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世界中の本好きのために

佐藤哲也

Profile

1960年生まれ、静岡県出身。 成城大学法学部法律学科卒業。大学生の頃から小説を書き始め、コンピュータ・ソフトウエア会社に勤務の後、1993年に第5回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品『イラハイ』(新潮社)でデビュー。 その他の著書に『妻の帝国』『下りの船』(早川書房)など。この2作はそれぞれ日本SF大賞の最終候補となった。 また、『ぬかるんでから』(文藝春秋)、『異国伝』(河出書房新社)など短編集も手掛ける。
【ホームページ】大蟻食の亭主の繰り言

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的確な批評機能が必要


――編集者は今後どのようになっていくと思いますか?


佐藤哲也氏: 今は、自信を持って何かを出してくるスタンスがないように感じます。これが売れているから同じようなものを、という繰り返しをやっているうちに、劣化してきている気がします。それは昨日、今日の話ではなく、四半世紀ぐらいそれをやっているんじゃないかなと思います。特に漫画がそうで、あるコミック系編集者の話で、漫画家のことを「絵師」と呼んでいるということを聞きました。原作は別に提供されて絵を描くだけといった状態を、いかにも当然のような形で捉えているような雰囲気がある。そうではなく漫画家が必要なのに、なぜそこで「絵師」をたくさん作ってしまうのかがわかりません。それと同じことがもしかしたら小説でも起こっているのかもしれない。だから、今は小説家の数は多いですが、何が売れているのか全くわからない状態なのでしょうか。

――本当の小説家は少なくなっているということでしょうか?


佐藤哲也氏: メディアそのものが軽量化されましたから、ネット上の作家はたくさんいますし、作家が増えるのはどうしようもないです。ですから、漫画でも小説でも、ある作品が提供された時に、批評機能がどう的確に機能するかということが重要になってきます。今の批評は、どんなテキストでも一様な読み方をして、内容を読まないで片付けを繰り返しているようなところがある。本来、批評には、その作品の価値そのものを批評家が読者として向き合って、虚心坦懐に評価をし、自分なりに咀嚼した結果を発表するというプロセスが必要だと思うのですが、今、批評家はそれを一切やっていません。そうしたプロセスを経ないで、「私が読みたかったのはこんなものじゃない」的な批評をしている。そしてそういうのを見て読み方とはそういうものだと思い込んだ読者が、それを真似ている。結果、どんな小説を書いても区別が付かなくなっているので、読者の劣情に訴えかけるような作品と、それとは全く違う行動的なテキストで書かれた作品が、同じ次元で評価されるような傾向があります。Amazonのコメント欄で、私の小説に対して「よくわかんなかった」「最後まで読めなかったから2点」とかいうのがありましたが、評価をするためには最後まで読まなければいけないし、評価をするということは、自分自身の評価観がそこで晒されるという自覚を持たなければいけません。その上での意思表示であるべきなのに、非常に自堕落な風潮が蔓延しているように感じます。

――批評が機能していない状態なのですね。


佐藤哲也氏: 結局、批評家が機能しないのであれば、どんなテキストを出しても評価が与えられないわけです。だとすると、編集者としても売れるものに対して繰り返し再生産をかけていくしかないわけで、冒険できないというのはあると思います。もっと批評がないといけないと思いますが、批評家は専業になりたがるケースが多いような気がします。しかし小説家が持っているパイより批評家が持っているパイの方がはるかに小さいんです。そこへ若い人たちがある種の文筆家になりたいという動機付けで乗り込んでいくと、当然売文家にならざるを得ない。売文業をしていくためには、批評家の中で作られているある種の系統樹の中で自分のポジションを見つけて生き残り戦術を展開しなくてはならなくなるので、その瞬間にその人は批評家ではなくなる。私は純文学とはほとんど接点がないのですが、たまに飲み会に出かけていくと、「この人が話している時にはこちらは格下だから喋っちゃいけない」というような明確なヒエラルキー(階級制)があります。批評家もジャンル系の作家も同様です。そんなに肩書きで威張りたいのならば作家ではなくて、どこかの会社の管理職にでもなった方がいいんじゃないかと思いますね。私の場合は、ジャンルには入れない、ある意味孤高のポジションにいますので、自由にものが言えるし、自分のことをやっていくしかないと思っています。

妥協はしたくない


――佐藤さんが書いていく上で、大切にしていらっしゃることは、どのようなことでしょうか?


佐藤哲也氏: できれば、妥協はしたくないと思っています。ただ、もくろみは高くても、技術的な問題が出てくると妥協せざるを得ませんから、「その問題は次回ね」という感じで、最終的に出来上がっているものは妥協の産物という場合が多いですが。

――最後に今後の展望をお聞かせください。


佐藤哲也氏: 私はブログを持っていますが、そのブログで連載のできるような形式がないかなと考えていますが、意外と難しいです。実はこの1年ぐらい「ゾンビ小説を書きたい」と一生懸命やっていたのですが、一向にゾンビ小説にならないので(笑)、今、違う方向に舵をとり直しているところです。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『映画』 『表現』 『小説家』 『テキスト』

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