衛の話もまさにそういう内容です。後年、司馬遼太郎の講演をCDで聞いて、彼は経済観念の強い人だと改めて思いました。司馬さんは江戸時代の流通経済のようなものが、合理的な精神を生んだということをはっきり語っていて、それはまさに経済学者の発想なのです。



「やっと経済学が勉強できる」


――上智大学に進学されたのはどういった理由からでしょうか?


鈴木亘氏: 経済学の良い先生はどこにいるかを調べると、岩田規久男先生という、今は日銀の副総裁をやっている先生が上智にいる、ということが分かりました。彼の本も何冊か読んでいたので、岩田先生を目指して上智に入ったという感じです。岩田規久男先生は最終的には学習院に移られて、私を学習院に呼んでくれた、ということでもつながりが深いです。八代尚宏先生がゼミの先生で、私は八代先生がOECDから帰ってきて最初の学生でした。この2人から受けた影響は、かなり大きいと思います。

――大学時代は勉強に専念するといった感じでしたか?


鈴木亘氏: もう「ホットスタート」といった感じでした。大学に入ると力尽きてしまう人もいますが、私の場合は「経済学をやろう」とずっと思っていたので、くだらない受験勉強が終わって、「やっと経済学が勉強できる」という感じでした。上智は教養と専門と分かれていないので、1、2年で経済学の全教科を取って、3年でやることがなくなったので、大学院の授業に出ていました。
私にとって大きかった出来事は、八代先生が当時は日本経済研究センターの主任研究員をしていたときに、私を手伝いに呼んでくださったことでした。日経センターというのはシンクタンクの中でも老舗で、色々な大学の先生が労働問題や都市問題など、様々なプロジェクトをやっていたので、私としては「日経センター大学」に通っていたようなものでした。大学時代から本も書けて、すごくラッキーでした。

――大学卒業後日本銀行に入られますが、それはどういった理由からでしたか?


鈴木亘氏: 岩田先生が、その頃に日銀と「マネーサプライ論争」と呼ばれる『東洋経済』や『エコノミスト』で論争していたのを見ていたので「俺が日銀を変えてやろう」と思ったんです。私が上智に入学したのは90年で、バブルの崩壊した年ですが、まだその残り香もあって、「またバブルが来るんじゃないか」といったなんとなく明るい時代でした。卒業する94年になると「さすがにちょっとまずいね」という感じだったので、高校時代に経済に関心を持って以来、バブルと、その崩壊時の両方を私は見たのです。バブルとその崩壊の原因は色々とあるんですが、やっぱり外せないのは金融政策だと思います。経済学を単に研究するのではなくて、実践したいという気持ちも沸騰していましたので、「大学院に行きなさい」と先生に言われましたが、日銀に入ることに決めました。

著書一覧『 鈴木亘

この著者のタグ: 『大学教授』 『経済』 『考え方』 『価値観』 『教育』 『経済学』 『景気』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
ページトップに戻る