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世界中の本好きのために

佐藤哲也

Profile

1960年生まれ、静岡県出身。 成城大学法学部法律学科卒業。大学生の頃から小説を書き始め、コンピュータ・ソフトウエア会社に勤務の後、1993年に第5回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品『イラハイ』(新潮社)でデビュー。 その他の著書に『妻の帝国』『下りの船』(早川書房)など。この2作はそれぞれ日本SF大賞の最終候補となった。 また、『ぬかるんでから』(文藝春秋)、『異国伝』(河出書房新社)など短編集も手掛ける。
【ホームページ】大蟻食の亭主の繰り言

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面白くするためにハードルを高くして「表現すること」を意識する


――初めて作品を書かれたのは、いつ頃ですか?


佐藤哲也氏: 小学校4年生の時にクラブで書いたのですが、本当に、ただストーリーが書いてある、あらすじを書いているだけといったもので、とても読めたものではありませんでした。中学校の時にも、星新一さんの真似をしてショートショートを書いていましたが、何かはっきりした自覚があって書いていたわけではありませんでした。何かを表現しなければという意識が出てきたのは、かなり後になってからだと思います。

――どのぐらいの時期に「表現すること」を意識するようになりましたか?


佐藤哲也氏: 20代で短編を書いていた頃もあまり考えていませんでした。結局、デビュー作の『イラハイ』が、いわゆるヒロイック・ファンタジーの形式をなぞって、脱線して全部裏返った感じになってしまい、その後、企業小説をやってみようというもくろみで書いた『沢蟹まけると意志の力』も、結局モンティ・パイソンのようになってしまった。どうやら、自分が書くと、普通の物語を用意しても全部脱線してひっくり返るらしいということに気がついたのが、30代半ばぐらいでした。その辺りから、テキスト至上主義的なアプローチが段階的に始まってきたのだと思います。多分、表現について考え始めるようになったのは、この4、5年じゃないでしょうか。もともと、小説を書くのがあまり好きではないのかもしれません。だから、小説を書くという行為をできるだけ歯応えのあるものにするために、ハードルをある程度高くして面白くしようとして、それが表現と結合したのが、ごく最近だと思います。

――「書く」行為、「表現する」行為は、佐藤さんにとってどういうものですか?


佐藤哲也氏: 自己表現として1つの方法です。もう少し行動力があって資金もあれば、才能があるかはわかりませんが、映画を作っていたかもしれません。

「本」の形にはこだわらない


――電子書籍に対して、書き手としての思い、ご意見はございますか?


佐藤哲也氏: 私はいいと思っています。私自身は「パブー(株式会社ブクログが提供している個人向け電子書籍作成サービス)」で何本か公開していますし、小説を書く時は、縦書きで成形されていなければダメという話でもなく、普通のエディターで横書きしていますので、読む方もそれでいいと思っています。たまに読者とコンタクトを取ることがありますが、「テキストのデーターが欲しければ送るよ」「勝手に加工して好きなように読んでくれ」というような話もしています。著作権云々の問題に関しては最終的に尊重してほしいと思いますが、読者が読みたいという気持ちに対しては、別に構わないというか、気にしなければならない問題だとはあまり思いません。形式についても、もともと横書きで書いている世界ですから、読者がそれをどういう形で読もうが、問題はないと思います。

――問題は中身だということでしょうか?


佐藤哲也氏: ものによるかもしれませんが、私にはあまりこだわりはありません。むしろ電子化が進行していくのであれば、可変長で読める環境に対応したようなテキストにしておいた方が、読者の可読性や視認性が高くなってくるだろうと考えています。たとえば私はよく1行で字数を揃えて書くのですが、ああいうことはやめなければいけないのかもしれません。

――電子化が普及していくと、書き方は変わってきそうですか?


佐藤哲也氏: 人それぞれだと思います。作家の中には縦書きや原稿用紙のフォーマットにこだわる人もいると思います。あと、実際は、こちらが気にしなくても読者が気にするんです。例えば「パブー」に上げた作品を、自分でテキストを削りだして成形して、製本して「こんな風に製本してみました」と持ってきてくれた読者もいます(笑)。私自身は、完成しても印刷しない人間なので、ゲラになるまで紙になったものを見ることがないからか、「本」という形式にこだわりはなく、ましてや縦書きや紙にこだわっているわけでもありません。もし、作者が書いた状態のままで読みたいのであれば、普通のテキストファイルで読めばいいと思います。ただ、ページや段組み、組版にまでこだわる方もいますから、そこは人それぞれだと思います。

――電子化が進むと書き手のスタイルだけでなく、読者も変化していきそうですか?


佐藤哲也氏: 私の読者は必ずしも電子書籍で読みたがるタイプではなく、意外と保守的だなと感じています。今、いわゆる電子書籍で何が読まれているのかというと、小説よりコミックの方が多い印象を受けます。実際、Kindleでコミックを見てみると、確かに読みやすいですが、小説は、見た時の一覧性、情報量が限定される感じがしてよろしくないです。また、文章中の「注」が見たい場合、その辺の機能は整っているのかどうか。私の場合、電子書籍として読みたいものは、小説でも漫画でもなく、古典や研究書です。それこそ、リンクを押したらパッと地図が出てくるような読み方ができると非常に助かります。

――まだまだ足りない部分が多いですね。電子書籍、電子デバイスの進化に求めるものなのか、それとも、使い分けするべきなのでしょうか?


佐藤哲也氏: とりあえずは使い分けしかないと思います。ブックリーダーにそういった機能を持たせるのはかなり厳しいものがあると思います。Paperwhiteでは厳しそうな気がするけれど、iPadでならできそうな気もします。

――2010年にiPadが発売され「いよいよ電子書籍元年」と言われて久しいですが、普及にはあと何が足りないと思われますか?


佐藤哲也氏: 私は基本的に相変わらず本で読んでいます。「本」という形は、2000年以上変わっていないので、この強さを変えるのは難しいと思います。ただ、基本的には電子化は進むと思います。普通に流通するようなものは電子媒体が中心になって、特別なものだけ紙に焼かれるという感じになっていくでしょう。昔、四つ折版などが一般的だった頃、自分で製本屋に出して自分だけの装丁をしたという、それに近い形になってくるのではないかという気もします。出版社より製本業の方が儲かるようになるかもしれないので、出版と取次は無くなるかもしれません。逆に製本・印刷は特化した形で生き残るのではないかと思います。

著書一覧『 佐藤哲也

この著者のタグ: 『映画』 『表現』 『小説家』 『テキスト』

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